矢掛葉月の条件
条件@高血圧
小学校、中学校を通して、私はのぼせればすぐに鼻血を出す子供だった。
夏の炎天下に長時間外へ出ていた場合はもちろんのこと、秋になっても運動会や遠足では必ずと言っても鼻血を出した。
みんなが楽しげに何かを見学しているときなどに、一人で木陰のベンチに休憩中、というのはかなり空しい。
言い訳すると、別に太っていたわけでもなんでもない。病弱だったので、むしろ線の細そうな子供だった。(今は違うけど)
いかにも血の気なんてなさそうなのになんで無駄に血が出て行くのか不思議だったのだ。
そんな私は、高校生になって一つの希望を見出した。
16歳になれば献血ができるのだ。
幸い私が通う高校の最寄駅には、毎週献血車がやってきた。私は16歳になった途端、いそいそと献血をしに行った。
献血には決まりがあって、たしか18歳未満は2ヶ月は間隔をおかなきゃいけないとか、年間800cc(一回につき200ccの献血)だとか(記憶がおぼろげ)、そういうのがあったはずだった。
でも、知ったことかとばかりに、血を減らしたい私は3週間に1回くらいやっていた。簡単なことだ。いつもいつも、「初めてです」といっておけばいのだから。ついでに病弱だったので(しつこい)注射や点滴にも慣れていて針なんて恐くも無いし。
その過程で、自分の血圧が140もあること判明。普通は110から120なのだ。ついでに160あたりから、ただの「高血圧」から「高血圧症」として、病気に格上げされてしまうらしい。中年男性ならいざ知らず、若い身空で恐ろしい事になっていたのだ。
ところが、何度献血をしても鼻血は収まらなかった。
今なら、血が減ると減った分の血を補おうとして却って献血後に血が増えるらしいと分かったが(リバウンドのようなもの?)その時は分からなかった。
なんで?なんで減ってくれないの?と、お年頃の乙女(死語)は悩んだ。悩んだ結果、18歳まで待ってみた。
18歳になれば今までの倍、400ccの献血ができるのだ。
さすがに抜く血が倍になれば、少しはマシになるだろう。
記念すべき1回目の400cc献血の時、友達が「私もやってみたい」と言った。
「じゃあ一緒に400やってみよっか♪」と仲良く献血車にのって、友達が先に検査を受けた。
「だめですね、あなた、400は無理です。200にしときなさい。」
私の目の前で、友達はそう言われて連れ去られた。次は私の番。
「400にしたいんですけど。」
「そう。ではこちらにどうぞ」
・・・何の問題も無く献血台に案内された。
そして無事献血後、ジュースをもらって隣の車両で10分ほど休憩する。
かなり友達を待たせたんじゃないかと慌てて休憩車両を見渡すと、友達はいなかった。
まさか待ちくたびれて先に帰った?いや、いくらなんでもそんなことはしないだろうし・・・
おかしいな、と思いながらももらったジュースを飲んでいると、友達が入ってきた。今終わったのだという。
・・・さて、ここで問題です。
1.先に200ccの献血を始めた人
2.あとから400ccの献血を始めた人
どちらが先に終わるでしょう?
・・・・・・
常軌を逸した血の流れを持つ人、それが矢掛葉月第一の条件。
条件Aキャッチセールスの餌食
私はしょっちゅう見知らぬ人から声をかけられる。
道を尋ねる人
・・・まあいい。私だって道を聞くことくらいあるし。でも、普段ぼーっと歩いている私に道を聞いても分かりっこない。
スーパーの特売品前で「これ3つで500円なのね。1個だといくらかしら?」と尋ねるおばちゃん
・・・まあいい。よーく見ればどこかに値札があるんだから、自力で探せよ!とも思うが、私だって見落とすことがある。
宗教勧誘の皆様
・・・やめてくれ・・・
昔、JR明石駅という地元ではちょっと大きな駅前にペットショップがあった。そこは待ち合わせのかっこうの場所。だって待ちながらかわいい子犬や子猫を見てたらあまり待つのが苦痛にならない。
でも、それにどこかの宗教団体の皆様が目をつけた。話しを聞きたくなくても、人を待っていてその場を動くわけには行かないからだ。
彼らは爽やかに「こんにちわ!」と行った後、「世界の光が神の思し召しによって天から降り注ぎ…■※@▽#★¥……」と訳の分からないことを言い始め、最終的には「あなたのために祈らせてください」と言うらしい。「結構です」と断っても、「そういわずに。あなたのためなんです!」と散々言い、やっと立ち去ったと思ったら別の人がやってきて同じことを言い始める。
そして時々、そういう勧誘に負けた人が祈られている姿も見えたりする。
ペットショップには、ついに「お客様の迷惑になりますので宗教活動はお控え下さい」の張り紙が出た。ついでに向かいの派出所からは、二人もお巡りさんが出てきて見張っていることもあった。でも見張ってるだけ。まあ、違法行為はしてないからなぁ。
ついでにこれは私に限らず誰にでも話しかけていたのでしょうがない。
最悪なのがキャッチセールス。
これがまた、笑ってしまうほどよく声を掛けられる。
呼びとめられたときには、道を聞かれるのかもしれないから丁寧に受け答えするのだけど、
「アンケートに答えてください。そのあと、ちょっとお話したいんですけど」とか「あちらで○○の販売をしてるんだけど、、見に来ない?」とか言い始めたら丁寧さも吹き飛んで、無視したまま立ち去る。下手に「結構です」とか、いつまでも丁寧な口を利いていると奴らはいつまでもついでくる。
もちろんそんなものに行ったことはない。
私は相手によって自分の態度を変える傾向があるが、困って何か尋ねたくて話しかけてくる人には丁寧に、こいつを騙してやれ!と近づいてくる人には乱暴に対応する癖がある。
とっても良い癖だと我ながら思う。
それにしてもしょっちゅう声を掛けられるので、なんでだろうと疑問に思っていた。
そんな折り、テレビで悪徳商法特集をやっていて、キャッチセールスの手口も紹介していた。
どんな人に声を掛けるのかというと、「ぼんやり歩いている人」「自信なさげな人」「気が弱くて、押しに弱そうな人」等々。
悪かったね、ぼんやりしてて自信が無くて、気が弱い上に押しにも弱くて!
でも、いつもいつも友達に「初めて会ったときと何ヶ月かたってからの印象が全く違う」と言われる私。「大人しそうに見えたのに・・・」と途中から沈黙される私。いえ、大人しいけどね。だけど騙されるのは一番嫌い。
このテレビを見て以降、キャッチセールスに声を掛けられると「なに人を騙そうと近づいてくんねんっ!このボケッ!」と心の中の毒づきがひどくなった。ちょっとおちょくろうかとも思うが、気が弱いのでできない。
以前宗教勧誘の人をおちょくったら、ものすごく遠くの方から睨まれて、かなり恐かったのだ。
でもね、本当は繊細な私。結構落ちこんでたりもする。
私って騙しやすそうに見えるのかなーって。
「いいやん、騙されたことないし、一見優しそうに見えるってことでしょ?」と友達は慰めてくれるけど・・・
・・・一見って何!?
嫌がってるのにキャッチセールスからはいいカモだと思われる、それが矢掛葉月第二の条件。
条件B中途半端に左利き
私は箸と鉛筆は右手で使うけど、ボールを投げたりラケット振ったり、とりあえずスポーツ全般は左利きです。
なぜそうなったのか、私はずっと父のせいだと思っていました。
ピンクレディーが好きだった父は、彼女達の代表曲『サウスポー』に憧れて娘をサウスポーにしようと決めた!
そう信じていたので、周りの人にどうしてスポーツだけ左なの?と聞かれると、「うちの父親がさ〜」とずーっと話していたのです。
そして大学生になったある日、奇妙な新聞記事を見つけました。
改札を出るとき、切符や定期券を投入する場所(なんていうんだろう、あれ。とりあえずスロットと呼びましょう)が右側にあるので、左利きの人は不便!という内容だったのです。
おや?と思いました。だった私も改札は不便だな〜と思っていたから。高校の時、定期券を左手で出して右側のスロットに入れなきゃいけないので、体の前で左手を交差させなければならず、荷物があるとものすごく邪魔だったのです。
同じことは自動販売機にもいえました。お金の投入口はみんな右側にあるので、やっぱり左手でお金を出すと不便なのです。
それまで私は、「右手は食事や字を書くという大切な作業をする手だから、その他の雑用は左手でやるのが右利きの人」と勝手に思いこんでいたアホな子でした。右利き・左利きの本来の意味をよく分かっていなかったようです。
そこで、父親に電話で「私、もともとは右利きやったのにお父さんがピンクレディーに憧れて〜中略〜人工的に左利きにしたんやろ?」と尋ねて見たのですが、父の答えは以下の簡潔な3文でした。
「そんなわけないやろ。お前はもともと左利きや。アホか。」
そう、単に箸と鉛筆は矯正させて右利きにしただけだったのです。別にピンクレディーのファンでもありませんでした。私が小さい頃好きだったから、ポスターとかテープ(その頃CDなんてなかった)を買ってきていただけだったのです。
言われて見れば思い当たる点は山ほどあります。
たとえば小学校時代から不思議だったのが消しゴムの扱い。右手は鉛筆を持ったままで、左手で字を消せば良いのに、みんなどうしてわざわざ鉛筆を置いて消しゴムを持って・・・って効率の悪いことをやってるんだろう?
たとえばジュースの缶。
右手で取り出して左手に持ちかえて、右手でプルトップを開けた挙句に再び右手に持ち替えて飲んでる。なんであっちこっちの手で持つんだ?ずーっと右手に持ってればいいのに!とえらい不思議でした。
ただ単に、矯正したって生まれつき左利きなのだから、細かい動作は左手でやってしまうだけだったのです。
最近はあまり矯正ってしないのかもしれません。しない方がいいです。
だって、右利きの人は右手ばかり使うから、ちゃんと器用な右手が生まれます。左利きの人も、全ての作業を左手で行えば器用な左手になります。
が、作業を分けてしまうと、どちらの手も中途半端にしかならないので、結局不器用なままです。
そう、私がどんなに真面目に授業を受けても美術の成績が2止まりだったのは、矯正したせいだ!
と、真偽のほどは分かりませんがそう思うことにしています。
ついでに技術で本棚を作ったときも2だった・・・。
でも、両方使えるのが理想的です。パソコン一つ取っても、マウスを右手で持つのに疲れたら、左手で持ちかえることが出来ます。
矢掛葉月第三の条件・・・ただ不器用なだけ・・・。
条件C勝手に縮む
私の身長は161cm。決して高くはないけれど、低いわけでもありません。
なのになぜか、小さく見えるらしいのです。一番すごかったのは150cmくらい?って聞かれた時。なんで10cm以上低く見積もられるんだろう?
そして、小さく見えることで数々の苦難(?)を経験してきているのです。
事件1:肩もみの屈辱
それは大学生の時。体育の授業でサーブのテストをしていた時です。
待っている間は暇だったので、私は自分の前に並んでいる子と雑談をしてました。そのうち、肩こりが酷いという話しになり(一体何歳だ!?)私は「肩もみうまいから、やったげる」と彼女に言いました。
彼女は「ありがとう。」とにっこり笑い、私に背を向けたかと思うと・・・・・・しゃがみました・・・。それも思いっきり!
「・・・ちょっと待て・・・。」
当然私は静かな声で彼女の背後から声をかけます。
「立ちあがって、こっち向いて見ぃ。」
私の声に何かただごとではないものを感じたらしく、彼女は不思議そうに私を振り返り、それからぎょっとした顔になって、
「あれ?矢掛さんってこんなに大きかった?」
と、まじまじと私を見たのです。
それまで散々向き合って雑談をしていたはずなのに、目線だった同じ位の高さだったはずなのに、なぜ今まで気付かなかったんだろう・・・。
おかしい!絶対におかしい!!
事件2:中国語教師の疑惑
やはり大学の頃、私は第二外国語に中国語を取っていました。
生徒数が少ないので雰囲気はかなりアットホーム。一つの構文を教えてもらうと、先生は一人ずつに応用問題を出していくほどの丁寧さです。
そして、比較表現を習った時のこと。
やはり先生は、一人ずつに
「この鉛筆はあの鉛筆はどちらが長いですか。」とか
「あなたと彼(と隣の人を差す)は、どちらが年上ですか。」
と聞いていました。そして私の番。
「あなたと彼女(隣に座っていた友達)はどちらが背が高いですか。」
友達は私より5cmくらい小さかったので、当然「我是。(直訳:私です。)」と答えたのですが、先生は私と友達を見比べた後、再び同じ質問を発しました。
だから私も、「我是。(意訳:だから私ですってば!)と答えたのに、先生はものすごい同情の眼差しで私を見たあと、日本語で、
「僕の質問は、どちらが背が高いかですよ?高い方を答えてください。」と言うのです。
そんなこと言われても、「私なんですけど・・・。」と答えるより仕方ありません。
それでも先生はまだ納得できないご様子。彼女に身長を聞き、私にも身長を聞き、しきりに首を傾げながら去って行きました。
あの先生はもしかしたら、自分の日本語が通じなかった、とでも思っているのかもしれません。
事件3:疑いの下方視線
やはり別の体育の授業で、背の順に並ぶように言われたことがありました。
私は大体真中辺りだろうと思ったので、列の中ほどに入ってみました。
するとみんなして、「矢掛さんはもっと前でしょ?」と、私を前に押しやるのです。これではまるで、迫害です。
そうやってどうみてもつむじが見える人達の中へと追いやられると、さすがにみんなもおかしいと気付いたのか、
「あれ?じゃあもう一人後ろ?」と私の後ろの子との背比べを強要するのです。でも、つむじが見えてるんだからわざわざ背中を合わせなくたって分かるはずなんですけど・・・
そうやって一人ずつ背中合わせに比べながら、私はどんどん後ろへ下がって行きました。
そしてとうとう、最初に私が
入ろうとした真中辺りまでやってきました。
「え〜?矢掛さん、見た目より高いね。」と、ものすごく納得できなさそうに、嫌々背を比べます。そして、やはり私の方が高かったのですが・・・
「背伸びしてるでしょ!?」
一人が叫んだのと同時に、みんなの視線が一気に私の足元へ!
もちろん、背伸びなんてしていません。だからいくら足元を見ても不正のあとは何も発見できず、
「今、ばれたから背伸びを止めたんでしょ?もう1回!誰か足元見張ってて。」
と、えっらい濡れ衣を着せられたまま背比べをさせられました。
たかが背の順に並ぶだけで・・・どうしてこんな目に・・・?(T_T)
結局本当に背が高かったのだと分かりましたが、私の前に並んだ人は、ものすごく疑惑の目を私に向けていました。
たかが背やん・・・小学生じゃあるまいし、背伸びなんかするか〜!!
でも、だからといってここまで迫害されると意地でも正規の場所に行ってやる!と戦い抜きました。
・・・アホらしい話です。
事件4:傘でつつかれる
私はものすごく面倒臭がり。だから雨が降りそうだけど降っていない時は、十中八九、傘なんて持って行きません。
そして授業が終わってキャンパス(というほどおしゃれなものではない)を歩こうとすると、友達の傘に入れてもらうことになるのです。
友達はみんな優しいです。私を快く傘に入れてくれるばかりか、申し訳ないからせめて私が傘を持とうと申し出ると、
「いいよ、いいよ、私が持つから。」
と言ってくれるのです。
ところで、何故だか私のお友達は小さい人が多いです。そして彼女達は、何故だか私のことも小さいと思いこんでいます。
だから、自分の身長を基準にして傘を差します。その結果、私は開いた傘の鍼の先で突つかれる事になるのです。
「痛っ。」と頭を押さえる私を、友達は「あれ?」って顔で見ます。・・・もしかして、わざと?
このように数々の困難に打ち勝ってきたわけですが、勘の良い皆さんの中には、「あれ?なんでエピソードが大学時代に集中してるの?」と思った人がいるかもしれません。(その前に読んでる人はいるのか・・・)
なぜなら私自身が、大学に入るまで自分を小さいと思っていたから・・・
普通は女子って小学校高学年から中学校の間に伸びじゃないですか。
でも私は、小学生の時って全く伸びなかったです。で、もともと小柄だったから、前から3番目くらいになってました。
中学校に入っても、周りのみんなとの差が開く一方。どんどん小さくなっていきました。
伸び始めたのは中学3年くらいからかな〜。
中三で10cmくらい伸びて、高校で20cmくらい伸びて、大学で5cmくらい伸びて・・・。
だからいまだに中学の時の友達って大きいイメージがあるのです。逆に、中学の時の友達は私のことを小さい人だというイメージがあります。
駅でばったり会ったら違和感がありますね〜。
私「あれ?小さくなってない?」
友「あんたが大きくなったんや!」
こんな会話が繰り広げられるのです。
何故小さく見えるのか?
ものすごく小規模なアンケートをとったところ、一番多かった意見は
「雰囲気が小さい。」
・・・・・・・。
小心者だということ?だからキャッチセールスにも声をかけられやすいっていうこと?
なんだかなあ・・・。
しかも一番悲しいのは、写真を見ると、自分自身の目にも小さく見えるってことですね。
人の目に映るとき、自動的に縮小される、それが矢掛葉月第4の条件。
条件D水
人間は、水が無ければ生きていくことは出来ません。
でも、そんな人間達の中でも私は、水がなくなれば真っ先に死んでしまう自信があるのです!(どーゆー自信や)
というわけで、今回は足し算を致します。皆様(って何人だろう?)メモをご用意下さい。
私の水飲み生活は、夜寝る前から始まります。
500cc入りのペットボトルに水をたっぷり入れ、枕元に置きましょう。これを、寝つくまでちびちび飲みます。
何故だか分かりませんが、布団に入ると異様に喉が乾くのです。
看護婦の友人が、「喘息の人は寝る時に水を置くことが多い。」と言っていましたが、真偽のほどは分かりません。第一、別に発作なんて起きてないのですが、やっぱり喉は乾きます。
多分、鼻が悪いんだろうな・・・。寝ているうちに鼻が詰まって息ができなくなるから、いつの間にか口で息をしていて、それで口の中が乾いているのだと思います。
何はともあれちょっとずつ水を飲んでいるうちに、めでたく眠りに就くことができました。
さて、朝です。
起きて一番最初に私がやること・・・それは、残った水を飲み干すことです。
大抵ボトルに半分くらいしか残っていませんが、もっと多くても飲み干します。あればあるだけ飲んでしまうのです。
というわけで、起きた時点ですでに500ccの水を既に飲んでいるのです・・・。
たまに疲れていて、水を飲まずにすぐ寝てしまうことがあるのですが、そんな時、朝起きるとちょっと頭が痛いことがあります。もしや脱水症状?うん、多分脱水症状・・・たかが寝る前に水を飲まなかった程度で・・・どういう体なんだ
空になったボトルには、すかさず水を入れておきましょう。
で、朝食やらお弁当の準備をしながらでっかいマグカップでコーヒーを飲みます。計ってみたら300cc入りました。本来の2杯分ですね。
なんにせよ、カフェイン中毒なのでコーヒー無しでは生きていけないのです。
で、食後にも当然食後のコーヒーがあります。飲まないと生きていけないんです・・・だって重症の中毒だから。
そのあとも、TVを見たり新聞読んだり、片付けたり、準備をしたり・・・その合間にちょこちょこっとボトルに入れた水を飲んでます。
出掛けるまでになくなります・・・。
ここまで合計して見ると、ボトル2本とコーヒー2杯・・・既に1.6g飲んでます。
え〜っと、人間って1日に最低どれくらい水を飲まなきゃいけないんでしたっけ?
多分1.5〜2.5gだと思ったんですが・・・朝っぱらから最低ラインを軽々クリアです。
仕事場ではどうでしょう。
会社にあるのは150cc位の小さいカップなんだなぁ・・・で、その日の忙しさによって違うんですが、多分午前中2杯、昼食時3杯(しゃべるので喉が乾く)、午後4杯位にしておきましょう・・・電話の応対とかしてしゃべるし、あちこち動き回るから喉が乾くんだ・・・関係ない?
え〜っと、掛け算しましょう。200cc×(2+3+4)=1800cc!?
・・・い、1.8gですか?またまた1日の最低摂取量クリア!何しに会社に行ってるんでしょう?
で、ここからが問題なのです。
家へ帰ってまずやること!そう!もうお分かりでしょう!
・・・手を洗ってうがいする・・・そして心置きなくボトルに入れた水を半分くらいまで飲んでしまう。
で、カフェイン中毒患者なので帰宅のコーヒーは欠かせません。それから夕食の準備やら片づけやら洗濯やらやってる内に、いつの間にかボトルの水もなくなっています。
なくなったらきちんと補充しておきましょう。
で、食後には当然コーヒーでしょう?ついでに、食事中にちびちび飲んでいたボトルの水は、入浴前に再び飲み干します。
だってお風呂は汗かきますからね。(だからそういう問題じゃないって・・・)
皆さん着いてきてますか〜?ここですでに、帰宅して飲んだ水の量が1.6g。再び最低ラインクリアですよ〜♪
風呂上り・・・言うまでもなく水を飲みます。
で、そのあとTV見たり、勉強したり(偉い!社会人でも勉強する!)をしますが、そんなくつろぎタイム(?)の必須アイテムといえば、一杯のコーヒー(だってカフェイン中毒だから、どんなに夜遅くに飲んでも眠れる・・・)と、1ボトルの水です。
1〜2時間のくつろぎタイムに、これらはすべて消費されます。
で、寝る前に皆様ご存知のインターネットをやってるわけですが、ここで、再びコーヒー&ボトル。
いや、パソコンを前にすると喉が乾くのです・・・仕方ないのです・・・。
この二つが空になる頃、そろそろおやすみタイムです。振り出しに戻るのです。
では、ちょっと振り返ってまとめてみましょう。
朝・・・1.6g 職場・・・1.8g 夜・・・500cc×4+300cc×4=3200cc・・・???な、なんか計算間違いしてるかもしれない・・・飲み過ぎだ・・・。
えーっと(汗)1日に・・・6.6gですか?誰か足し算が得意な人、挑戦してみてください。
なんでこんなに水を飲むんでしょうね?ついでに飲んだ水はどこへ行くんでしょうね?
トイレ?近いかな?う〜ん、ちょっとは近いかもしれない?
むくんでる?・・・いや、ちっともむくんでない・・・ちゅーか、「むくむ」ってどういうことなのか分からない。だから気付いてないだけなのかもしれない^^;
お腹?・・・確かにちゃぷちゃぷいってる。
多分、皮膚から蒸発してるんです。体温高いから。特殊な鏡を通して見れば、体から湯気が出てるかもしれません。
ちなみに友達にも「水がなきゃ生きていけない!」って人がいます。その人が言うには、脅迫観念だそうです。口の中が乾いてるのが気持ち悪くて、喉が乾いていないのに病気のように飲むらしい。確かに病気だな・・・カフェイン中毒なんて呑気なことを言ってる場合じゃありません。
矢掛葉月第5の条件、水がなければ即死する・・・前世はミイラか水呑み百姓か・・・
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