日本感情心理学会 第7回大会(文京女子大ふじみ野キャンパス)

演題:「癌の再発に対する不安の研究」
発表者:浜、内山、藁谷、鎮目

「乳がん患者の不安を探ることを目的とし、各自にロ−ルシャッハテストを施行し、その反応からコンフリクト、ストレスなどについて考察する。あわせて、面接、手記などにより、より一層の理解を深めた。」
という研究の対象になり、手記を書かせていただきました。手記を書いたのは5人です。また、患者もう一人と私で会場にて話すことになっていましたが、時間がなく、一言だけ話しました。「必ず、大学院に行って臨床心理士になります。」と。
とにかく、医療現場での必要性を感じて欲しかったのです。患者が出て来て、そんなことを言わざるを得ない状況だと心理の世界の方達に知って欲しかったのです。

手記−再発の不安について−

告知から手術まで:
がんというとんでもない病気になったことで心が一杯で日常をこなすことで精一杯だった。又、病気そのものにまったく知識がなく漠然とした恐怖と不安で一時、頭の動きがストップした状態だった。

入院中:
医師の説明で少し病気のことが解り始めるにつれ、がんが怖いのは転移、再発がある為と認識しかけた状態。まだ、混乱していてそのことに対する不安よりも、がん患者になったこと、又、身体的変化を受け入れることに全エネルギ−を注いでいた。
自分が今までに使ってきた困難を乗り越えるスキルではまったく対処できない大きな衝撃の為、これまでの人生を疑う。「私は一体いままで、何をして来たのだろう」という疑問と「これからどうすればいいのだろう」という不安。手術すればもうお終いではないことは理解していた。入院ノ−トの最後に「今までで、一番、スリリングな一ヶ月が終わった、そして始った」と書いた。

退院後から約半年:
不安を乗り越える為、「乳がんとは何か」という知識を得て、理解しようとする。学術論文まで読み漁る。知れば知るほど、怖い病気と解ってくる。原発巣が小さくとも、リンパ節転移がなくとも、再発は有り得ること、何年後でも、遠隔転移が認められれば治癒は望めないことも解ってくる。この期間が一番再発の不安があった。自分は再発するのかしないのかはっきりしろという気持ちだった。この先どれだけ生きられるのかがまったく予想がつかず、じたばたしていた。「死」を見つめていた時期。家庭と仕事を以前と同じようにこなしながら、自分自身の変化に自分がついていけない状態。一人になると激情が溢れて来て、わっと泣き崩れる日々を繰り返していた。

発病半年後:
病気を理解する。生きられるかどうかは今の医学では解らないと解る。「このまま死んでたまるか」と開き直る。ふつふつと今、生きて在ることの喜びを感じる。再発への不安が無くなった訳ではなく、もうでたとこ勝負だ、出たら全力で立ち向かってやるという闘志が湧いてくる。自分が自分らしく生きる道を探し始める。この頃から、生き返ったように、又は生まれ変わったように感じる。

半年から現在(三年後)
再発は常に頭の中にある。足が痛ければ「あ、骨転移か」、せきがでれば「あ、肺転移か」とすぐそこへ考えが行く。それを繰り返しながら、その状態を受け入れていく。
こんな人生もあきがこなくていいかもしれないと今は思っている。再発の不安よりも今をいきることを楽しむ方向へ考えが少しずつ変わっていく。先月、三年後後の定期検査をクリアした。とても、すがすがしい気持ちだった。自分の全力を使い最高の方法で乗り切り、今、良い方向で生きている自分を誉めてあげたい。がんになろうが、再発して短く終わる命だろうが、問題は生きている間の質だと思う。

<最後に「再発の不安」からははずれますが>
キャンサ−ギフトという言葉があります。私は癌という命にかかわる病気になったことから、たくさんのプレゼントをもらいました。自分と自分を取り巻く状況を見詰め直し深く考え、行動し、全身全霊を使って何かに立ち向かうという貴重な体験をし、たくさんの有形、無形のものをいただきました。
以前より、自分を含めこの世に在る総てのものが好きになりました。がん、に感謝しています。

以上

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