わんだふるはうす R134を行く

MABO ROYAL HAWAII

横須賀から大磯まで、湘南の海岸沿いを東西に走る国道。それがルート134号線。湘南でサーフィンする人なら必ず通るこの道路を、2005年〜2009年にかけて、ワンダフルハウスが走破しました。辻堂サーファー通りのサーフショップ「マーボー・ロイヤル・ハワイ」をご案内いたします。

2009年4月、ワンダフルハウスは辻堂サーファー通りにあるマーボーさんのサーフショップ「MABO ROYAL HAWAII (マーボー・ロイヤル・ハワイ)」を訪ねました。2階はレストラン&バー「MABO Pineapple cafe(マーボー・パイナップル・カフェ)」になっています。
「こんにちは!(^O^)/」
「1階にはサーフボードやウェットスーツが所狭しと並んでいます」
「オリジナルのTシャツも豊富に揃っていますね(^-^)\」
「小物もメンズ、レディス共に豊富な品揃えです」 
「おおっ!(^O^)\ あちらの御方こそレジェンド・サーファー“マーボー”さんです!」
「マーボー」「マー」の愛称で親しまれる小室正則さんは、1948(昭和23)年8月8日、神奈川県藤沢市辻堂生まれ。1965年、17歳でサーフィンと出会い、1967年、19歳で全日本サーフィン選手権大会優勝。この時代からハワイなど海外へ積極的に足を運び、ジェリー・ロペスなどの世界的なサーファーとも親交を深めました。地元辻堂サーファー通りにある湘南工科大学では、サーフィン講義の講師を勤めるなど、幅広い活動を行っています。
「マーボーさん、サインしてください!(^O^)/」「いいですよ。そこにいる友達の分もあげるよ」
「おーっ!これは凄い!\(^○^)/」
「60歳でここまでやれるとは凄い!(゚O゚)\
「ワンダフルハウスさん、シェイプルームも見せてあげるからこっちにおいでよ」
「おっ?ここにあるのは普通のボードではなさそうですよ(゚O゚)\  「ほぅ、ここがシェイプ・ルームですか(^-^)\」
バルセロナ五輪 銀メダル
アトランタ五輪 銀メダル
シドニー五輪 金メダル
アテネ五輪 金メダル
北京五輪 銅メダル
谷亮子さんの注文票
アテネ五輪 平泳ぎ100m金メダル
アテネ五輪 平泳ぎ200m金メダル
北京五輪 平泳ぎ100m金メダル
北京五輪 平泳ぎ200m金メダル
北島康介さんの注文票
この紙は何ですか?…谷亮子?…これは、ヤワラちゃんがオーダーしたサーフボードの注文票です!(゚O゚)\ 北島康介さんのもあります! 
「日の丸が付いたサーフボードがありますよ? 柔道馬鹿?」
シドニー五輪 柔道100kg級金メダル
井上康生さん
「柔道馬鹿とは、シドニー五輪 柔道100kg級金メダリストの井上康生さんです!(゚O゚)\ 
アテネ五輪 柔道100kg超級 金メダル
鈴木桂治さん(右)
「この柔道着は?(^-^)\…おおっ!(゚O゚)\
「井上康生さんと鈴木桂治さんの二人がマーボーさんに贈った柔道着…金の刺繍入りです!(゚O゚)\
アルベールビル五輪 ノルディック複合 金メダル
リレハンメル五輪 ノルディック複合 金メダル
荻原健司さん
「ノルディック複合の荻原兄弟です!(゚O゚)\
「ワンダフルハウスさん、こっちも見てごらんよ」 「うおーっ!これは凄い!(゚O゚:)\
アテネ五輪 柔道66kg級 金メダル
北京五輪 柔道66kg級 金メダル

内柴正人さん
アテネ五輪 レスリング72kg級 銅メダル
北京五輪 レスリング72kg級 銅メダル

浜口京子さん
「この人も柔道の…内柴正人さんです!(゚O゚)\ 「京子ちゃんは明日お父さんと一緒に店に来るよ」
「坂口憲二さん…」  「SHIHOさん…」
「岩崎宏美さん…」 「藤原紀香さんと陣内智則さん…」
「長島茂雄さんです!(゚O゚)\ 「乙武さんもサーフィンやるとは!(゚O゚)\」「この中でサーフィンやらないのは長島さんと陣内さんだけだよ」
「これは60歳の誕生日を記念して作ったんだけど…」「ちょっと触らせてください(^-^)o…おおっ!(゚O゚)o金色の部分は純金です!」
「この写真は’60年代’後期〜70年代初期ぐらいのものでしょうね(^-^)\」 「ジェリー・ロペスです! そして、この稲妻マークは…BOLTです!(゚O゚)\
“サーフィンの神様”ジェリー・ロペスをメインキャラクターにして、’70年代の第一次サーフィンブーム時に一世を風靡したハワイ発のサーフブランド「ライトニングボルト(Lightning Bolt)」。そのライセンスを取って、日本ボルト・サーフ社を立ち上げたのがマーボーさんでした。アメリカのボルト商品にとらわれず、日本オリジナルの商品を次々に開発しました。BOLTの稲妻マークが付いたTシャツやポロシャツは、街でずいぶん見かけたものです。
ジェリー・ロペス(Gerry Lopez)氏は、1948年ハワイ生まれ。ロングボードしかなかった’60年代にショートボードを作り上げ、驚異的にスピードアップしたボードでチューブ・ライディングを確立しました。
1977年
BOLTは1977年当時は辻堂駅前にありました。
1980年 2009年
1980年頃、現在の地 東海岸4丁目に移転して来たのです。
「それでは、我々は2Fのカフェでランチをいただくことにします(^Q^)/」「そこの階段を上ればカフェに行けるよ」「おおっ!?(゚O゚)\あのイラスト入りのサーフボードは!?」
「こ…これは凄い!(゚O゚)\ 水森亜土さんの作品です!」
水森亜土さんは1939(昭和14)年12月23日、東京都中央区日本橋生まれ。桜蔭女子学院卒業後、モロカイ・ハイスクール(ハワイ)卒業。透明アクリルボードに両手で絵を描きながら歌うイラストレーター、歌手、女優、画家、作家と多才な芸術家。「劇団未来劇場」所属。本名里吉文江。旧姓水森。 愛称は「あどちゃん」。また、自らを「あどたん」と呼んでいました。
1966年
水森亜土さんといえば、(知ってる人は少ないのですが)平凡パンチ女性版1号と2号に連載された「女コックスパイ・シリーズ」です。1号では現在の天皇と皇后も若かりし頃に食べに来た麻布台のニコラス・ピザハウスにコックスパイとして潜入し、(当時の日本人が知らなかった)ピザパイの作り方を盗み出しますが、力道山とも親交のあったニコラ・ザベッティさんにスパイであることを見破られて店をつまみ出されてしまいます。2号では新宿歌舞伎町にあったスペイン料理店「ヴァレンシア」にフラメンコの衣装を着て潜入し、「スペイン風炒飯(現在のパエリア)」のレシピを盗んでいます。
「ほぅ、静岡の松坂屋デパートでも展示したのですか(^-^)\」
マーボーさんは、日本ボルト社の事業に失敗し、数億円の負債を背負いましたが、奥様の美樹子さんの努力のもと、1992年にマーボー・ロイヤル社を設立するまでになりました。しかし、小室さんを長年に渡り支えてきた美樹子さんが1999年に他界していまいます。 あまりにも突然の出来事に悲しみ、毎日墓参する度に、「これからどうすればいいんだよ!?」と問い続けました。すると、夢に美樹子さんが現れ、「その労力をボードのシェイプに向けなさい! あなたはシェイパーなんだから」と言います。 マーボーさんは翌日からシェイプルームに足を運び、涙を流しながらシェイプしていても、涙が止まらなかったと言います。そこで、美樹子さんのイメージに合わせた、フォームにシェルやロープ、フラワーを施したデザインの”MIKI MODEL”を考案。 この話に感動した水森亜土さんが、二人のために、サーフボードにイラストを描きにわざわざ辻堂まで来てくれたのです。「マーボー・ロイヤル・ハワイ」「マーボー・パイナップル・カフェ」で、この美しく、感動的なボードを見ることができます。
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