豊島屋を出ると、「源吉兆庵(みなもと きっちょうあん)」のぼんぼりがありました。本店は若宮大路の一本横の小町通りにあります。鎌倉源吉兆庵では、美しい日本の自然に育まれた、折々の実りをふんだんに使った創作和菓子を中心に、季節を身近に感じる和菓子が数多く取り揃えられています。菓子の起源は古くは「果子」と伝えられ、果物や木の実を指していたといわれています。日々の暮らしに和の心と風情のあるもてなしをいたい時に、この店の和菓子は重宝しています。 |
甘さを抑えたこし餡を道明寺で包み、香りよい桜葉と桜の花びらを添えた「春薫る さくら餅」。840円(5個入)。 | 3月9日に放映された「とんねるずのみなさんのおかげでした」(フジテレビ系)の「新・食わず嫌い王決定戦」のコーナーで岩城滉一さんがお土産に持って来た「さくらんぼ」。さくらんぼと梅のゼリーの相性がピッタリです。ちなみに、岩城さんの嫌いなものはカマンベールチーズでした。チーズは嫌いだそうです。2100円(8個入)3150円(12個入)。 |
「鎌倉花ごよみ 桜」と「鎌倉おやき」をください!(^Q^)/ |
ワンダフルハウスの大好物、鎌倉ニュージャーマンのかまくらカスターの登場です。 クリームごとにレシピを替えたスポンジ。さらに季節によってスポンジに入れる蜂蜜の量も変えていく。手間のかかる手作業ですが、クリームとスポンジが最良の出会いをするためには必要不可欠な仕事です。心地よく耳に響く和音のように、お口のなかで一体となって、おいしさが豊かに拡がります。鎌倉ニュージャーマンで人気一番の“純生菓子”です。 |
鎌倉ニュージャーマン雪の下本店。本店にしかない「かまくらカスター」限定品を売っています。 | 鎌倉駅東口正面にある「かの鎌倉」は、「かまくらカスター」で有名な洋菓子店鎌倉ニュージャーマンの本拠地。1Fはお店、2Fはカフェ、3Fはレストランが入ってます。 |
JR鎌倉駅東口にある鎌倉ニュージャーマン。「かまくらカスター」は、創業15周年を祝い1983年に誕生。当時人気商品だったシュークリームと、ショートケーキの美味しさを一緒にしようと考えたのが始まり。カスタードとチョコレートの定番商品に季節のクリームを加えた5種類が常時あります。ワンダフルハウスは、ストロベリーを買いました。カスタード90円、他は100円と安くて美味いんです(^Q^) 通販でも買えます。 | ストロベリーをください!(^Q^)/ |
左手に、フレンチクッキー「たいこばし」と、一口サイズのチーズケーキ「雪の下」で有名なパティスリー「セデリカ」が見えました。あっ! たった今、7時で閉店してしまいました(^‐^:) こちらは復路で紹介いたします。 |
鎌倉・七里ガ浜に面した趣ある建物「リストランテ アマルフィイ」の登場です。 |
オープンテラスという最高のロケーションで、南イタリア料理を食べることができます。 |
「リストランテ アマルフィイ」の左上に赤いパラソルのある建物が見えます。 | こちらは、ビーチに面した「リストランテ アマルフィイ」から、江ノ電の踏切のない線路を渡って、山登りの末に辿り着く姉妹店「アマルフィイ デラセーラ」。店全体が海を見下ろす大テラスです。 |
デラ・セーラに行ってみましょう。 | なんと、踏切がありません!w(゚O゚)w |
注意して渡らなくては…/(^^=^^)\ | 山登りをします。下の方で何か音が… |
江ノ電です!\(^O^)/ 素晴らしい眺めです(^^)\ | ふぅ…着きました(:^-^A 結構待ってる人がいますね。 |
高すぎて海しか見えません(^‐^:) | 立てば、ご覧の通りの絶景です。 |
暗くなってきました。 | デラセーラはピザ中心のメニューです。 |
それでは、段葛に戻りましょう。 | 手打ちそばとわらび餅のお店「段葛 こ寿々。鎌倉の街並みにふさわしい、趣のある蕎麦屋です。明かりが点いていますが、暖簾がかかっていません。18:30に閉店してしまったようです。こちらは、復路で紹介いたします。 |
「諸国和紙 社頭」のぼんぼりの向こうにポロ・ラルフローレン鎌倉店が見えてきました。 | 小町通りにある「社頭」。社頭(しゃとう)の和紙や和紙を使った小物は他では買えないものが多いです。友禅、ちりめん、型染などの千代紙。書道や版画、墨絵に使う民芸紙。この店は、鎌倉に住む文人や画家に質の高い紙を提供するためにできたお店なのです。現在は、便箋&封筒、油取り紙などオリジナルにこだわった豊富な品揃えで、お土産にも最適。 |
「ポロ・ラルフローレン」鎌倉店。”絵のようなカップル”だった加藤和彦&安井かずみ夫妻は銀座店を訪れ、ベッド回りの品やタオルなどを買っていました。タオル1枚まで品質・色・デザインにこだわって選んでいました。特にお気に入りだったのは、コットンパンツ。サンローランやシャネル、アルマーニを着た安井さんの晩年の定番スタイルは、ポロ・ラルフローレンのコットンパンツとシルクのブラウスの組み合わせでした。安井さんは肺癌の闘病中も病室でパジャマを着用せず、着慣れたラルフのチノパンに別荘のあるハワイのマウイ島で買ったポロシャツを愛用。「パリに行くならヴィトンでいいけど、ハワイに行くならラルフよね」と言いながら、ブラックウォッチのバッグを持って旅立ちました。ワンダフルハウスもソックスやカシミアの手袋、カシミアのマフラーを愛用しています。 |
右手に、カルピスバターを使ったバニラロール(^Q^)で有名な「atelier VANILLE アトリエ・バニラ」が見えました。店は18:30に閉まっています。こちらは復路で紹介いたします。 神奈川県鎌倉市雪ノ下1−11−2 雪ノ下ビル1F TEL0467−60−1432 9:00〜18:30 火・第3水休 |
青山に本店のある紀ノ国屋は1910(明治43)年創業。1953(昭和28)年に日本で最初のスーパーマーケット形式の小売店を開業したことで知られる老舗のスーパーです。鎌倉店は、JR鎌倉駅西口近く、市役所通りと今小路通りの交差点にあります。右折すると、ロミ・ユニ・コンフィチュール。直進するとチャヤマクロビ鎌倉店。安井かずみさんは、「紀ノ国屋のものを買っていれば間違いはないわ。それにフランスにしかないと思っていたものが、紀ノ国屋に行けばあるんだもの」と言って、野菜・肉・魚からパン(くるみ入りライブレッド)、南仏のMYRTILLE(ミルティーユ)のコンフィチュール、コーヒーの豆まで青山の本店で買っていました。野菜・肉・魚など生鮮食料品系は、普通のスーパの倍はします。ただし、野菜は日持ちがいいし、味も美味。肉も紀ノ国屋が牧場を持っているので、狂牛病とは無縁なのです。ワンダフルハウスも、18歳の時に高級スーパーデビュー。青山の紀ノ国屋、広尾の明治屋、ナショナル麻布マーケットで商品を見比べて感性を磨いたものです。 |
ついに三の鳥居が見えました! ぼんぼりのトリは、七里ガ浜にある「鎌倉プリンスホテル」でした。客室数100室に満たないスモールサイズのホテルで、全客室が相模湾を向いたオーシャンビューになっています。 |
三の鳥居をくぐり抜け、鶴岡八幡宮に辿り着いたワンダフルハウスを待ち構えていたものは…(^Q^)\ |
たこ焼とじゃがバターの屋台です!\(^Q^)/ 昨年「わんだふるはうす、鎌倉に行く」のコーナーで紹介した外人が食べていた、たこ焼ですね。 |
今年はワンダフルハウスも500円のたこ焼をいただきました(^Q^) 食べ終わってから源氏池に行ってみました。 | 三の鳥居をくぐると、左右に源平池があり、それぞれ桜花爛漫です。しかし、残念なことにライトアップされてないので、暗くて桜が見えません。それでは、昼間の景色に切り替えてみましょう。 |
昼間になりました。しかし、桜が散り始めています。ここから、1週間後の4月9日の写真になります。 | こちらが、源氏池の桜でございます。吾妻鑑(あずまかがみ)によりますと「1182年4月に、源頼朝が、専光坊(せんこうぼう)や大庭景義(おおばかげよし)らに八幡宮内に池を掘らせた」と書いてあります。またある説には、頼朝の妻の政子が源家が栄えることを願ってこの池を造らさせ、東の池には白い蓮、西の池には赤い蓮を植えさせて、源平の旗の色を表したと伝えられており、それで源平池という名前が付いているということです。 |
この日は、第48回鎌倉まつりが行われていました。2006年は鶴岡八幡宮舞殿の修繕工事(写真右)のため、源義経と生き別れた愛人の静御前の古式ゆかしい舞を再現する「静の舞」が中止になりました。 |
こちらが平家池。向こうに見える建物は「鎌近(かまきん)」でございます。 | 鶴岡八幡宮境内に建つ「神奈川県立近代美術館 鎌倉館」。ル・コルビュジエの弟子・坂倉準三による設計により、日本初の公立近代美術館として1951年に開館しました。鶴岡八幡宮の環境と見事に調和したその建物は、日本の近代建築の代表として国際的にも有名です。 |
中央に段葛、その両側に若宮大路。さらにその両側に老舗の菓子店や飲食店が立ち並ぶ。しかもこの道は由比ガ浜に続いている。このような魅力的なストリートは、本当に珍しいですね。 | それでは、三の鳥居からニの鳥居まで戻りましょう。再び景色は夜に切り替わります… |
1182年、源頼朝の妻・北条政子の安産を祈願して、鶴岡八幡宮社殿から海に向かって一直線に伸びる参詣道「若宮大路」が造られました。幕府が若宮大路の脇に移転すると、二ノ鳥居以北には幕府有力者の館が建ち並び、若宮大路は鎌倉の都市の基軸となりました。平城京や平安京の朱雀大路と同じ役割を担い、鎌倉が東国の首都であることを示すものといえます。若宮大路中央には「段葛」と呼ばれる小高い道があり、聖なる道として神様や神主などが通る道とされ、現在も車道と区別され残されています。都市の基軸線が基本的な形のまま残り、現代においてもメインストリートとして機能している例は世界的にも珍しいと言われています。 |
いよいよ、花見も折り返し地点まできました。 | ここから復路のスタートです。 |