1996年4月30日〜5月24日

手術日 4月30日 朝から術後の回復室になるナ−スステ−ションのすぐ前の部屋に移る。肩に注射を一本だの、点滴を付けるだのばたばたしている内に、手術室からお呼びがかかった。 着替えをしてストレッチャ−に納まると、看護婦さんが「お帽子をかぶりましょう」と手術用のキャップをかぶせてくれる。(似合っているかしら?)
では行きますということで、看護婦さん二人にガラガラと引かれて病棟を通って行く。
この時の気持ちが何とも言えない。衆人注視、「あなた、行くのね」という目。外科病棟は9階、手術室は10階。エレベ−タ−の前で、看護婦さんが「手術室に近くていいでしょう」と言う。 そういうもんでしょうか。。。
エレべ−タ−を降りると手術棟のドアが迫ってくる。祈るような夫の目を残し、私はその中へと運ばれていく。「ようし、4度目だし、観察してやるぞう」と好奇心満々。
病棟の看護婦さんはここまでで、あとは手術室の看護婦さんに引き渡される。
「じゃ、**さん、又お迎えにきますからね」 と病棟からの二人は去りゆく。
「**さん、よろしくお願いします。手術室の○○です。あなたは慣れているから大丈夫ね」と手術室の看護婦さん。「いえ、怖いです」 「そうね。。。」と腕をポンポンとたたいてくれる。

この病棟から手術室への受け渡し(?)の間、患者はごちごちに緊張しているものなので看護婦さんがなにか話しかけてくれると、とても助かるのです。名前を呼んでもらえるのも安心します。

さらにガラガラと進んで行くと、突き当たりにナンバ−の打ってある部屋が見えた。
あ、ここに入いるのかな、前はここだったな、なんて思っていると素通りして、ストレチャ−はなおも進む。いくつもの部屋を通り越して行く。手術室ってこんなにたくさんあったんだあ、この中で毎日、切った貼ったしているんだあ、と感慨にふけってしまう。
と、かなり奥の部屋にストレッチャ−は滑り込んでいく。うわ、ここだ。
手術台の横にぴたりと止まり、「よいしょ」とステンレスの台に移る。看護婦さんたちはてきぱきと動き始める。目の前に麻酔ガスの出てくるマスクがきた。これを吸ったらお終いだ、浅く息をしてなるべく麻酔を吸わない様にしながら、目だけきょろきょろと、回りを見回す。真上にある無影灯がきらきらと冷たく光っている。なんてきれいなんだろう、毎日磨くのかなあ、誰が磨くのかなあなどと思っていると、麻酔科のドクタ−の声が飛んできた。
「**さん、ちゃんと深く息を吸って下さい」
「はい!すいません」 、ばれた。
覚悟して一息ふか〜く息を吸い込んだ。。。と、もう、意識無し。

・・・この間約、4 時間弱。なにが行なわれていたか。唯一、合法的刃物による傷害、手術侵襲、いえ命を救う為の医療行為、ごにょごにょ・・・    あえてこのように書いたのは、手術自体を後悔しているとか恨んでいるとかのマイナスの要因があるからではありません。 手術に限らず、医療行為には侵襲を伴うこと、患者側にはそれを引き受ける覚悟がいり、医療側にはそのことを常に忘れないで欲しいからです。(当たり前のこと言うなって怒られそう)

ふと気がつくと回復室のベットの上だった。夫が横でこちらを見ていた。
ごめんなさいね、4回も同じ思いをさせて。

その時の私の体裁。 鼻には経鼻カニュ−レ(酸素を送る管)、腕には点滴、胸からはドレ−ン2本とその先にパック(手術部位からの浸出液を排出させて貯めておく管と袋)、下方にはバル−ンカテ−テル(お小水を出す管)と、4点重装備でありました。
うう〜ん、動けない。
ものすごい吐き気がありながら意識朦朧。どうしても気持ちが悪くてがまんできなかった酸素を送るカニュ−レは看護婦さんに頼んではずしてもらった。ほっ。
そしてぼんやりと夜は過ぎていく。

翌朝、すっきりとお目覚め。身体からでている管が気になって動けない。もごもごとベットの上でしているとちゃんと朝食がきた。牛乳をちゅう−っと飲んで、パンもかじってしまう。あれ、元気ね、私。お腹を2度切った時とくらべると、とっても楽。いいのかしらこんなに楽で、
と、そこへA医師と看護婦さんがやってきた。
A医師「あ、元気そうだね」
私「はい」
思いっきり元気そうにお返事。
A医師「傷が引き攣れると、腕が上がらなくなるからね」と言うが早いか、手術側の手首をふんわりにぎっって、私の顔を見ながら、ぐ−っと真上まで持ち上げた。
A医師「あ、上がるじゃない。鬼のようですねえ、気絶しないでくださいねえ」と微笑みながら言う。

私「!」声が出ないほど痛い。まじまじと医師の顔を見てしまう。
なんて奴だ。

注)心の声は以後この色で表記します。

しかしながら、この荒療治が私には合っていたのか、腕の上がりは看護婦さんがこんな人見たこと無い、というくらい順調だった。
A医師「元気そうだから、カテ−テルはずしてあげて」と看護婦さんに言う。

うわ、うれしい!
看護婦さん「でも先生」と反対意思表明。え、ぬか喜びはいやよ。
おそらく、病院のマニュアルでは、もうしばらく留置しておくことになっていたのでしょう。
A医師「トイレ、行けるよね」
私「はい!!」 またまた、ありったけの笑顔と元気で意思表示。

A医師「この人大丈夫だから、はずしてあげて」
看護婦さん「はい。。。」

このやりとりの間、もうどきどき。だって、カテ−テルって本当に不愉快なんですもの。一秒だって早くはずしてもらいたい、のが人情。体験者の皆さん、でしょ?
かくて、晴れて自由の身。あとは点滴だわ。

翌日、回復室から一般病棟に引っ越す。

病棟の婦長さんが来て「そうね、気楽な部屋がいいわね」とつぶやき、手術前とは違う一番奥の部屋に移ることになる。パックをぶら下げていては動けないので、かわいいピンクのキルティングで作ったポシェットを貸してもらい、そこにパックを入れて首から下げる。これは、抜糸が済むまでのお供。
点滴スタンドをずるずる引きながら新居に到着する。歩くと患部に響く。おもわず手を曲げてかばうようにしてしまう。
「よろしくお願いします」と住人にご挨拶。感じのよさそうな中年の方が挨拶を返してくれる。同病の方だった。あとは、胆石の手術をした方。荷物を片づけるのを手伝ってもらった。

ベットに横になり、やれやれと天井を見上げていると、すうっと、手術前に隣にいた胃癌の患者さんが入ってきて椅子に座りこちらをじっと見た。
「どうして違うとこきたの、私、帰ってくると思って待ってたのに。。。」
「婦長さんが。。。」 あとは何も言えない。ただ顔を見合わせていた。

 

−続く−

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