矢掛葉月の条件


矢掛葉月の条件@〜D




条件E怪談

夏なので、たまには私が体験した恐い話でもしてみましょう。
それは、まだ私が幼稚園くらいの頃、二人とも、毎日祖母の部屋で寝ていました。
ところが祖母の部屋には仏壇があります。仏壇の上には祖父の写真が飾ってあったりして、幼稚園児にとってはなんとなく恐いものでした。
それでも祖母が一緒に寝てくれるならまだましなのですが、相手は時代劇の大好きな人。たまにスペシャルなんかがあるとかなり遅くまで別の部屋でTVを見ています。
ところがこっちは幼稚園やらそれ以下、下手をすれば8時に寝かされます。
でも、子供だけで仏壇のある部屋で寝るのは恐いのです。ましてや電気を消されるととても恐いので、
「電気つけといて。」
と父に言ったのですが、おかげで豆球をつけられてしまいました。
電気を消す1個手前にオレンジ色になるやつがあるじゃないですか?あれをつけられたのです。
そのまま、
「何かあったら呼べばいいんだから。」
と父は行ってしまいました。子供二人を薄ぼんや〜りとしたオレンジ色の世界に置いといて・・・。
中途半端に明るいと、真っ暗になってるより恐いかもしれません。
特に祖父の写真・・・輪郭だけは見えるのですが、目も鼻も口もぼや〜っとして見えなくて、とても恐いのです。
私がこんなに恐がっているのに、弟はいつの間にやらすやすや眠ってしまいました。
ところで昔の電気と言うのは、ひもを引っ張って消すのです。で、ほとんどの家では、寝たまま電気を消せるようにと、電気のひもを畳の上まで伸ばしていたはずです。
私と弟は、そのひもを境にして寝ていました。
なので、ひも越しに寝ている弟の顔を見ながら、
「こいつはなんでこんなに恐い部屋で寝れるんだ?」
と首を傾げていました。
と、その時です!
畳から手が出てきて、ひもを引っ張って電気を消したんです!
本当に本当に、突然畳の上に手首だけが現われて、電気消したんだよ〜〜〜〜〜!!
そりゃあもうびっくりしましたとも!
大慌てで布団の中にもぐり込み、
「おばあちゃ〜ん!お父さ〜ん。」
と必死に叫んだのですが、布団の中からじゃあ聞こえるはずがありません。
でも、幼稚園児の妄想は、「今頃部屋の中には化け物がうようよしていて、出ていったら取って食われる〜」
くらいになっていたので、出て行く勇気はありません。
が、いつまでも布団の中にもぐり込んでいると、さすがに暑くなってきます。ずっと叫んでいるのも、体力を消耗します。
このままでは死んでしまう・・・(←なにしろ幼稚園児だから、考え方がおおげさなのさ^^;)
そう思った私は、ついに勇気をふりしぼって布団から飛び出し、障子を勢いよく開けて外へ飛び出し、廊下を走って祖母がTVを見ている居間へと飛び込んで行きました。
そこには私のあまりの様子にびっくりした祖母と、絵本を手にしてきょとんとした弟がいたのです・・・。
たしかさっき、ぐっすり寝ていたはずなのに・・・。
それはともかく、畳から手が出てきて電気を消した!と私は主張しました。
なのに誰も信じてくれません。
父は、「電球が切れただけやろ。」
と言い、ためしにオレンジ色の電球をつけてみましたが、異常なく点いていました。
でも、父が最初にオレンジ色の電気にしておいて、私が部屋を出た時には消えていたことは事実です。
私が消したわけではないし、弟も寝ていました。ちなみに弟が目を覚ました時、部屋はまっくらで、眠れなくなったので起きて祖母の元へ行ったらしいです。
だったら誰が電気を消したんでしょう・・・。
みんなには、私が寝ぼけて消したのか、夢でも見たんじゃないか、と言われましたが、寝てませんって〜。
本当に、この目でアレを見たんだよ〜。
一体なんだったんでしょう。

幼稚園児の頃はそんなにも恐がりだった私ですが、今はあまり怖がらなくなっています。
特にお化け屋敷。本物を見た人間に、にせものなんか見せても怯えないのさ♪

というわけで、矢掛葉月第7の条件・・・実家の畳から手が生えてくる・・・。


条件Fコンタクト記念日

コンタクトレンズを着けた記念に、私の目の歴史でもお話しましょう。
小学生の頃、私はものすごく視力のいい子で、両目とも2.0でした。
ところが、中学生になると、それが変わってしまったのです。
発端は、メバチコ(「めいぼ」「ものもらい」と呼ぶ地域もあるらしい。)です。
ある朝目覚めた私の右目はぷっくり腫れていました。しかも、頭は痛いし熱も38度近くあるし、ものすごくだるい状態です。
翌日から眼帯をして学校へ行きましたが、片目ってものすごく見えにくいです。距離感も分からないし、左目ばかりを酷使しているし・・・その結果、メバチコが直ったあたりから私の視力は急激に悪くなってしまいました。
2.0から1.5へ、1.5から1.0へ・・・視力低下は留まるところを知らず、高校生になったある日、私は学校の視力検査で、「病院に行きなさい。」との通知を受けてしまいます。
がっくりしながら駅前の病院に行くと、妙な目薬をさされ、目が薬で霞んでいると言うのに視力検査をされ、ほとんど見えない状態だったので当然、
「視力が0.1程度しかない。コンタクトにしなさい。」
と妙に偉そうな医者に言われました。
なんだか納得できなかったので、「0.1しかないのはおかしい。」と言うと逆切れされ、「だったら勝手にしろ!」と言われ、勝手にしました。
別の病院で検査をやり直してもらっただけですけどね・・・。視力は1.0.問題なしで裸眼の生活を送るお墨付きを得ました。
そんなある朝、私は鏡を見ていて、「何か変だな。」と感じました。でも、何が変なのか分かりません。とにかく妙な違和感があるのです。
「なんだろう、この違和感・・・。」
何度も鏡を見なおして発見したもの・・・それは、右目の内側の白くて丸いかたまりです。
なんだかちっとも分かりません。でも、白くて丸い、3ミリくらいのものが目の中にあるのです。痛くは無かったのですが、驚いた私は早速眼科に行きました。
眼科では、それは脂肪の塊だ、と言われました。
はあ?と思っていると、医者は針のような物を手に取り、看護婦に私を押さえるように言ったのです。
「今から脂肪を取るけど、見えたら恐いでしょ?だから、絶対左を見ちゃいけないよ。」
右目の内側だから、当の右目にとっては、左側に脂肪の塊があるんですね。左目は何も見えないように何かで覆われたし。
こうして、私に恐怖心を与えないよう、わざと針がいくのとは違う方向を見るよう指示されたのです。
でも、コンタクトレンズは違います。
ちゃんと、自分で見て目の中にレンズを入れなきゃ行けないし、外す時も、直視してレンズを目の中からつまみ出さなきゃいけません。
これが大人になるってことなのでしょうか・・・?(違うだろう。)
その後も視力はどんどん下がり、車の免許を取るために眼鏡を買ったことは有りましたが、冬は曇って鍋が食えず、夏は小鼻があせもになる、といった状態で、あまり使っていませんでした。
特に今年の冬、間違って眼鏡を踏んずけ、右のフレームを壊してしまって以来、眼鏡とも別居状態が続いていました。
こんな私のコンタクトレンズ人生、これから先は一体どうなるのでしょうか。
矢掛葉月第8の条件・・・コンタクトレンズとの戦いを開始した。

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