絵は小さいころから好きでした。はじめは中原淳一です。長沢先生の絵は衝撃がとっても強くて、雑誌に出ている先生の絵を片っ端から切り抜いてました。それからスタイル画の画家になりたいと思って、学校から帰るとこっそり絵の練習をしていたんです。高校二年のときですね、たしか「若い女性」という雑誌に「長沢節スタイル画教室」の広告が出ていて、小さな広告だったんですけど、それが目に飛び込んできました。
上京して、昼は「文化服装学院」に通って、「セツ・モードセミナー」には夜間部の方へ。そのころはまだ抽選もなくて、すぐに入れたんです。それまでモデルを描いたりすることなんてなかったのに、先生がよく描かれるガリガリのモデルさんが本当に出てきてびっくりしちゃいました。とにかく先生が実際に描いているところをそばで見ることができて、もうそれだけでよかったんです。絵を描くというより、なんだかただボーッとしてましたね。初めてお会いしたときの服装や雰囲気もみんな覚えてます。要するに私はミーちゃんハーちゃんだったのね。ふつうの人が歌手やスターに憧れるように、絵描きとしての長沢先生に憧れていたんでしょうね。先生と親しく話している人は大勢いたけど、私はおとなしかったので、いつも遠くから見ているだけでした。二年くらいはお話することがなかったと思います。
一度だけ褒められたことがあるんです。水彩連盟展に出品するとき「これ、いいね」っていわれて、すごーく嬉しかった。でも「君、なんて名前?」ってきかれてがっかり。(笑い)
セツで長沢先生に出会えたからこそ、今の私があると思います。あの雰囲気のなかにいられたのが最高によかった。将来に対する不安は大きかったけど、ほんとに楽しい時代でした。今でもショーを見にきてくださるんですけど、先生が客席にみえるとそれだけで緊張してドキドキしちゃいます。