わんだふるはうす 森戸海岸線を行く

パティスリー・ラ・マーレ・ド・チャヤ 葉山本店

横須賀から大磯まで、湘南の海岸沿いを東西に走る国道。それがルート134号線。葉山御用邸前交差点を左に折れると、逗子・渚橋まで曲がりくねった細い道が海岸沿いに続きます。それが県道207号・森戸海岸線。いかにも葉山らしい風光明媚なこの道路を、2005〜2009年にかけて、ワンダフルハウスが走破しました。このコーナーでは「パティスリー・ラ・マーレ・ド・チャヤ 葉山本店」をご案内いたします。

「菓子舗 日影茶屋」を出て、目の前の信号へ…
鐙摺葉山港入口
信号の向こうの方は、もう逗子市。ここは葉山町最後の砦なのです。
信号の左側が、“フランス茶屋”こと「パティスリー・ラ・マーレ・ド・チャヤ 葉山本店」です。
1972年9月にオープンした葉山の名店中の名店の登場です。
左がフランス菓子店「パティスリー・ラ・マーレ・ド・チャヤ」。奥の白い建物がフレンチレストラン「ラ・マーレ・ド・チャヤ」。右側は逗子湾。目の前の小さい海岸が鐙摺海岸(あぶずりかいがん)です。
ワンダフルハウスが最初に「フランス茶屋」を訪れたのは1979年、高校生の時。初めの印象は南仏風だと思いました。店の前にシトロエンやポルシェが止まり、沖にはヨットが浮かんで、室内は海の光が降り注いでとても明るく、育ちの良さそうなお客さんが、くったくもなくお茶とお菓子でくつろいでいるのです。でも、よく聞いてみると、この建物は英国の居酒屋風。椅子やテーブルも英国から運んできたものだそうです。香り高く立てられた紅茶の色、そのサービスの手法は確かな英国式。お菓子は、様々なお酒の香りが効いて甘味が抑えられ、美しい。完璧なフランスの高級菓子なのです。
1972年、アメリカ留学から帰国したばかりの角田彰専務、後に10代目角田庄右衛門の名跡を襲名する現社長は、わずか22歳で日影茶屋の大改革を施します。長年続いた旅館部門を休止して日本料理店として新たにスタートを切りました。同時に系列店として洋菓子店「茶屋」を開店。半年後には逗子駅前にケーキのテイクアウトと喫茶店「カフェ・ド・チャヤ」を、5年後にはレストラン「ラ・マーレ・ド・チャヤ」と矢継ぎ早に新店舗を開店させたのです。「当時、葉山には目的地になるものが少なかったんです。御用邸はあるけど中に入れるわけじゃない。ではドライブでもと思っても、ぐるりと回って帰るだけ。たまたまここには日影茶屋があって、近くに葉山マリーナもできた。あとはヴィレッジみたいに店がいくつかあって、食後にちょっとお茶したり、夜だったらバーで時間を過ごしたり、ぶらぶらと散歩してと。そういう場所があったら楽しいだろうなと思ったんです。それじゃあ、ってことで洋菓子屋のついた喫茶店を始めました。それがまあまあ上手くいって、今度は逗子の駅前にケーキ店を作りました。葉山や逗子の方が東京へお出かけになる時に、駅前で買えると便利だと言われましてね。それから5年後に造ったのがレストラン・ラマーレです」。こうして、随所に新しい感覚が散りばめられた、時代を先取りしたような店は、またたく間に話題になって成功を収めたのです。
旗立山の麓鐙摺海岸の反対側、旗立山の麓に見える三角屋根。この建物はイギリスのテムズ河畔、ヘンリーという町にある喫茶店の建物をそっくり模して造ったものだそうです。
白い壁、濃茶の柱、赤い屋根。ヨーロッパの田舎家のように、内部は太いむきだしの梁。ポーチは煉瓦囲いでプラタナスの木漏れ日の下に椅子とテーブル。若い女性でなくても喜んでしまうような道具立てが揃っています。大人の男性客でも、東京から車で一走りして来る人が多いのです。
1973年 2007年
建物は1972年の開店当時のままで、かなり貴重です。看板も同じですね。煉瓦囲いのポーチは前面を切って、入口を広げたようです。
2005年 2007年
ただ1つ変わったのは、入口左側の出っ張り。これは2005年頃、パンを焼くアトリエを増築したからです。
この看板は新しいものですね。「パティスリー・ラ・マーレ・ド・チャヤ」という現在の正式な店名が付けられたのは、割と最近のことだったように思います。
創業当時の看板
1976年
現在の看板
2007年
1972年の開店当時の店名は、ただの「茶屋」「チャヤ」だったようです。
昔からある看板を見ると「PATISSERIE」という文字は、どこにもありません。ワンダフルハウスが学生だった1980年代は、「フランス茶屋」とみんなが呼んでいました。
創業当時の店内
1976年
現在の店内
2007年
店内も創業当時と全く変わっていませんね。
「こんにちは!(^O^)/」「これはこれはワンダフルハウス様…」
喫茶室は極めつけのアンティックで統一されています!
斜め格子の窓からは海が見えます。石原慎太郎氏の別荘も見えますね。彼らもここへ来るのです。
「それでは、ケーキを見せていただきましょう!(^Q^)\」
日影茶屋の最初の系列店として開業したこの店は、37年を経た現在もなお、創業当時の人気商品が変わらない人気を誇っているというのが、全てを物語っているようです。店内にはそうした定番のケーキに、季節ごとに切り替わるケーキ、焼菓子やパンもあります。本店のケーキやパンは店内のアトリエで毎日作られています。
チャヤのケーキで一番のお勧めは何と言っても「トリコロール」。小さなロールケーキで「バナナ」「イチゴ」「マロン」があります。1個168円の安さですが、ふんわり感が絶品。大船ルミネでは開店の午前10時と午後5時の2回入荷しますが、トリコロール目当てのお客さんで毎日行列が出来、あっという間に完売。大船ルミネの風物詩となっています。葉山本店では毎年2月だけの販売です。
「タルトフレーズ、モンブラン、カシスとマロンのムース。おっ?モンブランが1つしかありませんよ…」
「ワンダフルハウス様、たった今、アトリエから出来立てをお持ちしました」「チャヤのモンブランは、創業時から作られているプチマロンもあります」
本店のケーキは店内のアトリエで作られているので、このようなことが可能なのです。
チャヤの新作チョコレートケーキの登場です。
オペラ
472円
(期間限定品)
コニャック・ショコラ
472円
(期間限定品)
この2つは2007年2月に販売されていた期間限定品です。
クールとはハートのこと。ハート型のチョコレートケーキ。葉山本店限定です。 ショコラノワールのグラサージュが美しいムースショコラ。
「人気ナンバー1のカマンベールケーキです。アントルメもあります」
「シブスト、フレーズ、プチマロン、スワンシュー。この4つは創業当時からあるケーキです。スワンシューが1羽だけとは可哀相ですね。やはり仲間がいなくては…」
「ワンダフルハウス様、たった今、アトリエから出来立てをお持ちしました」「おーっ!白鳥が増殖しました!」
「シブストは、アントルメもあります
パウンドケーキも各種揃っています。葉山本店だけ、しかも週末だけの超限定品「ウィークエンド」。そして、オレンジケーキ、フルーツケーキ、チョコレートケーキ。
そして、創業当時からのお菓子、カテリーヌとブリジットの登場です
1972年のオープン当時、この店には洋菓子作り20年という神成勇夫製菓部長がいて、6名の若い職人さんの先頭に立って、日夜ケーキ作りに余念がありませんでした。日夜と書きましたが、文字通り昼も夜もでした。とりわけこの店のカテリーヌとブリジットは、共に神成さんの命名になり、まず東京の都心でもそうめったに口にはできない絶品だったのです。
ブリジットは、この写真を撮影した2007年2月当時は定番商品でしたが、その後すぐに廃番になり、2008年秋に期間限定で復刻されましたが、2009年7月現在は廃番になっています。
カトリーヌ・ドヌーブとブリジット・バルドー…フランス女優の名にちなんだ2つのケーキ。彼女らの情熱と気品をそっくり味覚に込め、表現したのが何よりの特色だと言っても、決してほめすぎではないのです。
まずは、苺のショートケーキ「フレーズ」(367円)をいただきましょう。長方形の形になったのは’90年代からのようです。お味は…生クリームが濃厚です!(^Q^) コクがあるのにあっさり。フレッシュクリーム4種類をブレンドした生クリームと、ソフトで口溶けの良いスポンジが絶妙なバランスです。さらにイチゴは旬にこだわっています。いまや年間通して味わえるイチゴですが、やはり旬は初冬から5月頃まで。この時期の「フレーズ」には栃乙女(とちおとめ)が使われています。
フレーズデコレーション
5号 3150円
2007年
フレーズ
(中央左)
1986年
苺のショートケーキにはアントルメ「フレーズデコレーション」(5号 3150円)もあります。オープン以来変わらない生クリームには根強いファンが多いようです。口当たりの良いソフトな生クリームが主流の中、まさに王道の風格があります。 創業〜80’年代の「フレーズ」(中央左)は、アントルメをカットしたものでした。
1986年当時のフランス茶屋のケーキ
神成勇夫製菓長時代
これがフランス茶屋の初期のプティガトーです。ワンダフルハウスは高校〜大学時代に全種類制覇した想い出深いお菓子です。上のレアチーズケーキと、下のムースフランボワーズは、お店でいただく時はオリジナルソース付きでした。クリームチーズに上等なカスタードクリームを合わせたレアチーズケーキは乳酸菌を使ったソース付きで、他ではマネできない美味しさでした。
レアチーズケーキ
アップルパイ、チーズケーキ、プチマロン、パリジェンヌ
ムースショコラ、フレーズ、チェリータルト、スワンシュー
ミルフィユ、キリッシュ、ブリジット、カテリーヌ
ムースフランボワーズ
「カフェ」(472円)。ケーキに合うよう、マイルドにブレンドしたコーヒーです。 「もう1つケーキをください!次はブリジットを!(^O^)/」
ブリジットが運ばれて来ました。
「もう1つケーキを…カテリーヌもください!(^O^)/」
チョコレートケーキ「カテリーヌ」(420円)…これは1970年代、マキシム・ド・パリと並ぶ日本のフランス料理店の最高峰だったレンガ屋のデザート「ラ・セーヌ」と同じものなのです! モカのバタークリームケーキ「ブリジット」(420円)…これは1970年代、マキシム・ド・パリと並ぶ日本のフランス料理店の最高峰だったレンガ屋のデザート「オ・ルボワ」と同じものなのです!
アンアン1973年12月20日号
「ホームメードのお菓子屋さん」
レンガ屋 代官山店
婦人画報1984年1月号
「私の街のケーキ屋さん」
葉山 フランス茶屋
左はレンガ屋、右はチャヤ。2つの長方形のケーキに注目してください。
左 ラ・セーヌ
右 オ・ルボワ
(レンガ屋)
1973年
左 カテリーヌ
右 ブリジット
(フランス茶屋)
1984年
この2つのケーキは、名前は違いますが、全く同じです!」
「おおっ!? 店内が急に暗くなって、誰もいなくなりましたよ?」
1977年 1973年
「タイムスリップです!ワンダフルハウスは開店当時のフランス茶屋にタイムスリップしてしまったのです!」
1977年2007年 1986年
開店当時の支配人 風間さんと神成製菓部長が現れました。神成チーフにご自慢のケーキをうかがうと、「一番のお勧めは、カテリーヌとブリジット。カテリーヌはチョコレートケーキ。ブリジットは、スポンジケーキにモカクリームを何層にもはさみ、アマンドをまぶしたもの。両方とも洋酒をたっぷり使ったスポンジを一晩ねかせて味をまろやかにします」。白いコック帽に白衣の神成さんは早口に話します…葉山の田舎の日影茶屋という老舗に乗り込んで、ここまでに盛り上げてきた。その自負が感じられる熱っぽい口調です。
左 ラ・セーヌ
右 オ・ルボワ
(レンガ屋)
1973年
左 カテリーヌ
右 ブリジット
(パティスリー・ラ・マーレ・ド・チャヤ)
1984年
「神成さん、レンガ屋のラ・セーヌとチャヤのカテリーヌ、そしてレンガ屋のオ・ルボワとチャヤのブリジットは同じですか?」…やっぱり…「同じです。レンガ屋のお菓子の基礎は私が作りました」とのお答え。「チャヤに来る前はレンガ屋にいました。日影茶屋の角田彰専務に口説き落とされてここに来た時には、仲間に『お前が田舎に行って何ができる?』とバカにされたもんでした。レンガ屋時代には画家の岡鹿之助さんや、色々な方が見えまして、お菓子をほめてくださいました。レンガ屋のお客さんのいい舌で修行させてもらいました。今はこのチャヤに、遠くからもお菓子を食べに来てくれるお客さんがあるようになって、ホッとしているところです。1日に16時間も働いて、がむしゃらにやってきた時代が、長いトンネルのように思えます。ホテル系、お菓子屋系と、菓子職人の系譜がある中で、どこにも属さずにきたことが、遠回りではあったけれど良かったと思っています」
神成さんは、この2つのケーキを1970年、銀座と代官山にあったレストラン「レンガ屋」で初めて完成させましたが、当時の「レンガ屋」は画家の岡鹿之助さん、美術評論家の今泉篤男さん、さらには茶人の千宗室さんなど多くのファンを持っていました。
カテリーヌとブリジットのベースは、多くの洋菓子同様のスポンジ台ですが、外国産のリキュールやブランデーをたっぷり吸わせます。いわゆるカステラ状のそれは、糖分を最高に少なく、卵をふんだんに使います。砂糖をこれ以上少なくできないというギリギリまで絞ったといいますから、もちろん子供用の洋菓子ではありません。神成さんは、菓子といえば、すぐおやつを連想しがちだが、私はフランス料理のデザート菓子という発想でこれを作った、とはっきり言いました。
まず、ブリジットですが、これは濃縮したエスプレッソコーヒーを混ぜたバタークリームをサンドし、アーモンドスライスで周りを固めた贅沢なケーキです。キメ細かく、しっとりしたスポンジが特徴。香ばしいアーモンドやエスプレッソの苦みが甘みを抑え、軽い口当たりに仕上がっています。丁寧に作られた気品のある味わいです。
カテリーヌは、自家製のリキュール入りソースと言って、いいチョコレートでくるみ、これも洋酒入りのバタークリームで仕上げがしてあります。ただし、洋酒を吸い、クリームやチョコレートで仕上がったそれを、そのまま食べるのではいかにもやわらかすぎるので、作った夜は冷たい場所で形をひきしめるのだそうです。つまり、クリームが固まらなければ持つことさえも不可能なのです。しかも、すぐ食べるには洋酒の味があまりにも強烈に過ぎます。まろやかな味覚は、カテリーヌが一夜を過ごすことによって、徐々に全体に行き渡るのです。
「私はむしろ焼きすぎるくらい焼くんです。日本製洋菓子はどうも焼き色が足らないように思うのですが、お客様はそれに慣れてしまっているせいか、ちょっと黒いじゃないか、などとわざわざ電話をかけてこられるかたもおられます」
そう苦笑する神成さんですが、確かにこの2種類とも色は黒いですね。
「手間ひまをかけたカテリーヌはココアスポンジに特別オーダーのチョコレートを使ったクリームをはさみ、1日寝かせてからやっと私たちの口に入ります。それだけに、そのしっとりとした美味しさはこたえられません(^Q^)」
しかし、フルーツケーキにしても、焼きの具合によっては香りも味も違うし、第一、日持ちの点でも大きな差があるはず、と自信は満々なのです。
「よその品をとやかく申すわけではないのですが、たとえばアーモンドを使うところをピーナッツにしたり、バターをマーガリンで代用するようでは品物に特色など出せるはずはありません」
だから神成さんの場合、別な形でこの店の一つの売り物にもなっている甘みのないクッキーにチーズを使うとなれば、石鹸臭いと言われるくらい徹底して使うのが信条だとも言いました。
「これからの洋菓子は、スパイスとリキュール、それにチーズを上手に使いこなせなければ生き残ることはできませんよ」
神成さんはそうも言い、大きな店が次第に量産に追われ、機械化すればするほど手作りの洋菓子の本当の良さが見直されるだろうとも断言しました。
「口に含めば、その手作りのケーキがゆっくりと溶けるように、ほどほどの甘さと上等な洋酒の味をたっぷりと味わわせてくれます(^Q^)」「外国ではデザートというのは食生活の一部になっていて、私もお客様にケーキを料理のデザート的な感じで食べて頂きたいのです。お菓子には基本の配合があって、その通りに作れば誰でもできる。でもうちでは、洋酒とスパイス、チーズが決め手なんです。甘味を最小限に抑える代わりに、基本配合に何かをプラスしてどこかに工夫を凝らさなくてはならない。また、オレンジやレモンの残り皮で自家製のピールや香料を作ったり、チョコレートでも原料そのままを使うのではなくてビターチョコと普通のチョコを6:4の割合で使う。原料をどのように生かせるかが、我々の腕の見せ所なんです」。
また、材料の吟味を念頭に置き、良品質の材料を使用する。ケーキも、その日に作ったものは1日冷蔵庫で休ませておき、洋酒がなじんだ翌々日に売るそうです。20年以上の菓子修業で練磨した技術や味を。お客に提供する自信に満ちた神成シェフ。その気迫と職人気質の一徹さには、つくづく驚いたり、感心させられたりしました。
「おおっ!? あれは石原慎太郎都知事の別荘です!」 ワンダフルハウスは現代に戻って来たようです。目の前の鐙摺海岸を散歩してから、もう少しケーキをいただきましょう。
10代目角田庄右衛門社長は、太陽族の最後の世代で、若い頃は石原慎太郎さんのヨットにも乗っていたそうです。
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