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自尊心って? |
アメリカのフェミニスト活動家、グロリア・スタイネムさんは、
『ほんとうの自分を求めて―自尊心と愛の革命―』の中で、
「自尊心」には、「核心的自尊心」と
「状況的な自尊心」があると書いています。
この2つの自尊心の区別によって、
いろいろなことがわかりやすくなります。
今、一般的に言われている自尊心は、
「状況的な」もののようです。
何かができたから、能力があるから、…
ということで育まれる自尊心。
「子どもをほめて育てよう」という言葉や、
「何か1つのことができれば、それが自信につながって…」
というような言葉に含まれる思いは、
その「状況的な自尊心」を育んでいこうというものでしょう。
確かにそれは大切なことですが、
ただ、スタイネムさん同様、私たちも、
「核心的自尊心」こそが、
重要なカギを握っていると考えています。
何もできなくても、何をしたとしても、
私たちはそこに存在していていいという確信。
ただ、そこに存在する、ただ、自分でいる、ということ。
そしてその感覚は、自分のことにとどまらず、
周りの人の存在を、そのまま認めるというところまで広がります。
これは、自分のしたこと、
またはしなかったことに責任を取らないとか、
何をしてもいいとかいうことではありません。
いい悪いとか、評価とかいうこととは、また別の話です。
だからこそ「状況的な」ものとは違う、「核心的自尊心」なのです。
そんな自尊心が自分の中にあることを、
多くの人に思い出してほしいと願っています。
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周りからの影響 |
私たちは子どもの頃、どのように育てられたでしょう。
女性か男性かによって、その育てられ方は大きく違います。
一般的に女性は、ありのままの自分よりも弱く小さいものとして、
そして男性は、ありのままの自分よりも強く大きいものとして
育てられるようです。
どちらにしても、ありのままの自分でいることは許されません。
それは、誰にとっても「自分自身でいること」が難しい状況の中で
生きることを意味しますが、その上、
社会的に高い評価を受ける特性は、男性にあるものだとされ、
女性にあるとされている特性は、
低い評価しか受けないため、
女性はより低い自尊心しかもてなくなります。
また、子どもとおとなとの関係は、
人として対等な関係とはおよそ呼べないようなものがほとんどです。
「核心的自尊心」を育んでくれるような関わりができるおとなは、
残念ながらあまりいなかったようです。
その中でも私たちは、さまざまな人との関係から、
ときには、自分自身との関係の中から、
「自尊心」を育んできているのだと思います。
それが、生き延びてきた力になっているはずですから。
そして、スタイネムさんが言うように、
「少なくともいまや力の中心は、
私たちのために決断をしてくれた他の人たちではなく、
私たちの中にある」のですから。
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「私」からのサイン |
もし、できる状況にあるなら、
自分の内側に意識を向けてみてください。
「ほんとうの私」を探すことは、
周りの人をないがしろにすることでもなければ、
何かから逃げることでもありません。
こころやからだは、さまざまなサインを、
私たちに送り続けています。
それらの、「ほんとうの私」の内側からのサインに
気づいてあげてください。
ほんとうの意味で自分を大切にすることが、
「核心的自尊心」を思い出す鍵だと思います。
そして、この「核心的自尊心」に根ざした
真の自己決定ができるとき、
周りを支配する必要など感じなくなるでしょう。
そうでないときの自己決定は、自分のことの決定のみならず、
周りの人のことまでも決定し、
つまり周りを支配し、抑圧してしまうことにもなりかねません。
「核心的自尊心」に根ざした
真の自己決定をすべての人ができるような社会が、
真の男女共同参画社会と呼べるのではないでしょうか。
そしてそのような社会を、私たちは
皆さんとともに創っていきたいと思っています。
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