患者としての願い

ここに述べたことは今までも、たくさんの方が努力なさったことかもしれません。又、素人が現実を知らずに好き勝手を言っていると思われるかもしれません。 しかしながら、これはがんという病気になって、私が実感したことです。そして、同じ希望をあちこちで聞きました。こうして欲しいということは小さな声でも上げなくては届きません。いつか、大きな声になることを祈って。

★ 病院での心理的ケアに保険の適応を

自分が勉強に飛びこんだ場で、初めて心理の専門家に会いました。その、傷ついた心に添って下さることに驚きました。 カウンセラ−という職種があることは知っていましたが、それまでは自分の心を自分で始末できなくてどうする、と思っていました。自分が人の助けが必要になって初めて こういう人が病棟にいてくれたらどんなにいだろうと思いました。自らも医療現場でベットサイドにいる心理の専門職になりたいと願い勉強するとと同時に、今現在、なぜ、いないのかを聞きまわりました。 いわく、医療現場の閉鎖性もさることながら、お金にならないからという、悲しい答えに行き着いてしまいました。

医療費は保険でまかなわれています。その保険点数に精神的ケアが無いというのです。 精神科領域では、認められているようです。そして、最近、HIVカウンセラ−が厚生省の通達で病院に配置されるようになりました。

是非、一般の患者にも、認めていただきたいのです。病名が付くような精神的疾病がなくても、心が傷ついた人が病院にはたくさんいます。

乳がん手術の後、精神病院に入院した人の話を一度ならず聞いています。そこまでになる前に援助の手を差し伸べていただきたいのです。心が立ち直れなくては体も元気になりません。

医療費が高騰し、その削減に大変な時期だということは認識しています。何が本当に大事か、患者が望んでいることは何か、考えていただきたいと思います。

 

★ 大学医学部付属病院と各地の基幹病院に緩和ケア病棟を

なぜ今の医療がぎくしゃくしているのか。それは、「死」を排除しているからだと思えます。

人は必ず死にます。なぜか。産まれてきたから、今、生きているからです。

医学が進歩し、私達はその恩恵を受けています。私が4回も手術して、ぴんぴんしてこんなことを言っていられるのもそのおかげです。でも、必ず死ななければならないのですから、総ての病を治すことは不可能でしょう。もし、がんが治るようになったとしても、又、違う病が死亡原因の一位になるでしょう。 生かすことのみを、目標にするのではなく、「死」にも最後まで添っていただきたい。良く、死なせていただきたい、のです。 これは末期になった場合、がん患者にとって切実な願いです。(他の病気でも) 治療方法が無くなったから、お引き取り下さいなんて本末転倒も甚だしいと思います。

死亡診断書がなければ埋葬許可証がいただけませんね。 最後には医師がどうしても必要です。医学部に「死」をきちんと看取る場所がないのは、どう考えても、片手落ちです。学生には死に行く人達から学んで欲しいのです、「命」の真実を。

独立型ホスピス、在宅という方法もあります。でも、私は医療の一貫性として最後まで診ていただきたい。 切り離して欲しくないのです。 こちらでは、赤ちゃんが産まれ、そちらでは、治って笑顔で退院する人がいて、そして、命つきて死にゆく人がいる。その、全部が生きるということではないでしょうか。

一般病棟での、緩和医療は難しいと聞きます。疼痛緩和のきちんとできる医師も少ないと聞きます。それでは、怖くて末期になれません。安心して死にたいのです、そんなに難しいことでしょうか。

幸い、最近、緩和ケアにおいての医療費がまるめで支払われることにより、経済的に成り立つようになったからか、ホスピス、緩和ケア病棟の新設が始っているようです。 患者の望む「死」を迎えられるまで、心安らかに生きることのできる場所でありますようにと祈って止みません。

 

上記の二点は患者側の一般の人達の意識が変わることも必要なことは痛感しています。さて、いかにアナウンスすべきか、考えていきたい、です。

記:1999.9

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