1970年代のアンアン

金子さんは文化服装学院、セツ・モードセミナーを卒業後、アドセンター(広告制作会社)に入社(1961)。週刊誌の撮影やCMの仕事で立川ユリさんと出会い、結婚(1964)。2人は、anan創刊号から49号まで専属デザイナー、専属モデルをつとめた。ワンダフルハウスでは、49冊全部を所有しています。以下がその作品リストです。

アンアン専属デザイナー&モデル時代(1970−1972)と、ニコル時代のピンクハウス(1972−1979)のデータ
金子さん、この時代を語る
10・29更新
ユリさん、この時代を語る
10・29更新
大橋歩さん、この時代のアンアンについて語る
堀内誠一さん(初期アンアンのアートディレクター)、この時代のユリさんについて語る
10・29更新
立木三朗さん(初期アンアンのカメラマン)、この時代の金子さん&ユリさんについて語る
松村真佐子さん(初期アンアンのヘアメークアーチスト)、この時代の金子さんについて語る
原由美子さん(初期アンアンのスタイリスト)、この時代の金子さん&ユリさんについて語る
’70年代のアンアンのTV版ともいうべき番組を発見!
「ワーズワースの庭で 懐かしの’70年代大冒険」
1994年1月14日 フジテレビで放送
1970年
発行日(号数) 内容 コスチューム
(FDはファッション・ディレクター)
撮影 ヘア モデル ページ数
3・20(No.1) 「はじめまして! アンアン代表です」 YURI PARIS LONDON
・オルリー空港8時30分着
・エル編集室にごあいさつ
・ユリのパリアルバム…蚤の市で象牙の手鏡と破れた黒い傘を買った。金子さんも登場。
・ロンドンで最大のハイドパークとケンジントンチャーチストリート…ロンドンのアンチックマーケットの人形屋でクリクリ頭のエミリーとマントを着たスケコを買った。
・ベニス…2号の予告編。金子さんも登場。
金子功 立木三朗 立川ユリ 14
「ユリのヨーロッパ1 ロンドンボーイ」 LONDON 伊藤公
「ユリのヨーロッパ2 パリの郊外なんかにゆくときニットにかぎるっていうコト」 小瀬千枝 吉田大朋
創刊号の表紙はユリさんではない。ミス・クリスチャンディオールのMarita Gissy
4・5(No.2) 表紙…立川ユリ 金子功 立木三朗 立川ユリ
アンアン・ファッション編集室スタート!「ただいま モデル特訓中」 宮崎定夫 立川ユリ
立川マリ
、他
「ユリのヨーロッパ3 ベネチアの花嫁」 venezia 金子功
伊藤公
吉田大朋 立川ユリ
「ユリのヨーロッパ4 カノコ・ド・パリ」 YURI PARIS 金子功
「ユリのヨーロッパ5 アール・デコ」 ART NOUVEAU 伊藤公
4・20(No.3) 表紙…立川ユリ 金子功 立木三朗
「ユリのスーブニール大公開」 YURI’S SOUVENIR
金子さんとユリさんがヨーロッパロケで買ってきたものを紹介している。自宅ロケ
・ルイ・ヴィトンのバッグ…ユリさん「ユリ、ほんとはカチッとしたトランク型の旅行カバン欲しかったんだけど、ひとつ5万円から10万円もするんですもの、とても買えなかったわ。ユリが持ってるような、やわらかいかたちのものは、だいたい2万円前後よ。」
・傘…「カサの柄(え)がステキでしょう。鳥の顔なのよ。ちょっと破れてるの。のみの市のジプシーのおばあさんから買ったんだ。約2,000円ね。」
・多数の小物(バックル、ボタン、指輪、ひびのはいったぞうげの手鏡、懐中時計、ネックレスなど…「ユリの全財産よ!! のみの市でほこりだらけのガラクタの中から、ひとつずつさがしてきたの。値段は200円とか300円のが多いんだけど、でもね、小さなバックルひとつでも金子さんが洋服につけてくれると、ステキになるの。すこしずつアンアンで発表していくわね。」
・ブラウスとスカート…「インドの骨董品売ってるお店がローマにあったの。そこで買ったんだけど、ブラウスは、実は子供のワンピースなのよ。スカートは木綿で、ししゅうがしてあって、ガラスがはいってるのよ。ユリ、踊りに行くときに着て行こうと思ってるの。」
・ベルト…「このベルトきれいでしょう。でも打ち明けると、石が重たくて、くたびれちゃうの。アフリカ製なんですって。”ドロテビス”(パリ)っていうお店で買ったのよ。」
人形…「名前はエミリーといいます。ロンドンのアンティックマーケットで買ったの。3万円よ。」
大倉舜二 松村真佐子
「ユリのヨーロッパ6 ティーシャツ イン・イル・ド・フランス」 松田光弘 吉田大朋
5・5(No.4) 表紙…立川ユリ 金子功 立木三朗 立川ユリ
「ユリはきょうはオヤスミよ」(白黒) YURI’S WEEK END
・「なぜ、ユリがブラジャーとパンティーでお料理したかということについて―――ユリ、きょうはおやすみでした。金子さんは仕事でいませんでした。猫のルルは病気で入院しています。部屋はあったかだし、ユリはひとりぼっちでした。あのね、はだかってほんとに気持がいいの。ゼッタイよ!! はだかになるとユリものすごい働き者になるの。シチューを煮て、サラダをつくって、お掃除をして、床もみがいて、まだ時間はいっぱいありまーす。」
・「なぜユリが魔法使いみたいに部屋の中を歩きまわったかということについて。ユリ、きょうはおやすみでした。ひとりでファッションショーをやりました。台所からでてきたところでポーズをして、ベッドのまわりをまわって、だれもいないソファーの前でオジギをします。それから悲しそうに外を見ます。ほんとは、センタクモノが風に飛びそうなので、みはってるところ、なの。」
・「なぜ、ユリが横浜に行きたいかということについて――去年金子さんが(ユリはだんなさまのことを金子さんと呼びます)イギリスの水兵さんの帽子を買いました。でも金子さんはこの帽子、海に行くときしか貸してくれないの。ユリは帽子を借りたくなると海に行こうっていいます。」
・「なぜ、ユリが横浜に行きたいかということについて――山下町にハンサというドイツ料理のお店があるの。ちょっとすっぱいお肉とすっぱいキャベツとじゃがいものサラダ。ドイツのおばあちゃんが作ってくれたお料理と同じ味がするのはこのハンサさんところだけなんですもの。」
・「なぜ、ユリが横浜に行きたいかということについて。ユリは8歳のときドイツからママの国日本にきました。そして横浜で大きくなりました。ユリね、金子さんと横浜、大好き!!」
沢渡朔
5・20(No.5) 表紙…立川ユリ 金子功 立木三朗 立川ユリ
香港1「ユリ・マリ・エマのゴールデンウイーク」YURI MARI EMA IN HONG−KONG 斉藤亢 田中親 立川ユリ
立川マリ
杉本エマ
香港2「ユリの赤い服」YURI AKA 長浜治 立川ユリ
6・5(No.6) 表紙…立川ユリ 立木三朗
「ユリとマリのホンコンアベック」 ROPE 斉藤亢 立川ユリ
立川マリ
6・20(No.7) 表紙…立川ユリ 金子功 斉藤亢 立川ユリ
「ジプシーすてき!」O−le! ZYPSY! 吉田大朋 松村真佐子 立川ユリ
アーデル・ラッツ
OH! LALA(時計の広告) 沢渡朔 立川ユリ
立川マリ
7・5(No.8) 表紙…立川ユリ、ベロニック・パスキエ 立木三朗 立川ユリ
ベロニック・パスキエ
「牧場のユリ」 MADRAS CHECKER
”こどもの国”(横浜)ロケ。
大倉舜二 松村真佐子 立川ユリ
「ユリとベロがアンアンでお友だちになったのを記念して写真をとりました」 Yuri et Vero
ユリさん「パンダとハツカネズミが結婚して、生まれた娘に魔女が魔法をかけたら、ベロちゃんになったんだとユリは思います。ベロちゃんは、フランス語と英語のほかに動物のことばがわかるんじゃないかしら。ゼッタイそうよ!! 人間ばなれした、とても不思議なかわいさがあるんだから……。ベロちゃんが日本にきて最初におぼえたのは、オハシの持ちかたと、オナカスイタ、オイシイ、という日本語。くいしん坊なところがユリと似ています。ボインのところは違うけれど……。」
ベロ「パリでアンアンをはじめて見たときから、とってもステキなユリちゃんだなあーってながめてたの。だから名まえもすぐ覚えたし、アンアン編集部でユリちゃんに会ったときも、すっかり昔からのお友だちみたいにお話がはずんだの。パリにもいっぱいモデルさんはいるけれど、ユリちゃんみたいにハイ・ファッションから、ちょっとオドケた写真までぜーんぶコナせるヒトはいないと思うの。パリでいまハヤってるコトバで、こういうひとを”シュエット!”っていいます。」
松田光弘 立木三朗 立川ユリ
ベロニック・パスキエ
7・20(No.9) 表紙…立川ユリ、杉本エマ 金子功 立木三朗 立川ユリ
杉本エマ
「YURI ET VERO 京都」 立川ユリ
ベロニック・パスキエ
「ユリ狐」 YURI IN FUSHIMI−INARI 金子功 松村真佐子 立川ユリ
「あなたの理想の女性は?」
金子さん「そうねェ、ドンナ・ミッチェルかな。知らないと思うけど、”ヴォーグ”って向こうの雑誌があるでしょ。それにいつもでてくるマヌカンなの。いわゆる活動派の女の子っていうのは、好きじゃない。太くなくて、さみしい感じの退廃的なムードの女性が好き。だから、彼女なんかピッタリくるんじゃない。写真でしか見たことないけど、あのだらしない感じの目と口なんか最高ですね。ただし、ボブ・リチャードソン(カメラマン)とのコンビによる作品に限るけれど。
「anan NEWS ・ LETTER BOX」
問・秋田市 高橋奈保子さん「立川ユリちゃんのそばかすはホンモノか? スゴーク気になって前から考えているけど全く結論が出ないの。」
答・立川ユリ「私のそばかすは、ニセモノです。それからいつもお手紙をありがとうございます。読者の皆さまからアンアン編集室にくるユリあてのお便りはゼーンブ読ませていただいています。ユリ日本語の会話はできるけれど、本当は、読んだり書いたりできないの。うちへもって帰って、金子サンに読んでもらいます。そしてふたりで、よろこんだり、笑ったりしています。日本の字でお返事の手紙が書けないので、許して下さい。金子サンに代わって書いてもらいます。」
8・5(No.10) 表紙…立川ユリ、ルノー・ベルレー 金子功 立木三朗 立川ユリ
ルノー・ベルレー
「ユリね、ルノー・ベルレーに会ったの…」 Yuri et Renaud Verley
ルノー・ベルレーは映画「個人教授」「さらば夏の日」などに出演した俳優。
ユリさん「かわいいのよ。ベルレーって!奥さんとこどもがいるなんてとても思えない。ユリにダンナサマがいるなんて信じられないっていわれたけど……。あしたね、映画見にいくの。金子さんとじゃなくてマリとよ。でもね、ほんとのほんとのこというと、アラン・ドロンよりルノー・ベルレーより、金子さんが好き!!」
金子功
VAN
吉田大朋
ユリさんのポスター 金子功 立川ユリ
THE AN−AN PRESENTS
第1回アンアンプレゼント…アンアンのアイドルマーク「パンダ」のワッペンやユリさんの大型ポスターなど。
立川ユリ
秋川リサ
ベロニック・パスキエ
「ツィギーのあたらしい顔」…金子さんがツィギーについて語っている。(白黒)
センチメンタル シルック写真館 金子功 吉田大朋 松村真佐子 立川ユリ
アーデル・ラッツ
8・20(No.11) 表紙…立川ユリ、秋川リサ 立木三朗 立川ユリ
秋川リサ
「HAKODATE 汽笛の聞こえる坂の町・函館」
YURI MARI IN HOKKAIDO
斉藤亢 立川ユリ
立川マリ
「シック ショック 栄輝(えいてる)ニット」(ユニチカの広告)
CHIC CHOC
金子功(FD) 大倉舜二 松村真佐子 立川ユリ
田中明子
anan NEWS
立川マリが、ビクターで吹き込んだ新しいレコードは、安井かずみ作詞かまやつ・ひろし作曲の「ダンケシェーン・ウンドバ」と「にがい蜜」です。たぶん9月5日発売だと思うけどヨロシクネと、これはお姉さまの立川ユリのお願い。
9・5(No.12) 表紙…立川ユリ、立木義浩 金子功 立木三朗 立川ユリ
立木義浩
ユリと4人のカメラマン
・立川ユリ&立木義浩
・立川ユリ&吉田大朋
・立川ユリ&大倉舜二
・立川ユリ&篠山紀信―――アンアン2000年3月10日号P133に掲載。紀信さんがお気に入りの写真とのこと。ユリさんが当時としては珍しいドレッドヘアです。
立川ユリ
立木義浩
吉田大朋
大倉舜二
篠山紀信
ピラミッドに似合う服(岐阜県大垣市の関ケ原石材にて) 松村真佐子 立川ユリ
ベロ
マリのホンコン(香港ロケ)
(立川マリ・愛称ロージィ・本名ローズマリー・スタム)
斎藤亢 立川マリ
スペイン・モロッコロケ 第1報! 金子功(FD)
北原明子
伊藤公
吉田大朋
立木三朗
松村真佐子 立川ユリ
秋川リサ
9・20(No.13) スペインロケ
「ユリとリサのスペイン」 YURI RISA IN SPAIN
15
10・5(No.14) モロッコロケ
「こんにちはモロッコ」 MOROCCO
金子功
北原明子
松田光弘
吉田大朋
立木三朗
松村真佐子 立川ユリ
秋川リサ
11
スペインロケ
「アンダルシアって水玉がカワイイの…」
金子功 吉田大朋 立川ユリ
10・20(No.15) 「立川ユリ物語」 Inge
ドイツの少女が汽船(ふね)に乗ったのは16年前だった。(白黒)
金子さんとユリさんのなれそめは、「金子功のプリント絵本」P50−P53の「いつも傍にユリがいた。ピンクの服の似合う、Ingeborgが本名のユリ」に載っているが、これはその基になった作品のようだ。こちらのほうが詳しい内容になっている。金子さんとユリさんのファンにとっては最も大切な作品。結婚式(金子さんの作ったウエディングドレス)や下北沢のアパート(インテリアがすごい)の写真も貴重だが、極めつけは金子さんが撮ったユリさんの写真。4枚載っているが、すべて服を変えている。
・リンゴ
・まっくろ
・ファッション・ショー
・小人(こびと)
・制服
・べラ(”べラ”とはモデルの入江美樹さん。横浜のサン・モール学園でユリさんより2年先輩で、世界的指揮者・小澤征爾夫人。)
・仕事
・洋服
・イタリアン・ガーデン(本牧)
・ガラス
・手
・写真(金子さんがユリさんを撮影した時のエピソード。夢中になって徹夜になったようだ。「もっと昔の女みたいな顔!」と命令しているが、写真を見てみると、なるほど、ユリさんが、1920年代から1930年代のアメリカやヨーロッパの無声映画やトーキー初期の女優のような顔をしている。白黒なので陰影が美しい。
・黒猫
・赤ちゃん(金子さんはユリさんを「インゲ」と呼び、ユリさんは金子さんを「スヌキ」と呼ぶ。ドイツ語でそれは、”赤ちゃん”という意味だ。)
金子功、他 立川ユリ
金子功
「ここは東京の浅草です。」 エッセイ…大橋歩
ユリさんが4パターンの着物を着こなしている。ロケ地は浅草寺、仲見世、「駒形どぜう」。
金子功(FD) 立木義浩 松村真佐子 立川ユリ
ポルトガル(ナザレ)ロケ 北原明子 吉田大朋
立木三朗
11・5(No.16) 表紙…立川ユリ 金子功 立木三朗 立川ユリ
「森のオヨメサン」 Wedding
ユリがまたウエディング着たくなったのは この森のせいなの
文・岸田衿子
チロリアン風の刺しゅうとテープつきのウエディングドレスが5着載っているメルヘンチックな作品。表紙の服(アンアン2000年3月10日号P130に載った)は、今までに何度もリメイクされている傑作。1986年秋冬にPHで復刻され(金子功のジャンパー絵本P49)、1999年春夏にWWで復刻(カタログP6左・中)、さらに2000年春夏にPHで復刻(カタログP4右上)。
沢渡朔
「ベルベット・ロック」  金子功 立木三朗 井上浩 立川マリ
11・20(No.17) 「びろうどものがたり」 文・岸田衿子 斎藤亢 井上浩 立川ユリ
立川マリ
12・5(No.18) 「こんにちは・・ベル・エポック」 BONJOUR BELLE EPOQUE
エッセイ…吉田大朋
金子功 吉田大朋 井上浩 立川ユリ
アーデル・ラッツ
長沼純
アンアン・ジャーナル…立川ユリ「ユリが日本酒飲むのヘンかしら?」
12・20(No.19) 表紙…立川ユリ、ピーター・エヴァーハード(子供)、ジャン・グローブ(子供)
目次のページ(白黒)に「アンアン専属デザイナーの金子功さん」登場!グレンチェックのジャケットに白いシャツ、首にプリントのスカーフを巻いている。髪は長髪の七三分けだが耳は出している。ユリさんについて語っている。2年後の子作り宣言が飛び出す!
金子功 細江英公 松村真佐子 立川ユリ
ピーター
ジャン
「天使のかくれんぼ」 yuri and angel
文・岸田衿子
立木三朗
光る(リュミェール)メーキャップ 協力…クリスチャン・ディオール 吉田大朋 立川ユリ
イラスト付き年賀はがき(AN・AN NEW YEAR CARD 1971)
8枚のうち1枚が金子さんの作品。金子さんのイラストはユリさんの顔にA Happy New Yearのロゴ。はがきの表面は宛名の下にアンアンのパンダのイラスト、金子さんの写真、メッセージ「1970年はPOPの毎日でした。新しい’71は、なんの年でしょう。きっとあなたのだいすきなクラシック。あなたのためにクラシックをたくさん作ります。」
1971年
1・5(No.20) 表紙…立川ユリ 細江英公 松村真佐子 立川ユリ
「あけました おめでとう」 A Happy New Year at ”Shinshu”
――キモノの布で服をつくったの―― (信州ロケ)
文・大橋歩
金子功 立木三朗 立川ユリ
田中明子
「エレガンスなお正月」 ELEGANCE AGE 1971
文・長沢節 花・栗崎昇(西の木ロケ)
栗崎さん「(金子さんとの)正式な初対面は、僕の店”西の木”で、ユリを撮影したときだ。ガレーの硝子か、ティファニーのランプか、僕の西洋骨董のささやかなコレクションを大倉舜二氏が撮った、その写真を雑誌で見て、アイディアが生まれたのだという。ユリがシャネルスーツを着る、背景がアールデコの家具であったり、古い硝子であったり、というわけだ。僕は無論即座にOKをし、ちょうど新しい店(現西の木)に移ろうという矢先であったから、まるで引越し記念のような具合に撮影が行なわれた。創刊間もない頃のananに、妙なる美しさ漂う数頁が載り、僕の中には快い衝撃と、その後永年にわたって続く友情の予感が残った。」(ワンピース絵本P71)
金子さん「彼(栗崎さん)が快く場所を提供、その上に花や骨董品の組合わせ(コーディネーション)にほとんど天才的スタイリストの手腕を見せて協力してくれた。写真は素晴らしくページは大成功。」「あの華麗なガラスや豪奢な家具、目を奪う花花花の中で、ユリが、モデルではなく何かの化身のように、僕の服を着て輝く。」(ブラウス絵本P88)
「金子功の絵本」のインゲボルグのページそっくり!
長沢先生がシャネルのコレクションに行った時のことを書いている。 
新正卓 立川ユリ
1・20(No.21) 「すみれの想い出」 Violette 金子功 沢渡朔 松村真佐子 立川ユリ
「アンアン・ジャーナル ことしはどうする? 5人のデザイナー」
金子さんが登場。3つの質問に答えている。
ことしのファッションはどうなるんだろう?「いま好きなのはクラシックなもの。いつの時代のものでも、とにかく現代からずれていればいい。終戦後のでれーとしたのなんかも、いま着ればすごくいいと思う。古いものを現代に持ってくるでしょ、すると新鮮な感じがするのネ。プラスチックとか、宇宙的なのは好きじゃない。」
素材は?「クレープとか、デシンとか。それ以外の布地って考えられない。」
色は?「いつでも黒。黒だとだれでも似合うと思います。」
「Free Port Ballet」(東レの広告) 金子功 沢渡朔 宮崎定夫 立川ユリ
麻生れい子
2・5(No.22) 表紙…立川ユリ 金子功 立木三朗 立川ユリ
「ユリとベルナールくんはマッカな友だちってワケ」 立川ユリ
ベルナール
「FLOWER POP」 ――SWEET SWING―― 斉藤亢 宮崎定夫 立川ユリ
ホープ・スティーブンス
2・20(No.23) 表紙…立川ユリ、アーサー・アッシュ(アメリカのプロ・テニス・プレーヤー 世界ランク1位) 金子功 立木三朗 立川ユリ
アーサー・アッシュ
「ユリとアーサー・アッシュ」 アーサーってやさしいひと!
「ユリと5人のファッション・デザイナー」
文・大橋歩
・立川ユリ&佐々木康雄(立木義浩さんや篠山紀信さんの洋服を作っている紳士服のデザイナー)
佐々木康雄 松村真佐子 立川ユリ
佐々木康雄
・立川ユリ&松田光弘(ニコル) 松田光弘 立川ユリ
松田光弘
・立川ユリ&菊地武夫(メンズビギ) 菊地武夫 立川ユリ
菊地武夫
・立川ユリ&荒牧政美(マドモアゼルノンノン) 荒牧政美 立川ユリ
荒牧政美
・立川ユリ&金子功
金子さんの髪が肩まであるのにビックリ。金子さんが着ている服もヨーロピアン調で現在の趣味とは違う(特にソックスと靴がイタリー風)。
金子功 立川ユリ
金子功
「サンローラン・リブゴーシュの服」(白黒) 文・小池一子 新正卓 石田ヒロ 立川ユリ
3・5(No.24) 表紙…ホープ・スティーブンス 金子功 立木三朗 ホープ・スティーブンス
「海はみずいろ 春はもうすぐ」 斎藤亢 立川ユリ
マーク・シュウストン
3・20(No.25) 「三月 ひなの月」
茶道・栗崎昇、きもの・浅野美津子、着付け・紀の国や美容室 
金子功(FD) 立木三朗 松村真佐子 立川ユリ
4・5(No.26) インド・ネパールロケ 「古い古いインド 美しい美しい国」 金子功 吉田大朋 立川ユリ 25
「アンアン・ジャーナル――金子功」(白黒) 金子功
4・20(No.27) 「水の上」 On The Water 金子功 新正卓 石田ヒロ 立川ユリ
ラインハルト・カワロフ
5・5(No.28) 表紙…鰐淵晴子 金子功 タッド若松 松村真佐子 鰐淵晴子
「PHOTO STORY あの頃」
文…矢川澄子
立木義浩 立川ユリ
ヨセフ・ラブ
5・20(No.29) 金子さんの作品は載っていません
6・5(No.30) 表紙…立川ユリ、ピーター・フィールド 金子功 立木義浩 松村真佐子 立川ユリ
ピーター・フィールド
「地獄行きの天使」 lovely raider
詩・白石かずこ
6・20(No.31) 表紙…立川ユリ 金子功 立木義浩 立川ユリ
「海の忘れもの」
詩・岸田衿子 帽子・中村隆男
斎藤亢 松村真佐子 立川ユリ
立川マリ
「Q and A」のページで、福岡県久留米市の読者が、「金子功先生の住所をぜひ教えて下さい。」と質問している。編集部では、「金子功さんのご住所は、東京都港区3の3の6でゴザイマス。」と答えているが、これでは、町名が欠落していて、残念ながら住所がわからない。そこで、現在の”スペイン村”の住所と照らし合わせてみよう。東京都港区麻布台3の3の23〜26(4棟ある)であり、3丁目と3番地は、完全に一致し、6号地が違っている。しかし、30年もの年月が経過していることを考慮すると、住所の下1桁が変わっても不思議ではない。また、現在の西麻布が、この当時は麻布霞町であったように、麻布近辺の町名表示は、かなり変わった。当時は、麻布台という町名ではなかったかもしれない。これらのデータから判断して、私、ワンダフルハウスは、金子さんとユリさんが住んでいたアパートは、「やはりスペイン村だった!」とほぼ断定した。
7・5(No.32) 表紙…ジェーン・バーキン、セルジュ・ゲンズブール
この2人が表紙の雑誌は、フランスでは1970年代に何冊か出版されている。しかし、日本では、これ1冊だけではないだろうか?そして、もうひとつ大きな謎がある。この表紙が東京で撮られたのか、パリで撮られたのか、わからないのだ。バーキン&ゲンズブールは1971年に映画「ガラスの墓標」のキャンペーンのために来日している。日本公開は5月29日なので、このアンアンの発売日(6月20日)に近い。時期としては、ぴったりだ。だが、アンアン33号の作品リストを見ればわかるように、金子さんと立木さんもこの時期に渡仏している。わずか数週間の間に4人の人間が、東京とパリに同時に存在していることになる。このため、判断がつかないのだ。
最後の謎だが、バーキンの着ているワンピースの丈がミニなのである。(アンアン1207号P131に、この表紙の縮小写真が載った。)ミニ嫌いの金子さんがポリシーを変えて作ったわけだが、これは、当時のバーキンのイメージに合わせたのだろう。いずれにしても、非常にレアな1冊。
ところで、ワンダフルハウスは、’88年のゲンズブール来日時のデータを保存しています。
・対談「セルジュ・ゲンズブール×森瑤子」(クロワッサン1988年7月10日号、白黒4ページ)
・対談「セルジュ・ゲンズブール×奥田瑛二 成熟した放蕩息子たち。」(Esquire 1988年9月号、白黒6ページ)
ゲンズブールマニアの方はどうぞ。
金子功 立木義浩 ジェーン・バーキン
セルジュ・ゲンズブール
「あの処女地の方へ」 virgin country
アンアン2000年3月10日号P131に掲載。
斉藤亢 松村真佐子 立川ユリ
「鏡の時間」 Des dessous de choix (金子功・立川ユリ邸ロケ)
金子さんの家の寝室、リビング、鏡台、食器棚、黒猫などが登場。家具や食器はすべてアンティークで統一されている。ユリさんは全編ランジェリー姿で登場。最後のページは、な、なんとヌード!(シースルー)です。
立木三朗
「カノジョとカレのシャツスタイル」 elle et lui 金子功 石田ヒロ 立川ユリ
立川マリ
秋川リサ
アラン・メリル
ジェン・ガレキ
ジリアン・キルナー
7・20(No.33) 表紙…KENZOと立川ユリ 高田賢三 立木義浩 高田賢三
立川ユリ
PARISの新しいプリンス「高田賢三コレクション」(パリロケ)
ケンゾーさんとユリさんがモデルの歴史的作品。エッフェル塔、セーヌ川の船上、カフェなどパリ市内の各所で撮影している。金子さん「世界に通用するデザイナーなんていわれる日本人はほかにもいるけど、ほんとうの意味で通用するのはケンちゃんが最初の人だよ。自分でもすごくおしゃれ。日本人でまっ先にレノマのスーツ着たし、カルチエの指輪も最初。このあいだパリで表紙とこの写真撮ったとき、ちょっとテレてたけど、でもイカしてるでしょう!」
8・5(No.34) 表紙…立川ユリ、レイモンド・ラブロック
レイモンド・ラブロックは、映画「ガラスの部屋」「火の森」などに主演した俳優。
金子功 立川ユリ
レイモンド・ラブロック
「ビバ! バカンス」 VIVA! VACANCES 松田光弘 立川ユリ
「ドービルの海」 金子功
「フランスのいなかのちいさな教会で、あなたも結婚式をあげませんか」
8・20(No.35) 「緑の処女地にて」 virgin country 金子功 立木義浩 石田ヒロ 立川ユリ
「阿蘇――ファンタスチック・ランド」 新正卓 西野みち
マーサ・ミラー
「4人の仲間たち」
パリからニューヨークを駆けめぐり、高田賢三さんが日本に凱旋帰国。金子功さん、松田光弘さん、荒牧政美(タロー)さんと深夜のスタジオを借りきっての大記念撮影大会。文化服装学院のデザイン科を4人揃って卒業したのが昭和36(1961)年のこと。お互いの成功を祝っての10年目の同窓会。
立木三朗
9・5(No.36) 表紙…立川ユリ、立木三朗 金子功 立木義浩 松村真佐子 立川ユリ
立木三朗
「中国 エポック・ド・ペキン」  EPOQUE de PEKIN
中国ロケではなく、東京のスタジオで撮った。
「夏のかげぼうし――ユリとマリの軽井沢感傷旅行」 Sentimental Journey
詩・岸田衿子
斎藤亢 石田ヒロ 立川ユリ
立川マリ
「L’ETE TARDIF ――夏去りぬ――」 立石敏雄 兵藤勇喜
9・20(No.37) 金子さんの作品は載っていません
10・5(No.38) 表紙…秋川リサ 金子功 立木義浩
「遊牧の民」
文・中尾高子
沢渡朔 石田ヒロ 立川ユリ
アイリーン
ダニエル・ルーソン
10・20(No.39) 「彼との生活」 la vie avec lui (金子功・立川ユリ邸ロケ)
詩・白石かずこ
金子さんとユリさんが、この当時住んでいた家であるが、六本木のアパートであることはわかっている。昔、立木義浩さんが住んで、そのあと宮崎定夫さんが住んだ(その次が金子さんとユリさん)。家族は、黒猫のルル、隣の部屋にユリさんのお母さまが住んでいらっしゃった(これは、「立川ユリ物語」を読めばわかる)。アンアンでは、4回ロケをしているが(15号、32号、39号、59号)、窓、浴室など室内の写真を見てみると、1970年当時すでにアンティックな雰囲気が漂っている。それも日本的な古さではなく、西洋的なのである。そのことから推測して、私、ワンダフルハウスは、このアパートは、麻布台の通称”スペイン村”だ!と言いきりたい、がどうでしょうか?ご存知の方がいらっしゃいましたら教えてください。天井の高さより高い、ルイ王朝風の寄せ木細工の大きな棚を入れるために、天井に穴をあけた伝説のアパートがどこなのか知りたいのです。
金子功 斎藤亢 石田ヒロ 立川ユリ
11・5(No.40) 「ラブ時間は もうすぐエンド」 文…白石かずこ
ドイツの文豪でノーベル文学賞受賞者、トーマス・マンの原作「ベニスに死す」は、イタリアの公爵で映画監督のルキノ・ビスコンティによって1971年に映画化された。イギリスの名優ダーク・ボガート演じる世界的に有名な作曲家グスタフ・アッシェンバッハが、理想的な美に取り付かれ破滅していく物語だが、その理想的な美=タッジオ役に抜擢されたのが、スウェーデンの美少年ビョルン・アンドレセンである。彼は明治チョコレート「エクセル」のCMと映画のキャンペーンのために来日して、この作品を撮ったのだろうが、映画は「ベニスに死す」の後、一時引退して22歳で復帰したことを考えると、この「ラブ時間は もうすぐエンド」は、少年期の作品なので大変貴重だ。金子さんは、ビョルンに映画と同じような紺地に白のストライプのセーラー服を着せた。ビョルンとユリさんのからみは、デカダンスの極致。
金子功 沢渡朔 石田ヒロ ビョルン・アンドレセン
立川ユリ
11・20(No.41) 「ユリとアンアン編集室の人たち」 YURI&ANAN EDITERS
文・大橋歩
出演・馬場佑介さん、島本美知子さん、寺田邦子さん、淀川美代子さん(故・淀川長治さんの姪)、村松仁美さん、今野雄二さん、岡田満さん、秋葉均さん。
大橋さんの文章によると、金子さんは出演を辞退したとのこと。
金子功 立木三朗 石田ヒロ 立川ユリ、他
アンアン編集室の人たちのその後は?
馬場佑介さん(写真家)、島本美知子さん(イラストレーター)、寺田邦子さん(スタイリスト)、淀川美代子さん(元オリーブ編集長→元アンアン編集長→GINZA編集長)、村松仁美さん(グラフィックデザイナー)、今野雄二さん(映画・音楽評論家、作家)、岡田満さん(不明)、秋葉均さん(元エル・ジャポン編集長→元ダカーポ編集長)
12・5(No.42) 表紙…民族調(ルーマニア)の洋服を着る立川ユリさん。 金子功 立木義浩 石田ヒロ 立川ユリ
12・20(No.43) 「おさない日に・・・・」 dans mon enfance
詩と文・岸田衿子
斎藤亢 立川ユリ
ナンシー村井
1972年
1・5(No.44) 金子さんの作品は載っていません
1・20(No.45) アメリカ特集号
表紙…立川ユリ、ミッキーマウス、ドナルドダック
金子功 堀内誠一 立川ユリ
ミッキ―マウス
ドナルドダック
「変わらざる人々の村」 DUTCH COUNTRY
ペンシルバニアのピューリタン村をたずねて
白と黒のドレス―――金子功のトラディショナルへの提案
吉田大朋 立川ユリ
MARTHA CARR
15
「あの、ジョン・F・ケネディが愛したニューイングランド」 Journey at New England
冬の大西洋岸を旅行する
組み合わせのカントリーウエア―――ビロードとプリント生地
萩原英興 立川ユリ 15
「ジャズ・たいはい・グリーン」 New Orleans  Deep South
ニューオーリンズをもっと南へ! あなたの知らない秘境ディープ・サウス
大人ぶる服とボーイッシュ
アンアン2000年3月10日号P131に掲載。
皆川ヤスオ、他 15
「ディズニーランド」 DISNEY LAND
ユリが夢にみていた! ディズニーランドのくわしい紹介
アメリカの旗をデザインする
金子さんが、ディズニーランドの撮影のために作った服は、アメリカの国旗柄のオーバーオール。ユリさんと一緒にパビリオンや乗物を紹介。ミッキーものはかなり買ったようだ。
堀内誠一、他
2・5(No.46) 「わたしは不等辺三角形の一辺」
詩・岸田衿子
金子功 久米正美 松村真佐子 立川ユリ
ジェームス・ホバック
ロナルド・ウェイ
「マキシーン・バンクリフのメーク・アップ」
MAXINE VAN−CLIFFEはロンドン生まれ、ニューヨークで活躍した超一流のメーク・アップ・アーチスト。ショーのメークやボーグ・バザー(米)などの雑誌の撮影ではリチャード・アベドン、アービング・ペンといった大物カメラマンと組んでいた。アンアンNo.59では、ユリさんと共にピンクハウスの初広告のモデルもつとめた。
与田弘志 マキシーン・バンクリフ
田村哲也
立川ユリ
鈴木智香代
マキシーン・バンクリフ
2・20(No.47) 日本の旅特集
表紙…立川ユリ
立木義浩 松村真佐子 立川ユリ
「尾道」 金子功 斎藤亢 立川ユリ
立川マリ
「萩・純情画帖」 ――時間旅行(タイム・トラベル)のように――
文・鈴木清順

アンアン2000年3月10日号P131に掲載。
立木義浩 立川ユリ
郷達也
13
3・5(No.48) 金子さんの作品は載っていません
3・20/4・5創刊2周年記念合併号(No.49) 金子功作品大特集!!
表紙…坂東玉三郎、立川ユリ
紬屋吉平 篠山紀信 松村真佐子 坂東玉三郎
立川ユリ
「この、優雅で艶(なま)めいた金子ファッションは、どこから生まれるのか」(白黒) 金子功
立川ユリ
「玉三郎」 Tamasaburo and Yuri
金子さん「坂東玉三郎を初めて撮った写真はユリとの「絡み」で、これも夢幻三昧境。」(ブラウス絵本P59)
浅野美津子 篠山紀信 松村真佐子 坂東玉三郎
立川ユリ
「小袖の時代」 文…鈴木清順
金子さん「栗アfのプロデュース、ディレクトで撮った京都、小袖を着たユリ。現し世の幻かと見紛う恍惚たる映像。」(ブラウス絵本P59)
金子さん「栗アfがいて、ユリがいて。幽玄な小袖の世界がそこにあった。篠山紀信が永遠の映像を創りあげた。――十数年も昔のananの仕事だった。だが、あれはほんとうに仕事だったのだろうか。遠い幻の浄土での出来事のように、しかし朽ちることのない極楽の鮮烈な記憶。小袖の色は妖艶な、けれど儚い、現世(このよ)のものとも思えぬ美しさ。”花籠に月を入れて 洩らさじ これを曇らさじと持つが大事……。”鈴木清順の綴った、詩(うた)のようにあでやかな文章も忘れられず心に残っている。」(プリント絵本P81)
栗崎昇 立川ユリ
「赤ずきんと狼青年」 詩…岸田衿子 金子功 斎藤亢 立川ユリ
ローリイ・ベルナール
「ロリータの日々」 ROLYTA
詩…白石かずこ
久米正美 立川ユリ
ロナルド・ウエー
「海辺のニット」 KNIT
文…大橋歩
千葉允 立川ユリ
立川マリ
「月のユリによせて」 Silly Fantasy The Moon
句…加藤郁乎
5カットのうち1カットはユリさんがヌードです。
立木義浩 石田ヒロ 立川ユリ
8・5(No.57) 「ニコル&ピンクハウス ファッション・ショー」―――ニコル、もちろん、松田光弘さんのお店。それからピンクハウス。これは金子功さんの新ラベル。素晴しいプレタの誕生。
ピンクハウス初のショーはニコルとのジョイント(5月、TBSのスタジオ)。KENZOさんがわざわざこのショーを見にパリから飛んできた。フィナーレでは金子さんが胸まである長髪(最長記録)&口ひげ(ついに生やした)&全身白ずくめ(パンツはパンタロン!)という刺激的なスタイルで登場。ユリさんもモデルで登場。
PH
ニコル
斎藤亢
9・5(No.59) 「この秋、東京で買える7人の有名デザイナーの既製服」
金子功「ピンクハウス」ブチックオープンのお知らせ
場所…青山のブチック・ニコルの向かい
店員…立川ユリさん
1Fがセーター、Gパン、ブラウスなどの既製服。2Fはドレス。金子さんの家でロケ。
9月に青山のキラー通りにショップをオープンしたのが、ピンクハウスの幕あけ。
ピンクハウスの名前の由来は?
「ピンクって女の子の大好きな色でしょう?女の子の好きなものがいっぱい集まっている家っていう意味で、僕が”ピンクハウス”とつけたんです。」(アンアン1983年9月16日号No.396 ピンクハウス・ストーリーより)
「屋根裏にお母さんの古着がいっぱい詰まっているような小さな家、というイメージがロマンティックでいいなと思ったんです。それを色で表現するならピンクがいちばんかわいいと思って。」(装苑1992年7月号ピンクハウス物語より)
実は、「ピンクハウス」というブランド名は第2希望だった。金子さんは、初めはブランド名を「クリスマスツリー」にしたかったようだが、許可が下りなくて断念した。
PH 坂田栄一郎 立川ユリ
マキシーン・バンクリフ
金子さんの既製服が買えた最初の店「ブチック サンジェルマン」
新宿伊勢丹1Fにあった。8人のデザイナーの服がはいってる。金子功、山本寛斎、菊池武夫、三宅一生、松田光弘、川上繁三郎、伊藤エミ、そして、かまやつひろし(ムッシュ!)。
4枚の写真を見てみると、並んでいる商品のデザインにある程度の統一性があり、どうやら、デザイナー別の陳列になっているようだ。しかし、どれが金子さんの服なのかはわからない。
値段は、「金子功のパンタロンスーツ22,000〜」とある。
この号には、東京のブティックの地図が載っているが、「青山」のページに「ピンクハウス」は、まだ載っていない。ということは、「ブチックサンジェルマン」の方が先だ。このブティックが「ピンクハウス」設立の前からあったとなると、大きな謎が浮かんでくる。「ブチックサンジェルマンで売られていた金子さんの服のブランド名は何だったのだろう?」これは、金子系最大の謎になりそうだ。
この号は「東京のブチック」特集で見ていて飽きない。変わらないのは原宿「ゴローズ」(店内の写真が3枚掲載)ぐらいだ。
「コム・デ・ギャルソン」は7月2日、原宿表参道のフリーマーケット「HELP!」の中に開店した(テントの中!)。川久保玲さんは、店員も兼ねていたようだ。
原宿「ポール・スチュアート」(表参道の石垣の店)は、70年代は「BIGI」だった。
装苑11月号 「黒いワンピース」(白黒) PH
ニコル
増淵達夫 立川ユリ
浅野裕子
6(ユリさんのページは3ページ)
装苑12月号 青山に念願の「ピンクハウス」という、三階建ての茶のシェードのかかったお店を持った金子さん。奥さんの立川ユリさんと並んでお店番です。たった二人だけの経営ですから、社長さんはどちらでもいいのですけど、ユリさんが、カウンターにすわっていると、マダム然として経営者風・社長風に見えたりします。それでも、新しい木の香りのするお店で、口ひげをたくわえた金子さんは気分がよさそう。天井までもある棚の中には、セーターや、パンタロンなどがお行儀よく入れてあります。皆さんも、ぜひどうぞ。
1973年
装苑3月号 「春らしいハウスコート」
金子さん宅でのロケ。
金子功
新正卓 松村真佐子 立川ユリ
ハニー
12・5(No.88) 「青山物語」
ピンクハウスには金子功・ユリご夫妻が、わりあいいつもいます。ユリはカウンターの中に座って首をチョコンと出してるの。隣のコーヒー屋の券が買ってあって、親しい人はその券もらって自分でコーヒーとってくる。ユリたちは1杯とって2人で仲よく分けて飲みます。
1974年
装苑1月号 FASHION CALENDAR…JANUARY 14 MONDAY
「セーターを買う」
会社の帰り、友達と青山通りをウィンドーショッピング。この間から目をつけていた、ピンクハウスの新柄のセーターがお目当てなのです。ここのニット、小さめにできているので、やせっぽちの私にはぴったり。カウンターにいるのはご主人の金子さんです。いつもはユリちゃんがいるのに、今日はお休みなのかしら? アールデコ調の編込み模様はピンクハウスらしい甘い配色。お店へ出したばかりの新柄だそうです。体にフィットする、プレーンな着やすい型。ついつい帽子やパンタロンまでコーディネートして買っちゃって、思わぬ散財をしてしまいました。
ピンクハウスでのロケ。金子さんも登場。
PH
2・20(No.93) 「この春の流行 10のポイント」
有名デザイナーがアドバイスする”着こなし方”(コーディネーション)
金子功…スポーツプリントはよく売れました。
「私のところでは、スポーツプリントは去年の11月頃すでに出してしまいました。もちろんいまも売っていますよ。ちょうど冬にかかるところだったので時期的にはよくなかったのですけれど、よく売れました。だけどプリントものはオリジナルを作りにくいので、どうしても同じものが他の店にも出てしまうので、うちではもう作らないつもりです。だけど夏にはきっと流行すると思いますよ。」
12・20(No.113) 「ブチック分類表」
ピンクハウス…少女の心を失いたくないと願う女には、いつまでも森の香りがする、都会的な形の奥にも。
金子功さんのフォークロア調には定評があります。いま出しているレースをあしらった白のブラウスやコットンのウェディングがその系統です。とってもきれいだ。でも、大人っぽい昔っぽいシックな服や、かちっと男仕立てふうのスーツがいまは多い。それから小さな花のプリントの絹のワンピースは’30年代ふう。灰色がかったモーブ色など彼独特の色感がいい。ニットは今年も幾何学模様が多く、これはひと目でこの店のとわかるデザイン。ほかに新しく、長めのカーディガンも出ています。
PH 金子功
、他
1975年
9・5(No.130) 「デザイナー名鑑」(白黒)
金子功(PINK HOUSE)
文化服装学院卒。同期にニコルの松田光弘をはじめ、コシノ・ジュンコ、高田賢三など。アドセンターに10年所属、ピンクハウスをはじめて3年になる。松田光弘といっしょに(株)ニコルの仕事もしている。年2回の発表会もニコルといっしょにする。「あまりカタイものは作りません。そのかわり幅広く手がけます」店ではよく読書。夕食は外で。現在、満足もなし、不満もなしのコンディションで淡々と過ごしているという。
(東京都渋谷区神宮前3−7−4 ピンクハウス)
金子功
1977年
1・20(No.163) 「’77年版 東西ブチック評判記 339店」
ピンクハウス…いつも金子功さんか奥サンのユリさんが座って本を読んだりしているお店。ニット、オリジナルプリントが多いみたい。
1978年
女性自身1・19/26合併号 金子功(ピンクハウス)…流行に左右されることのない、ひかえめな服を作っていきたい PH
2・5(No.188) 金子功コレクション「優しい春」 PH 馬場佑介 松村真佐子 アリス
デニース
文藝春秋4月号 「同級生交歓」(白黒)
文化服装学院の同級生6人が母校に集まった。金子功(ピンクハウス)、松田光弘(ニコル)、北原明子(マイン・メイ)、高田賢三(ジャングル・ジャップ)、コシノジュンコ(ブティックジュンコ)、加藤正和(東京ブラウス)。
コシノさん「出会いから十数年、今思えば、なんて素晴らしい同級生を持っていたんだろうと、なにやら自慢めいた気分になってしまう。文化服装学院デザイン科に入学したのが運命のはじまり。みんな担任のモナリザのような小池千枝先生に憧れていた。そのころのケンチャンは詰め襟の学生服に黒ぶちのメガネをかけていて、たしか二畳の部屋に住んでいたはず。ちょっと年上の松田君は八王子の実家から通っていて、みんなのまとめ役的存在。功チャンは練馬のお姉さんの家からで、ショックだったのは彼のイラストレーションのうまさだった。そしてちょっと二枚目の加藤君、チャーミングだったメイコチャン、大阪弁でおてんばだった私、いつも熱っぽく驚くほど積極的だった仲間たち。今や世界的になったケンゾーも含めて、私たちの在学当時は、現在と同じように、服作りに対するすさまじい情熱でいっぱいだった。卒業して何年たっても変らぬ存在感のある友人たちだ。
クロワッサン9・10(No.20) 「ファッションはデザイナーにとって女性論である。」
「百科事典」→「女性論」
金子功
1979年
NEW!装苑4月号 「金子功さんのオリジナルワンピース」 金子功 藤井英男 佐々木マリ栄 ドロシー
5・15(No.218) さよならアンアン号
NEW!装苑7月号 「金子功のアイレットレース」 金子功 川田正昭 杉山佳男
(CLIP)
ドロシー
パターンソーイング「金子功のおしゃれなワンピース」(白黒)
8・1(No.226) TD6 秋冬コレクション
「9人のトップ・デザイナーが創ったアダルトな女たち」
金子功、コシノジュンコ、コシノヒロコ、花井幸子、山本耀司、川久保玲、稲葉賀恵、吉田ヒロミ、松田光弘の秋冬コレクション。
PH
、他
8・21(No.228) トップデザイナー7人のファッショナブルな変身実験「この秋わたしはどれを選ぼうかしら?」
金子功…洋服が似合う体型なんだから、もっと自信を持ちなさい。
アンアンの新人女性編集者をモデルとした、トップデザイナー7人(金子功、花井幸子、吉田ヒロミ、山本耀司、松田光弘、コシノジュンコ、川久保玲)によるコーディネート実験。金子さんが選んだのは、ジャケット(茶)、ニットのベスト(茶)コーデュロイの乗馬パンツ(黒)、ゴムの乗馬ブーツ、スポーラン。金子さん「ピンクハウスの服は全部似合うよ」「顔が小さくて手が長いから、洋服がよく似合う」「メークは濃くしないで、なるべく自然な感じに服を着る。くすんだ色が似合いそうだね」「ブラウスが似合わなければベストをじかに着てもいい。そのほうが大人っぽいかな?」
PH
11・21(No.237) 「大橋歩さんのスタイル画誌上展覧会」
東京・青山のデザイナーズ・スペース・ギャラリーで、10月1日から1週間、大橋歩さんの個展「one week one show」が開かれた。和田誠さん、川久保玲さん、長沢節さんが感想を語っている。節さん「絵として見て、あれだけファッショナブルな絵を描ける人はいないな。例えばピカソが風景を描いても、必ずピカソの絵になってしまうように、大橋さんの絵もスタイル画と銘うっていても、ファッションべったりの絵になっていないで、ファッションはひとつのモチーフにして描いている面白さがありますね。今年のファッションとして、ビッグショルダーの洋服を多く描いているわけだけど、例えばベアトップの服で肩が見えるのなど、その体格までもビッグショルダーになっているユーモアがあるんですね」「見ないと一生の損だよ」
金子さんもこの個展に行った。「青山の画廊で彼女の個展を見た。それまでの絵とガラリ変って、いかり肩の女の絵がそこにあった。ビギ、Y’s、それにピンクハウスも含め、当時の女のファッションが生き生きと描かれていた。意志的な、強いイメージの女で、しかも撓やかに女らしい。彼女の変貌を続ける仕事の仕方にも改めて感動した。その絵を見て、ピンクハウスのイメージ画はこの人に、と即座に決心してしまった」(「金子功のジャンパー絵本」P45)
歩さん「東京デザイナーズスペースの会員になって二年めのワンウィークワンショウの展覧会の私の番の時、昔なつかしく(子供の時に憧れた)スタイル画展なるものをしてみたく、ファッションイラストレーションのつもりで描いた絵を並べました。顔を出来るだけ小さくし、目をつりあげて、肩をいからせた手足の長い人の絵は、多少きみょうでしたが、展覧会にはなにかしらそういうようなはみ出した要素が必要でしたし、スタイル画展という古くさいわざとらしい題となんとか合っていたみたいです。その展覧会に金子功さんが見にきてくださいました。とても熱心に見てくださいました。そして、来年からビギの大楠さんの会社にピンクハウスが移ることになっているので、そうなったらポスターやDMのための絵を描いて欲しいとおっしゃいました。でも、実は内心え? という気持でした。何故かというと、ピンクハウスのかわいらしい洋服とは雰囲気がずいぶんちがう人物の絵だったからでした。二十五枚ほどの女性の絵のうち、一枚だけピンクハウス風服を着た人物を描きはしましたが、えらく描きにくかったのです。こわいような顔をした人物にはピンクハウスの服はむつかしいみたいでしたから。ちょっと悩んでから、金子さんにそのことをいいました。そしたら、こわいからいい、ピンクハウスの服のイメージとぜんぜんちがうからいいんだとおっしゃいましたので、それでよければ私としては是非させてもらいたい仕事でしたから、やらせてもらう約束をしたのでした。(「やさしい人へ」P26−27)
ピンクハウスで1980年から1989年まで続いた大橋歩さんのイメージ・イラストレーションは、この個展から始まった。

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