葉山御用邸前 | |
葉山御用邸前交差点を通過。左が御用邸、右が葉山警察署。そう、葉山署には御用邸の警備という重要な任務があるのです。ワンダフルハウスは直進して、海回りの県道207号線(森戸海岸線)に入ることにしました。葉山の山側から御用邸へ抜ける国道134号線が昭和5年に開通するまでは、森戸海岸線が行幸道路でした。 | 現在の行幸道路・R134は右折して山回りとなります。森戸海岸線とは逗子の渚橋交差点で再び合流することに。天皇ご一家は、横横(横浜横須賀道路)→逗葉新道→134号線のコースで御用邸にご到着。 |
葉山御用邸 | |
御用邸とは、天皇御一家の別荘のこと。那須(栃木県)、葉山(神奈川県)、須崎(静岡県)に設けられています。葉山と皇室との関わりは、明治時代にまで遡ります。予防医学の見地から、日本に保養の思想を導入し、天皇家の侍医でもあったドイツ人医師エルウィン・フォン・ベルツ。ベルツが「葉山は気候温暖にして風光明美。近代的な保養地として整備すべき」と強力に宮内庁に推奨。これを受けて明治24年に有栖川宮別邸、明治26年に北白川宮別邸が建てられ、明治27年に葉山御用邸が竣工となりました。昭和46年に焼失しましたが、昭和56年に再建。平成18年、葉山御用邸は創設112年目を迎えました。 明治天皇が葉山御用邸をお使いになることはありませんでした。大正天皇は頻繁に御滞在。病気療養のため、大正15年8月10日、葉山御用邸付属邸に行幸されました。 しかし、12月25日午前1時25分、弱冠47歳で崩御されました。13日よりお見舞いのため御滞在中の皇太子・同妃両殿下(昭和天皇・皇后)は、直ちに「践祚(せんそ)」の儀を行われ、同日午前3時10分付属邸において天皇の位を受け継ぎ、昭和と改元されました。昭和の年号は葉山で生まれたのです。現在、この歴史的な「践祚の間」は移築され保存されています。また、葉山御用邸付属邸のあった跡地、現在の葉山しおさい公園入り口には、昭和改元の地を記念して、「践祚の碑」が建てられています。昭和天皇は、葉山の海で海洋生物の研究を熱心にされ、生物学者であった昭和天皇の研究成果は、御用邸近くの葉山しおさい公園に公開展示されています。平成天皇は1〜2ヶ月に1度のペースで葉山を訪問されているようです。 |
御用邸横の路地から海に向かいましょう。 | 葉山警察署横にある蕎麦屋「如雪庵 一色」。小麦粉などのつなぎを使わず水だけで打つ生粉打ち蕎麦と、手漉き和紙で3日3晩かけて自然濾過した純度の高い胡麻油で揚げた天ぷらが味わえる生粉打天盛(2100円)がおすすめ(^Q^) |
海岸に出ました。ここはもう一色海岸です。御用邸前には小磯と 呼ばれる磯が広がっています。 | 一色海岸正面。右のマンション群は芝崎海岸。 |
葉山しおさい公園方面を望みます。 | おおっ! これは、ワンダフルハウスが好きな、ラーメンや焼きそばの幟が立つ従来の海の家とは違います。フードメニューやBGMのセレクトにこだわり、時にはライブも行う”ニュースタイル海の家”「海小屋MANA」。オーナーはイベントプロモーター、音楽担当はジャズピアニスト・山下洋輔さんの元マネージャーだったイベントプロデューサー。本格派エスニック料理が楽しめます。海水浴客より、犬の散歩がてら立ち寄る近所の人が多いようです。 |
一色海岸側に赤い鳥居がある大きな岩が見えます。 | 天皇・皇后両陛下、皇太子ご一家が散策される小磯の鼻。一色海岸と大浜海岸を分ける岬でもあります。 |
小磯の鼻の正面にある、恐竜の背骨のような岩礁「葉山スコリア」。スコリアと呼ばれる火山放出物と柔らかい泥岩とが重なってできた地層が、地盤の変動によって隆起し、波に洗われてスコリア層だけが残ったものです。 | 一色海岸の先にある芝崎海岸。 |
大浜海岸と長者ヶ崎方面。左の方に見える赤い橋に行ってみましょう。 |
臨御橋。まるで皇居のお堀にあるような橋で、御用邸にふさわしい風情があります。サーファーが渡ってるのが葉山らしいですね。 |
下山川に架かる臨御橋から川上を臨みます。 | こちらは川下。 |
この赤い鳥居は何なのか、わかりませんでした。 |