わんだふるはうす 森戸海岸線を行く

海狼 PART2

横須賀から大磯まで、湘南の海岸沿いを東西に走る国道。それがルート134号線。葉山御用邸前交差点を左に折れると、逗子・渚橋まで曲がりくねった細い道が海岸沿いに続きます。それが県道207号・森戸海岸線。いかにも葉山らしい風光明媚なこの道路を、2005〜2006年にかけて、ワンダフルハウスが走破しました。このコーナーでは、中華料理店「海狼」をご案内いたします。


海狼
2006年5月、ワンダフルハウスは、再び海狼を訪れました。ウェイティングルームから森戸橋と菊水亭が見えます。 それでは、席に案内していただきましょう。
正面(窓際一番左)の席は、昨年の夏、ワンダフルハウスが座った席です。 おや? 何か展示されていますね。
「海狼」の前身は、葉山御用邸が開設された明治27年に創業した「鍵屋旅館」。1978(昭和53)年、中華料理店「海狼」に生まれ変わりました。ここに展示されているのは、料理をお届けに御用邸に出入りし、御用邸の鍵を預かるほど格式高い割烹旅館「かぎ家」だった頃のゆかりの品々。現在でも、天皇陛下は葉山御用邸滞在中に海狼から料理を運ばせているようです。
『晩年の勝安芳伯爵(勝海舟)は、湘南地方を好み、しばしば旅館「かぎや」に静養のため滞在しました。主人のすすめに応じて筆をとり、日清戦役の事後処理をはじめ、当時の政府官界に対する公憤をこの画帳に揮毫しました』
…ほぅ、これは凄い! しかし、達筆すぎて何が書いてあるのかわかりません(^-^;)
この茶碗とお皿は、大正5年2月に当時の主人・山本熊太郎氏が大正天皇と貞明皇后から拝領したものです。実際に葉山御用邸で御使用の御器でございます。
ワンダフルハウスは、こちらの席に案内されました。 「ココナッツミルク抹茶あずき」!(^Q^) デザートは、これに決めました。
右奥の海が見える席、あそこは石原裕次郎が海狼で一番好きだった席です。  向こうの部屋(右側のスペース)の窓際、手前はワンダフルハウスが去年の夏に座った席。奥が石原裕次郎が海狼で二番目に好きだった席です。
これが裕次郎が愛した景色です。
ディンギーです! 慎太郎&裕次郎兄弟が父親にねだって買ってもらったヨットは、あれと同じタイプ。昭和23年当時のお金で25000円。慎太郎高1、裕次郎中2の時でした。エンジンも何も付いてないので、操縦は、もの凄くハードです。 望遠鏡があれば、この席から裕次郎灯台を見ることができます。裕次郎記念碑は、角度的に厳しそうですね。
「太陽の季節」は、海狼の目の前の海で撮影されました。当時、流行の先端をいってると思っていた東京の映画界のスタッフ達が湘南に来て、太陽族がアメリカ風のファッションに身を包み、モーターボートやクルーザーを乗りまわしてるのを見て腰を抜かしたそうです。 対岸の逗子マリーナが見えました。
「紅焼排翅 ふかのひれ醤油味姿煮 Braised Shark's Fin(Whole)」(5800円)が運ばれてきました\(^Q^)/ これが、裕次郎が好きだった「ふかのひれ醤油味姿煮」。以前は8000円でしたが、最近5800円に値下がりしました\(^○^)/ フカヒレ料理の総称を中国では「魚翅(ユイツー)」と呼んでいます。「排翅(パイツー)」とは、扇の形をしているヒレの事で、姿煮用に使われています。鮫の背びれと尾びれが使われています。
海狼のフカヒレは、気仙沼産の最高級品だけを使用。見た目に美しく、独特の歯ごたえがしっかり楽しめます。裕次郎は、いつもワインで楽しんでいたそうです。とろけるような食感…ほっぺが落ちてしまいました)^Q^(
フカヒレ自体には食感はあっても味がないので、決め手はフカヒレを煮るソースの旨さ。オイスターソースと醤油でじっくり煮込んで味を含ませてあります。一口すすります…やばい…この汁だけで、ご飯が丼2〜3杯はイケます(^Q^) 「割包 饅頭(蒸しパン) Steamed Bun」(158円)。
ここは品良く、蒸しパンをちぎってスープに浸していただきましょう。お店の方に聞いたところ、この食べ方は邪道ではないそうです。
「上海炒麺 海狼風シャンハイ焼きそば」(1575円)。ワンダフルハウスが、普段、縁日の屋台や海の家で食べてるやきそばと比べて、対極にあるやきそばの登場です。蟹肉が入っていて、品のいいお味です(^Q^) 他の具は椎茸、人参、玉ねぎ、キャベツ、ニラが入っていました。
「ココナッツミルク抹茶あずき」(525円)。何杯でも食べられる美味さです!(^Q^) 今度は違うデザートをいただきましょう。「芒果布甸」がいいですね。
「マンゴープリン MANGO Pudding」(525円)。広東語で「芒果布甸」。高級感のあるお味です。マンゴーの豊かな味わいと、トロリとした食感が口の中に広がります(^Q^)。紫のハートのマークはブルーベリーソース。
「タピオカ入りココナッツミルク」(368円)、「まんごーぷりん」(420円)、「杏仁布甸」(368円)は、お土産用もございます。 中華デザートの王様「杏仁豆腐」。 口の中に入れれば、杏仁の爽やかな香りを放ちながら滑らかに溶けていきます(^Q^) アーモンドパウダーと干し杏を隠し味に使ってるようです。
ワンダフルハウスは、食後のお茶をいただきました。ん、この香りは?〜(^Q^) これは、ジャスミン茶です。ジャスミンの花の香を付けて作られる、目の覚めるような澄んだ香りと、爽やかな味わいに富んだお茶です。烏龍茶とブレンドしているので飲みやすく、香りも自然で嫌味がないので、これまで「ジャスミン茶はちょっと苦手…」と思っていたワンダフルハウスも美味しくいただきました(^Q^) 口中をさっぱりさせるので、食後のお茶としては最適です。
さて、海狼の先代のオーナーですが、太陽族元祖会の初代会長であり、石原裕次郎の親友であり、石原慎太郎の芥川賞受賞作「太陽の季節」の主人公のモデルになった山本淳正さん(謙一さんから改名)です。1955(昭和30)年、一橋大学在学中だった石原慎太郎氏は、かぎ家旅館に泊りながら「太陽の季節」を書き上げました。この小説は翌年、日活で映画化され、長門裕之が演じた主人公が山本淳正さんの役です。石原裕次郎は、当時の”若者言葉”の監修役でしたが、ルックスを買われて、ボクシング部員の脇役で映画デビューしました。石原慎太郎氏も、サッカー部員のチョイ役で出演しています。山本さんは、湘南中学(現在の湘南高校)から慶応義塾高校に転学し、野球部に入部。バスケットボール部で活躍していた裕次郎と知り合いました。当時、2人の交友関係を、大人のモラルに反する若者群像として、慎太郎氏は乾いた文体で「太陽の季節」で描写したのです。横浜にあった伝説のナイトクラブ「ブルースカイ」や海辺のホテルでのダンスパーティーのシーンなどに、当時の2人(山本さんと裕次郎)の放蕩ぶりが窺い知れる映画です。山本淳正さんは、2005年1月4日に逝去されました。
裕次郎は月に1度は海狼に来店し、このテーブルで海を眺めながら山本淳正さんとの会話を楽しんでいまいた。山本さんは1996年、裕次郎との思い出を綴った「友よ 太陽族 裕次郎の素顔」(星雲社 絶版)を上梓、2004年には「ベストフレンド 裕次郎 青春のレクイエム」(青萠堂)を上梓しました。山本さんも当時では珍しいヨットを持っていて、裕次郎さんと森戸海岸で遊んでいました。 戦後の日本といえば、閉鎖的で暗いイメージですが、進駐軍の保養地になった逗子・葉山は、アメリカナイズされて開放的で、まるで別の文化圏のようでした。 太陽族は、1964年から流行したアイビーファッションの流行先取りで、レイバンのサングラス、トップサイダーのデッキシューズ、スクールセーター、アロハ、リーバイスのジーンズなどを1950年代から、かっこよく着こなしていたのです。
それでは、石原裕次郎が愛した森戸海岸に行ってみましょう。

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