私の乳がん体験とその折々に感じたことを日記風に。同じ体験をしている方の参考に、又は患者は黙っているけどこんなことを考えていると知りたい医療従事者の方へ。露悪的と思われるところも有りますがその時その時の正直な気持ちです。患者は医師、看護婦さんなどに気に入られたい余り、良い患者になって物言わぬ羊になってしまいがちです。あえて、書いてみました。これでも、かなり遠慮していますし、総てを書ききれている訳でも有りません。
そして、乳がん体験は「命」そのもの、「生きること」、「死」などの根源的な問題を突き詰めさせました。力の限り問いかけ、少しずつ答えを得る、長い旅の始まりでした。 私の心がたどった道でもあります。
★ しこり発見から、入院、手術前夜
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1996年4月14日〜 29日
発見 4月14日夜、ふと違和感を覚え左胸に手がいく。指の先に決してあってはならない手触りを感じる。ゴリンとした、不吉なもの。「あ、がんだこれは」。胸の中がざわざわする。
乳がんの特集をしていた雑誌があったことを思い出し、本棚をかきまわす。悪性のものでないと思いたいが、そこに書いてあったことは覚悟をきめなくてはという内容だった。「そうか、やっぱりなったか、でも、本当にくるとはなあ」と思ったのは、なんとなくこういうとんでもないことになる気がしていたから。乳がんはいつも、頭の隅にあった。毎年の乳がん検診を3ヶ月前に終えてもいた。でも、これは。
受診 勤め先のすぐ近くにある市民病院の外科を受診。「ここに、しこりがあるのですが」と見ていただく。しこりを触った時の医師の顔色で「あ、やっぱりがんなんだ」と思う。しかし、まだもしかして違うかも、とかすかな希望を持っていた。エコ−、マンモグラフィ−、細胞診となり、医師の顔はその度に険しさを増した。 検査結果は一週間後といわれる。この間の一週間誰にも言わず、不安を抱えながら日常をこなしていた。この間、泊りがけで京都でお茶会という予定が入っており、キャンセルできずに、2日間を過ごす。高台寺のしだれ桜を遅いと知りながら見に行った。この年は寒い春でまだ名残の花が咲いていた。 この桜は私にとって、特別のものになった。東京に帰る 友人の家族を見送った時、ふと、永遠の別れという言葉が浮かんだ。
乳房に気になるしこりがあったら、すぐに外科(乳腺外来がある病院がオススメ)を受診しましょう。
告知 結果を聞きに行く。医師は私の方は見ず、検査結果の書いてある紙をじっと見ながら一言、「残念ですが」。 ああ、これが巷にいうがん告知ってやつかぁと思う。
「私はすぐに死ぬのでしょうか」とお聞きする。がん=死という認識だった。医師はあわてた様子で「いえいえ、そんなことはありません」と否定なさった。とてもいい医師だったが、私は車で一時間程のところにあるB病院で過去、2度手術しており、入院するならこの病院と決めていたので、そこへ行きたいと伝える。「気の済むようになさって下さい」と紹介状と検査結果のコピ−を渡される。待ち合い室に行き、ジュ−スを買って一点を睨みながら、一息に飲み干す。そこへ、外科の看護婦さんが小走りに来て「心配しないで、前向きにね」といたわりを込めた声で言ってくれた。 涙が出そうになった。気遣いが嬉しかった。過去の入院で絶対忘れないと思うような傷ついた体験がいくつか有る。(B病院ではない) でも、がんになってから巡り合った医療者の方からそのようなことを感じたことは無い。 幸せな患者と感謝している。
もし、納得できないことがあったら、違う病院で診てもらいましょう。(私の場合はこの病院が不満だった訳ではありません)
会社に帰り、食事をしようとしたが、喉を通らなかった。お弁当を半分残すという前代未聞のことをしてしまった。 いつ言おうかと思いつつ言い出せず、夜、11時過ぎにパソコンに向かっている夫の後ろから手を回し、耳元で「あのね、驚かないでね、私、がんなんだって」と告げる。「明日、B病院へ行くから、一人で大丈夫だから」 。夫の体から力が抜けるのが見えた。
一人でがんばらず、助けてもらえる人には甘えましょう。特に近しい人には一緒に闘ってもらうのがいいと、今は反省しています。
B病院へ B病院は大きな総合病院なので、外科にもたくさん患者さんがいる。かなり待たされて、看護婦さんに呼ばれ、緊張しながら診察室に入ると、机をはさんで白衣を着た男性が二人いる。その中間に座り、「どっちが医者だ」と疑問に思う。
若い方の男性が、あらかじめ私の書いた問診表を見ながら「今日はどういうことで」と小さな声で言う。キッとなって問診表を指差しながら「乳がんです、そこに書いてあります」ときっぱり言い放ってしまう。だって、こっちは必死なのよ。彼はおどおどしてしまい、向かいに座っていた年上の男性にますます小さな声で、「A先生、A先生」と呼びかける。何度目かの呼びかけの後、年上の男性は、やおら渡された検査結果、紹介状、問診表を素早く読むと「手術にいらしたんですね」と真っ直ぐこちらを見据えながら言った。とりあえず見せてということで診察になる。触診しながら「これは、いつからあったの、いつ気が付いたの」などとてきぱきと質問された。
最後に、「学生に触らせてもいいですか」と聞かれる。あ、若いほうは学生かぁ、研修中なんだ、と分かる。「はい、どうぞ」。医学生は意を決したようすで、カ−テンの中に入ってきたので、「ここです」としこりを人差し指で指し示す。一瞬、0.5秒程触ると、彼は引っ込んでしまった。そんなんでわかるのかしら、と心配になる。ふうん、ベテラン医師が学生に現実の厳しさを教えているのだな、などと思う。それにしてもいじわるな医者だなあ。負けるな医学生、いいお医者さんになってね。
「明日入院して、早く手術しましょう」 「えっ、明日ですか」「あなたは若いから」「入院期間はどれくらいですか」「手術したところはどうなるんです」「それはですね」と絵を書いて下さる。その他にも思い付くだけの質問をする。ていねいに対応して下さった。そしてだいたいのこれからのメニュ−を話し、今日できる術前の検査を指図し、「じゃ、明日お待ちしています。詳しく説明しますから御主人も一緒に来て下さい」とにっこり微笑んだ。これがA医師との出会いだった。 なぜか、この方にお願いしようという気持ちになった。
病院の検査室をぐるぐると回りながら、血液検査、レントゲン検査、肺活量検査などを受ける。
ほあほあとした足取りで家に帰り、4度目で慣れた入院の支度をする。すべてを機械的に処理していた。感情のドアが閉ってしまったようだった。(前回3度の入院はがんではありません) 立ち向かっていかなければならない物の大きさに武者震いをしているような気持ちだった。
入院 4月25日 「では、又、ちょっと入院してきます」と家族に言い置き、夫と共に、病院へ行く。すぐに病棟へ案内される。9階東、10階の手術室に一番近い外科病棟。4人部屋に落ち着き、パジャマに着替えると、症状は何もないのに病人になった気分になる。
隣のベットの人が「あなた、どこのがん。」といきなり聞いてくる。「私、胃がん。これこれで見つかってこんな手術したけど再発して、あれこれ。」と自分の病歴を語ってくれる。「私、乳がんです、自分でしこりを見つけました。」「お−、こわ。」 これが、今回入院最初の患者さんとの会話だった。じわじわとがん患者になっていく私。今までの日常からの遊離。
ちゃんと確かめたいからと、エコ−、マンモグラフィ、細胞診をもう一度する。A医師ではない医師だった。
夕方、詳しい説明をするからとナ−スセンタ−に呼ばれる。先ほど診ていただいた乳腺専門医(後で分かったのです)がシャ−カステンの前に座っている。彼の前の椅子に夫と共に座る。A医師が後ろに立ち、不安げに見上げた私に「大丈夫。」というようににこっとした。マンモブラフィを指差しながら「ここに、がんがあります。間違いありません。細胞診の結果もクラス5、です。」「どのような治療をするか予後がどうかは、手術して病理結果がでないとはっきりは申し上げられません、云々」 ここの記憶は半分ぐらい無い。足がふるえそうになるのをこらえるので必死になっていた。「で、左の乳房を切除し、リンパ節も取ります。全身麻酔です、手術時間は3時間ぐらいで、出血量はたいしたことありません。術後は運動に支障がでるようなことは、まず、ありません。云々。」手術はゴ−ルデンウィ−クまっただなかの4月30日と決定。
では、ということで手術承諾書にサインをした。
突然のことで、知識もなく、どうしていいか分からない人が多いと思います。でも、本の一冊も買って勉強し分からないことはとことん聞いて、納得のいく治療を受けましょう。私はここのところを後悔しています。でも、その後悔が後に病気に向かっていく原動力になりました。災い転じて福となる、でしょうか。
つまり、切る訳ね、切ってみないと、どれくらい生きられるか分からないってことね。と、私に分かったのはそういうことだった。「医者というのは恐ろしいことを平然とのたまうものだなあ。」「すっきり切ってもらいましょう、このまがまがしい物を切り離してもらいましょう。」 もう、覚悟はできた。 ほっとした気分で、この一週間来初めて、ぐっすり眠った。
翌日も検査漬け。骨シンチ、尿量の検査など。27,28日のお休みに外泊を願い出る。入院のベテランとしてはそつのない行動。家の中、ほっぽりだしてきてしまったのだもの。
外泊 家に帰りざっと掃除片付けをして、美容院に行き長い髪をばっさりと切ってもらう。 もし、抗がん剤治療になったりして、ゲ−ゲ−やっている時に長い髪は見苦しいと考えたのだった。 少しウェ−ブをつけなかなか素敵な髪型になった。ふうん、結構似合うじゃない、よしよし。 そして、中学から書いていた日記、たまっていた手紙類、全部庭で燃やしてしまった。 もう、帰ってこれないかもしれない、残ったものを見られるのはいやだった。 私に関するものは私と一緒に消えて欲しかった。最悪の場合を考えていた。
上がる煙を見ながら、静かな気持ちでした。 まあまあの人生だったな、まあよしとしよう。面白かったし。死を身近に感じながら、落ち着いていました。しんとした、不思議な気持ちでした。
帰院 29日 病院に帰ってくる。「**、ただいま帰りました〜。」「あ、お帰りなさ〜い。」看護婦さんに迎えられ、又、病人に素早く戻る。麻酔科の医師が色々聞きに来る。どうぞよろしく。 看護婦さんが、術後の訓練をしてくれる。寝たままうがいする方法、腹式呼吸、など。すべて一回でクリア。「あ、お上手ですね。」と誉めてもらった。
しばらくお風呂に入れないからと看護婦さんがバスタブにお湯を張って準備してくれる。なんというサ−ビスの良さ!「ゆっくりしてきてね。」とまで言ってもらい、バスル−ムへ。体をお湯に沈め、たなごころに左胸の感触を味わう。「さよなら、ね」 。夕方、良く眠って明日の手術にそなえるようにと、睡眠薬を1錠もらう。こんなのなくても眠れますと、飲まずに寝る。 良く眠った。