わんだふるはうす 森戸海岸線を行く

石原裕次郎記念碑

横須賀から大磯まで、湘南の海岸沿いを東西に走る国道。それがルート134号線。葉山御用邸前交差点を左に折れると、逗子・渚橋まで曲がりくねった細い道が海岸沿いに続きます。それが県道207号・森戸海岸線。いかにも葉山らしい風光明媚なこの道路を、2005〜2006年にかけて、ワンダフルハウスが走破しました。このコーナーでは、石原裕次郎記念碑をご案内いたします。


デニーズから50mほど行くと、森戸大明神(森戸神社)の看板と鳥居が見えました。左折して神社に行ってみましょう。 左が駐車場、右の鳥居をくぐると本殿でございます。
森戸神社は、葉山町の総鎮守として、土地の人たちから「明神様」と呼ばれ親しまれています。森戸川の河口に突き出た森戸岬にある、三方を海に囲まれた見晴らしの良い境内の神社です。神社の由来は、源頼朝が伊豆で挙兵した際に、三島明神(現在の静岡県・三島大社)に参詣して戦勝を祈願し、その加護により旗揚げが成功したため、1180年、鎌倉に近い景勝の地葉山に三島明神の分霊を歓請し、社殿を造営したのが起こりといわれています。
ワンダフルハウスは駐車場に入りました。 おや、あれは?
石碑です! すごい数です。 こちらは、明治天皇と昭憲皇太后が葉山をテーマに詠まれた御歌でございます。
明治天皇 海辺雪 歌碑
「海人ばかり すむとききつる くれ竹の 葉山のうらは ひらけけるかな」
照憲皇太后 里神楽 歌碑
「くれ竹の 葉山の宮に きこゆるや 森戸あたりの かぐらなるらむ」
左は昭和天皇の即位50年を記念し、昭和50年に建てられた 記念碑。右は詩人・堀口大学の詩碑。「花はいろ 人はこころ」の詩が刻まれています。ワンダフルハウスは、この短い詩に感銘を受けました。町制50周年を記念して建てられたものです。 「マルチーノ公使  ベルツ博士 記念碑」。マルチーノ公使とベルツ博士は葉山が黒潮の影響で、冬は暖かく夏は涼しい温暖の地で、風光明媚であるということに注目し、保養の地として最適であると皇室に進言し、明治27年に葉山御用邸が造営されました。こうした両氏の功績を讃え、昭和11年に建てられた記念碑です。
二・二六事件で暗殺された高橋是清の歌碑。「堪忍の 股からのぞけ 富士の山」 海に向かって立つ源頼朝公別野跡。
これらの石碑の右側に、森戸神社で最も有名な石碑が、静かに佇んでいました。

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