丹沢(初挑戦)

あれはもうすでに20年前になってしまう。山の装備等は何もしていなかったし、何が必要かの知識もなかった。只、丹沢山塊で一番高い山に登りたかった。最短距離を最短時間で----

              

その時、ジョリーと言う名の犬を連れて登った。こいつは、口笛を吹くと遠くにいても必ず戻ってくる。からかって木の上に隠れて口笛を吹くと一生懸命に探す。見付けるとしっぽを振って鳴かないで見つめている。

毎週一緒に仏果山に登っていたが、丹沢で一番高い蛭が岳に登って見たくなった。ジョリーをバイクの前に乗せてヤビツ峠を走った。その当時は車が入れた本谷川をバイクで行けるとこまで登った。昼食は山でのお決りのおにぎりと 、愛犬用に煮干を包んで出かけた。

沢沿いの道をこいつと登った。多分キューバ沢を進んだと思う。バイケイソウが沢山芽吹いていた。

  

凄く短時間で登った記憶がある。しかも急登だったので途中でばててしまい、木の枝を杖代わりにして登った。丹沢の峰につくと人が沢山いた。杖をついて,普段着 の運動靴を履いた格好で登った私を見て、すれ違った男の人が『杖をつくなんて---』と連れていた子供達に聞こえるように愚弄した言葉を吐いた。

『あー』山登りで杖をついて登ってはいけない事だとその時思った。そして、地図上の距離と今の体力を比較し、蛭が岳まではとても行けないと判断して下った。悔しさだけが残った。

そして今

遠ざかっていた山歩きを再び始めると、ステッキを使うのは当たり前になっていた。それを使っても小馬鹿にする人は居ない。叉、丹沢山はあの頃の登山者が嘘のように少なくなった。そして、登山靴等の道具を揃えて 、蛭が岳にも何度か登る事ができた。20年前苦しかった山登りも、今では楽しい事が多い。

この丹沢山はいつでも蛭が岳への足がかりであり、そしてふた昔まえの思いでが蘇る山である。

 

追)2代目の犬は太り過ぎでとても山には登れないし、多分隠れた私を探す事も出来ない太目の『チビ』という名である。

         

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