今日もぶつぶつ
10月6日(土)
何気な〜くテレビをつけると、『サンセット・メモリー』とやらいう歌を今から歌うご様子。
ふう〜ん、何の番組だろ?新聞を見ると「あの人は今!?」とやらで、じゃあ、この歌もその昔流行した歌で、その歌手が呼ばれてるのね〜なんて考えながら、チャンネルを変える気力もなく、ついでにこの歌の題名、何とな聞いたことがあるような気がしたので、そのまま見ていました。
でも、『サンセット・メモリー』ってありがち・・・なんて思いながら見ていた私は、歌が始まった途端、ぎゃあ〜なんでもっと早くこの番組を見なかったのよ〜!!と地団太を踏んだのです。
その歌は、ものすごくよく聞いた曲でした。昔見たドラマの主題歌だったのです。
そのドラマ、『黄金の犬』だったか『炎の犬』だったか忘れてしまいましたし、こうして活字にするとちょっと間抜けな感もあるのですが、とても好きなドラマだったのです。
題名からも分かる通り、主人公は犬です。
母犬とはぐれた子犬リュウが様々な冒険をしながら、最後には野良犬集団のボスになります。
一方の飼主の男の子も、リュウの行方を一生懸命探しているのですが、最終回で出会った二人と一匹は、仲間を捨てられないリュウと、まだ子供のままの飼主との別れで終わります。でも確か、家に何か不幸があって(お父さんが死んだか失踪したか、そんな感じだった)、その不幸と戦いながら一生懸命子犬のリュウを探すのです。
子犬からボス犬に成長したリュウと、数年を経ただけでは成長はしても子供のままの飼主・・・子供=幸せで悩みのない時代を乗り越えた一人と一匹の物語で、子供心に妙に印象に残っていました。
で、いつも番組の一番盛り上がるときに流れるのがこの曲です。
歌の趣旨は、昔の悩みの無い時代の幸せさを分からないまま、大人になってあの時の幸せをかみ締めている、って感じだったと思います。
中でもよく覚えているのが、「幸せを手放した人は迷い子。何気なく見送った後姿がただ一度だけと気付いたあの日。」って歌詞です。
この歌詞が、迷い犬と、飼主・母犬・リュウの幸せな日々とのオーバーラップで強い印象を残したのです。
今日聴くと、ちょっと違う印象は受けましたが、物悲しさと懐かしい感じは健在でした。
この歌、『サンセット・メモリー』って言ったのね・・・。でも、歌が聴けただけなので、この歌がヒットした背景とか、歌手の人となりとかはちっとも分かりません。
ついでに、あのドラマもなんだったかもう1つ覚えていないのです。夕方に放送していたので多分再放送でしょう。最初は単純に子犬のかわいさから見ていたのですが、その内、人間模様と犬社会がだぶって、ついでにあの曲の物悲しさも手伝って、随分引き込まれていました。
今思うと、流れ星銀のようだ・・・。
なんにせよ、もう少し早く見ていれば、あのドラマのこととか詳しく分かったかも知れないのに・・・。
そう思うと気になって仕方ないですが、明日になれば忘れていることでしょう。
10月2日(火)
帰りのバスの中で、3歳くらいの小さな女の子と母親が乗っていました。
女の子は最初、バスの中に貼ってあるポスターを見ながら「あのお魚は〜?」だとか「お花がね・・・。」なんて微笑ましい会話をしていたのですが、そのうち、会話は妙な方向へ向かいます。
「あれ、○○ちゃんの英会話スクールにもあった・・・。」
え、英会話?その年で英会話?噂には聞いてたけど、やっぱりいたんだな・・・と妙に感心していると、
「ばーちゃん、足が痛いって言って英会話にも水泳教室にも送っていってくれなかったの。」
・・・水泳教室にも通ってんのか・・・最近の子供は盛りだくさんだな・・・。
するとお母さん、
「ばーちゃんはいけずやねぇ。」
あああ、これが噂の嫁姑の確執か!と、女の子までお母さんの口真似をして「いけずやねぇ。」なんて言っています。
この子絶対、お祖母ちゃんの前でも言うぞ。「ママがばーちゃんのこといけずだって言ってたよ。」って。
その内、会話はさらに妙な方向へ暴走を始めます。
「ねえ、○○ちゃん、保育園行くでしょ?保育園の次はどこへ行くの?」「幼稚園よ。」とお母さん。「幼稚園の次はどこへ行くの?」「小学校よ。」「小学校の次は?」「中学校。」「中学校の次は?」「高校。」「高校の次は?」ちょっと考え込んだお母さんは、「・・・大学かな。」ちょっと迷って言います。
「大学の次は?」「働くのよ。」「え〜もう働くの〜?まだ働きたくないよ〜。」大学出るまで何年あると思ってるんだ、いいから働け。
「そんなに早く年取りたくない・・・。」・・・悪かったな、私はそれ以上に年を取ってるさ。
「年を取ったら、死んじゃうんでしょ?・・・まだ死にたくよ・・・。」心配しなくてもまだまだ死なないよ・・・。
なんというか、良く言えばしっかりしている、悪く言えばませている・・・というか、こういうのはませているとも言えないよな・・・。
その内「ママも死なないで・・・。」と子供は泣き始め、母親は抱きしめ・・・心温まる光景・・・というには場違いなんですが・・・この母子、いっつもこんなんなんでしょうか?
最近の子供の精神年齢はどうなってるんだ!とどっと疲れた帰り道でした。
10月1日(月)
えらい久しぶりの更新ですが、何事もなかったように続けましょう・・・。
さて、今日は非常に忙しく、家に帰り着くどころか会社を出る前からへとへとになっていました。
いつもなら、午後のおやつに飴玉の2個や3個、5個や6個・・・10個くらいかも・・・は食べるのですが(だから痩せないんだ・・・)今日はそんな暇もなく、午後6時にはすでに究極なまでに空腹で低血糖状態を抱えていたのです。
私には不思議な体質がいくつかありますが、そのうちの一つに、腹が減ると背中が痛む、というのがあります。それも、お腹が空けば必ず痛むわけではなく、晩ご飯が遅くなったときだけ痛むんですね。
一体晩ご飯にどんな謎が!ってことは置いといて、とにかく一刻も早く何か食事を食べたいと願って命からがら帰ってきた私に、悲しくも不思議な出来事が起こりました。
やっと家に着き、やれやれ、と何気な〜く左手を頭にあてた瞬間・・・
きゃあ〜今、手が何かに触れた!何か硬いものに触れた!虫みたいなものに触れた!頭の上に何かいる〜〜〜!!
慌てて振り払おうとした私は、部屋の中で振り払ったら返って面倒だと、妙な冷静さを持って外へ飛び出しました。
が、冷静になると虫なんて触りたくないのです。たとえ「振り払う」という行為であっても虫に触らなきゃならない限り、絶対に絶対に嫌なのです。力の加減を間違えて、虫が髪の中で死んだりしたら最悪だしな。
というわけで、虫を振り払う道具持たない私は、玄関のドアの前で激しく頭を振りました。
人通りがなくて良かったです。いや、あっても隠れてしまったのかもしれません。
なにしろ夜の8時にドアの前で激しく頭を振っている女がいるわけですから、それこそミステリーでしょう。
しかし、どんなに激しく頭を振っても、虫が飛んでいったり落ちたりした気配はありません。
かといって、いなくなったかどうか、頭を触る勇気もなく・・・。
困り果てた私は、家の中に戻りました。とはいえ、部屋の中で虫が飛び始めたら最悪です。昨年の英雄、虫取り網様は健在ですが、さわった感じではそんなに大きな虫ではなかったので、捕まえるとなれば大変なはずです。
抜き足差し足・・・と、我が家なのに空き巣のように部屋に侵入した私は、ゆーっくりと鏡を取り、今日の夕刊に伸ばしかけた手をちょっと考え直して昨日の夕刊に向け、コンパクトの鏡と昨日の夕刊を持って再び玄関へと出ました。
玄関の明かりをつけ、鏡で一生懸命頭を見るのですが、虫がいるんだかいないんだか分かりません。
なんだか黒っぽい塊のようなものがあって、虫といえば虫のような・・・でも、激しく振りすぎてくしゃくしゃになった髪といえば髪のような・・・。
ここからがまた、奇妙な行動の始まりです。
みなさんが暗い夜道を歩いていたとします。
ふと見ると、ボロいアパートの一階に薄明かりが灯っており、その下には人影が・・・。
目を凝らせば、それは若い(?)女性です。
女性がなんだか妙な動きをしているので目を凝らして良〜く見ていると、彼女は右手にコンパクトの鏡を持ち、じ〜っと顔を覗き込みながら、左手には丸めた新聞紙を持って何度も頭を撫でています。
・・・・・・どんな思いをこの世に残して死んだ霊だ・・・?
白装束に身を包んだ色白の女性がこっちを見て微笑んだ・・・って方がまだ恐くない、って人が10人に3人はいることでしょう。
しかし、こんなに努力をしても、結局虫が本当に頭の上に乗っていたのかどうかは疑問です。
もしかしたら、ふらふらになって帰ってきたため、くしゃくしゃになった髪の毛を、空腹で朦朧とした左手が虫だと勘違いしたのかもしれません。
玄関前で妙なおまじないを繰り返したため、夕食は帰宅後約1時間遅れ、私は空腹で震える手で一生懸命箸を握りめ、夕食を食べたのでした。
一体あの虫の招待は何だったのでしょう?っていうか、本当にいたのか?
9月15日(土)
休みの日なので、普段たまっている洗濯物を一気に洗った。
床に散らばった衣類をかき集めて洗濯機に放り込み数時間後・・・そういえば洗濯物を干さなきゃ、と思い、いつものように部屋の中で干そうとすると・・・。
まず、淡いグレーのTシャツに異変が起きていた。背中のあたりに転々と青いシミがある。
・・・?なんでだろう?まあいいや、次・・・と薄いピンクのスカートを干そうとしたら・・・ぎゃあ〜でっかいシミが〜!!!その、周りにも、当然小さなシミがある。
ま、まさか!?と思い全部の洗濯物をチェックしてみたところ・・・全滅・・・いや、濃い色のものは見えなかったけれど、夏なので薄い色の服が多く、その全てに青いシミがついている。
一体これは何!?とよ〜く見たけれど、どうにも青いインクのように見える。
うちには青いペンなんてないのにな・・・と思って尚もよ〜く観察してみると、あるブラウスに、何か妙なものがくっついています。
1センチ角くらいの固めのゼリーといった感じのもの。
一瞬、何かの虫かと思いましたが、生き物の断片ではないような気がします。第一青いインク状のものが全ての服にくっついてるのもおかしいし。
でも、洗濯機の中や洗濯物の間を掻き分けてみても、青いインクの発生源と雄雄しきものも、ゼリー状のものの全体像も分かりません。
一体何なんだよ〜めちゃくちゃ気持ち悪いじゃないか・・・。
しかも、夏物の服がほとんど全滅・・・。
明日からどうしよう・・・。
9月13日(木)
あっという間に世界が激変したような印象を受けますが・・・でも、このニュースを知った時、多分私は少数派の意見を持った模様です。
起こるべくして起こった、そんな気がするからです。
冷戦時代はむしろ奴らを支援してたしな・・・アメリカ。いらなくなったら「ポイ」どころか「テロは許さん、我々は正義の国だ!」って態度を豹変されれば、そりゃあ怒るよな。とはいえやるなら抗議デモか抗議集会くらいで止めて、欧州圏の人の同情をじわりじわりと勝ち取っていかないと・・・急がば回れ、ってことで、その方が飛行機で突っ込むより早く、しかも無傷で確実にアメリカに圧力をかけられると思うんですが。
で、本当に恐いことはこれから起こる・・・とも。
だからってテロを良いとか言ってるわけじゃないですよ。犠牲者は何の罪もない人たちだし、死ぬと分かっていて突っ込んでいける人間を養成した集団はぞっとします。でも・・・ま、思ったことを箇条書きにでもしてみましょう。
・あのテロ行為を『狂信的』というのなら、日本だって狂信的だった時代があった。宗教が背景だろうが経済が背景だろうが、その他もろもろが原因だろうが、追い詰められた人間は狂った行動をする。それは、どこの国の人間だって同じこと。
・ニューヨークがあんな大惨事になるなんて、映画の中の世界だった。裏返せば、「有り得ない」と思っていたから、映画で破壊行為が行えた。「自分は殴られない。」と思い込んでる人間は、殴られれば普通以上にプライドが傷つけられ、なぜ殴られたか考えず、ひたすら相手に責任をなすりつけるんじゃないか。
・パレスチナの人はきっと、「いい気味だ。」と思うだろう。だって、「イスラエルが攻撃して来るんだ。そりゃあ抵抗してるけどこっちは不利。間に立って助けてよ。」って頼んでたのに、「知ーらない。アメリカにはお金持ちのユダヤ人がいっぱいいるから、君を庇って機嫌を損ねたくないし、第一、なんでよその国(国ですらないか)のこと、考えてあげなくちゃだめなのさ。」って返事をされてたんだから。
・逆にイスラエルは喜んでいるだろう。やったのがアラブ系だって分かれば、イスラム教徒は皆同罪。パレスチナを徹底的に攻撃しても非難されにくくなった。イスラム教徒は悪魔の化身だってことがもっともっと世界中に広がればいいのに。
・犠牲者は普通の人々。無残な不意打ち。許せないと思うのは当たり前。でも、何を許さないのか?許さない範囲を拡大するんじゃないだろうか?アメリカで暮らしてる普通のアラブ系住民まで、きっと嫌がらせをされるだろう。アメリカだけじゃない。多分、アラブ系だとかイスラム教徒だってだけで、世界中で嫌がらせをされるはず。そうでなくても肩身の狭い思いをしなきゃいけない。喜んでるパレスチナ人の映像を見た人たちは、「これだからイスラム教徒は・・・。」と思うだろう。
・アメリカには「報復」をして欲しくない(多分するだろうけど。)。「報復」は、された側の憎しみを倍増させる。彼らは「悪いことをした。」なんて思ってないから。そして、「反省しないテロリスト達」へのアメリカの憎しみだって、増幅するだけで、その憎しみは絶対といっていいほどあらぬ方向へ向かう。
・とはいえ誰が見たって大量の犠牲者を出したこのテロは「悪」としか言い様がない。でも、あまりの衝撃にみんなが「『悪』だから滅ぼせ。」という発想になってしまうのはいかがなものか?なぜ「悪」が生まれたのか、冷静な目で考える心の余裕は、大勢の人から奪われてるんじゃないか?
・ま、こんなことを考えられるのも自分が被害者じゃないし、平和ボケ日本で安穏と生活してるから、と言われればそれまでだけど・・・。でも、「平和ボケ」って悪いことだろうか?「安穏とした暮らし」は、恥じなきゃいけないだろうか?攻撃した側を単純に責めることができなかったり、攻撃を受けた側も「狂信的」になっていると感じることは間違っているだろうか?
・・・色々思うわけです、色々。一番願うのは、何の関係もなく、一生懸命生きてるだけの人に害が及ばないでいてくれること。
残念ながら、すでに一歩目からつまずいています。ただ普通に、あのビルで働いてた人やペンタゴンで働いていた人、ニューヨークの町を歩いてた人、飛行機に乗ってた人が犠牲になって、その家族や友人、関係者達は非常に悲しんだわけですから。
一歩目でつまずいたからこそ、ただ普通に、アメリカを始めイスラム圏じゃない場所で生活しているアラブ系の人、少ない物資と圧制でもなんとか生きようとしてる、犯人の関係者をかくまっているとされる国の人々、普通じゃないけどどっちもどっち、つまりは一方的に悪いわけじゃないパレスチナの人達・・・
そういう人たちに対して、2歩目もつまずくことはあって欲しくないです。
何度か挙げてるイスラエルとパレスチナを見れば分かるでしょうが、両方が「俺達は被害者だ。」「俺達は悪くない。」「こんなことになってるのは、相手が悪いんだ。」って思っているとどうにもなりません。
無理なんだろうけど・・・冷静になってくれ、アメリカ、冷静になってくれ、世界、せめて本人以外の誰かを巻き込まない程度に冷静になってくれ・・・。と思うわけです。
本当に恐いのは、力を持った者達が団結し、しかも、その下にいる人々がそれを喜んで支持するときに起きる。そんな気がします。
9月10日(月)
昨日本屋で、遠藤淑子の『ヘブン2』が発売されているのを見つけて、買って来ました。
寝る前に読んでみたのですが・・・いい加減にして欲しいです。あまりの素晴らしさに読み返してしまうわ、1巻も読んでしまうわで、夜中の3時頃になってしまいました。
さすがに寝なきゃ、と布団に入ったのですが、その後もずっと、続きはどうなるんだろうと考え込んでしまい、ちっとも眠れませんでした。
結局寝入ったのは5時頃。6時には起きなきゃいけないので、一睡しかしてない状態です。
それぐらい良かったんです。しっかしこの人は、いつまでも成長し続ける漫画家だなぁ・・・。
しかし現実は厳しいです。ほとんど寝てないに等しい体は朝っぱらから究極なまでにしんどくて、吐き気はするわ、頭痛はするわ、腰は痛いし足はだるいし、おまけに何故か筋肉痛。
とはいえ会社で「漫画読んでて寝てません〜。」とも言えないので、「胸焼けがして眠れませんでした。」と言ってしまいましたが・・・。
なんにせよ辛いので、再び台風が近づいてきてるのをいいことに、「警報になって帰らせてくれ!警報になって帰らせてくれ!」と祈っていましたが、台風の「た」の字が朝方かすった程度で、平穏無事な気候のまま、一日が過ぎました。
でも、夕方、ちょっと奇妙な夕焼け空になっていました。
一応雨が降っていたので雲が垂れ込めていたんですが、その奥から太陽が一生懸命輝いてるのかなんなのか、空は奇妙なオレンジ色なのです。
よく、安っぽいUFO番組で「オレンジ色の光が・・・。」っていいますが、まさしくあんな感じで、社内の人は口々に「気持ち悪い。」と嫌がっていました。
一部の人曰く、あの妙な色の夕焼けは災害が近づいている印で、阪神大震災の前日にもあんな感じの夕焼けが見えたそうです。
不吉だな・・・と思いつつ帰途につきましたが、少し日が沈んでくると、今度は空気全体がピンク色になり始めてどこか現実離れした風景が広がりはじめます。
ピンク色の夕暮れ時を歩きながら、あんまり眠くて夢を見てるんじゃないかと思ったくらいです。異様な違和感でしたけど、ちょっと好きかも。かなり幻想的でしたから。でも、災害はこなくていいよ。
こんな感じで夢見ごこちで家に着きましたが、帰ってきたら速攻で寝るぞ!との思いも空しく、眠すぎて眠れません。
眠いのを通り越すとハイになって、目が覚めてしまう、ってのがありますが、今まさにその状態。
あああ・・・二日連続寝不足は辛い。おまけに明日も胸焼けが・・・なんて言い訳をしてたら、病院へ行って来いコールが大きくなってしまう・・・。
狼少女にならないためにも、きちんと睡眠取らなきゃだめですね。
(どうにもまとまりのない文章なのは脳みそが動いてないせい・・・いや、いつものことか・・・・・・。)
9月9日(日)
小学校時代からのお友達・六日市さんと久しぶりにお食事に行きました。
食べに行ったのは「チリ&ガーリック」中心のお店で、酒好き=辛いもの好きにとって嬉しいお店です。
出てきた料理も期待を裏切らずなかなかおいしくて、お酒も入って話は非常に弾みました。
とはいえ明日は仕事です。そろそろ帰るか、って時、ほとんどの方がトイレに行くと思います。
私たちもそうでした。まずは六日市さん。帰ってきてから私が入れ替わりに。
しかし、このトイレが曲者でした。
ドアを開けて入ると、なんの変哲もない、普通の洋式トイレです。
しかしですね、洋式トイレって、姿勢としてはドアの方を向いて用を足すことになるわけです。
私だって当然そうします。しかし!振り返った私の目に飛び込んできたトイレのドア・・・それはなぜか、鏡貼りでした。
・・・鏡貼りってことはさ、用を足す準備中も、用を足してる最中も、その後片付けをしてる時も、ずっと鏡貼りなわけです。ええ、常に鏡に映った自分と向き合わなくちゃいけないわけです。
私も自分と向き合ってみました。「ここはラブホテルくわぁ〜!!俺にはそんな趣味はねぇ〜!!!」って。
なんだかちょっぴり凹んでトイレから出てきた私は、「さ、出ようか。」と話し掛けてきた六日市さんに、これだけは伝えなければいけない!とばかりに早口で言います。
「ここのトイレ、ヤな感じ。」と。
六日市さんは答えます。「・・・・・・・そうやね。」
神戸はいい所です。山も海もあり、ちょっと古い建物や、都会を思わせる場所、自然に触れ合える場所、色々と用意されています。
だから、自分に向き合いたくなったら、山のてっぺんに登るなり、夕日の見える海岸へ行くなり、異人館街でたそがれるなり、ビルから夜景を見下ろすなり、布引の滝に心打たれるなり、なんぼでも方法はあるんです!
無国籍料理屋で向き合わせてくれなくていいよ・・・。
ちょっとブルーな気持ちで、台風前の生暖かい風に吹かれた夜でした。
9月8日(土)
「捨てる神あれば拾う神あり」とい表現が当てはまるのかどうかは分かりませんが、昨日、絶対に家には入れたくない人から「みんなで矢掛さん家に遊びに遊びに行こう!」との企画を出され、(来てほしい人でも勝手に企画されるとちょっとやだよな・・・。)断っては見たものの、きっとまた会社中で悪口を言たり、ねちねち嫌味を言われるんだろうな〜とブルーになっていたところ、そんな私にぴったりの雑誌の記事を見つけました。
その記事は、ある英語の先生の留学時の思い出です。
その先生は、ある日学校帰りのバスに乗り遅れてしまい、雪道を約40分かけて歩いて帰らなければならなくなりました。
そういう辛い状況の時、人間の気持ちも落ち込みやすいもので、先生は嫌なことばかり思い出しながら歩きます。
最初のホストファミリーの家で、家族になった「妹」に理由も分からないまま嫌われてしまったこと、学校に流された嫌なうわさ。それらにうまく対処できない自分の不甲斐無さ・・・。あこがれのアメリカで直面した現実は、決して楽しいものではなかったこと。
滅入った気持ちのまま歩いていると、雪がやんで、少しだけ太陽が差し込みます。それに誘われるように、少しだけ建設的な考え方ができるようになります。
「今の自分が苦しんでるのと同じように、「妹」も、噂を流した人達も、悩んだり苦しんだりしてるはず。」
そう思うのと同時に、ちゃんと自分を助けてくれる人だっているし、人に悪意を持たれたのは、自分にだって、うまく気持ちを伝えられなかったり誤解を生ませる何かがあった、と思い至ります。
それで悟れたわけではないけれど、その後も、厳しい現実に直面する度に雪の日のことを思い出してがんばっている、というお話です。(ちょっと脚色あり)
確かに私の悪口を言ってる人も、やっぱり悩んでるし苦しんでるし、そのはけ口が欲しいだけだというのは分かります。
私にまったく落ち度がなかったわけでもないでしょう。
いつどこで覚えたのか分かりませんが、「自分に自信のない人ほど人の悪口を言う」「人への悪口は自分を映す鏡」という2つの言葉が思い浮かびます。
どちらも真実だな、と思うのです。
きっと彼女は、自分に自信がなくて、でもそれに気付きたくないから、人の欠点を見つけては、誰かの同意が欲しくて言い触らしてるのでしょう。
ま、どこにでもいるし・・・かわいそうだな、とは思うけど、「かわいそう」と見下してる私のことが嫌になるし、「かわいそうだからって許せるか!」と思う自分もいるわけで・・・。
とりあえず、しょうがないなーってことですね。生きてる以上、誰かに嫌われるし、意に反する出来事も起こるし、しょうもないことに振り回されてぐったりすることもあるし。
そういうのが全くなく、順風満帆な人生を想像してみたところ、楽だろうけどイマイチ面白くないかもしれない、とも思います。
要は嵐の中の雪道を、遊園地の新しいアトラクションか探検だと思って楽しみながら歩けば良いわけなんですよね。誰かに無理やり参加させられたサバイバルゲームだとしても、楽しむ余裕がないと損、と。
日記2001年8月分へ
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