今日もぶつぶつ
4月16日(月)
昨日あれだけ心温まる日記をつけておきながら、今日は恐怖の体験です。
本当に恐かったです。殺されるかと思いました。
今日は残業もあって、少し帰りが遅くなりました。だから、いつもより遅い時間の電車に乗り込んだのです。でも満員。仕方ないのでドアの横に張りつくようにして立っていました。
が・・・・・・。
丁度私の前に立った男が、突然、「殺す、全員殺す。」と言い出したのです。
一瞬、はあっ?って思いました。そりゃあ、突然満員電車の中でそんなことを言われても、まずは何て言ってるのかが理解できません。しかも叫ぶわけではなく、静かな声。めちゃくちゃ不気味です。
その男は、さらに何か言い始めました。
「××は○○やから△△で.....だ、だからしょうもない・・・意味がない・・・・意味がない・・・。」
と、突然男は歌い出します。
「♪意味がない♪意味がない♪チャンチャカチャカチャカ♪意味がない♪・・・・・・殺す・・・全員殺す!」
・・・・・・誰もが、見ないふり、聞こえないふりをしています。
そりゃそうでしょう。なんだかこの男の言葉に一瞬でもピクッっと動けば暴れ出しそうな気がして恐いのです。
男はずっと、同じ事を繰り返します。何かテーマを作ってひとしきりぶつぶつ批判し、「だから○○は意味がない・・・意味がない・・・♪意味がない♪意味がない♪チャンチャカチャカチャカ♪意味がない♪・・・・・・殺す・・・全員殺す!」
・・・もういやだ〜やめてくれ〜。泣きそうな気持ちになりながら、私は必死で知らん顔をして本に見入りました。
男は、周囲の乗客が読んでる新聞やら本を無遠慮に覗き込んではテーマを見つけ、例の歌と「殺す・・・全員殺す!」を繰り返します。
時には座っている人を上から覗き込んだりしているのですが、みんな気付かないふり・・・しかし、それが腹立たしいのか、男が「殺す!全員殺す!」と言う回数は増えていきます。
・・・最近変な人多いからな・・・ただの頭がおかしい人ならまだしも、そうじゃないのも多いから、突然切れて暴れ出すかもしれない、ナイフを振り回すかもしれない、どこかで拳銃を手に入れてて、乱射するかもしれない。それとも変な薬を撒くんじゃないだろうか・・・。
そんな想像をしている間も、男は妙な歌と殺す宣言の繰り返しです。
「だめだ・・・次の駅で絶対降りよう・・・。」
そう決めたものの、次の駅に着くまでの長かったこと・・・いつまで経っても電車は止まらず、身の危険が迫ってきます。
やっと駅に着いた時、男が降りて行きました。車内にほっとした空気が流れます。
しっかし耳元にずっとあの歌が流れています。電車を降りた後も誰かがついてくるような気がしたし、トイレやお風呂に入っていても、窓からあの男が覗きこんで歌を歌ってそうで不気味です。
あああ・・・今日は恐い夢を見そうだ・・・。
4月15日(日)
私はスーパーが割と好きです。物が安いのももちろんですが、日常の「幸せ」がたくさんあるから、「ああ、生活してるな〜。」って実感できるのです。
ま、通路に溜まって話し込んでるおばさんや、人の足元をちょろちょろと走り回って、思わずふんずけたくなるような子供等、腹立たしい部分もあるわけですが。
たとえば学生の頃、スーパーで百円ケーキを売るバイトをしていました。土曜日の午後ともなると家族連れでやってきて、
「お父さんはモンブランにしようかな〜。」「じゃあ、お母さんはチョコレートね。お姉ちゃんは?」「・・・いちごの奴がいい。」
なんて和気藹々と買って行くのです。
家庭用品のCMに出てきそうな幸せそうな一家です。でも、それがCMの中だけではなく、現実の中にもあるのだ、と思うと、ちょっとほっとします。
お酒を売るバイトもしたことがあります。
夫婦連れがよくやってきていて、物欲しそうなだんなさんと、「買ったげないわよ。」と厳しい奥さん。
でも、食い下がられて渋々、「1本だけよ。」なんてお酒を買ってもらってる姿を見ると、尻に敷かれてたって幸せなんだろうな〜と思います。
幸せを感じるのは家族だけではありません。
私は帰りが遅くなった時、面倒なのでスーパーで半額になったお惣菜を買うのですが、似たような境遇らしきサラリーマン風の男の人とか、結構居ます。
お弁当と、ちょっとしたサラダと、ビールが1本か2本入っていると、
「この人は、やっと仕事が終わって家に帰ってほっとして、そのあとのひとときをお酒を飲みながらゆっくり過ごすんだろうな〜。」と想像するのです。そこには一人暮しの寂しさより、自分だけの空間を楽しめることへの幸せがあったりします。(勝手な想像かもしれない。)
今日もスーパーへ行くと、お菓子の特売コーナーで、クマの人形ストラップつきチョコをあさっている夫婦が居ました。
365種類のクマがいて、自分の誕生日のもどこかにあるはず、ってやつです。
夫婦の会話から、子供の誕生日にプレゼントしたくて、子供の誕生日と同じクマを探している模様でした。
私はそういうのには全く興味がないし、お菓子やさんに踊らされて・・・と呆れる部分も多いのですが、微笑ましい親心ですよね。
私がレジに並んだ後ろに並んだおじさんは、ビールのケースを抱えていました。
そのおじさん、隣に並んだおじさんと知り合いだったらしく、
「おお〜誰かと思ったら〜2年ぶりくらいやないか〜。」と嬉しそうでした。
「いや〜相変わらず一人でポツンと住んどんねん。」
「お前もか〜俺もな〜一人で頑張っとるわ〜それにしても変わらんな〜お前〜。」
そんな感じで賑やかに話していた二人、いっそ一緒に飲みに行こうか、と言いそうな勢いでしたが、普通に「じゃあな。」って別れちゃいました。
でも、一人っきりの部屋に帰っても、ほんの数分の出会いを思い出して、ちょっと楽しい気分であのビールを飲んでるのかな、と想像します。
そんな感じで、ものすごく小さな幸せでしかないけれど、それが詰まったスーパーはなかなか楽しい場所なのです。
児童虐待やら少年犯罪やら、何かあったら「心の闇」と言いたがる風潮が強いですが・・・(今回小学生が母親を刺殺してしまった事件も、絶対か「小学生に何が!」とか「小学生の心の闇」とか言うに決まってる。あれは半分事故だろう。闇もへったくれもあるかい・・。)
ささやかな幸せを楽しんでいる健全さが、衣食住の「食」を司る場所に存在している限り、そんなに不安がることもないんじゃないか、と思います。
あ、でもスーパーよりコンビニの方が今は売上が伸びてるんですよね。
私の勝手なイメージですが、スーパーで半額弁当とビールを1本買う独身サラリーマンにはささやかな幸せを感じるのに、コンビニ弁当やカップラーメンとペットボトルを買う独身サラリーマンには一種の悲壮感を感じてしまいます。
・・・なんででしょう。コンビニ好きの人、すみません。偏見かな・・・偏見だね・・・。
4月14日(土)
この1週間、ものすごく辛い日々が続いていました。
原因は舌!そして、水飲み大魔人の伝説に新たな1ページが付け加えられるのです。
今週は、月曜日からずっと、舌に激痛が走っていました。
鏡を見ると、舌に細かい切れ目がたくさん入っています。
ものを食べると沁みて痛いし、熱いものを飲んでも痛いし、さらには話すたびに舌が動くのものすごく痛い、その上口の中の痛みが頭と喉に響いて痛い、つまりは生きてるだけで首から上が痛い!という地獄のような生活が続いていました。
知り合いにこの話をすると、
「口の中が乾燥して割れてるんじゃない?」
のひとこと。そりゃあくちびるだったら乾燥して割れるから、一生懸命リップクリーム塗ったりしますが、舌が乾燥するかい?
百歩譲って舌が乾燥したのだとして、舌にリップクリームを塗れとでも?なんか違う病気になりそうだよ。
「朝起きたら口の中が乾燥してるってことあるでしょ?寝てる間に口の中が乾燥して、ひび割れちゃってるんだよ。」
そう説明されて、まあ何とか納得はいきました。
たしかに私は毎朝カラカラに喉が渇いて目覚めます。ただの脱水症状かと思っていたら、口を開けて寝てるってことか・・・・・・。
いい年して色気もへったくれもないぞ、とは思うのですが、鼻が悪いのでしょう。眠りにつくまでは意識して鼻で息をしてるのですが、寝入ってしまう+鼻が詰まると体が勝手に口で呼吸を始めてしまうのですね。
仕方ないのでマスクをして寝ることにしました。少しは湿気を保ってくれるでしょう。
と、大して期待もしなかったのですが、恐るべし、マスク!口の中のひび割れは日に日に良くなり、ほんの2、3日ですっかり直ってしまいました。
こりゃあいいや、と思って昨日の夜もマスクをして寝たところ、朝、ものすごく口の中が乾いたまま目覚めました。
寝てる間にマスクが取れてしまったらしく、見当たらないのです。
しかも、ドライアイスが手にくっついたかのように、口の中が乾燥しすぎてくっついています。
慌てて水を一気のみしましたが、ほんの4、5時間しか寝てないのにこの渇きよう・・・。
7時間も8時間も寝てたら私はミイラかして永遠に起きられないのではなかろうか、と恐怖した一件でした。
そして、この体験が恐怖観念を植えつけたのか、寝る前と起きた後、さらには起きてる間中―つまりは1日中か―さらに水を飲み続ける体質に変化してしまったのです。
ああ、日本中の水が飲み干される日が近づいてきた・・・。(世界中、と言わないところがまだ謙虚。)
4月11日(水)
今朝、電車の中でかわいい光景に出会いました。
いつも乗る電車に、私立小学校に通っているらしい、小学校2、3年生くらいの男の子が二人居るのですが、今朝は私の乗る駅からも同級生の女の子が乗ってきました。
その後ろには、いかにも「ピカピカの1年生!」といった感じの男の子が、おばあさんに手を引かれて立っています。
「子連れかい!」
二人組の男の子が
叫びました。
おやおや、最近の子は・・・と呆れていると、女の子は「ううん、弟。」と答えています。そりゃそうだよね〜。
と、おばあさんに促された弟君、おずおずとお姉ちゃんのお友達に、
「よろしくお願いします。」
と大きな声で言った途端、再びおばあさんの影に隠れてしまいました。
言われた方は、「は、はい・・・。」と返事をしてものの、横を向いて、
「照れちゃうな〜。」
と頭を掻くふりをしています。そのあと、
「実はうちにも一人、よろしくお願いしたいのがいるんだ〜。」
と笑っています。
私の偏見かもしれませんが、小さい頃から有名私立小学校に入るための勉強を強いられて、合格はしたものの、毎日毎日大人でもうんざりする満員電車に朝っぱらから乗っている・・・。
なんだか子供らしくないな〜と思っていたのが、180度変わりました。
恥ずかしそうな1年生の弟、弟を連れて電車に乗り込んできたクラスメイトへの照れ隠しの言葉、恥ずかしそうに、でも大きな声で挨拶をする1年生、照れてにこにこ笑い、自分の弟のことを思い出す子供。
満員電車で大人達の足元にしがみつくようにして学校に通いながも、感受性を失わないままたくましく育ってるな〜などと思ったのです。
あの子達がいじめる側にもいじめられる側にもならないで、普通に育って行ってくれ・・・と朝っぱらから願ってしまいました。
4月5日(木)
たまには時事ネタ(真面目バージョンともいう)で語ってみましょう。(誰も読んでないけど、自己満足でいいや。)
新学期と言えばなんだか何もかもが新しいような気がして、気分もうきうきします。そんな中、来年度から使われるであろう新しい教科書の検定が終わっています。
テレビや新聞でそのニュースを見ていて思ったことは2点。
一つは、「平等」の意味です。
落ちこぼれを作らないようにと、教科書の内容は今までより大幅にカットされた模様。
私が驚いたのは、電卓を使ってもいい、という算数の計算問題が増えたことです。
電卓って・・・じゃあ、算数の意味は無い、と思うのです。
自分が小学生の時は、宿題に出された3桁×3桁のドリルをやりながら、「こんなもの、大人になってから何の役に立つんだろう?こんな計算、日常生活には使わないのに。」って思っていました。
でも、今思い返して見ると、3桁×3桁の計算が将来必要だからやっていたわけではなく、脳みそを使うことが必要だからやってたんですよね。
複数の桁がある数字同士をかける時の繰り上がりの原理とか・・・そういうものの考え方がある、ってことを学ぶことが大切なのでしょう。
台形の公式を覚えるのだって、どうしてそういう公式が生まれるのか、その発想を知ることが大事であって、台形の公式が教科書から消えるってことは、同じ形のものを二つ用意して計算しやすい形にし、あとから半分にする、って発想を教えないってことです。
それは他の算数にも通じるものがあって、分数の通分は、分母=土台を揃えて分かりやすい形にすれば問題を解決しやすいって考え方を学ぶわけです。
最小公倍数、最大公約数だって、そういうものの考え方があることを数字で教えて、脳みそを動かしているわけです。
そういうものがなくなったら、人間の脳みそが退化するだけなんじゃないでしょうか。
これは「勉強」だけではなく、スポーツにも言えることですが、「足の遅い子をなくす。」「勉強で落ちこぼれる子をなくすために、教科書のレベルを下げる。」っていうのは、結局問題の先送りです。
子供の頃、そんな風にして守られ続けたとしても、大人になったら、いえ子供の時からやっぱり競争は存在します。
どうせ戦わなきゃいけないんだから、甘やかさないで競争させて、色んな発想を身につければいいと思うのですが・・・。
もうひとつは、やっぱり話題の「新しい教科書を創る会」
これも、考え方の根は一緒のような気がします。
「戦争責任」を問われて自虐的な反省を強要される日本人がかわいそうだから、自分で自分をかわいそうがらなくて済む教科書を創ろう。
徒競争で負ける子がいてかわいそうだから、みんなが負けないようにしよう。
勉強についていけない子がかわいそうだから、教科書のレベルを下げよう。
そんなことをしても、国際社会で生きる以上、韓国やら中国やらの人との交流が皆無なわけではないし、日本が再び鎖国でもしない限り、勝手な歴史を教え込まれたところでいつか葛藤する日が来るかもしれません。
そう考えると、勉強っていうのは自分の脳みそを活性化させたり、新しい考え方を教えてもらったり、戦って勝ったり負けたりしても生きていける力を培ったり。
そういうことをしなくなって、人間の脳みそはどんどん退化して、精神力もなくなっていくのかな、と思ってしまいます。
どうなるんでしょう、日本。
4月2日(月)
寒いですが一応春です。新入社員がやってくる季節です。
昼休み、ぞろぞろと並んで食堂へやってきて、慣れないので注文をするのに手間取る彼らを眺めていました。
ところで、私は昼食時、4人の女性と一緒に食べていますが、ほとんど話しません。一番の大きな理由は、食べるのが遅いことでしょう。
小学校の頃から、昼休みを全部使ってやっと食べ切る、なんてのはざらでした。今だって、みんなが話しながら食べている間、一生懸命黙々と食べているのですが、何故か一番遅いのです。
しゃべっていたら何時間かかって食べ終わるか分かりません。
もう一つの理由は、「『女の子』が苦手」ということ。
化粧もしない、ブランドにも興味が無い、アクセサリーもしないし、人の詮索も嫌いな方なので、芸能人がああした、こうした、という話題も興味が湧きません。
全く趣味の異なる人と話そうとしてもかなり難しいのです。
これには、育った家庭環境も影響してるんじゃないかな、と思ったりもします。
うちには母親がいなかったし、父親と弟にはさまれて、「女の子らしい」ものに触れる機会がそんなになかったような・・・男ばっかりの家で育ったので、いわゆる「女の子」らしい人を相手にすると、「分からない・・・。」と、姉妹のいない男の気持ち、若しくは男子全寮制で女性と話す機会のなかった男性の気持ちを味わうことになってしまいます。
だから友達はみんな、どこかあっさりというかさっぱりというか・・・男気のある子が多かったりするのです。
いつの間にか話がそれてしまいましたが、ぼーっとしているうちに、一緒に食事をしていた人達は色々な用事で席を立ってしまい、私と、40台の女性だけが残されました。
二人きりになってるのに黙っているほど無愛想でもないので、とりあえず、
「新入社員ってどんな気持ちなんでしょうね。私、そういうのを味わったことがないから分からないんです。」
と言ってしまったのです。それが間違いのもとだった。
「でも、初めて就職した時には新入社員だったんじゃないの?」
「でも、最初の時は中途半端な時期に入ったし、次の会社も小さいところだったから、こういう大々的な入社式とか、新人研修を体験したことがないんです。」
「え?なんで?」
そう聞かれて私は口ごもりました。なんでって・・・なんででしょう?
いや、理由はあるのです。でも、複雑過ぎて簡潔な説明は思いつかないし、お昼の楽しいひとときに、職場の人に話す内容でもないし・・・。
「卒業前に就職活動してなかったんです。」
「就職活動してなかった!?なんで!?」
「いや・・・どこに住むかも決まってなかったし、色々ばたばたしてて・・・。」
どうにか笑って誤魔化そうかな〜と思った瞬間、その女の人はちょっと非難するように言いました。
「働くのが嫌だったの!?働きたくなかったの!?」
・・・・・・ちょっとプチッ。思わず、
「どうしてそんな発想に・・・色々あっただけですよ。」
と、一応笑って答えました。丁度別の人が席に戻ってきてほっとしたのですが、ちょっとな・・・。
そりゃあ、世間の常識では考えられないことなのかもしれないけど、働きたくなくたって働かなきゃ生きていけないだろう・・・。嫌だからって働かなくて済むような裕福な人間でもないし・・・。
たださ、世の中には要領が悪い上に運の悪い人間だっているんだい。
20才過ぎまでに自分がやりたいことを見つけてそこへ向かってまっすぐ進める人はものすごく幸せな人だな、と思ったし、
やりたいことが見つからなくても別にいいや、と割り切れる人を羨ましくも思ったし。
でも、そういう人たちだって楽だったわけじゃなく、しんどい思いやら嫌な気持ちになることは山ほどあっただろうし。
よく、「人並みの生活ができる。」「人並みのお正月が過ごせる。」「人並みの学校を出た。」なんて言います。
でも、千差万別の理由を背負った「人並みの春を迎えられなかった人。」も世の中にはたくさんいるはずです。
ただなんとなくそうなった人から、ものすごく悩みぬいてそうなっている人まで、それこそ本当に色々いることでしょう。
その人達を人括りにして、「適当に生きてる。」「いや、彼らは一生懸命だ。」と決めつけたくはないのです。決めつけることなんてできないし、たとえ理由を聞かされたところで、その人を理解するなんて不可能です。
自分に言えることはただひとつ、「あ、そうなんだ。」って言葉だけなんですけどね・・・。
でも、その言葉も世間の常識から判断すれば「他人事みたいな冷たい言葉。」で片付けられ、「他人のことはどうでもいいの!?関わりたくないの!?」って非難されることでしょう。
・・・・・・ふふふ・・・どうやら晴れがましいらしい日に、えらい憂鬱なことを考えてしまいました。
4月1日(日)
早いもので、もう4月です。エイプリルフールですが、気の利いた嘘のひとつも言えず、更新するのも久しぶりだな〜と反省ひとしきり。
月が変わるたびに「今月はがんばるぞ!」と思うのですが、これがなかなか難しいのです。でも、4月といえば同じ月の変わり目といえどもさらに気分が新たになる月。今月からは色々とがんばることに致しましょう。(これが結果的に嘘になる。)
さて、先週の土曜日が出勤だったこともあり、あんまり休んでな〜い!という意識が強かったので、今週の月から金曜日は辛かったです。
時間の進むのが遅いことといったらない!ま、週休二日だってことをもう少しありがたがらなければいけないのでしょうが。
やっと土曜日が訪れたので、久しぶりに友人の家に泊りがけで遊びに行きました。
姫路に住む鎖帷子さん、高校時代のお友達です。
昼過ぎに出かけて、姫路駅で落ち合い、まずは温泉へ。
しばらく見ないうちに、鎖帷子さんは車を買っていました。軽ですが車高が高くて広々としています。
やっぱり車があると便利だな〜と思いつつ、車は山の中を約1時間走り、温泉なんだかただの健康センターだか分からない、それでも情緒はちょっぴりある、とある施設の中へ。
それにしても寒いです。これが3月末の気温でしょうか?それとも山の中だから気温が低いだけでしょうか?
もう春だし、もともと暑がりだし、と思って薄着をしていた私には辛い気温でした。
「あかん、寒い!早よ風呂入ろう!」と、雨もちらつきはじめた山の中腹を走り、途中で掘立て小屋数件が「カラオケ」なんて看板を掲げているのを横目に見つつ、お風呂コーナーへ辿りつきます。
で、寒いのでとっとと風呂へ・・・情緒もへったくれもございません。
その温泉?のお風呂は、内風呂と露天風呂になっていて、露天の方は岩を敷き詰めています。テレビで見るような典型的な露天風呂にちょっと嬉しくなりつつも、とりあえず寒くて仕方がないので飛び込むように湯船に浸かります。
露天風呂ってものすごく気持ちが良いですね。
普通のお風呂だと風呂場自体が閉め切られて湯気で一杯だから、すぐに熱くなってのぼせてしまうのですが、露天風呂だと外なので頭だけが冷たい外気に触れているのです。
体は温まるけど頭は冷えていて、なかなかのぼせないから長時間入っていられます。
とにかく気持ち良かったです。露天風呂はいいですね。
しかし、そのあと食事に行こうとすると、鎖帷子さんが騒ぎ始めました。
「化粧道具忘れた!眉毛を書いてへんのにレストランになんか入れない!」
そう、風呂で顔を洗ってしまったため、化粧は全て落ちていたのです。で、すっぴんで外を出歩きたくないと鎖帷子さんは声高に主張するのです。
もともとすっぴんの私には、そんな彼女の気持ちが分かりません。しかも鎖帷子さんは美人の部類に入るので、すっぴんだって恥ずかしくはないだろうと思うのですが、彼女は絶対嫌だと言い張り、かくして私達は、鎖
帷子さんの眉を書くために家へ戻ってから食事に行くことになりました。
いいんだけどね・・・鎖帷子さんの車で移動してるし、鎖帷子さんの家だし、鎖帷子さんの化粧品だし・・・でも、一旦家へ帰ってしまうとくつろいでしまってなかなか出かけられず、夕食に出かけた頃にはすでにどのお店も満席で、さまよった挙句3番目の店にやっともぐりこむことが出来ました。
魚料理中心の、おいしい和食のお店です。しかし、魚が好きになっていく自分に年齢を感じてしまうのはちと悲しい・・・刺身の味が、スーパーの閉店1時間前に買う半額のやつとは圧倒的なまでに違うのが分かってしまうのもどこか哀愁を感じてしまう・・・。
ま、おいしかったので良しとしましょう。
料理がおいしかったとはいえ、鎖帷子さんは車の運転をするので、思い切りお酒を飲むことはで来ません。
仕方がないので家に帰ってから酒を思いきり飲んでいましたが、ここでも年齢を感じる悲しいことが起きてしまいました。
ああ・・・悲劇の矢掛さん、ワインをフルボトル開けることはできなかった・・・。(その前に店でビール2杯、別のワインをグラスに4杯、カクテル1杯飲んでることは無視・・・あくまでもフルボトルとの戦いだから。)
あと1杯でフルボトル終了!って時に眠くて仕方なくなり、床に横になっていると、「布団を敷くからどいて。」って言われました。でも、どくのも面倒なほど眠かったので、「いいよ、このままで寝ても平気だから。」と答え、「いや、どいてくれ。」「いや、このまま寝る。」と押し問答を続けた挙句、鎖帷子さんはついに、切れてしまいました。
「あんたってわがままよ!お客様を床で寝かしたくないっていう私の気持ちを踏みにじるわけ!?矢掛のためにシーツも洗濯したし、布団も干したし!そういう私の気持ちをどうでもいいと思うわけ!?」
・・・怒られたよ・・・いい年して、高校の同級生に怒られてんだよ・・・酒飲んで、眠くて寝てたらさ・・・ああああああ・・・情けね〜。
当然慌てて飛び起きて、鎖帷子さんが用意してくれた布団で寝ましたが、後に彼女が語ったところによると、
「はい布団敷いたから寝ていいよ。」「ありがと。」とコロン、と横になり、「おやすみ。」とひとこと行った次の瞬間、私は寝息を立て始めたそうです。
「人が眠る瞬間をはじめて見た。」と、後にしみじみと語られました。
さて、翌日。
昼前まで寝ていた私達は、のろのろと昼食を終え、姫路城までお花見に出かけました。
でも、駐車場・・・半端じゃなく車が並んでいる・・・しかも桜、咲いてない・・・だって寒いもん。こんな寒さで咲くわけない・・・。
結局姫路城に入ることはあきらめ、川沿いをドライブした挙句、「加西フラワーセンター」というところに辿りつきました。
その名の通り、花がたくさん咲いている・・・はず・・・の場所です。
桜は結局見ることができなかったので、ここで温室の花を楽しみました。
温室以外の花は咲いていませんでしたが、なかなか良い場所です。真ん中に大きな湖があって、それを囲むようにして花々が植えられているのです。植えられているだけで、咲いてはいませんでしたが・・・。
でも、もう少し暖かくなってから訪れたら最高の場所でしょう。自然が一杯だし、あちこちにベンチがあって、好きなだけ休めるし、入場料も500円と安いし。
で、最後はラーメン食べて帰って来ました。
あっという間の土日・・・結構楽しいしゆっくりも出来たのですが、明日からまた5日間働くんだね・・・しかも新しい期に入るから、忙しい気がするし・・・いや、贅沢な悩みなんだろうけど。
とりあえず、春らしいのんびりした週末を過ごしました。
寒かったし、酒は弱くなってるし、いい年して怒られたし、花は咲いてなかったけどね。
とりあえず、新たな月、新しい気分になるのに相応しい月ですから、心を新たにして、これからも充実して過ごせるといいですね。(最後は一般論でしめる、と。)
日記2001年3
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