・・・・・・前略・・・・・・
中学になって、山の中から街に引っこしてから、本屋で見つけて夢中になった雑誌がある。「ジュニアそれいゆ」。今言葉にして口に出すと、なつかしさとあの頃にいかにすばらしかったかというなんともいえない感慨で、口の中に生つばが湧いてきてしまう。本当に胸がはりさけそうなすばらしい雑誌だった。「それいゆ」という大人の雑誌と交互に発行されていた。発売日がちゃんときまってないので、出そうだと毎日本屋をのぞきにいったものだった。本屋で見つけると、体中がぶるぶるふるえた。ふるえながらそれを買って胸にしっかりいだいて絶対にのぞき見なぞしないで一目散に走って家に帰って、自分の部屋にきちんと入ってから頁(ページ)をめくった。頁をめくりながらもわなわなふるえはとまらなかった。
・・・・・・中略・・・・・・
私は「ジュニアそれいゆ」と出合っていなかったらイラストレーターになんてなってなかったと思う。
その後「服装の大判のふろく」や「週刊平凡のウイークリーファッション」が私の好きな心ときめくものになっていき、考えてみると私の育った時代はとても良い雑誌に恵まれていたような気がする。今の若い人には心ときめくような強烈な魅力の雑誌があるんだろうか、感慨でぶるぶるふるえながら頁をめくる雑誌があるんだろうか。
今、本屋の店頭には無数の雑誌がならんでいる。私は立ち止まって今版「ジュニアそれいゆ」を無意識でさがしていることがある。けれどけっして見つけ出せることはない。あまりにも生活が豊かになって夢が見れなくなった文化のせいなのか、大人になってしまった私自身のせいなのか。
私は初期のアンアンを思い出す時、「ジュニアそれいゆ」をちょっと思い出す。時代も紙質も形も内容もぜんぜんちがうんだけれど、中につまっているなんていうのか何か、一種のエネルギーが同質の気がする。進んでいる女の子だけにむけられたあつい言葉が画面に紙面にあふれていた。そのあまりにも進んでいる女の子だけというのが致命傷になり(大衆的ではないので売れないというので)、アンアンはどんどん変わっていった。
私は雑誌が好きだから、たまってしまう雑誌をなかなか捨てられない。でもそういうわけにもいかなくて、15年程前に気に入った頁だけを切りとってクロッキーブックにはって処分し始めた。そのクロッキーブックは37冊になった。切りとったまんま箱や袋の中にしまいこんだものもいっぱいある。
最近たまりにたまったアンアンをながめていて、ひとつ私のアンアンを作ってみようかなと思いはじめた。80枚が一冊になっている画用紙を求めて、ファッションとその他とエル(ELLE)に分けて、きれいな写真だけを切りとってはりはじめた。最近号からはじめたから、だんだん昔にもどっていくわけだけれど、進んでいる女の子にむけられた数十冊には手を出せない。これはこのまんまそっととっておこう。切りとってしまったらそれに感激した私の時代(そうとう年をくっていたけれど)が消えてしまうようでもったいない。
・・・・・・後略・・・・・・
アンアン1979年5月5日(No.218)さよならアンアン号「あゆみのエッセイ・アンコール」より