今日もぶつぶつ



11月26日(日)
最近、文字通り頭の痛い日々が続いていた。
もう間もなく冬だというのに私の会社はものすごく暑い。暖房なんていれてないのにものすごく暑い。でも、暑いのは私がある部署だけだったりするから始末に悪い。
私の職場は、部署ごとにブースでし切られている。しかも、一人一人の席も、壁で仕切られている。おかげで結構くつろげるのはいいけれど、空気の流れが鈍い。
おまけに私がいる部署は、窓からも廊下からも一番遠い場所にあるので、せっかく窓を開けても冷たい空気が流れてきてくれないのだ。
窓際の人はコートを着ながら寒さに震えて「寒いから窓を閉めてくれ」と苦情を言われ、自分達はあまりの暑さに腕まくりをして汗をだらだら流しながら団扇で扇いでいる・・・うちの部署はそういう炎獄地獄のような様相を呈しているのだ。
なのに暑いのは私の部署だけなので、トイレや給湯室へ行くと寒い。そして、だらだらと流していた汗が一瞬にしてひゅーっと覚めていき、結果、風邪を引く。
風邪を引いても容赦はされない。やっぱり部署は暑くてその他の場所は寒いので、家へ帰るころには鼻はずるずるいってるわ、背中はぞくぞくするわ、なんとなく目が回る気がしてみたり、体の節々が痛かったりするので、
風呂→食事→寝るというコースをたどってみたりする。
が、ここにも大きな落とし穴があった。
私は、人の倍の水分を取らなければ生きていけない体なのだ。風邪を引いて熱っぽいので、必要な水分はさらに倍増する。
なのに、夜の10時まえから朝6時まで、計8時間も寝てしまうとどうなるのか?
寝てるんだから、当然その間は水を飲んでいない。
かくしてたっぷり眠って気持ち良く目覚めるはずの朝、脱水症状で頭をガンガンさせながら起きることになる。
これを毎日繰り返すと、症状はますますひどくなっていく・・・これを簡潔にいうと、「悪循環」とかいう言葉に置きかえられます。
悪循環は魔の熱帯会社が休みになる土日まで続きました。が、かなり悪化した風邪と脱水症状は簡単には治るものではなく、風邪薬を 所定量よりちょっと多めに飲んで、やっと治りました。ちなみに脱水症状にはきゅうりに塩をまぶして丸かじりするのが良いそうです。きゅうりの丸かじりはかっこ悪い!と思った方は、トマトや梨でもOK。とりあえず水分をたくさん含んだ野菜や果物を食べた方が、水を飲むより吸収率が良いそうです。野菜や果物は面倒、という方は、120円を握り締めて自動販売機へ向かいましょう。「水分補給のポカ○スエ○トとかア○エリ○ス」等を買って来て、お湯で薄めてちょっとずつ飲むのも良いそうです。が、冷たいまま飲むと胃が働くのを嫌がって吸収してくれないのであまり意味はありません。
意味が無いと言えば、多分、私のように日常的に脱水症状を起こす人間はあまりいないでしょうから、ここでこうやって説明することも、実はあまり意味が無かったりするのかもしれない。
・・・なんにせよ、明日から再び熱帯会社との闘いが始まります。
1度半そでで出社してやろうかと(もちろん通勤時にはコートを着るけど)企んでいるのですが、社会の常識に照らし合わせると多分「?」という目で見られるだろうと思うので、一生懸命我慢しています。
風邪には気をつけないといけませんね。

11月20日(月)
まぁ、不信任案、通らないだろうな〜と思っていたけど、ここまでしょうもない過程を経て否決、っていうのは、どういうことなんでしょう?
なんにせよ、加藤氏、自殺行為だと思うんだけどな〜。
だって、自分の党の中での立場は弱くなっただろうし、かといって、あれだけ偉そうなことを言いまくったあとにあの体たらくじゃ、信用失うよな。
でも、この結果は、別に自民党が堕落していることを証明するものではないでしょう。
ある意味、よ〜く現状を分かっているのかもしれません。
だって、ここで乗り切っておけば、今度の選挙の頃には国民なんて、今回のことをきれいに忘れて、またまた「変化が恐い。」っていいながら自民党に投票するか、立候補者の意見なんてほとんど見ないままで、したり顔で「投票する人がいません。」って言うだけですから。
それに、しょーもないことをすればするほど、「政治に失望した。」って言って投票にいかないだけですからね。
選挙権を棄権すればどうにかなるとでも思っているのでしょうか?
・・・ちゅーわけで、これで呆れて国民が投票日に寝ていてくれれば自民党には願ったり適ったりと言うわけで、こうして「呆れた」と言わせてみんなが政治に関心をますますもたなくなっていく・・・なんて完璧な計算だろう。
哀しいことに、多分この通りになります。
・・・なんだか疲れた・・・。

11月17日(金)
悲観主義と楽観主義があります。性悪説と性善説もあります。
もちろん、人間をこの両極端の判断基準で判断するのはばからしいことです。一人の人間を取っても、ある問題には悲観的だけど、別のことには楽観的であったり、昨日まで後ろ向きに考えていたのに今日は前向きだ、ってことは山ほどあります。
でも、むりやり分類すれば、私は悲観主義だし(主義って言われるとちょっとむっとするけど・・・)、どちらかといえば性悪説です。
蛇足ですが、「悲観的」の意味は、何事も悪い方向にしか行かない、という意味ではなく、「人間は楽な道を選びやすい→楽な道にろくなものはない。」という意味であり、
性悪説の「悪」というのは、いわゆる「悪人」ではなく、「人間ってアホな生き物だ。」って感じで理解しておいてください。アホと言うのは、もう少し品良くいえば「愚か」だとでも思ってください。
だから私は、人間って楽な方を選んでろくな目に遭わないし、アホだから、ちょっと考えればろくなことにならないと分かるはずなのにちょっとも考えないし、分かったところで目先の利益に負けてしまう、と思っています。だから「無知の知」が非常に大切なのだとも思っています。」
ところで、日本には「アホ」な首相がいるような気がしてなりません。
「首相」って、一応日本では最高の地位です。そこにたなぼた的に就いた首相は、「楽」をしています。ある種の「選挙」で「首相」に相応しいかどうか問われることなく、ふさわしくあろうと努力する暇もなく手に入ったものは、たとえ正しい手段で手に入れられたとしても軽んじられても仕方のないものです。
普通は、それでも軽んじられないようにと努力するものだと思います。なのに、今の首相はアホなので、どうにも努力しているようには見えないのです。
しょうもない失言を重ねては、それを報道したマスコミが悪い、なんて怒っています。3才くらいの子供がだだをこねるのに似ています。
恐ろしいことに。これを諌める機能がありません。「責めちゃかわいそう。」という仲間はいても、「いい年してかわいそうもへったくれもないだろう。もうちょっと脳味噌動かせ。」という人はいないのです。
そして責める一般人(新聞含む)を「バカ」呼ばわり。
そういえば幼稚園の時、「アホ!」「アホ言うもんがアホなんですー!」「アホ言うもんがアホなんですー!っていうもんがアホなんですー!」・・・・・・って延々やった記憶があります。
それはそうと、やっぱりアホにはかわりないと思います。そして、完璧な悲観主義者ではない私には、ちょっとだけ、理想があったりするのです。
「人の上に立つ人くらいは、ちゃんとしていて欲しい・・・。」
・・・ああ、理想と現実は違う・・・。
で、「アホはあほやん、あかんやろ!」なんて言う人がいると、やっぱり歓迎してしまいます。たとえそれが、ただの仲間割れの延長だとしても。
だって、アホな首相をみんなで黙っ〜て持ち上げてるより、「あいつアホやん、あかんのちゃうん?」と言ってもらったほうがましです。「良い」ではなく「まし」微妙な問題、ものすごく哀しいことでもありますが。
そういえば、APECで失言がなかったのは意外でした。私が知らないだけかもしれませんが・・・とにかく恥ずかしいから外国の人と交流しないで欲しい、と思ってしまう・・・。
所で、そんな首相以上にアホだと思う存在があります。それは私も一員ではありますが国民です。
今、内閣不信任案が出されるか出されないか、どちらの場合に、どれだけの勢力がどれだけ動いてどうなるか、盛んに新聞やテレビで放送されています。
でも、国民がどうかかわっていくか、全く論議されていません。それもそのはず、関わる余地なんてありませんから。
ってことは、どうなろうが国民は知ったことじゃないのです。
内閣不信任案が可決されて総選挙が行われたとしても、首相に不満を抱きながらやっぱり与党は与党のままで、あちこちで私の日記と同様ぶつぶつ言うひとはいても、言うだけです。何も置きません。
だから国民は、マスコミで「大変な事態だ!」と言われれば、それをリピートして復唱はするものの、意味は分かってなかったりします。
で、不信任案が可決されると、あと1年くらいアホ首相が失言を重ねながら居座っている、という恐ろしい事態が待っています。この予想が外れてくれれば、これほどありがたいことはありません。
でも、いつも思うのです。なんだかんだいって、本当にアホなのは誰なのか・・・
「変化が恐いから。」アホ首相には不信感を抱きつつ、アホ首相を支えようとする周囲を選んだ人々・・・その人々を結果的に手助けすることになった、選挙棄権の人々。
ちなみに私は、「投票する人がいないから。」って棄権する人を最悪だと思っています。
「投票する人がいない。」どうしてそんなことがいえるのでしょうか?
というか、投票しないことによって、「投票す価値のない人々」のうちの誰かを応援していることになるのです。
だから、「投票権」って、「権利」じゃなく「義務」にした方がいいように思うのですけどね。
なんにせよ、「投票する人がいない。」という人の大部分は、マスコミ報道で「投票する人がいない。」という報道は読んでも、各候補者がそういう主張をしているかは知らない人のはずです。
そんな感じで、悲観主義かつ性悪説の私は、「国民は、何が起ころうと無関心。下手をすれば無関心=賢い態度と思ってる人までいる」って状態や、無関心なくせに、「ろくなのがいなくて困ったものだ。」って溜息をついて見せて、関心があるようにみせかけている人々、がいます。
私はどちらかといえば後者・・・どうせぶつぶつ言っても変わらないし、変えなくたって生活できるんだからほっとけ、あほらしい・・・と思うタイプ。
なのに時々、「不信任案が可決されて、選挙でもボロ負けするといいなー。」とか、「せめてアホ首相は首にして、ちょっと極端だけど元厚生大臣にでも首相やらせれば?でもいくら奴でもしがらみからは抜けられないか。」なんて考えています。
「政治が混迷」なんて、マスコミが生やしたてるだけで本当のところ、私達の根本的な生活に対して支障もでず、ただのパワーゲームになっています。
でも、ただの混迷です済むのかどうか・・・・
「どうせ何も変わらない」とすねる悲観主義兼性悪説者ですが、せめて上辺だけみて「何やってもむだ」とは思わず、消去法でもいいから、「まし」な道を探って欲しいと思う今日この頃です。

11月13日(月)

本日は会社の健康診断がありました。
レントゲン、尿検査、身長、体重、視力、聴力、血圧、最後は問診。平均的な内容です。
が、問題は健康診断の時間帯にありました。
昼の1時から2時の間・・・おい、それは一日のうちで一、二を争うくらい体重の重くなる時間帯じゃないか?
ちなみに1番重くなるのは多分晩御飯のあと、とくに外食でお酒なんかが入るとものすごく重くなると思います。
この日のために、土日はおやつもたべず、お酒だってお情け程度でがまんしたというのになんということでしょう。
こんな時間にやるなんて、人の努力を踏みにじるものです。
でも仕方ない・・・だからって昼ご飯を抜いてまで臨む根性もなく、泣く泣く健康診断は始まりました。
まずはレントゲン。なんてことないです。会社の通用口に止まっている車の中で撮影してはい、終了。
で、次は尿検査。しかし、トイレと、検査をしてくれる場所はオフィスの端と端。ってことは、人がうじゃうじゃいる中を紙コップを持って突っ切って行かなきゃいけないのだろうか?いいや、社会人の集団でそんなばかなこと・・・。
と思いながらトイレへ行くと、洗面台に紙コップが一つおいてあり、中には綿棒くらいの大きさのスティックが。
これで自分で検査をして、やっぱり洗面台に置いてあるケースにこのスティックを入れて持っていけばいいそうで・・・進んでるなぁ(?)とちょっと感心しました。
いや、本当は本人達に検査をやらせて健康診断の迅速化と安上がりを狙っているのでしょうが。
次は、恐怖の身長、体重、その他諸々です。
入るといきなり体重計が・・・ああ、お弁当を食べたから1キロは重くなっているはずなのです。しかも私は水飲み大魔人。昼食時にはこれでもか、というほどお茶を飲んでいます。2キロぐらいは引いて欲しいところです。
何キロなんだろう?と思いつつ係りのおばちゃんが書き込むのを盗み見ようとしましたが、失敗に終わりました。
でも、希望だってあるのです。だって、おばさんは私に、「満腹?」と聞いたのですから。
もちろん満腹だと答えました。きっと2,3キロ引いてくれるに違いない、と夢を心に抱きながら。
その次は身長。できれば伸びていますように、と一生懸命背筋を伸ばしてみましたが、どうなっていることでしょう。
さらに流れ流されて、次は視力検査です。
ちなみに私は、視力が悪いくせにメガネもコンタクトもしていません。良い時で両目とも0.3くらい。天気が悪いとか、長時間パソコンをやっているとさらに下がっていることでしょう。
が・・・
「これは?」
まずは小手調べ、って感じで真ん中当たりに電気がつきます。
「・・・・・・右?」
目を細めると、見えるんだよなぁ。
その下の段にも電気がつきます。またまた目を細めると見えたので、さらに下の段。が、さすがにこれは目を細めても見えません。
というわけで、さっきは見えたはずの、一個上の段へ。
一生懸命目を細めて見ようと思ったのですが、やっぱりそういう無理は目を疲れさせるみたいです。ちっとも見えません。
「じゃあ、これは?」
最初に見た、真ん中の段に戻ってきました。いくらなんでもこれ以上、上の段へ行くのは阻止しなければ!と頑張った結果、再び大当たり。
当然下の段へ行くのですが、もう疲れているので見えません。あっさり「分かりません」と言ったのに、さらに下の段の電気をつけられます。
が、目の回復力とはすごいものです。さっきさぼった分元気を取り戻したらしく、今度はちゃんと見えました。
というわけで、私の目は、「普通の大きさの文字→見える」「小さい文字→見えない」「さらに小さい文字→見える」という、検査官にとっては訳のわからない現象を左右ともに繰り返し、結果、右目だけ0.4に上がっていました。
で、聴力検査までやって、やっと健康診断の用紙を返してもらいます。
次は血圧と採血なのですが、混んでいるので椅子に座ってしばらく待ち。
「やれやれ・・・体重どうなってんだろ・・・」
恐いもの見たさで用紙に目をやった私は、しばらく呆然となったまま凍りつきました。
・・・体重が増えてたから・・・?ふっ、体重は減っていました、それも普段より3キロくらい。おばちゃん、満腹とは言ったけど、引きすぎ・・・。
しかし、身長・・・ たしか学生の頃は161cmあって、なのに8月に入社用の健康診断を受けたときには160.4に縮んでいて・・・その3ヶ月後に、なぜ159cm?
3ヶ月で1.4cmも縮むか・・・?
これはショックです。体重が5キロくらい増えていても、がんばれば落とせますが、身長が縮んでいても、がんばって伸ばすことは恐らくもう無理です。
そういえば最近腰が痛かったけど、もしやすでに腰が曲がり始めてる?いや、骨が削れてきてるのか?まさか椎間板ヘルニアとかになってるんじゃ・・・?
不安は尽きることがありません。
なのに血圧の順番がまわってきます。おとなしく測ってもらっていたのに、看護婦さんは、1回測り終わると私に言いました。
「ちょっと、ゆっくり深呼吸してもらえる?・・・そうそう・・・ゆっくりすって・・・・吐いて・・・もう1回測ります・・・。」
やり直さなければならないくらい、信じられない血圧だったのだろうか?
そして、次の採血で、私はさらに驚くべき事実に直面してしまった。
私は、注射って平気な方なのです。でも、もう10年近く注射も点滴も打ってないな・・・と何だか感慨深い思いで、注射器が刺さるのを眺めていたのですが・・・(だめな人は、「刺さる」と聞いただけでもうだめに違いない)
採血してるんです…当然注射器の中に血が吸い取られて行くんです。でも、その血が、赤紫色なのはなぜなんでしょう?
びっくりして、横に置いてある前の人の注射器を見ましたが、血は赤いです。
もう1度自分の血を見ましたが、どう見ても赤じゃないです、赤紫です。
・・・ちょっとくらくらしましたね、さすがに・・・。
たくさんの恐ろしい体験をして、健康診断は終わりました。
自分の部署に戻って、身長が異様に縮んでた話をすると、
「あの測定機、こわれていて2mcくらい縮んで出るんだよ。」
と教えてもらいました。ちなみに体重は5キロほど軽く出るそうです。
や、やせよう・・・。
しかし、赤紫の血の事はさすがに言えませんでした。でも、採血してた看護婦さんは驚いてなかったんだから、珍しくないはず・・・それを心の支えに、検査が出るのを待たなければいけなのです。

11月9日(木)
人間が変わらないままでいる、ということは、良いか悪いかは別として、ちょっと恐ろしいことです。
小さい頃はわがままだった子供も、大人になれば少しは自制心が芽生えて自分の希望が通らなくても泣き喚いたりしなくなるし、逆に、優しかった子が挫折続きで根性悪になってるかもしれません。
そんなはっきりした変化ではなくても、大人しくなった、活発になった、おしゃれになった、ざっくばらんになった、と、色々あるのでしょう。
それは多分、自分の内部で何かが変わっていくからだと思うのです。
だから、30年近く経っても変わらない人、というのは驚きです。
それも、30年間、何事もなく平穏に暮らしてたならともかく、劇的な変化が山ほどあったはずなのに変わらない、っていうのは驚きです。
いや、目に見えないところで変わっているのかもしれませんが・・・。
でも、30年近くテロ活動をしてきた人が護送されながら不敵に笑ってみたり、「闘うから!」と言ってるのをみると、ぞっとします。
この人は、集まった野次馬を自分の支援者だとでも思ってるんだろうか?テレビや新聞の記者が山ほど押しかけてるから、まだまだ自分の発言力はある、と思ってこんな態度なんだろか?でも、私はこの人知らないぞ。
ついでにこの人は、仲間が逮捕されるとどっかの飛行機をハイジャックして釈放させたらしいですが、自分もそうやって釈放してもらえると思っているのか・・・。
真意は分かりませんが、地下鉄にサリンをまいた集団並に恐いのは事実です。
どうしてそこまで自分が正しいと思えるのか?
いや、このままの日本じゃいけない!とか思ってるならそれは多くの人の共感するところなのでしょうが、だからってコツコツ働いてる一般市民をテロの巻き添えにして何の疑問も抱かないなら共感できないし。
「信じるものがある」ということは確かに生きていく上で必要です。
どうしていいか分からないよりは信念を持って生きていく方がかっこいいのだろうし、生き甲斐だって得られます。
でも、それを人に押し付けたり、信じる事の弊害を赤の他人に撒き散らしていれば迷惑な話です。
今後、彼女の生涯を特集したり、本人が手記を出したりして一躍時の人となることでしょう。
実行犯ではないので、下手をすれば何年かで出てきて、それこそ「タレント」化するかもしれないし、この前できた「有名人を抱え込んだらいっぱい票が入ってうちの党は大勝利♪法(非拘束名簿とかいうものかもしれない・・・)」で祭り上げられるかもしれません。
やったことには賛成できないけれど、意志が強いとか理想をもってるとかいう意味ではすごい人なのでしょう。(いや、生まれる前だから知らんし、生まれたあとだとしても小さすぎてそんな人記憶にない)
でも、その人の約30年の軌跡の下には、彼女ほどの意志の強さや理想はなくたって、自分なりにこつこつ生きていた小市民が「理想」の名の元に犠牲になっている・・・。
それでも多分、これからこの人は脚光を浴びていくのだと思うと、ちょっと気が重いです。
でも、デヴィ夫人とかとトークバトルしたら笑うな・・・むかつくから見ないけど。

11月6日(月)
たまには真面目な話でも・・(って、ネタがないだけか?)
少年法の改正・・・いざ実行に移されると、「改正賛成派>改正反対派」の力関係が、「改正反対派>改正賛成派」になる模様です。
それ自体はいいことだと思うます。どんな意見であれ、偏ると間違った方向へと暴走してしまう可能性が大きいから、歯止めの役割をする反対意見は必要だと思うのです。
私自身は厳罰化に賛成です。それは、以前にもここに書きましたが、被害者に対して、「加害者は少年なんだから許してやろうよ。」と言うことが間違っていると思うからです。
被害者にしてみれば、相手が年寄りだろうが中年だろうが少年だろうが、被害の大きさに代わりはないからです。
そういう意味で、少年だろうが青年だろうが区別せずに処罰する、という考えなら賛成できます。
でも、新聞やらテレビを見ている限りではちょっと違うみたいです。偏見かもしれませんが、「子供だからって許してたら世間がうるさいから厳罰化しよう」と言っている様に思えるのです。
厳罰反対派の人にも同じことが感じられます。
「世論に流されて単に厳罰化するだけでは根本的な解決にはならない。もっと、少年を立ち直して社会復帰させる方法を考えてほしい。」
どちらも、被害者のことはやっぱり無視、というのと、少年が受身であることを前提にしている、という点で共通です。(いや、「そんなの偏見だ!」って言われればそれまでだけど・・・。)
少年法を改正するより、被害者を救済する法をしっかり作って、それに伴って変えなきゃいけない部分だけを変えればいいのに・・・と思います。加害者が少年だろうが青年だろうが関係ないと思うんですけどね・・・。
こんな話を聞いたことがあります。
子犬は、兄弟とじゃれあいながら、かむ強さを加減することを覚える。
人間にだって同じことが言えるはずです。
幼稚園くらいの時、特にこれが顕著じゃないでしょうか。
あんまりわがままだったら嫌われる、乱暴だったら相手を泣かせてやっぱり嫌われる。
加害者は被害者の反応を直接感じることで、自分が何をしたか、本当の意味で悟ると思うのです。
もちろん、それはものすごく主観的なもので、自力救済を許せば手が滑って怪我をさせただけでも死刑にされかねないし、加害者の家族から逆恨みされて、復讐の復讐が繰り返される事だってあるかもしれません。
だから、第三者である法律が犯罪を裁くのでしょうが、だったらもっと公平に、加害者には処罰、被害者には保護を確実に与えられるようになってほしい、と思います。
「加害者にだって心の傷はあるんだから、保護して立ち直らせて、社会復帰させてあげないと。」
そこまで加害者の人権に気を配れる「優しい」人なら、当然平等に被害者の人権にも気を配ってほしいような・・・。
加害者が少年だったらどうのこうの、っていうのではなく、加害者が誰であれ被害者の権利を優先するような法改正をして欲しいな・・・
ちなみに、数日前の新聞記事で、@「今は20代ですら幼稚なんだから、本来なら刑事罰の対象年齢をもっと引き上げるべきだ。」とか、A「少年が本当に更生することを望むなら、被害者の遺族は少年が社会復帰するよう応援して許すべきだ。」なんて書いてる人を見かけましたが・・・。
@って、財源が足りなけりゃ消費税引き上げればいいや、って考えと似てません?引き上げる前に、どうしてそうなったのか、とか、どうすればまともになるのか考えろよ・・・。
Aそれはものすごく崇高な考えかもしれません。でも、何やっても許す、っていうのはただ甘えさせてるだけで、どっかの女優の次男坊みたいなの(しかも罪名は麻薬所持とかじゃなく殺人だし)がごろごろ増殖するだけです。更生には、本当に反省することが大前提です。それがなければ遺族がいくら「広い」心で許したところで意味なんてないのです。
でも、少年法改正で少しはましになるとは思います。
少なくとも「未成年だから何をやっても許される」って考えて犯罪を犯す人は減るんじゃないでしょうか。「たとえそれが、100人の少年犯罪者のうちの一人だけだったとしても、100人の被害者が99人になる、それでいいじゃないか・・・」
ちなみにこれって私の好きな漫画家さん(つまりは遠藤淑子)のお話に出て来る台詞をちょっと変えたものです。
そういえば遠藤淑子・・・もう長い間更新していない・・・だれか見てるんだろうか、あのコーナー・・・

11月2日(木)
なんだかしょっちゅう研修に行ってます。今日も行って来ました。
ところで、姿勢が悪いせいか、私は長時間まっすぐに立ってる、とか、背筋を伸ばして座る、ということがなかなかできません。
研修では、せまい椅子に、午前中3時間、午後も3時間座っていなければならないのですが、これがめちゃくちゃ辛いのです。ついつい、背中を曲げてぐにゃっとした姿勢になってしまいます。
それだけならいいのですが、もうどうしようもなく腰が痛くて、私はついに椅子の上で正座をしていました。
腰掛けなんですけどね・・・講義中に、他の人の邪魔にならないようにそ〜っと靴をぬいで、ゆ〜っくり足を椅子の上に上げて、椅子にすっぽり収まるように正座をするのです。
昔、祖母が「腰が痛い」と言いながら正座をしていましたが、これって腰の負担を軽くするのでしょうか?かなり楽になります。座高が高くなるので後ろの人には迷惑な話ですが。
楽なので、ずっとこうしていたいのですが、そうもいきません。正座には、別の敵が攻めてきます。
その名も「しびれ」
しばらくすると、ちょっとずつ足首が痛くなってきます。それでも普通に座っているよりは正座の方がましなのでしばらくは我慢するのですが、やがて限界はやってきます。
が、限界を感じて足を下ろそうとすると、妙なのです。
足をさわると、「ボヨンボヨン」ってゴム風船のような感触がします。でも、手で触れても、「触れてる」って感覚はないのです。
だから、足を下に下ろそうとするのが一苦労。だって、足がどこにあるのか自分でも分からないのです。感覚がいっさいなくなっているのですから。
それは下に降ろしてからも数秒続きます。正座を解いて、足を床の下に下ろしたはずなのに、ちっとも床についた感覚がしないのです。でも、下を見ると、足はしっかり床についてます。
「なんじゃこりゃ?」
と思った瞬間、敵は襲来してきます。
さっきまでの無感覚が嘘のように、音で表すと「ざざざ〜」でしょうか?足の中で日本海の荒波がうねっています。
「ひえ〜助けて〜」と、慌てて足を動かすと逆効果です。波はさらに激しくなり、白いしぶきがつめの先まで飛んで行きます。
耐えること3分・・・台風は去りました。
が、なくなったらなくなったでちょっと寂しくなり、性懲りもなく再び正座したりします。
こうして足のしびれと戦って遊んでいるうちに、研修は終わりました。・・・お金払ってるのに・・・。
でも、時間を忘れて楽しめます。1度やったらくせになります。お暇な時は、「しびれごっこ」で遊んで見ましょう。

日記2000年10 月分(後半)
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