デニーズから50mほど行くと、森戸大明神(森戸神社)の看板と鳥居が見えました。左折して神社に行ってみましょう。 | 左が駐車場、右の鳥居をくぐると本殿でございます。 |
森戸神社は、葉山町の総鎮守として、土地の人たちから「明神様」と呼ばれ親しまれています。森戸川の河口に突き出た森戸岬にある、三方を海に囲まれた見晴らしの良い境内の神社です。神社の由来は、源頼朝が伊豆で挙兵した際に、三島明神(現在の静岡県・三島大社)に参詣して戦勝を祈願し、その加護により旗揚げが成功したため、1180年、鎌倉に近い景勝の地葉山に三島明神の分霊を歓請し、社殿を造営したのが起こりといわれています。 |
ワンダフルハウスは駐車場に入りました。 | おや、あれは? |
石碑です! すごい数です。 | こちらは、明治天皇と昭憲皇太后が葉山をテーマに詠まれた御歌でございます。 明治天皇 海辺雪 歌碑 「海人ばかり すむとききつる くれ竹の 葉山のうらは ひらけけるかな」 照憲皇太后 里神楽 歌碑 「くれ竹の 葉山の宮に きこゆるや 森戸あたりの かぐらなるらむ」 |
左は昭和天皇の即位50年を記念し、昭和50年に建てられた 記念碑。右は詩人・堀口大学の詩碑。「花はいろ 人はこころ」の詩が刻まれています。ワンダフルハウスは、この短い詩に感銘を受けました。町制50周年を記念して建てられたものです。 | 「マルチーノ公使 ベルツ博士 記念碑」。マルチーノ公使とベルツ博士は葉山が黒潮の影響で、冬は暖かく夏は涼しい温暖の地で、風光明媚であるということに注目し、保養の地として最適であると皇室に進言し、明治27年に葉山御用邸が造営されました。こうした両氏の功績を讃え、昭和11年に建てられた記念碑です。 |
二・二六事件で暗殺された高橋是清の歌碑。「堪忍の 股からのぞけ 富士の山」 | 海に向かって立つ源頼朝公別野跡。 |
これらの石碑の右側に、森戸神社で最も有名な石碑が、静かに佇んでいました。 |