わんだふるはうす、パティシエ・シマに行く

ナポレオン・パイ

銀座「マキシム・ド・パリ」の初代製菓長オーロン氏が創作し、フランス皇帝の名前で呼んだ苺のミルフィーユ「ナポレオン・パイ」。バタークリーム全盛の時代に生クリームとクレーム・パティシエールの味わいが新鮮で、日本人の嗜好にぴったりマッチし、類似品が全国的に広まりました。2007年夏のある日、1970年代半ばに銀座マキシム・ド・パリの製菓長をつとめた島田進さんのお店「パティシエ・シマ」をワンダフルハウスが訪ね、マキシム風ミルフィーユ・オ・フレーズ「ナポレオン・パイ」を創っていただきました。

今日はナポレオン・パイの他に、もう1つ創作プチガトーをオーダーしてあるのです。ひょっとしたら、余分に作って店に並べてあるかもしれません。「こんにちは!(^O^)/ 予約していたケーキを受け取りに来ました
「おおっ!(^O^)\」
ありました!\(^○^)/ 
島田シェフのオリジナルスイーツ「Tahiti(タヒチ)」。TEPCO銀座館で開催されたSwitch!Cafe 第2弾! 〜魅惑のSwitch! 限定オリジナルSummer Sweets〜」で限定販売していたタヒチを、今回WONDERFUL HOUSEのために、特別に復刻してくださったのです。
TEPCO銀座館で2007年6月16日(木)〜7月31日(日)まで期間限定で開催中された「Switch!Cafe 第2弾!」は、国内のトップパティシエ5人のオリジナルスイーツが週替わりで登場しました。
6月16日(木)〜20日(月) 辻口博啓シェフ「Mont.St.Clair(モンサンクレール)」
6月21日(火)〜7月2日(土) 酒井雅夫シェフ「Clermont-Ferrand(クレモン フェラン)」
7月3日(日)〜12日(火) 島田進シェフ「Patissier Shima(パティシエ シマ)」
7月14日(木)〜19日(火) 河田勝彦シェフ「Au Bon Vieux Temps(オーボンヴュータン)」
7月20日(水)〜31日(日) 桜井修一シェフ「fraoula(フラウラ)」
それから、桃ゼリーと梅ゼリーもください!
それから、この辺にある日持ちするケーキから1つ… ショコラFをください!
注文したタヒチとゼリーをラトリエ・ド・シマでいただきましょう。
島田シェフが夏をイメージして2005年に製作した創作プチガトー「タヒチ」(420円)。ココナッツ、マンゴーなどトロピカルフルーツを使った夏にぴったりのスイーツです。
もこうして見ると、まさしく南の島って感じですね。 チョコレートで作ったヤシの木がアクセントになっています。上に乗ってる茶色い飾りは「ココ・マカロン」、白いドームの部分は、「クレーム・ココ」だそうです。
それでは、いただきます! ココ・マカロンは、マカロンと言うより、ほとんどダックワーズ感覚でした。
おっ! 中身はパティシエ・シマのスペシャリテであるクレーム・ブリュレです!
さらに食べ進むと、複雑な断層が姿を現しました。底から、ビスキュイ・ココ↑クレーム・マンゴー↑クレーム・ブリュレ↑ジュレ・マンゴー↑ビスキュイ・ココ↑クレーム・ココ
クレーム・シマ クレーム・アンジュ
タヒチの中に入っていたクレーム・ブリュレとは何でしょう? ここで、パティシエ・シマの2大スペシャリテ「クレーム・シマ」と「クレーム・アンジュ」のうち、「クレーム・シマ」を紹介いたします。卵黄と生クリーム、砂糖、バニラビーンズだけで作った生地をプリンのように焼き、最後にカソナード(赤砂糖)をふりかけて表面を焦がしたお菓子です。
「クレーム・ブリュレ・シマ Creme brulee shima」(420円)島田シェフが「レストランのデザートを家庭でも」と考えついたのがココット型に入れたクレーム・ブリュレ。つまり、島田シェフが初めてブリュレのテイクアウトを実現させたのです。1988年9月に「シェ・シーマ chez CIMA」が開店した時から、ずっと作り続けていています。1990年代前半、ポスト・ティラミスと呼ばれ、クレーム・ブリュレが流行した時は大ブレイクしました。1998年10月に独立し、オーナーシェフとして「パティシエ・シマ Patissier Shima」を開店した時も作り続け、2001年の秋〜冬にかけて、フランス映画「アメリ」の大ヒットで再ブレイク。現在でも真っ先に完売してしまう人気商品です。
1980年代前半、若きジョエル・ロブション氏が、史上最短でミュラン3つ星を獲得した伝説のレストラン「ジャマン」で、アヴァン・デセールとして発表し、当時のパリのスノッブな人種の間に、ちょっとしたブームを巻き起こしたのがクレーム・ブリュレです。島田シェフが愛読している19世紀発行の古典製菓本「Nos 1500 Recettes Bonne Patisseries」に、すでにクレーム・ブリュレが登場しているので、発祥はもっと古いそうです。すたれていたものを発掘し、3つ星レストランの洗練されたアヴェン・デセールとして復活させたのは、さすがロブション氏の慧眼です。島田シェフが、パリの超高級レストランで、ごく限られた客しか食べられない贅沢品だったクレーム・ブリュレを、街のお菓子屋のアイテムとして提供できないかと工夫をこらして創り上げたのが、このココットに入れたスタイルです。世界に名だたるレストランと同等な絶品の味を誰でも楽しめるように、手頃な値段のお菓子に変えられたことが、島田シェフにとっての一番の喜びだったそうです。映画「アメリ」で注目され、現在ではフランスのパティスリーでも珍しくなくなったクレーム・ブリュレ。パティスリーで定着したのは、意外にもフランスより日本のほうが早かったのです。
ジョエル・ロブション氏は、1978年に33歳で「ホテル・ニッコー・ド・パリ」料理部門長に就任。1981年パリ16区のロンシャン通りに、史上最短でミュラン・ガイド3つ星を獲得した伝説のレストラン「ジャマン」を開店。’82年に1つ星、’83年に2つ星、そして’84年に3つ星と、わずか3年で一気に頂点へと駆け上がりました。1994年「ジャマン」を「ジョエル・ロブション」としてパリのレーモン・ポワンカレ通りに移転拡大。島田シェフは、ロブション氏がシェフだった頃の「ホテル・ニッコー・ド・パリ」で働いたことがあるそうです。
「アヴァン・デセール avant dessert」とは、フランス料理のフルコースでデザートが2皿構成の時などに1皿目にでてくる軽いデザートのこと。ソルべやジュレ、アイスクリームなど軽く小さな冷菓などの場合が多いです。
空想の世界に浸りながらのんびり暮らしている、モンマルトルのカフェの店員アメリの好きなこと、それは「豆が入った袋に手を入れること」、「運河に石を投げて水切りをすること」、そして「クレーム・ブリュレのカリカリをくずすこと」! アメリは、ふとしたできごとをきっかけに、自分の世界から抜け出る決意をし、やがて恋をして…。そんなアメリのお気に入りのクレーム・ブリュレは、ほんの短い登場シーンなのに、すごいインパクトがありました。こんがり飴色のクレーム・ブリュレの表面を、勢いよくスプーンでたたいて割り、中から現れるとろ〜り卵色のクリーム…パティシエ・シマのは、マダガスカル産のバニラを1ヶ月間砂糖漬けにしたバニラシュガーを使うので、卵臭さが消え、生クリームとバニラの香りが引き出されるのです(^Q^)
たしか、キャンティにもクレームブリュレがあったはず…「こんばんは!(^O^)/ クレーム・ブリュレはありますか?」 ありました!
「クレーム・ブリュレ Creme brulee」(700円+サービス料10%+消費税)おーっ!真っ黒です!(゚0゚) パティシエ・シマのと比べると、かなり焦げてますね。 コツコツ…固くてなかなか割れません。まるで氷結した真冬の湖のようです。
クレーム・ブリュレは、イタリア料理やスペイン料理のデザートにも出ることが多いです。この場合、正式には「クレマ・カタラーナ Crema catalana」と呼びますが、キャンティでは「クレーム・ブリュレ」で通じます。クレマ・カタラーナは、スペインのカタロニア地方に伝わる郷土料理で、フレンチのクレーム・ブリュレの原型と言われています。
やっと割れました。まるでキャンディーのようです。カラメリゼが、すごく香ばしいのは、黒砂糖に近い精製度合を抑えた砂糖を使っているからのようです。
「桃ゼリー Compote de peche en gelee」(420円)自家製の白桃のコンポートがたっぷり入ったゼリーです。正式には「桃のコンポート ジュレ添え」と言った方が良いかもしれません。
上の細かいジュレをいただきます。 桃のコンポートが見えてきました。これをお皿の上に出してみましょう。
こうすれば、レストランのデザートのようになります。フルーツをコンポートにするという方法は非常に古典的で、レストランのデザートとしてはお馴染みのものですが、菓子店では意外に使われていないのです。ボリューム感や華やかさが出しにくいのがその一因ですが、こうして白ワインで煮た桃をゼリーの中に入れれば立派なお菓子に変身するのです。
桃の甘い香りがとても風味良く、果肉は上品な甘さで、いくつでも食べられてしまう美味しさです(^Q^) このうっすらピンクで綺麗なジュレは、コンポートを作った時の煮汁にゼラチンを加えて作ったものだと思います。桃ゼリーの上に、桃のコンポートが乗っているという、なんとも桃づくしの贅沢スイーツでした
1979年7月にA.ルコント青山本店で売っていたお菓子
(島田進シェフ作)
ここで、ワンダフルハウス図書館が所蔵しているヤングレディという雑誌の1979(昭和54)年7月24日号「一流会社OL推薦 私のとびきりお気に入りのひんやり冷菓」という記事を紹介いたします。青山ツインビル内に入っている会社のOLが、ルコント青山本店を推薦しています。「私が働いているオフィスの地下にありますので、昼休みや退社後に通いつめています。フランス人のルコントさんが作るお菓子は、どれもコクがあり、うっとりするような洋酒の香りがして、太ると思いつつ、食べずにはいられないほどの美味しさなのです(^Q^) 最近は口あたりのいいゼリー類(300円〜)やムース(300円)、アイスクリーム(700円〜)がひいき。香り高い冷菓を食べると暑さ疲れも飛びます」
この写真は、1979年6月28日〜29日に開催された第一回東京サミットの直後に撮影されたもの。サミットのために来日した、ジスカール・デスタン仏大統領主催晩餐会のために、アンドレ・ルコントさんが、マキシム・ド・パリの製菓長をしていた島田さんを呼び戻し、晩餐会ではルコントさんが料理を、島田さんがデザートを担当しました。
このお菓子は、まぎれもなく、当時のルコント総製菓長・島田進さんが作ったお菓子です。おっ!(^O^)\ 今食べたばかりの桃ゼリーと同じものがありました。28年前から作っているわけです。左隣はチェリーのムース。右隣はガトー・カシス。左下の銀色の容器3個は「グラス glace」(フランス語でアイスクリーム)。そして、右下の3個をご覧ください。変わった形のクッキーの上にゼリーとアイスと苺が乗っています。これは「タンバル timbale」というお菓子です。
タンバルは「太鼓」という意味のペルシャ語から来た言葉。その名の通り、薄地のクッキーを太鼓型に作ったお菓子がタンバルです。これにエリゼが付いて「タンバル・エリゼ」となると、パリのレストラン「ラセール」の名物になります。タンバルの上にバニラアイスと桃を入れ、飴細工のネットをかぶせるのがオリジナルです。
ラセールは,かつて堂々たる3つ星レストランでした。おそらく変化がないことを理由に2つ星に格下げされた後、オーナーの引退後は1つ星になってしまいました。 天井が開閉できるようになっていて、晴天の日は夜空を見ながら食事ができるという粋な空間も用意されている素晴らしいレストランです。
「梅ゼリー」(420円)梅のシロップ漬けが1粒丸ごと入ってるようです。
緑色の美しい寒天をいただきます。 梅が見えてきました。
梅をお皿の上に出してみました。
甘酸っぱい梅の甘露煮と梅酒の香りのハーモニーは絶品です(^Q^) 梅の香り豊かなあっさりとした食べやすいゼリー。梅ゼリーの爽やかさが、夏の暑くて疲れた体を癒してくれる気がします。
「ワンダフルハウス様、こちらはチーフ(島田シェフ)からのプレゼントで、お米のプリンでございます」「おおっ!(^O^)\ これはRiz au lait(リオレ)です!」 島田シェフの試作品の登場です。
フランス西部メーネ・ロワール県の県庁所在地であるアンジェで、おめでたい日に食べる地方菓子「リ・オ・レ Riz au lait」。「Riz」は米、「lait」は牛乳 。お米を牛乳と砂糖で甘く煮たもので、ショコラを加えたりすることもあります。フランスでは3つ星レストランのデセールに出たり、スーパーのヨーグルト売り場でも売っています。島田シェフのこの試作品はフランボワーズ・ソースもかかっていて、かなりの高級品といえます。
プディングの中にお米のつぶつぶ感が…米をデザートに使用するのは日本人には馴染まないのを計算して、米の量は控えめになっています。フランスでは米を肉や魚の付け合わせとして食べますが、このようにデザートに使うこともあるのです。
食べ進むと、ほんのりと洋酒の風味が(^Q^) ラム酒に漬け込んだドレンチェリーを刻んだものが入っていました。
翌週のパティシエ・シマのショーケース
ワンダフルハウスが試食させていただいたリ・オ・レは、早くも次の週には「リ・アンペラトリス Riz Imperatrice」という名で商品化されたのでした。クレーム・ブリュレと同じように、ココットに詰めることによって、持ち帰りのできるお菓子に仕立てたのです。この「リ・アンペラトリス」は、後日、「パルムローザ&ココ・カラメル」のコーナーで紹介いたします。
19世紀、ナポレオン帝政時代に作られたフランスの有名なデザート「リ・ア・ランペラトリス Riz al'Imperatrice」(女王風ライスプディング)「アンペラトリス Imperatrice」はフランス語で「女帝、皇后」の意味。ナポレオン・ボナパルトの最初の妻だった皇后ジョゼフィーヌが愛したお菓子です。
ナポレオン・パイとショコラFの登場です。
PART 2に続く
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