驚異の24時間耐久縦走
「富良野岳〜トムラウシ山〜旭岳」
縦走者 小樽カンカアル山岳会 「悟空」氏
1998年7月15日
平成10年の夏、「層雲峡」から「トムラウシ温泉」まで縦走した際、化雲岳でジョギング姿の若者を見ました。(この時の様子は kuro~tomu.htm を参照して下さい)。
最近になって、小樽の「悟空」と名乗る人物から、「ホームページを見ました。あの時のジョギング姿の若者(?)は私です」というメールを頂きました。何と「富良野岳〜トムラウシ山〜旭岳」間の24時間耐久縦走の途中だったのこと。あらためて詳しい内容をメールで頂いたので、ここに紹介します。
何とも驚異的で信じられない内容です。凄い人がいるものだと感心しました。
以下は「悟空」氏から頂いたメールをまとめた耐久縦走記録です。
「計画」
この縦走の動機は、山の先輩で、現在プロ山岳ガイドをされている大橋政樹さん(冬期・日高全山75年4月21日〜5月14日、24日間無補給単独縦走者、その時の装備55s)が、以前に富良野岳頂上〜黒岳頂上を24時間で縦走していたのを聞き、自分でも出来るカモ!?・・と計画した。
十勝・大雪連峰(十勝岳温泉から旭岳温泉)を縦走する場合、ガイドブックの歩行合計参考タイムは約42時間。1日10時間強の歩行で4日間がかり。これを24時間で縦走しようと計画。条件は「月明かりの見える晴れの日」「装備の軽量化」「気力・体力」、そして「家族のサポート」。
決行日前後2、3日間は、快晴で満月。残雪が少なく日照時間が長い時季(5年間その時を待ちました)。天は見放さなかった!
しかし、予想外の気温上昇(25℃)で、三川台過ぎで水が無くなり、南沼キャンプ地に着いたころには、口、鼻、気官の粘膜がカラカラヒーヒー。呼吸が苦しく、完全脱水症状、喉が痛くて固形の食料は食べられなくなった。仕方なく、南沼から流れている水をそのままペットボトルに入れた。水のありがたさが身にしみて実感した。
その時、悟った。食料が無くなっても体脂肪がある。でも水が無くなったら、食事も呼吸も出来なくなり、血が濃くなり、脳に酸素が行かなくなる・・・・と。
「実行」
1998年7月14日
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19:00
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小樽を車で出発。妻と息子2人が同行。
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23:30
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十勝岳温泉着。早速縦走準備をし、妻とは24時間後に旭岳温泉で会う約束をする。(家族は軽ワンボックス車で車中泊。翌朝、旭岳温泉へ移動)。
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1998年7月15日
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0:00
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十勝岳温泉スタート。足元をヘッドライトで照らしながら快調に登る。
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1:40
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富良野岳。折り返しこれから行く遥かな稜線に胸を熱くする。
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3:02
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上ホロカメットク山。東の空がかすかに白み始めた。
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3:47
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十勝岳。空が明るくなり、ヘッドライトのスイッチを切る。美瑛岳へ行く途中、新得側斜面の熊の足跡が無数にあり、気を引き締め直した。
美瑛富士非難小屋が新しくなっていたので、次回普通の山行の時に利用したいと思う。
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6:58
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オプタテシケ山。体調も良好で順調なペース。遠くに見えるトムラウシ山を望みながら降りていくと、下から1人の登山者が登ってきた。挨拶を交わし、こちらの山行を話すと「病気だ!」と言われる。これに笑顔で応え別れた。
ここからトムラウシ山までは登降の繰り返しと、三川台まではハイマツが顔の高さで覆い被さり、ペースが落ちる。
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13:00
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トムラウシ山南沼キャンプ指定地。予定より1時間遅れたため、山頂へは行かず北沼を巻く。あと半分と思うと気が遠くなる。ナキウサギが応援するように、頑張れ!(チ・チ・チ)と鳴いていた。
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14:40
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化雲岳。ここで無理なら天人峡へ下山すると妻に言っておいたが、自分を信じて前進する。
*ここで「ぶらりと山旅」の管理人と遭遇しました。
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16:12
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忠別岳。高根ヶ原から白雲岳非難小屋までは標高差が少なく、今までの遅れた分を取り戻そうと思うが、足が重く、ペースが上がらない。
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18:23
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白雲岳非難小屋。10組位のパーティが夕暮れ時をのどかに過ごしていて、ちょっと複雑な気持ちになる。
北海平あたりで空が暗くなり、ヘッドライトを点灯する。
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20:03
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北海岳。月が雲で隠れているので、道を外さぬよう慎重に進む。
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21:55
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旭岳。最後の難関。アリ地獄のような砂礫、歯を食いしばりながら山頂へ。下を見ると姿見駅がロープウェイ工事のため、煌々と明かりに照らされていた。お陰で楽に姿見駅まで降りることが出来た。
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23:00
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姿見駅。重機が作業していたので、作業用道路が下まであるかも知れないと作業関係者に尋ねると、重機は冬の間に雪上を走らせて揚げたと聞き、感心すると同時にガッカリする。
仕方なく登山道を降りていく。天女ヶ原の立派な木道を歩いていると、暗闇の中で風も無いのにザザザと笹が揺れている。すぐに腰に付けてある熊避けスプレーのレバーに指をかける。しかし不気味な音は段々と遠ざかって行った。木道を抜けるまでに3箇所で同じことがあり、縦走の最後でこんな試練が待ち受けているとは思いもよらなかった。熊のお陰でラストスパートがかかった。
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24:00
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旭岳温泉。遂にこの長い1日が無事に終わった。
早々、首を長くして待っているはずの家族の車を探すが見当たらない。もしペースが落ちずに順調に行けば21:00に下山出来ると妻に言っていたので、途中からのエスケープを考えて天人峡にある化雲岳からの下山口へ行ったようだ。レスキューシートに潜り込んで朝まで待ち、迎えが来ないので道路を徒歩で下りて行くと、見覚えのある車が上がってきた。両手を大きく振り、ようやくの再開を喜び合う。
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1998年7月16日
21:00
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帰宅。帰りは「吹上温泉健康保養センター」で湯に浸かり、中富良野で満開のラベンダーを観て帰る。
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「装備」
軽トレッキングシューズ。ウエストバッグ12L。小ウエストバッグ。トレッキングポール2本。ヘッドライト(単3リチウム電池4本)。地図。磁石。レスキューシート(シュラフ型)。テーピング用テープ。3徳ナイフ。予備小型ライト。カウベル。熊避けスプレー。
ダブルストックは足への負担をかなり軽減出来ますし、転倒防止にも役立ちます。
97年に黒岳〜オプタテシケ山1泊2日の時は、ストック無しでトムラウシ山あたりから、膝が痛くなりましたが、98年の時は膝痛、筋肉痛もありませんでした。ダブルストックは、オススメします!
「服装」
長袖シャツ。ランニング用タイツ。フリースセーター。靴下。帽子。ウインドブレーカー上下。軍手。バンダナ。
「食料」
レトルトお粥×3。エネルギーゼリー×2。カロリーメイト。ブドウ糖。ビタミンサラダ。ビタミンCタブレット。ミネラルウォーター(500cc)。スポーツドリンク(710cc×2)。黒砂糖菓子。缶コーヒー(190cc)。
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