わんだふるはうす R134を行く

MABO Pineapple cafe

横須賀から大磯まで、湘南の海岸沿いを東西に走る国道。それがルート134号線。湘南でサーフィンする人なら必ず通るこの道路を、2005年〜2006年にかけて、ワンダフルハウスが走破しました。このコーナーでは、辻堂サーファー通りの「マーボー・パイナップル・カフェ」をご案内いたします。


Kalaheo辻堂店跡地にできたカフェ「The PARK(ザ・パーク)」の向かいに、湘南サーファーのレジェンド小室正則さんが経営するサーフショップ「MABO ROYAL(マーボー・ロイヤル)」があります。1階にはサーフボードが所狭しと並び、2階にはオリジナルのTシャツが豊富に揃っています。スクールミドルエイジ(オヤジ)向けスクールもあり。
「マーボー」「マー」の愛称で親しまれる小室正則さんは、1948(昭和23)年8月8日、神奈川県藤沢市辻堂生まれ。1965年、17歳でサーフィンと出会い、1967年、19歳で全日本サーフィン選手権大会優勝。この時代からハワイなど海外へ積極的に足を運び、ジェリー・ロペスなどの世界的なサーファーとも親交を深めました。地元辻堂サーファー通りにある湘南工科大学では、サーフィン講義の講師を勤めるなど、幅広い活動を行っています。
日々進化を遂げる、世界最小・最軽量の電子図書館「ワンダフルハウス図書館」に若き日のMABOの姿を発見しました。 こちらは、「平凡パンチ」1968年6月3日号でございます。小林泰彦さんのイラストによる「湘南海岸」の特集ページに、当時20歳の小室正則さんが登場しています。サーフィンの黎明期を知る上で大変貴重な資料です。
上のボードをシェイプしてる人は、当時の湘南サーフィンクラブ会長・鈴木正クン(通称ター坊)25才。湘南レジェンドサーファーであり、茅ヶ崎のサーフショップ「GODDESS(ゴッデス)」社長鈴木正さんの若き日の姿です。二人は1968(昭和43)年当時、茅ヶ崎で「湘南サーフショップ」という、サーフショップ・スナック・サーフボード工場が合体した店を経営していたようです。GODDESSのホームページ「鈴木正ヒストリー」によると、鈴木さんは1967年にカリフォルニアでシェイプ技術を学び、ハワイを経由して1968年に帰国。「湘南サーフショップ」を立ち上げ、当時の生産能力は、週に8本が限界で、作れば作っただけ売れたそうです。
下が、当時すでにサーフショップの経営者だった小室正則クン(通称マー坊)20才。学生。ここ数年サーフィンにとりつかれている。実力もある。それにハンサムだ。足に巨大なサーフだこ。全日本パドリング・コンテスト第2位入賞。ダブダブの大きなトランクスをトレードマークにしている。彼の話――「サーフィンは全てを狂わせます。あんな面白いスポーツはない。だから世の中にもっと普及させたい。ボクはサーフィンのスターになりたい。正直言ってボクは絶対うまいのだから、スターになれると思うヨ。尊敬する人物は、ヌヒア(デビッド・ヌヒア サーフィンの世界的スター)。スタイルなんかは、彼のものを真似ている。サーフィンはスポーツとしてキビシイものだと思う。波だけが相手で、波は何も言わないのだから(これは彼の好きな言葉とみえて、何度も言う)」。
1968年にオープンした「湘南サーフショップ」は、こんな感じの店でした。 場所は、茅ヶ崎球場と国木田独歩追悼碑の隣り、レストラン白樺が入っていたフジボウル、ベリーストロベリー茅ヶ崎店のあたりですね。「パシフィックホテル」「スナック キャバナ」「茅ヶ崎フィッシュセンター」…この地図に載ってる店は全部潰れてしまいましたね。「フジボウル」も「very strawberry茅ヶ崎店」も2006年3月に閉店しています。
これは凄い!\(^○^)/ 階段の両側に、パイナップルの飾りが60個以上ディスプレイしてあります。
2階はレストラン&バーの「MABO Pineapple cafe(マーボー・パイナップル・カフェ)」。ワンダフルハウスは、こちらでロコモコをいただくことにしました(^Q^)
「マーボー・パイナップル・カフェ」は、サーフショップの2階を改造して2004年にオープンしました。おやっ、あのサーフボードに描かれたイラストは? す…素晴らしい!水森亜土のイラストです!\(^O^)/ 
小室さんは、一時は事業に失敗し、数億円の負債を背負いましたが、奥様の美樹子さんの努力のもと、今では「マーボー・ロイヤル」は、東京・駒沢に2号店「MABO ROYAL TOKYO」を出すまでになりました。小室さんを長年に渡り支えてきた美樹子さんが1999年に他界されました。 あまりにも突然の出来事に悲しみ、毎日墓参する度に、「これからどうすればいいんだよ!?」と問い続けました。すると、夢に美樹子さんが現れ、「その労力をボードのシェイプに向けなさい! あなたはシェイパーなんだから」。 マーボーさんは翌日からシェイプルームに足を運び、涙を流しながらシェイプしていても、涙が止まらなかったという。そこで、美樹子さんのイメージに合わせた、フォームにシェルやロープ、フラワーを施したデザインの”MIKI MODEL”を考案。 この話に感動した水森亜土さんが、二人のために、サーフボードにイラストを描きにわざわざ辻堂まで来てくれたのです。「マーボー・パイナップル・カフェ」で、この美しく、感動的なボードを見ることができます。
水森亜土さんは1939(昭和14)年12月23日、東京都中央区日本橋生まれ。桜蔭女子学院卒業後、モロカイ・ハイスクール(ハワイ)卒業。透明アクリルボードに両手で絵を描きながら歌うイラストレーター、歌手、女優、画家、作家と多才な芸術家。「劇団未来劇場」所属。本名里吉文江。旧姓水森。 愛称は「あどちゃん」。また、自らを「あどたん」と呼んでいました。
ディナータイムになり、灯りが落とされ、外のトーチに点火されました。店名だけでなく、店内もパイナップル一色。小室さんが1960年代にハワイに行ったときに印象に残ったから、付けたとのことですが、椅子のクッションの生地もパイナップル柄と、かなり徹底的にパイナップルしています。
「パイナップルジュース」と「ロコモコ」。両方にパイナップルの実と傘が付いてきました\(^O^)/ この飾りの傘は、小さいのに開閉できる優れ物です。ハワイの定番料理「ロコモコ」の味が完璧(^Q^) 一口食べただけで、ハンバーグとグレービーソースの質が高いな、と思いました。 
辻堂駅からビーチへと続く、この道に「サーファー通り」と名付けたのはMABOなのです。

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