わんだふるはうす、パティシエ・シマに行く

フィーユ・ドートンヌ&デリス non・no 1982 PART2

1979(昭和54)年、代官山・旧山手通り沿いに建ち並ぶ代官山集合住居「ヒルサイド・テラス」にデンマーク大使館完成。同年、当時39歳のマルグレーテ2世・デンマーク女王陛下が来日し、アンドレ・ルコントさんと島田進さんが作ったルコントの料理とお菓子がデンマーク大使館にケータリングされ、デンマーク女王に献上されました。女王は「ルコント」の味を堪能(^Q^) 島田シェフ製作のお菓子「デリス」を、ことのほかお気に召していただいたそうです。そして同じ1979年、ヒルサイド・テラス内にBIGI本社ビル完成。翌1980年NICOLEグループからBIGIグループに移籍した金子功さんのピンクハウスがBIGI本社ビル内に入居します。ピンクハウスがブームになり始めた1982年、雑誌ノンノ10月20日号「ノンノ屈指のケーキ好きが舌で探した必殺の66軒 ”教えてあげる! とっておきのケーキ屋さん”」にルコントのケーキ「フィーユ・ドートンヌ(秋の落葉)」と「デリス」が掲載されました。秋の落ち葉が舞い散り始めた2007年11月のある日、ルコントでもパティシエ・シマでも廃番になってしまった2つのアントルメをパティシエ・シマ」の島田シェフに完全復刻していただきました。


わんだふるはうす、晩秋の旧山手通りを行く

11月も中旬になり、秋の落ち葉が道を覆い始めました。ここは、今月いっぱいでファッション・デザイナーとしての活動にピリオドを打つ金子功さんが現在も住む代官山・旧山手通り。代官山交番前交差点からデンマーク大使館方面を望みます。左手にヒルサイドテラスA棟・B棟が見えました。 右手をご覧ください。あそこにピンクハウスワールド代官山がありました。
1969年、建築家・槇文彦氏によって生み出された、これまでになかった建築作品「ヒルサイドテラス」。幾何学的なデザインが印象的なその建物には、住居としてのプライベートな空間と、ショップやオフィスとしてのパブリックな空間が見事に共存しています。20数年の月日をかけて、徐々に棟を増やし、代官山の街と共に成長してきました。
NEST代官山。2Fは1990年頃、パパスとマドモアゼル・ノンノンのショップでした。1年位で閉鎖されて、下の階に1995年までPINK HOUSE WORLDが入っていました。1Fはインゲボルグ、B1Fはピンクハウスとカールヘルムのショップでした。現在、1Fはヘアサロン「DaB daikanyama」、2Fはハナオカダンスギャラリー
ウィンドーには昔の面影が残っていますね。
地下はピンクハウスとカールヘルムが入っていました。現在はどうなっているのでしょうか? 2007年11月現在、5pb.というショップになっております。
隣りの隣りにパリの中心に位置する世界的に名高い料理学校ル・コルドン・ブルー 代官山校」があります。 「ル・コルドン・ブルー LE CORDON BLEU」とは、ブルーリボンのこと。「最高に栄誉あるものに贈られる青いリボンの勲章」を意味します。古くは聖霊騎士団に授けられた極めて誉れ高い勲章。世界屈指の料理学校としてふさわしい名前です。
「ル・コルドン・ブルー」は、パリの中心に位置する1895年創立の世界的に名高い料理学校。1954年には、オードリー・ヘプバーン主演の映画「サブリナ」の舞台になったことでも有名です。
道の反対側にヒルサイドテラスC棟が。ここに、今の時期にぴったりなお店があります。 「1年のうち364日がクリスマスイブ」をコンセプトにしているお店「クリスマス・カンパニー」です。
金子功さんのピンクハウスは、1980年にニコルグループからビギグループに移籍して、このC棟にオフィスを構えたのでした。その後(1985年頃)、C棟からD棟に引っ越しています。
ツリーが綺麗です! おっ! こっちを見てますよ。「メリー・クリスマス!(^O^)/」
”最大の金子系ポイント”デンマーク大使館交差点に到着しました。右に見えますのは、手前がヒルサイドテラスF棟。奥がG棟。そして、左側にDCブランド全盛期にピンクハウス本社があったD棟と、ムッシュ・アンドレ・ルコントと島田シェフがデンマーク女王の出張料理のために訪れたデンマーク大使館があります。
あちらがヒルサイドテラスD棟でございます。平野顕子さんのパイとケーキの店「松之助N.Y.」が見えました。 松之助N.Y.の地下に金子さん御用達のイタリアン・レストラン「パパ・アントニオ」がございます。そして、隣りに見えますのがデンマーク大使館
向こう側に渡ってみましょう。 落ち葉がすごい!
lここで、ノンノ1982年10月20日号「ノンノ屈指のケーキ好きが舌で探した必殺の66軒 ”教えてあげる! とっておきのケーキ屋さん”」を見てみましょう。
 
当時ルコントの総製菓長だった島田シェフの創作ケーキ「フィーユ・ドートンヌ(秋の落葉)」と「デリス」が掲載されました。
それでは、「フィーユ・ドートンヌ」の2007年版を公開いたします。 おおーっ! ノンノに載ってたのとは全然違う!?(゚O゚)\
「フィーユ・ドートンヌ Feuille d'automne」(特注品)日本語で「秋の落葉」という意味のケーキです。
おおっ!?(^O^)\ 栗です!\(^○^)/
この栗は、マロンペーストを栗型に整えたものにチョコレート・コーティングしたものです。
先のとがったチョコレートで、栗のイガを表現してるわけですね。
側面には、大理石模様のチョコレートを適当に割って貼り付けてあります。大理石模様のチョコレートは、テンパリングしたスウィートチョコレートをビニールの上にパレットで一気に薄くのばして、その上にテンパリングしたホワイトチョコレートを数ヶ所たらし、パレットで一気にのばして作ります。
チョコレートをケーキやボンボンの上がけに使用する時は、つやよく仕上げるためにテンパリング(温度調整)が必要なのです。テンパリングとは、固形のチョコレートを湯煎にかけて34〜40度の状態で溶かし、いったん28度位までさましてから、再び30〜31度に温度を上げるという方法のこと。
ケーキの表面は、晩秋のフランスの森の地面を表現しているようです。
う…美しい! これは芸術品です!\(^○^)/
芸術品をカットしてしまいました。
おおっ!? この白いムースは何でしょう?…ペロリ(^Q^)…栗のムースです!
栗のムースの中にマロングラッセが入っています!
底から、ビスキュイ・ダマンド・ショコラ↑マロングラッセ入り栗のムース↑ビスキュイ・ダマンド・ショコラ↑栗のムース↑チョコレート
島田シェフ「”洋菓子には季節感が無い”と、かつてよく言われました。しかし、現代のフランス菓子は旬の素材を使い分けて、むしろ季節感を積極的に表現するという方向へ動いています。日本語で”秋の落葉”という意味のフィーユ・ドートンヌ。栗という秋を代表する素材とチョコレートを使った濃厚なケーキです。素材のみならず、色調も形も晩秋を思わせるデザインを心がけています」
ミルキーな栗のムースの中から大きなマロングラッセが!\(^Q^)/
フィーユ・ドートンヌをいただいた後は、腹ごなしにデンマーク大使館まで散歩しましょう。 あっ!(゚O゚)\ 突然落ち葉が消えました!
人が誰もいない…一体ここは?
2007年 1982年
あそこに金子さんがいますよ!?(゚O゚)\
目の前に2007年11月30日でファッション・デザイナーとしての活動にピリオドを打った金子功さんの若かりし日の姿が…胸に”P”のワッペンが付いた赤いジャンパーは?…1982年春夏コレクションのスタッフ・ユニフォームです!…ワンダフルハウスは、25年前の1982年にタイムスリップしてしまったのでした。2枚の写真を見比べると、地面の白線が経年変化で消えてしまった以外、何も変ってないことに驚きます。隣りの女性はモデルのバレー土屋さん。雑誌の撮影か何かで、ピンクハウスのオフィスのあったヒルサイドテラスC棟から、ヒョッコリと横の広場に出てきたみたいです。せっかくなので金子さんに色々と聞いてみましょう。「デザインポリシーは?」と尋ねると、「ご覧の通り、やさしい服」と、きっぱりと答えてくださいました。物腰は穏やかでやわらかな口調ですが、主張はとてもはっきりしています。スポーティーな服も、ドレッシーな服も、女の人がそれを着たらやさしくなったり、かわいくなったり、少し大人っぽくなったりしてほしい、と。すてきになってもらいたい、と。「すてきっていうのは、美人でなくてもいいんです。いやな女じゃない人がいい。今までは仕事をバリバリこなすような女の人って嫌い…って思ってたのね。でも、仕事したほうが楽しいだろうから、それでもいいんだけど、そのとき”頑張ります!”みたいな格好でなくても、柔らかいスカートをはいてても仕事はできると思うんです。そうしたら、ギーギー怒っててもチラッとやさしく見えて、いいんじゃないかな」 男っぽい服を着て女っぽくなる。たとえば、ジャンパーをドレスの上に羽織る。そんな雰囲気で仕事をしてほしい。「これからは、若い女の人が、もっとたくさん仕事をするような気がする。そういう時、ファッションは絶対必要なものですから、流行に左右されないで選ぶ目を持つといいんじゃないかな。今は”これが一番”というのも無いし、何を着ても流行遅れにならない。お洒落が楽しい時代ね」 シーズンごとの海外コレクションも、金子さんは無視するそうです。「ニューヨークは全く意識しません。あれは別世界。ミラノも大嫌い。最も嫌いなのはロンドン。あの派手さがいや。パリは好き。パリの有名じゃないデザイナーの洋服が好き。なんでもない服、すぐ着られる服ね。色もシックでフランスらしい洋服って、まだいっぱいあるって思います。また、そういう人達のブティックは満員でした。隣りにティエリー・ミュグレーがあっても、だぁれも入ってないの」 オーソドックスで、少しだけクラシックな雰囲気を持った服がすてきだ、と。最後にライバルを聞いてみました。「デザイナーはみんなライバル。誰でもそうじゃないですか? 自分が一番いい!と思ってるんじゃない? モデルでも自分が一番きれい!と思ってないと、カメラの前になんて立てないんじゃないかな。そう思いますよ」 金子功さんはやさしい服を作る。「いつも変わりませんね」と他人に言われる。「それでいいんだ」と思っているのでした。
金子さんがオフィスのあるヒルサイドテラスC棟に戻っていきました(^O^)/~~~ おおっ!(^O^)\ 目の前にものすごい落ち葉が!
ワンダフルハウスは2007年に戻ってこれたようです。 ヒルサイドテラスD棟。ビッグアップルパイで有名な平野顕子さんのニューヨークスタイルのパイとケーキの店「松之助N.Y.」が見えました。
おっ!(^O^)\ 只今、お菓子教室の真っ最中のようです。 おおっ! 左の方に見えます黄色っぽい紙袋は?
パティシエ・シマの紙袋です!(゚O゚)\ パティシエ・シマの客であり、松之助N.Y.の教室の生徒でもあるとは…レベルが高い人もいるものです(@_@)…お菓子研究家かもしれませんね。 右手の赤い看板をご覧ください.。ここに、日本におけるイタリア料理の稀代の名店がございます。
ここに”本物のイタリア料理”があります。日本にイタリア料理を広め、2003年に亡くなったアントニオ・カンチェミさんのお店パパ・アントニオ」。そしてついに、お隣にデンマーク大使館が姿を現しました。
東京都渋谷区の旧山手通り沿いにあり、ファッションビルの草分けともいえる代官山ヒルサイドテラス。その一角に、日本におけるイタリアン・レストランの老舗中の老舗「パパ・アントニオ」があります。日本に本格的イタリア料理を伝えた、前オーナーシェフ、アントニオ・カンチェミさんは、その功績によりイタリア政府から伯爵に匹敵する勲章を授与された立志伝中の人物。あえて古いスタイルに戻ってパスタは手延べ&手打ち。ワインはハウスワイン中心に絞り込み、ウンチク・流行無用で”食べて美味しい(^Q^)”を守っています。アントニオさんは残念ながら2003年に亡くなりましたが、その味は次男のピエトロ・カンチェミさんが変わらず守り続けています。
デンマーク大使館に到着しました。前方に見えますオープン・カフェは「カフェ・ミケランジェロ」でございます。 おっ! ボディ全体が丸みを帯びた品の良い高級さを感じさせるこの車は?
ジャガーMark2です!(^O^)\ おっ!(^O^)\ 礼服白ネクタイの夫妻が…今日は中庭の奥にあるリストランテASOで結婚披露宴が行なわれたようです。
ジャガー・マーク2は、1955年に発表されたジャガー初のコンパクトサルーン「2.4」「3.4」(後にマーク1と呼ばれる)の改良版モデルで、1959年にデビューしました。 中でも220馬力を発揮する3.8Lエンジンを乗せたモデルは、比較的小柄なボディと相まって、最高速度は201km/hに達し、世界でも屈指の高性能サルーンに仕上がっていました。 1960年からイギリス国内のレースに参戦を開始したマーク2は、ドライバーにロイ・サルバドーリ、グラハム・ヒル、ブルース・マクラーレンなどの豪華な顔ぶれを揃え、レースごとにトップグループを独占するほどの強さを見せました。 また、ヨーロッパ大陸でも、1963年のヨーロッパ・ツーリングカー選手権(ETC)の初代チャンピオンに輝いた他、数々の勝利を記録。 優雅なスタイルと高性能を両立させ、レースでも活躍したマーク2は、1960年代を代表するジャガー・サルーンと言えるでしょう。1959年の発表後、1967年までの9年間にトータル83980台というジャガーとしては記録的な生産台数を生んだヒット作でした。
ヨーロッパのカフェの雰囲気ですね(^‐^) それでは、デンマーク大使館にUターンしましょう。 デンマーク大使館に到着しました。
同年、当時39歳のマルグレーテ2世・デンマーク女王陛下が来日し、デンマーク大使館を訪れました。その時にルコントに出張料理の依頼があり、アンドレ・ルコントさんと島田進さんがデンマーク大使館を訪れ、ルコントの料理とお菓子が女王に献上されました。女王はルコントの味を堪能(^Q^) 島田シェフ製作のお菓子「デリス」を、ことのほかお気に召していただいたそうです。
その時に撮影された女王とルコントさんの写真です。’79年当時39歳だった女王は身長180cmの長身で、ルコントさんが小さく見えます。最近では2004年11月に来日されてます。中央の紳士は、夫君ヘンリック殿下かもしれません。
デンマーク女王に献上された1979年製ルコントのデリス。島田シェフ自身による28年ぶりの復刻版です。 「デリス。デンマーク女王のために!(^O^)/□」
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