エンパワーメント 
「パワー」と「パワーレス」

「エンパワーメント」の「パワー」とは、
「権力」や「暴力的な力」、「人を支配するための力」ではなく、
自分の人生において自己決定をし、自分の人生を生きる力です。
このパワーがない状態を「パワーレス」の状態と言いますが、
それはその個人や集団の資質や能力のせいなどではなく、
社会的、政治的、経済的に抑圧され、
自己決定のための資源を手に入れられず、
自己決定の機会を奪われ続け、
そのパワーをないものと見なされてきた結果として
起きてきた状態なのです。
この状態は、健康にも悪い影響を与えるということが
明らかにされています。

「エンパワーメント」って?

「エンパワーメント」は、パワーレスな個人や集団が
「能力や力をつけること」と訳されることが多いものです。
そしてそのためには、職業訓練や技能の修得、
そしてそれによる就労や公の場所への参加を目指すとされることが
多いのです。

しかし、私たちはその定義には疑問を感じます。
そういう定義の前提にあるのは、
「パワーレスな個人や集団には能力や力がない」という認識です。
しかし、「能力がない」のではなく、
「ないものとされている現状がある」ということなのではないでしょうか。
本来、人には誰でも「自己決定能力」は備わっているはずです。
それが社会的、政治的、経済的な抑圧により認められず、
権力を持つものによって「能力がない」とされてきたのです。
その同じ権力を持つ者による「能力をつけてやる」的な発想の
「援助」には、相変わらずの抑圧を感じます。

私たちは、「エンパワーメント」を
「今まで抑圧によってパワーレスな状態に置かれ、
人権を認められてこなかった個人や集団が、
自己の権利や自尊心を回復し、自分の人生のさまざまな選択において
自己決定をし、統御感を取り戻し、自分の属する社会の構造に
影響を与える過程であり、そのための援助である」と考えます。
そしてそれは、
ひとりひとりの自己肯定感や自尊心と深く結びついているのです。

集団がエンパワーメントされれば、
その構成員である個人もエンパワーメントされ、
個人がエンパワーメントされれば、集団の意思決定や活動に参加し、
集団自体もエンパワーメントされます。
つまり両者の間には相互作用があると言われています。
ただし、集団へのエンパワーメント、
つまり社会的な状況を変化させないまま、個人へのみ、
強いエンパワーメント的な介入をすると、
その個人はより強い無力感やパワーレスを感じ、
より悪い状態になってしまうことが明らかになっています。
個人へのエンパワーメントとともに、その人が属する集団や
周りの状況の変化、あらゆる人の人権をきちんと認めるための
社会的な整備は不可欠なものなのです。

「エンパワーメント」のために

個人へのエンパワーメントは、CRのような語り合いから行動へという
過程を経て達成されることは、
すでに多くの人の研究で明らかにされています。
@集まってお互いの話を聞き合い、個人的な問題だと思っていたことが
 実は社会的な問題であったと気づく
A問題を共有化し、仲間意識が高まる
B話し合いを深め、問題の本質への理解を深める
C実際に社会の変革に向けて行動する
という段階を経て、自己決定力や人生への統御感を回復し、
エンパワーメントされていくのです。

この文章をまとめるにあたり、
清水 準一さんのホームページの「研究業績」中の、
「アメリカ地域保健分野のエンパワーメント理論と
実践に込められた意味と期待」
を参考にさせていただきました。
          (出典:「日本健康教育学会誌,4(1),1997,11-18」)


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