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 ジェンダー 
3.維持されていくしくみ

女性と男性に対してわたしたちが共通に持っている思い込みを、
「ジェンダー・ステレオタイプ」と呼びます。
そのステレオタイプの影響を受けたわたしたちは、
無自覚なままに、またそれを維持していっているようです。

そのとき、わたしたちの心の中では、いろいろなからくりが働いています。



たとえば、あるグループの人たちの特徴を把握するとき、
たまたま自分が見聞きしたことを、グループ全体に当てはまるかのように
思い込んでしまうことがあります。
それによって、自分のまわりのあるひとりの、または何人かの
女性(男性)の特徴を、
「女性」(「男性」)というグループそのものの特徴であるかのように
錯覚してしまうのです。

特に、数が少ないものは視覚的に目立ちます。
ですから、男性(女性)が多い職場にいる女性(男性)の特徴を、
「女性」(「男性」)というグループ全体の特徴であるかのように
錯覚してしまうこともあります。

また、わたしたちは、たとえ「らしくない」事実を見聞きしたとしても、
それを「例外」だとしてしまい、
そのことで「らしさ」そのものの書き換えをするようなことは、
めったにないように思います。

たとえ「女(男)らしくない」と感じるような女性(男性)が
まわりにいたとしても、「あの人は○○(職業だったり家族構成だったり、
ときには「変わったヤツ」というものも!?)だから」という、
性別とは違う理由をつけて、その人を「女性(男性)」の例外のように
受け取ります。
そして「女(男)らしさ」そのものを問い直すことなど、めったにしないのです。

一方、自分のことを考えるときには、
たとえ今の自分の立場が弱かったり、差別されていたとしても、
自分の価値は下げたくないので、
そんなことはないと思いたい気持ちが働くようです。
また、「わたしはまだまし」だとか、
「わたしはうまくやれている」と思いたい気持ちも働きます。
でもその結果、わたしたちは、ジェンダーの悪影響を見ないように
してしまっているのではないでしょうか。

そのような状態で、他の差別されている女性を見たときには、
それを、ジェンダーによる女性差別だと思えないことがあります。
そして差別されているのは、その女性に何か原因があるのだと
思いたくなるのです。
そうでないと、自分にもそのような差別がふりかかることを
認めることになってしまいます。
「わたしはあの人とは違うからだいじょうぶ」と思いたいために、
その女性自身に、原因を求めてしまうのです。

それが、女性差別という点で、
本来同じ立場として共感し合えるはずの女性が、
他の女性をおとしめてしまう理由のひとつなのだと思います。
そしてそのことで、女性が不利益を受ける社会環境はなかなか変わらず、
ジェンダー・ステレオタイプも維持されてしまうのです。


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