堀内誠一さん、アンアン専属モデル時代のユリさんについて語る

堀内誠一さんは、アンアン創刊から3年間アートディレクター(編集美術)を努めた。ユリさんがモデルの表紙、金子さんのファッションページは、彼のレイアウトにより完璧な作品に仕上がった。その後、パリに移住。ポパイ・クロワッサン・ブルータスなどの創刊のたびに帰国。1987年にお亡くなりになりました。多数の著書あり。

金子功の服をユリが着る、ほんとうに、幸せそうに着ている、その写真をなるべくデッカクのせるというのが、初期アンアンのアンアンたるところでした。つまらない写真なら大きくしない。その頃ぼくはこれは世界一いいファッション写真だと思ってました。それはユリが世界一素晴らしいモデルだったからです。こうハッキリ言った人はいないようだから(思ってたろうけど)今ぼくは少し得したような気がする。カメラマンだって、それから詩やエッセイを組写真につける人だって、ユリが全身で言ってることに驚いたはずです。可愛い女性でいられなかったら死んじゃう、そんなハッとするところがあった。ユリの前にモデルという芸術はなかった。

アンアン1979年5月5日号(No.218)さよならアンアン号 「前みたいに、海で」より


NEW!

堀内誠一さんとは?

イラストレーター、絵本作家、エッセイスト、アートディレクターと、多彩なジャンルで特筆すべき仕事を遺して早すぎる死を迎えた堀内誠一(1932−87)
・・・・・・中略・・・・・・
よく知られるのは平凡出版(現・マガジンハウス)で手がけた雑誌の数々だろう。’70年創刊の女性誌「アンアン」の画期的なヴィジュアルは今の眼にも新鮮だ。特筆すべきは雑誌の顔であるタイトル・ロゴタイプの名手だったこと。「アンアン」「ポパイ」「オリーブ」「ブルータス」などなど、あの洒落たロゴなしにそれらの雑誌をイメージすることはむつかしい。今、そのようにして記憶される雑誌がどれだけあることか。
・・・・・・後略・・・・・・

芸術新潮1998年11月号より

戻る