フランス菓子 Maison Wenikoの四季

おけさ柿のガレット・デ・ロワ クリスティーヌ・フェルベール風
おけさ柿のコンフィチュール クリスティーヌ・フェルベール
PART4

2011年11月第4週

これが本物のオート・パティスリー(Haute Pâtisserie)だ!

Galette des rois aux okesa-kaki “Christine Ferber”
ガレット・デ・ロワ・オゾケサ-カキ “クリスティーヌ・フェルベール”
おけさ柿のガレット・デ・ロワ クリスティーヌ・フェルベール風
ガレット・デ・ロワ、コンフィチュール製作者 Weniko
王冠製作者 WeRo
おけさ柿生産者 本間美智代
2011年11月22日 Maison Weniko
おけさ柿以外全て特注品 
「本間るみ子さんの佐渡の御実家で収穫された八珍柿(おけさ柿)を使い、クリスティーヌ・フェルベールさんのルセットによるシナモン風味の小豆コンフィチュールが島田進さん直伝のガレット・デ・ロワに組み入れられ、ヴェロさん制作の王冠を配置…史上空前のガストロノミーなガレット・デ・ロワの完成です!\(^○^)/」
「ノストラダムスのコンフィチュールや越後七不思議をも上回る日仏混合の超ガストロノミーなガレット・デ・ロワがカットされました」
Galette des rois aux okesa-kaki de Sado
ガレット・デ・ロワ・オ・ゾケサ-カキ・ドゥ・サド
佐渡のおけさ柿のガレット・デ・ロワ
特注品
「先ずは1台目のガレット・デ・ロワから見ていきましょう。これは、基本となる おけさ柿のガレット・デ・ロワです。フィユタージュ・ナチュール、クレーム・フランジパーヌ+茨城県鉾田市産やきいもペースト、フレッシュおけさ柿…以上3つの要素で構成されています。柿はどこを切っても柿に当たるように全面に敷き詰められています」
「何だ!? このおけさ柿は!? ソモン(鮭)のような色になってる! トロワグロ兄弟のソモン・ア・ロゼイユのソモンの色だ!(゚O゚)\」
Escalope de saumon a l'oseille V.G.E. plat cree pour l'Elysee en 1975
1975年にエリゼ宮にてV.G.Eに捧げた鮭の薄切り オゼイユ風味
特注品
cuisine francaise JJ

2008年
「エスカロップ・ドゥ・ソモン・ア・ロゼイユ。1975年にポール・ボキューズ氏がレジオン・ド・ヌール勲章を受勲した際に、レセプションとして開催されたエリゼ宮での午餐会でジャン・トロワグロ氏とピエール・トロワグロ氏が作った料理です。レジオン・ド・ヌール勲章…それはナポレオン1世が制定し、各界の功労者に贈られるフランス最高の勲章です。1975年、フランス料理を世界各国…日本、アメリカ、オーストラリア、ドイツ、イギリス、スイス、ベルギー、スペイン、ポルトガル、カナダ、スウェーデン、ノルウェー、ロシア、イスラエル、トルコetc…に広く紹介した功により、フランスの料理人として初めてポール・ボキューズ氏に『レジオン・ド・ヌール勲章シュヴァリエ Chevalier de Legion d'honneur』が授与されました。レセプションとして開催されたエリゼ宮での午餐会では、当時を代表するグラン・シェフたち…ポール・ボキューズ氏、ジャン・トロワグロ氏&ピエール・トロワグロ氏、ミッシェル・ゲラール氏、ロジェ・ヴェルジェ氏らの”究極の一皿”によってメニューが構成され、ヴァレリー・ジスカール・デスタン(Valery Giscard d'Estaing)大統領夫妻に捧げられました。歴史的に見ても、フランス国内において、このようなスケールの大きいレセプションが開かれた例は無く、今後も開催されることはないでしょう」
2011年にメゾン・ベニコにて本間るみ子さんに捧げた おけさ柿の薄切り 焼いも風味 トロワグロ風
「柿の切り方、火入れ…大成功です! 同じ色合い、同じ質感です!\(^○^)/ ヌーヴェル・キュイジーヌの先駆けとなったトロワグロ兄弟のスペシャリテ『エスカロップ・ドゥ・ソモン・ア・ロゼイユ』に敬意を表して、この20世紀を代表するフランス料理を、おけさ柿のガレット・デ・ロワで表現したものです」
2011年にメゾン・ベニコにて本間るみ子さんに捧げた おけさ柿の薄切り 焼いも風味 トロワグロ風
特注品
「あなた方は覚えているだろうか? 1984年、リヨンの郊外ロアンヌにあるレストラン『フレール・トロワグロ』が新宿小田急百貨店内にブティックをオープンさせた時の衝撃を。当時のフレール・トロワグロといえばミシュランとゴー・エ・ミヨの二つのガイドブックで、それぞれ三つ星、四つ帽子の19点と最高の評価を獲得していました。その最高のレストランの味をそのまま伝える店が、フランス本国以外では初めて日本にオープンしたのです。私は大学4年生で、当時は珍しかったカシスのコンフィチュールと、強い酸味を和らげてあるので酸っぱくないというシトロンのコンフィチュールを買い、店長らしき人物に『ブルゴーニュ産のカシスのジャムは少量の洋酒で溶いてフルーツソースに。地中海地方産のレモンのジャムは紅茶に少々入れますと芳しい香りが立ちます』などとアドバイスされたのを覚えています。トロワグロのブティックでもコンフィチュールという言葉はまだ使われていなかったのです
2011年にメゾン・ベニコにて本間るみ子さんに捧げた おけさ柿の薄切り 焼いも風味 トロワグロ風
特注品
本間るみ子さんがフロマジュリー・フェルミエをオープンしたのは、その2年後の1986年。開店25周年を祝し、フェルミエの会員を代表して、私がこの創作ガレット・デ・ロワを捧げましょう。エスカロップ・ドゥ・ソモン・ア・ロゼイユ・フレール・トロワグロ…これが’80年代からガレット・デ・ロワやコンフィチュールやフロマージュを知っていた私達の世代のフランス料理でした
Galette des rois aux okesa-kaki de Sado et confiture aux haricots azukis à la cannelle
“Christine Ferber”
ガレット・デ・ロワ・オ・ゾケサ-カキ・ドゥ・サド・エ・コンフィチュール・オー・アリコ・アズキ・ア・ラ・カネル
“クリスティーヌ・フェルベール”
佐渡のおけさ柿とシナモン風味の小豆のコンフィチュールのガレット・デ・ロワ
クリスティーヌ・フェルベール風
特注品
あずきのコンフィチュールの層からカネル(シナモン)の香りが…この香りで思い出したのは、1984年に小田急百貨店新宿店トロワグロ・ブティックで売っていた『カンパーニュ・シナモン』というパンです。それはドイツパン風の生地にシナモンパウダーをふり、ゆっくり時間をかけて燻したクルミを加えて焼き上げた、とても贅沢なパンでした
「スパイス売場にはピエール・トロワグロ氏によって世界中から集められたスパイスがホールのまま小瓶に入れられて並んでいました。実際にトロワグロ氏が原産地まで出向き、厳選したものだったそうです。グリーンペッパー、ピンクペッパー、クローブ、チャービル、ブーケガルニ、セルポレ、カルダモン、ネズの実(英ジュニパー・ベリー 仏ジェニエーヴル)…その中でシナモンはスティックのまま売られていました
2011年にメゾン・ベニコにて本間るみ子さんに捧げた
おけさ柿のエスカロップと小豆のコンフィチュール
シナモン風味
特注品
エスカロップ・オ・ゾケサ-ガキ・エ・コンフィチュール・オー・アリコ・アズキ・ア・ラ・カネル。1975年、ポール・ボキューズ氏がレジオン・ド・ヌール勲章を受勲した際に、レセプションとして開催されたエリゼ宮での午餐会でジャン・トロワグロ氏とピエール・トロワグロ氏が作ったエスカロップ・ド・ソモン・ア・ロゼイユをイメージした、21世紀の日本で創作された王宮フランス菓子です

2011年最高のコンフィチュールの登場
そして、クリスティーヌ・フェルベール氏が現われる以前の時代
1980年代の東京で買ったコンフィチュールについて語ろう

Confiture de châtaignes d'Ibaraki de yasato au rhum et à la vanille
コンフィチュール・ドゥ・シャテーニュ・ディバラキ・ドゥ・ヤサト・オ・ラム・エ・ア・ラ・ヴァニーユ
茨城県産八郷栗とラム酒とバニラのコンフィチュール
製作 Weniko
Maison Weniko
特注品
「ワンダフルハウス様、今回の特注の番外編として、特別にお作りしましたコンフィチュールでございます」「八郷栗とラム酒とバニラ!?(゚O゚)\
「クリスティーヌ・フェルベール著『小さなジャムの家』の36~37ページ『栗とヴァニラのコンフィチュール』の作り方でラム酒を加えました」「これはトルシュ・オー・マロン(アルザス風モンブラン)のコンフィチュール版ですね!(^O^)\」
八郷栗とラム酒とバニラのコンフィチュール
「思い出した! 1984年、新宿小田急にトロワグロ・ブティックがオープンした頃、プランタン銀座もオープンして、初めてアンジェリーナのサロン・ド・テでモンブランを食べた日の感激を! その日、アンジェリーナのブティックで『POMME POIRE NOIX』と書かれたコンフィチュールを見つけて、『リンゴと洋梨とクルミ? 3つの異なる素材を合わせたコンフィチュールは初めて見た』と新しい発見にワクワクして買って帰った日のことを…
八郷栗とラム酒とバニラのコンフィチュール
メゾン・ベニコの『栗とラム酒とバニラ』のコンフィチュールを見て、27年前に買ったアンジェリーナの『リンゴと洋梨とクルミ』のコンフィチュールを思い出すとは…。2つのフルーツとナッツという3つの異なる素材を組み合わせたタイプのコンフィチュールは、1984年のプランタン銀座で普通に売られていたのです。そして、このコンフィチュールを見ていたら、もう一つ懐かしいコンフィチュールを思い出しました。1981年に西武百貨店渋谷店で買ったボンヌ・ママンの『Châtaignes Vnille』…その名も同じ栗とバニラのコンフィチュールです。’80年代当時、ヨーロッパで売り上げナンバーワンを誇っていたボンヌ・ママンのコンフィチュールは、赤と白のギンガムチェックの可愛いキャップで有名ですが、その栗とバニラのキャップだけは茶色と白の渋い色合いのギンガムチェックで、売場でとても目立っていたのです
八郷栗とラム酒とバニラのコンフィチュール
1981年当時の私にとって、渋谷西武の輸入食品売場で買ったボンヌ・ママンの栗とバニラのコンフィチュールは、ただの栗のクリームでした。ボンヌ・ママンのコンフィチュールは当時の値段が600円でルノートルなどのブティック物に比べると半額なのに、225g入りで量が倍なのですから当然といえば当然なのですが…。ちなみにBonne Mamanとはフランス語で『おばあちゃん』という意味。その名の通り、一般的なフランス国民に最も親しまれて最もポピュラーな味のホームメイドジャムをイメージしていますが、レティエ(工場製)なのでしょう
八郷栗とラム酒とバニラのコンフィチュール
Maison Weniko
特注品
ボンヌ・ママンのコンフィチュールを発売しているフランス・アンドロス社は、フランス果物の三大宝庫の一つ、西南部のロット地方に広大な果樹園を持つヨーロッパ第一のジャムメーカー。メゾン・ベニコは、フランス果物の三大宝庫の一つ、北東部のアルザス地方にあるメゾン・フェルベールでの修業歴を持つコンフィチュール・メゾンなのです」
八郷栗とラム酒とバニラのコンフィチュール
Maison Weniko
特注品
「これは栗のクリームではない! 栗のコンフィチュールになってる!(゚O゚)\
「栗の皮の先端に切れ目を入れ、皮ごと煮るところから始めるフェルベールさんの製法が、茨城県八郷産の栗で再現されました」
上 茨城産八郷産あずきのコンフィチュール シナモン風味
下 茨城県八郷産栗のコンフィチュール ラム酒とバニラ風味
Maison Weniko
共に特注品
「非常に複雑な工程を介して仕上がった栗のコンフィチュールは、ちょっと粒餡風。あずきのコンフィチュールに近い素材感です」
1968年にルコント六本木店で発売されたルコント初代モンブラン
製作 島田進
パティシエ・シマ
特注品
「日本に初めて現われた本物の栗のコンフィチュールのお味は?…伝説のルコント初代モンブランと同じ味わいです!(゚Q゚)\
「八郷栗を使ってクリスティーヌ・フェルベール氏の製法を忠実に守った上に、ラム酒を加えてアレンジして作られたメゾン・ベニコの『栗のコンフィチュール ラム酒とバニラ風味』…不思議なことに、ルコント初代モンブランに味が似ていたのです。1968年にアンドレ・ルコント氏が日本で初めてフランス・スタイルのモンブランを発売してから43年後の今日、日本に初めてフランス・スタイルのコンフィチュール・ド・シャテーニュが伝わりました」
Pain de châtaigne
パン・ド・シャテーニュ
栗のフランスパン
ビゴの店 鷺沼店
「コンフィチュール・ド・シャテーニュはモンブランに比べて43年も遅れてしまった。では、本物のパン・ド・シャテーニュは日本に存在するのだろうか?…ありました!\(^○^)/…ビゴ東京の『栗のフランスパン』です!」
栗のフランスパン
ビゴの店 鷺沼店
「『栗のフランスパン』は、ビゴ東京の藤森二郎氏がテレビ東京『ソロモン流』に出演された際に紹介していました」
シャテーニュ(旧版)
ビゴの店 鷺沼店
2009年
「栗のパンは『シャテーニュ』という商品名で以前からありましたが、ソロモン流のために大幅にグレードアップしてきたようです」
シャテーニュ(旧版 栗のフランスパン)
ビゴの店 鷺沼店
2009年
「おお! なんという神々しさ! これは栗の球?…いや、地球です!(゚O゚)\」
シャテーニュ(旧版)
ビゴの店 鷺沼店
2009年
「これこそ“神の仕事”です!(゚O゚)\」

「Boulangerieの語源、Bouleは『球を作る人』。すなわち『地球を作る人』を表し、『神の仕事』を意味します。一生懸命作ったパンが窯の中で焼き上がるまで材料となる食物、動物の命をいただいていることに感謝し、おいしくできあがるように祈る。本当にそういう気持ちを込めて、パンを作る職人のみがブーランジェと呼ばれるのです」

シャテーニュ(旧版)
ビゴの店 鷺沼店
2009年
凄まじい精神性です! 藤森二郎氏の師匠であるフィリップ・ビゴ氏や、ビゴ氏の師匠であるレイモン・カルヴェル氏の精神性も見え隠れしています!(゚O゚)\
ブーランジェリーはフランスパン屋という意味ではなく職人自らが小麦を選び、粉をこねて、焼いたパンをその場で売るお店であることが条件。フランスでは法律でそう定められています。立派な文化の基に成り立つ称号なのです
シャテーニュ(旧版)
ビゴの店 鷺沼店
2009年
「『旧版 シャテーニュ』は栗粉と小麦粉を使った、手でちぎれるほどやわらかいパンでした。栗の粒は細かく砕いた黄色いものが確認できます」
栗のフランスパン
シャテーニュ(新版)
ビゴの店 鷺沼店
2011年
「ソロモン流のための新商品『栗のフランスパン(新版シャテーニュ)』には、栗の粒が貼り付いています!(゚O゚)\」
栗のフランスパン
ビゴの店 鷺沼店
「中にも茶色い大粒の栗が!(゚O゚)\」
栗のフランスパン
ビゴの店 鷺沼店
「パン屋の“神々の黄昏”を感じさせるヴァーグナー的なデモーニッシュなパンです。ブリオッシュの代わりにトゥルヌド・ロッシーニ(牛フィレ肉とフォアグラとトリュフのロッシーニ風)の下に敷いてみたいですね(^-^)\」
メゾン・ベニコのコンフィチュール・ド・シャテーニュ(特注品)
ビゴ東京のパン・ド・シャテーニュ
「私が王冠をオーダーしたWeRoさんは2007年のサロン・デュ・ショコラ・パリにおいて『Le chocolat et la psyché(ショコラと精神性)』という展覧会を開催しましたが、psyché(サイキ)というのはショコラだけではなく、コンフィチュールにもパンにもフロマージュにもあるものなのです」
メゾン・ベニコのコンフィチュール・ド・シャテーニュ
ビゴ東京のパン・ド・シャテーニュ
「1986年~88年にかけて、プランタン銀座のカールヘルムのブティックで金子功氏がデザインした服を買った後、ビゴの店に立ち寄りパンを買った。当時はまだ無名だったシェフ兼店長の藤森二郎氏を見て、その魅力を密かに讃えた」
左 八郷栗のコンフィチュール ラム酒とバニラ風味 (参考商品)
中 茨城県産梅と水戸はちみつのコンフィチュール 1050円
右 茨城県産梅のコンフィチュール 1050円
『栗のコンフィチュール ラム酒とバニラ風味』の製作を記念して、瓶を店頭にディスプレイしてもらって記念写真を撮ってみました。このコンフィチュール、実際には大サイズが店頭で発売されることはありませんでした。小サイズ2、3本がプロパー価格の2倍(1260円)で販売され、買えた人はラッキーでした。この写真を見て思い出したのは、チロリアン・ファッションがブームになった1986年秋、渋谷パルコPART2にあったカールヘルムのブティックでチロリアン・ジャケットを買った帰りに西武百貨店渋谷店のロジェ・ヴェルジェ氏のブティックに立ち寄り、『Confiture de Ume』『Confiture de Tomates』の瓶を見て、小さな驚きの声をあげてしまったことです。その時代に南仏の三つ星レストラン『ムーラン・ド・ムージャン』の梅やトマトのコンフィチュールを渋谷で買えたことは本当にラッキーでした
「カンヌの北ムージャン村にあるMoulin de Mouginsの伝説的な三ツ星シェフRoger Vergéのコンフィチュールが’80年代の東京で買えたのでございますか?」「ガストン・ルノートル氏とロジェ・ヴェルジェ氏のブティックは、西武セゾングループの黄金期を象徴する時代のアイコンとして現在でも忘れることができません」

コンフィチュール = ヨーロッパ最高の芸術

Confiture de prunier du japon d'Ibaraki de yasato
コンフィチュール・ド・プルニエ・デュ・ジャポン・ディバラキ・ドゥ・ヤサト
茨城県八郷産梅のコンフィチュール
Maison Weniko
1050円
「“太陽の料理”といわれたロジェ・ヴェルジェ氏の南仏タイプのコンフィチュールが発売され、1980年代半ばの東京でコンフィチュール文化はモードを上回るフランス最高の芸術となっていました。ただ、テレビや雑誌で紹介されなかったので誰も知らなかっただけのことなのです。仕掛ければ簡単にブームが作れたあの時代、コンフィチュールは大衆のものではありませんでした」
バニラアイスクリーム 茨城の梅のコンフィチュール添え
300円
Maison Weniko
2011年8月
「ワンダフルハウス様は8月に茨城の梅のコンフィチュールをかけたグラス・ヴァニーユをお召し上がりになられましたね」「そうそうそう…それそれそれ…」
1981年、新宿伊勢丹でエディアールのマルムラード・シトロンより高いミセス・ブリッジスのブレックファスト・オレンジマーマレードを買った。店員から『パンにつけるだけでなく、ケーキに塗ったり、アイスクリームに混ぜたりしてお使いください』とアドバイスされて、『英国ではアイスクリームにジャムを合わせるのか!』と、1900年代初頭のイギリス上流家庭のスタイルのカッコよさにシビレた。映画館では『炎のランナー』がかかっていた」
その頃、伊勢丹新宿店のミセス・ブリッジスのブティックには、一番摘みジャム、マーマレード、洋酒入りジャムの3つの商品ラインがあり、洋酒入りジャムだけで10種類位あった。同じフロアにあったロイヤル・コペンハーゲンのブティックで、ミセス・ブリッジスのブレックファスト・オレンジマーマレードより高い『ヴィンテージ・マーマレード・ウィズ・ブランデー』を買った。最後に加えるというブランデーの香りが無農薬栽培で育ったスペイン産オレンジの上品な甘さとのハーモニーを生み出していて、心地よい味に仕上がっていた。30年前、ロイヤル・コペンハーゲンの『ブラック・カラント・ウィズ・ラム』『ストロベリー&オレンジ・ウィズ・キュラソー』『ラズベリー・ウィズ・キルシュ』をレディボーデンのバニラアイスにかけて食べた。ハーゲンダッツはまだ日本に入ってきていなかった
「フランスの高級食料品店やイギリスの上流家庭御用達ブランドより、デンマークの磁器メーカーが作ったコンフィチュールに軍配を上げてしまう私は、やはり太鼓を斜に構えて叩いているなと揶揄されてしまうでしょうか?」「ワンダフルハウス様、1775年、コペンハーゲンの街に『デンマーク磁器製作所』が王室の援助の下に創設されました。これが現在のロイヤルコペンハーゲンの全身で、1882年に民間に受け継がれるまで、1世紀もの長い間、ロイヤルの名が示します通り王立だったのでございます」「あれは王立ブランドのコンフィチュールだったのか! そういえば、ロイヤルコペンハーゲンのブティックではデニッシュ・ペストリーもよく買っていました。カスタードクリームとバタークリームとアーモンドクリームが入った“トリプルクリーム・デニッシュ”『プレッツェル』が一番好きでした。それから、中にはアーモンドクリーム、表面にはアーモンドスライスと粉砂糖がたっぷりかかったシナモン風味の『カンメ』という贅沢なデニッシュも…」「ワンダフルハウス様、カンメとは“熊の手”という意味でございますよ」
Confiture de tomates Rouges d'Ibaraki
コンフィチュール・ドゥ・トマトゥ・ルージュ・ディバラキ
茨城県産赤トマトのコンフィチュール
Maison Weniko
1050円
2011年9月発売
「トマトのコンフィチュールには、Tomates rouges(トマトゥ・ルージュ 赤トマト)とTomates Vertes(トマトゥ・ヴェール 緑トマト)の2種類ございます。9月にお作りしましたのは赤トマトでございます」「’86年に渋谷西武のロジェ・ヴェルジェのブティックで買ったコンフィチュールも赤トマトでした。その時、緑トマトのコンフィチュールは新宿伊勢丹のエディアールのブティックで『Confiture extra Tomates vertes et Citrons(緑トマトとシトロンのコンフィチュール)』を買っていました」
茨城県産トマトのコンフィチュール
Maison Weniko
フランスを中心に、イタリア、スペインの食文化が交錯するプロヴァンス地方。この土地ならではの料理と素材の持ち味を生かすヌーベル・キュイジーヌを結びつけたのがロジェ・ヴェルジェ氏の提唱した「ラ・キュイジーヌ・ソレイユ」。つまり「太陽の料理」です。太陽の恵みである素材の風味を大切にし、特に野菜をふんだんに用い、ハーブの香りで積極的に表現していこうというポリシーでした。オリーブオイル、パスタ、トマトを多用しながらも、イタリア料理とはまた違った表現が皿の上だけでなく、瓶の中でも展開されたのでした
茨城県産トマトのコンフィチュール
Maison Weniko
プロヴァンス、カンヌから5kmほど離れ、町のざわめきも届いてこないあたりに、ピカソが晩年を過ごしたことでも有名な、絵のように美しいムージャンの丘があります。1969年6月までのムーラン・ド・ムージャン(ムージャン村の水車小屋という意味)は、ただの田舎のオーベルジュでした。ところが、前年のグルノーブル冬季オリンピックで報道関係者専用レストランの調理長を務めたロジェ・ヴェルジェ氏がオーナーになった途端、全てが変わりました。食通や美食愛好家でいっばいになり、カンヌ映画祭の時期には世界中の映画関係者が足を運ぶようになったのです
茨城県産梅のコンフィチュール
Maison Weniko
快晴に恵まれた日のムーラン・ド・ムージャン。川に向かって段状に作られたテラスに出て、オリーブの木の下で昼食を食べることほど気持ちのいいことはありません。蝉の声と川のせせらぎしか聞こえてこないテラス席は、ロジェ・ヴェルジェ氏の“太陽の料理”を味わうには恰好の場所でした。そしてその料理は、洗練され、魅惑的で、完璧かつ変化に富んでいました。ポール・ボキューズ氏のような優れて古典的な料理と比べてみると、彼の料理はいかにもプロヴァンスの地方色豊かなものでした
「良い料理の前提は、まず何といっても良質の材料です。そしてその第一条件は、新鮮であることです』と語っていたロジェ・ヴェルジェ氏」
「ロジェ・ヴェルジェ氏が現役だった頃のムーラン・ド・ムージャンでは、野菜・果物はカンヌ裏面の栽培者たちによって新鮮なものが届けられ、魚類はカンヌのフォルヴィル市場までヴェルジェ氏自らが出向き、自分の目で確かめて仕入れていました『それがシェフたるものの務めである』とも語っていました」
茨城県産梅のコンフィチュール
Maison Weniko
「クリスティーヌ・フェルベール氏のコンフィチュールは、ロジェ・ヴェルジェ氏のキュイジーヌ・ソレイユ=“太陽の料理”に似ている! コンフィチュール・ソレイユ=“太陽のコンフィチュールだ!(゚O゚)\
コンフィチュールのスタイルもポール・ボキューズ氏とロジェ・ヴェルジェ氏では全く違いました。’80年代、ポール・ボキューズ氏のブティックは東京駅の大丸百貨店にありました。コンフィチュールは『Confiture aux 4 Fruits Rouges』『Fraises』『Framboises』『Cassis』『Myrtilles』『Oranges Ameres』の全6種類。フレーズとフランボワーズとカシスとグロゼイユの4つのレッドフルーツをブレンドしたカトル・フリュイ・ルージュが一番好きでした
左から
長野県更埴産あんずのコンフィチュール
長野県更埴産あんずとナッツのコンフィチュール
長野県更埴産あんずのコンフィチュール バニラ風味
長野県更埴産あんずのコンフィチュール リキュール風味
長野県更埴産あんずと茨城県産梅と長野産すもものコンフィチュール
各 1050円
Maison Weniko
2011年8月
渋谷西武のロジェ・ヴェルジェ氏のブティックで売っていたコンフィチュールは『Confiture d'Abricots』『Confiture de Ume』『Confiture de Tomates』『Confiture de Cerises』『Confiture de Myrtilles』『Marmelade d'Oranges』の6種類
左 長野県産すもものコンフィチュール 1050円
中 長野県産すもものコンフィチュール バニラ風味 1050円
右 長野県産すもものコンフィチュール ラム酒とバニラ風味 1050円
Maison Weniko
2010年8月
渋谷西武のロジェ・ヴェルジェのブティックでは箱入りのレトルト食品をよく買っていた。『Canard aux Pruneaux et aux Noix』という鴨の煮込みは一緒に煮込んだプラムが適度な甘味と酸味、さらにクルミが鴨に香ばしさを醸し出していた。『Poulet au Curry de Legumes』という若鶏に野菜を加えて煮込んだカレー風味の料理は当時のフランス料理としては珍しいメニューだった。スパイスがよく効いているが、思ったよりクセがないので、日本人の舌にもピッタリ。あの頃のカレーに使われていた主なスパイスはコリアンダー、シナモン、チリペッパー、クミン、カルダモン、アニス、フェンネルなど7種類程度だったが、ムーラン・ド・ムージャンのPoulet au Curry de Legumesに調合されていたスパイスは数十種類にものぼっていたのだろう
長野県産すもものコンフィチュール バニラ風味
1050円
Maison Weniko
2011年8月
プラムのコンフィチュールは高島屋のフォションのブティックで『Confiture Extra de Pruneaux』を買っていた。マヨネーズ売場で『Mayonnaise au jus de citron』(レモンジュース入りマヨネーズ)を選び、マスタード売場で『Moutarde a l'Orange』(オレンジジュース入りマスタード)か『Moutarde herbes de Provence』(プロヴァンスのハーブ入りマスタード)を選んでからスパイス売場へ。’80年代の高島屋のフォションのスパイス売場には世界中から集められた香辛料が一堂に会していて、それはそれは圧巻の一言だった。その種類は42種類。しかも、そのほとんどがパウダーとホールの2タイプあったため、全部で80種類以上。店員から“FAUCHON ÉPICE”の哲学を学び、20種類以上あったスパイス入りマスタードをお手本に、エピスとコンフィチュールの相性を探ってみようと思いついた。目標は『Moutarde Exotique』。エキゾチックと呼ばれるこのマスタードは、日本人の口に合う東洋風のスパイスが多く含まれているもので、仔羊の料理によく合う、焼肉のたれに入れても一味違うと教わった。時代は’86年。街ではDCブランドのエキゾチックなマオカラージャケットが流行っていて、私もカールヘルムの麻のマオカラージャケットを好んで着ていた。クリスティーヌ・フェルベールの名はまだ日本に届いていなかった」
茨城県産あんずのコンフィチュール バニラ風味
1050円
Maison Weniko
2011年8月
’80年代、高島屋のフォションのブティックにはコンフィチュールが19種類揃っていた。しかし、パリの本店には70種類もあるということで、これは少し物足りなかった。そこでスパイスやリキュールを使ったり、様々な果実のコンフィチュールをブレンドしたりして、バリエーションを増やしてみることにした。手始めに初心者向けである甘いスパイス『Gousse de Vanille』(グッス・ド・ヴァニーユ=バニラスティック)を買って『Confiture Extra d'Abricots』に入れてみることにした
「ラン科の植物の一種で、鞘状の果実であるバニラは、収穫されたばかりの状態では、ほとんど香りがありません。丁寧にゆっくり時間をかけて発酵させることにより、独特の甘い香りが生まれます
「キリッとした甘い香りが立っている! グッス・ド・ヴァニーユは甘いバニラの香りをつける材料として、グラス・ヴァニーユやクレーム・カラメルだけでなく、コンフィチュールにも合うことがわかった」
「使用する時は、黒くて細いバニラ棒の中に詰まっている小さな種を取り出して使用します。黒い粒々の正体が種で、これがバニラビーンズです
茨城県産あんずのコンフィチュール リキュール風味
1050円
Maison Weniko
2011年8月
次に私が試してみたのは、ロイヤル・コペンハーゲンのリキュール入りコンフィチュールをお手本にして、果実や皮に溶け込んでできた魔法の液体『リキュール』をガストン・ルノートル氏のコンフィチュールに入れてみることでした。さらに取り合わせを考えて、もう一つの世界『コンフィチュールのカクテル』をも生み出してみようと思い、渋谷西武のルノートルのブティックでConfiture Extra Abricots』を、青山の紀ノ国屋スーパーの洋酒売場で『アマレット・ディ・サローノ』を買い求めました」

「Wenikoシェフが選んだリキュールはアルザス最大のワインメーカーWalfberger(ヴォルフベルジェール社)の豊富な品種を誇るオー・ド・ヴィー(フルーツブランデー)の多彩なラインアップの中の一つ『オー・ド・ヴィー・アブリコ』でした。私が’80年代に紀ノ国屋で選んだリキュールはアーモンドの香りが特徴のアマレット・ディ・サローノ。しかし原料はアーモンドではなく、杏仁豆腐を作る時と同じ材料となる杏の核を使っています。アマレットの歴史は古く、今から約500年前にまでさかのぼります。1525年、ルネッサンス時代のイタリア・ミラノ北部のサローノ村にあるサンタマリア・デレ・グラツィエ教会の聖堂にキリスト降誕の壁画(フラスコ画)を書くためにベルナディノ・ルイーニという画家が赴いた事から始まりました。ベルナルディーノは壁画に描く聖母マリアのモデルとして、滞在していた宿屋の若く美しい女主人を選びました。この二人の間にはいつしか恋が芽生え、女主人はベルナルディーノに心を込めて作った甘い香りのリキュールを贈りました。これがアマレットの始まりと言われています。時代は下って19世紀初頭、サローノ町で食料品店・薬局を経営していたカルロ・ドミニコ・レイナがこのレシピを買い取って復元し、1807年に町で売り出しました。当時のミラノの地方菓子であったアーモンドケーキ『アマレッティ』に香りがそっくりであった為、リキュールにもアマレット・ディ・サローノ(サローノのアマレット)の名前がつきました。1817年より本格的に製造が始まったアマレット・ディ・サローノは今や世界150ヶ国に輸出されている人気リキュールとして知られるようになったのです」

茨城県産あんずのコンフィチュール リキュール風味
Maison Weniko
「私はアマレット・ディ・サローノにオレンジジュースを入れてソーダで割ったカクテル『Boccie Ball』をイメージして、自作の『杏のコンフィチュール リキュール風味』にルノートルの『Confiture Extra Oranges Amères』を混ぜた『杏とビターオレンジのコンフィチュール ボッチ・ボール風味』を完成させた。イタリア語で『少し苦いもの』という意味を持つアマレットとオランジュ・アメールの相性は抜群だった。さらにアマレット・カフェをイメージして、フォションのインスタントコーヒー『Café Soluble Lyophilisé pur Arabica』を溶き入れて『杏のコンフィチュール アマレット・カフェ風味』を創ったりしていた。ちょうどその頃(1984年)、ヌーボー・ガトーの旗手として名を馳せていたルシアン・ペルティエ氏の日本初のブティック『ペルティエ東京店』が原宿にオープン。パリのセーブル通りの本店から持って来たという可愛いガラスの瓶ケースの中に色とりどりのドラジェ(アーモンドの砂糖衣がけ)を入れて量り売りされていた。私はホワイト、ピンク、ブルー、イエロー、オレンジ、ペパーミントグリーンの全色を1個ずつ大人買いし(1個 30円)、王冠型のメレンゲのケーキ『プランセス』、『カンブリッジ』(苺の断面を見せるアントルメでルノートルではバガテール、他の店ではフレジェと呼ばれていた)、オペラを買った。2年後の1986年、メンズのDCブランドがブレイクして、ラフォーレ原宿に金子功氏のブティック『カールヘルム』が、同潤会アパートに荒牧太郎氏のブティック『パパス』が立て続けにオープンした。そんな時、ペルティエ原宿店でジャン=ポール・エヴァンという無名のフランス人シェフ・パティシエを見た。ジョエル・ロブションとミッシェル・フサールを擁して黄金時代を築き上げたパリの日航ホテルのレストラン『ル・セレブリテ』の後任を務めた人だった。哲学者のジャン=ポール・サルトル、俳優のジャン=ポール・ベルモンド、アートディレクターのジャン=ポール・グード、ファッションデザイナーのジャン=ポール・ゴルチエに続く5人目のジャン=ポールが現われたなと感じた」
中央 茨城県産ルバーブのコンフィチュール ローズマリー風味
1050円
Maison Weniko
2011年7月
新宿伊勢丹の“FAUCHON ÉPICE”の売場で学んだことは、例えばアニスはシソ科の実で独特の芳香と甘味があり、ケーキを始めとする菓子類全般に合うとか、コリアンダーはカレー粉に欠かせない成分の一つで料理全般に合うが、特にピクルスソースに最適ということだった。フォションのピクルスはスタンダードとプロヴァンス風の2タイプあった。フランス料理には欠かせないというスタンダード・タイプの『Cornichons à l'ancienne』はコルニション(小型キュウリ)にコリアンダーなどのスパイスを効かせたサワー系で、これはそのままオードブルにと勧められた。『Oignons blancs au vinaigre』はプチオニオンに良質の白ワインビネガーをたっぷり使ってハーブの香りを強く出していた。刻んでカレーに付け合せると良いとアドヴァイスされた。ローズマリーは魚料理の詰め物、野菜の煮込み料理などと相性が良い。オーブンに入れる前のローストビーフにまぶすと、思わぬ美味しさが生まれますと店員から提案された
Confiture de rhubarbe d'Ibaraki au romarin
コンフィチュール・ドゥ・リュバルブ・ディバラキ・オ・ロマラン
茨城県産ルバーブのコンフィチュール ローズマリー風味
Maison Weniko
’80年代、バブル前夜の新宿伊勢丹の“FAUCHON ÉPICE”の売場にローズマリーは存在していた。しかし、それはコンフィチュールに合わせるエピスではなかった
茨城県産ルバーブのコンフィチュール ローズマリー風味
Maison Weniko
’80年代、都内の百貨店やダロワイヨ自由が丘店などを探せば、たいていの珍しいコンフィチュールは買うことができた。伊勢丹のエディアールでアナナス(パイナップル)、フィグ・ド・プロヴァンス(プロヴァンスのイチジク)、ノア・ド・ココ(ココナッツ)、ミラベル。三越のポール・コルスレでメロン。高島屋のフォションでグリオットやペッシュ(桃)やクエッチ。高島屋のハワイアンプランテーションでパイナップルプリザーブス、ハワイアンマーマレード、グァバジャム、グァバジェリー、ポハジャム、リリコイジェリー。西武のルノートルでポワール(洋梨)やメランジェ・ルノートル(ルノートル・ブレンド)。西武のネルソンズ・オブ・エントリーでブラックカラント(黒すぐり)やジンジャー。西武のラ・ターブル・リヨネーズでコワン(マルメロ)…しかし、意外なことに、ルバーブのコンフィチュールは存在していなかった。パリの本店にはあったのだろうが、日本では売れないと判断してバイヤーが仕入れなかったのであろう
それは1984年のことでした。明治屋フードプラザ広尾でついに私は見つけたのです。『Konfitüre Rhabarber』というドイツ語のラベルが貼られた緑色の瓶を…」
茨城県産ルバーブのコンフィチュール ローズマリー風味
Maison Weniko
今でも忘れることはできません。西ドイツのKäfer(ケーファー)というブランドの『Konfitüre Rhabarber』(コンフィテューレ・ラバルバー)の緑色を。生まれて初めてルバーブを見た瞬間でした
茨城県産ルバーブのコンフィチュール ローズマリー風味
Maison Weniko
メゾン・ベニコのコンフィチュール・リュバルブは明るいグリーンだが、ケーファーのコンフィテューレ・ラバルバーは、もっと暗くて濃いグリーンだった
茨城県産ルバーブのコンフィチュール ローズマリー風味
Maison Weniko
メゾン・ベニコのコンフィチュール・リュバルブはトロンとした液体に包まれ、果実感がかなり残っている。ケーファーのコンフィテューレ・ラバルバーは、水分が少なく、ドロドロしていた
茨城県産ルバーブのコンフィチュール ローズマリー風味
Maison Weniko
メゾン・ベニコのコンフィチュール・リュバルブと同じ色合い、同じ素材感のコンフィチュールが、’80年代の都内にただ一つだけ存在していた。高島屋のフォションのブティックで買った『Confiture extra de pasteques』…コンフィチュール・エクストラ・ドゥ・パステック…スイカのコンフィチュールである
茨城県産ルバーブのコンフィチュール ローズマリー風味
Maison Weniko
1980年代に伊勢丹新宿店のFAUCHONのブティックで売っていた伝説のコンフィチュール・ド・パステック…珍しいフランスのスイカのコンフィチュールは皮の部分も使っていた。トロンとした液体の中にちょうどこの位の大きさに刻まれた皮がたくさん入っていて、サクサクした歯応えがあった。店員からはアイスクリームやシャーベットのソースに向いているとアドバイスされた
茨城県産ルバーブのコンフィチュール ローズマリー風味
Maison Weniko
1980年代初期、広尾の明治屋スーパーにフレッシュのルバーブは無かったが、西ドイツのコンフィテューレ・ラバルバーはあった。『ルバーブは日本でいうフキの一種で、酸味が強くパイに合う。ヨーロッパでは昔から根強い人気がある』という知識を得たが、都内のフランス菓子店にルバーブのパイは無かった。新宿伊勢丹の“FAUCHON ÉPICE”の売場でローズマリーは魚料理の詰め物、野菜の煮込み料理などと相性が良いと学んだ
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