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 モラルハラスメント
 わたしたちの選択 (2003.8)

「モラルハラスメント」という言葉が広がるにつれて、ひとつひとつの言葉について、
ウィズとして納得のいく定義をしておく必要性があると、強く感じてきました。

そこで、「モラルハラスメント」とは?「加害者」とは?「被害者」とは?
「回復」とは?「人権」とは? … などなど、
スタッフ間でさまざまなことを語り合い、定義について考えてきました。

その中で、いくつか気になることが出てきました。

話せば話すほど、言葉にしていくことの難しさを痛感しています。

そこで、ここでは定義を決める前にまず、わたしたちの視点や立っている位置を
はっきりさせておきたいと思います。

                  

まず、わたしたちウィズがモラルハラスメントを語るときに、
「加害者」「被害者」という言葉を使うわけを話してみたいと思います。

それは、起きたことの責任がどこにあるのかをはっきりとさせるためです。

起きたできごとは暴力であり、その責任は被害者にではなく、
加害者にあるのだということをはっきりとさせたいのです。

「加害者」は「害を加えた者」であり、「被害者」は「害を被った者」です。

暴力は加害者に属します。

                  

ですから、モラルハラスメントに対応できる法律をつくることは
大事なことだと考えています。

ひとつには、加害者が言い逃れをして逃げたりせずに、自分の問題に向き合うために。

そしてもうひとつには、被害者が自ら復讐したいという思いを手放す助けにするために。

国としての法律ができる前でも、職場や学校での独自規制を考え、
つくることは可能だと思います。

しかし、家庭内のモラルハラスメントに影響を与えるためには、
法律をつくる必要があると感じています。

                  

ただ、わたしたちは、加害者を「悪」というイメージでとらえているわけではありません。

「責任がある」=「悪である」という図式では考えていないのです。

被害を受けた者の率直な感情として、加害者を「悪」だとして排除してしまいたい
気持ちがわくこともあると思います。

ただ、「善」か「悪」か、「正しい」か「間違っている」か、という価値観は、
まさにモラルハラスメントが行われている場で
当然のように使われているものだと思うのです。

ですから、それとは違う価値観、別の角度からのものの見方、
もうひとつ別の選択肢を探し、それを選び、
生活の中で生かしていく道をみつけたいと思うのです。

そのためにも、さまざまな対応、気持ちの表現の仕方、言葉の使い方など、
日常の生活の中でのわたしたちのひとつひとつの選択を、
もう一度じっくりと考えていく必要があるように思います。

それらがはたして、モラルハラスメントの加害者と同じパターンに陥っていないか、
見つめ直してみる必要があると思うのです。

「こうなるのが当たり前」というところから少しずつ、
「もうひとつ別の選択肢」へと変えていく道を一緒に創っていきませんか。

それが、モラルハラスメントのない社会を創っていくひとつの方法かもしれないと
感じています。

わたしたちが生きているこの社会は、モラルハラスメントが起こりやすい価値観に
満ちているのですから。

        

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