自慢話は「ドーダ!」である。

  ドーダ、このようにオレはエライんだぞ、ドーダ、 

  と言っているわけだ。

 

↓ ドーダの人 ↓

 「このあいだ も 『ラムール』 へ行ったらね」

  と、も をつける。

 「ショージサダオがいやがんの。あいつ、カオ、でかいね!」 

  とさりげなくドーダをかます。

                  by『ドーダの人々 PartT』








































































































    ★
     「アーラ、○○センセ、お久しぶり」
  と、○○センセのところをひときわ大きく、 
  店中に聞こえるように言い、
  ウチにはこんな有名人も来るのよと、
 「ドーダ」
  と、誇らしげに周りの客にうなずいてみせる。 
    ★

























 「この原稿をいまパリのホテルで書いている。ドーダ」 

  と、ドーダもろ出しの作家もいる。



















































































































 

                                  2007.3.11. 丸写し、しました。


文春文庫 東海林さだお 著
『もっとコロッケな日本語を』 9pより

         ドーダの人々 PartT
  銀座のクラブは「ドーダの館」とも言われている。   
 「ドーダの館」では毎日「ドーダの人々」が集って
 「ドーダ博」が開催されている。
 「ドーダの館」は飲食費がべらぼうに高い。 したがって、功なり名遂げた人しか入場できない。
 功なり名遂げた人は、自慢したいことがいっぱいある。 
 自慢したくてうずうずしている。 一方、迎え撃つママ、ホステスも、
 日本中のママ、ホステスの中から選ばれた  
 エリート中のエリートだ。
 年収もべらぼうに高い。 指輪だってドレスだって靴だって、
 どれもこれも超ブランド品ばかりだ。   
 自慢したいことは山ほどある。 「ドーダの館」では、
  ドーダ対ドーダの激しい応酬が火花を散らしている。
  客の一人が何か自慢話をして、
 「ドーダ」
  と胸を反らせば、もう一人の客が、
 「こんなドーダは、ドーダ」
  と応じ、そこへホステスが大きなダイヤの指輪を突き出して、
 「ドーダ」
  と割って入り、
  もう一人のホステスがドレスの胸のところをさりげなく拡げ、
  こんなに大きなオッパイは、
 「ドーダ」
  と見せびらかす。

                    いつもの丸写しです。オモロイので紹介しまっせ。

                  文春文庫 東海林さだお 著 『もっとコロッケな日本語を』 9pより
 『ドーダの人々 PartT

 会話というものがありますね。
 急に、ありますね、なんて言われて、
「あるよ、そりゃあ」
 と怒り出す人もいるかもしれないが、ま、落ちついてください。
 人間は会話をする動物である。
 引きこもりの人は別にして、ふつうの人は朝起きてから夜寝るまでに、かなりの量の
会話をする。
 まず家族との会話、会社に行ってからの同僚との会話、取引先との会話、会社帰りの
飲み屋での会話、休みの日の近所の人との会話などなど、重要な会話もあれば、ほと
んど意味のない会話もある。
 会話の長さと、その重要度はほとんど関係がない。
「儲かりまっか」
「ぼちぼちでんな」
 などはほとんど意味のない会話である。
「別れてくれ」
「いや」
 は、短いが重大な内容を含んでいる。
 人間は会話なしに一日を過ごすことはできない。
 旧知の人と街でばったり出会ったとき、知らん顔して通り過ぎることはできない。
 必ず何かを言わなければならない。
 何事か挨拶を交わしたあと、
「どお、そのへんでコーヒーでも」
 ということになり、そのへんの喫茶店でコーヒーを飲むことになる。
 こういうときに選ばれる飲みものはなぜかコーヒーで、
「どお、そのへんで味噌汁でも」
 と言う人はまずいない。
「どお、そのへんで天つゆでも」
 と言う人もまずいない。

  「どお、そのへんで塩辛でも」   

   と言う人もまずいない。
 この場合のコーヒーは喫茶店を意味し、喫茶店は会話をする場所を意味する。
 喫茶店に限らず、人々は会話をするためにいろんな店に入る。
 ビアホールは、もちろん生ビールが目的ではあるが、会話もまた目的のひとつとなっ
ている。
 居酒屋もまた同様である。
 昼食時のちょっとしたレストラン、懐石料理の店などはオバチャンたちに占拠されてい
て、オバチャンたちは料理をそっちのけにしておしゃべりに夢中になっていると伝え聞く。
 こうした、喫茶店、ビアホール、居酒屋、レストラン、料亭、スナック、バー、クラブ、キャ
バレーなど、いわゆる水商売と言われている店で交わされている会話の八割は自慢話
だと言われている。
 言われてみると確かにそうだ。
 オバチャンたちなんかは、交代で息子の自慢、家の広さの自慢などをしゃべりあって
いる。
 さりげなく始められた話を、コンコンと聞いていると、その話はいつのまにか自慢話に
移行していたりするのはよくあることだ。
 さっき書いた、喫茶店、ビアホール、居酒屋、レストラン、料亭、スナック、バー、
クラブ、キャバレーは、この順序で水商売の水度
(みずど)は高くなっていくわけだが、水
度が高くなるにしたがって、会話の自慢度も高くなっていくと言われている。
「限界効用逓減
(ていげん)の法則」というのがあるが、「高水度自慢率漸増(ぜんぞう)
法則」というのを、わたくしはここに発表したい。
「限界効用……」は、オーストリア学派の学説だったが、「高水度……」は、西荻学派の
学説として世に残したい。
 自慢話は「ドーダ!」である。
 ドーダ、このようにオレはエライんだぞ、ドーダ、と言っているわけだ。
 わたくしは長年にわたってドーダ学を研究してきた学究の徒である。
 したがって、西荻学派と言えばドーダ学派を意味する。
 やがてこの学派が世間に認められ、大学の入試問題にも登場し、
「関係あるものを棒線で結べ」
 ということになり、
「西荻学派――ドーダ学」
 となるのがわたくしの夢だ。
 もちろんわたくしは「ドーダ学の祖」ということになり、百科事典の「ト」の部のと
ころに載るようになるのだ。

 ではさっそく、ドーダ学のフィールドワークにとりかかろう。
 フィールドワークの場として、とりあえず水度が高いと言われている銀座のクラブを
選んでみることにしよう。
 銀座のクラブは「ドーダの館」とも言われている。
「ドーダの館」では毎日「ドーダの人々」が集って「ドーダ博」が開催されている。
「ドーダの館」は飲食費がべらぼうに高い。
 したがって、功なり名遂げた人しか入場できない。
 功なり名遂げた人は、自慢したいことがいっぱいある。
 自慢したくてうずうずしている。
 一方、迎え撃つママ、ホステスも、日本中のママ、ホステスの中から選ばれたエリー
ト中のエリートだ。
 年収もべらぼうに高い。
 指輪だってドレスだって靴だって、どれもこれも超ブランド品ばかりだ。
 自慢したいことは山ほどある。
「ドーダの館」では、ドーダ対ドーダの激しい応酬が火花を散らしている。
 客の一人が何か自慢話をして、
「ドーダ」
 と胸を反らせば、もう一人の客が、
「こんなドーダは、ドーダ」
 と応じ、そこへホステスが大きなダイヤの指輪を突き出して、
「ドーダ」
 と割って入り、もう一人のホステスがドレスの胸のところをさりげなく拡げ、こんな
に大きなオッパイは、
「ドーダ」
 と見せびらかす。
 そのとき、高名な小説家が、
「ドーダ」
 と胸を反らしながら店に入ってきて、ママが、
「アーラ、○○センセ、お久しぶり」
 と、○○センセのところをひときわ大きく、店中に聞こえるように言い、ウチには
こんな有名人も来るのよと、
「ドーダ」
 と、誇らしげに周りの客にうなずいてみせる。
「ドーダ」と胸を反らして入ってきた高名なセンセイは、熱いおしぼりでおでこを拭き
つつ、
「寝てないんだ」
 と、憮然としてつぶやく。
 雪印の社長は「寝てないんだ」と言って非難されたが、このセンセイは、
「原稿の締切りでお忙しくていらっしゃるから」
 と、逆に賞賛される。
「せめて今夜はゆっくりしてらしてね」
 と、ママが言うと、
「それが、これから帰って四十枚書かなきゃならないんだ」
 と、天を仰ぐ。
 ここで、西荻学派として、これがドーダの中の「忙し自慢ドーダ」であることを指摘し
ておきたい。
 このセンセイも、まだ四十枚も原稿が残っているというのに、「忙し自慢ドーダ」を
するためにわざわざ銀座まで出てきたのである。
 この「忙し自慢ドーダ」は、作家に限らず、あらゆる職業の人々に蔓延している。
 何かのパーティに、わざと遅れて忙しそうにやってきて、忙しそうに知人たちに挨拶
してまわり、忙しそうに水割りを飲み、忙しそうにお代りをし、「忙しいのでこれで」
 と忙しそうにわざと小走りで帰って行く人がいる。
「小走り生活なんだよ、オレは、ドーダ」
 と小走りが自慢の人なのだ。テレビ関係の人に多い。
「『センセイ、今月の原稿の締切りどうするんですか』と空港まで追いかけてきた編集
のTさんを振り切って旅行に出かけた。ドーダ」などとエッセイに書く作家もいる。
(ドーダは筆者加筆)
「今月はデュッセルドルフだろ。ニューヨークだろ。ニューヨークから帰ってとんぼ返り
でボストンだもん。もうやんなっちゃう。ドーダ」と嘆いてみせるふりのビジネスマンもい
る。
「この原稿をいまパリのホテルで書いている。ドーダ」
 と、ドーダもろ出しの作家もいる。
「著作二百冊記念パーティ。ドーダ」
 というのを開催する作家もいる。(どうも作家が多いな。まずいな)
 知性も教養も判断力もある人が、こういうことをしでかしてしまう。
 お百姓さんが、
「大根五百本出荷記念パーティ」
 を開催するか?
 居酒屋が、
「刺身五千切れ販売達成記念パーティ」
 を開催するか?

 再びフィールドワークを銀座のクラブに戻す。
 なにしろここは「ドーダの宝庫」なのだ。
 西荻学派としてはどうしてもここに目が行かざるをえない。
 霊長類の研究をしているグループが、アフリカの森林やモンキーセンターに目をつ
けるようなものなのだ。
「モンキーセンター」じゃなかった、「ドーダの館」では、客同士の名刺交換がときどき
行われる。
 先述のように、ここに集う人々は功なり名遂げた人ばかりだ。
 社長も多ければ重役も多い。
 他産業の人たちと知り合いになることは、商売上、何かと有利なことが多い。
 客の一人が、
「いつもここでお見かけしますが、ご挨拶させていただいてよろしいでしょうか」
 と、もうひとりの客にもちかける。
 この二人を、ドーダAとドーダBということにしよう。
 ドーダAの呼びかけに、ドーダBが応じ、二人は同時に胸のポケットから名刺入れを
取り出す。
「わたくし、こういうものでございます」
「わたくし、こういうものでございます」
 ドーダAもドーダBも、もともとドーダの人であるから、その物腰にいくらかのドーダ感
を漂わせている。
 とりあえず双方とも、小ドーダで相手の出方を見る。
 名刺によれば、ドーダAは大手商社の部長であり、ドーダBは、聞いたことがない会
社だが一応社長である。
 名刺交換が終わって歓談のひとときがあり、そのうちドーダBの会社は従業員九名の
中小企業であることがわかる。
 小ドーダで様子を見ていたドーダAは、この時点で大ドーダに変貌する。
 ナーンダ、九人か、と思うと大ドーダだけでは気がすまない。
「いやあ、もう、毎日が五億、六億の仕事ですから冷や汗の連続ですよ。ドーダ」
 と大ドーダをかまし、更にその上の「マイッタカ」もつけ加える。
 西荻学派は、目下のところ、「ドーダの人々」の研究で手いっぱいで、「マイッタカの
人々」にまでは手がまわらない状況にある。そのうち、そっちのほうの研究結果も発表
していきたいとは思っているのだが……。
「ドーダの館」には、「ドーダではない人々」もやってくる。
 部長などに連れられて課長クラス、ときには平クラスもやってくることがある。
 平クラスは、たとえ一回でも、そうした高級店に行ったことが自慢でならない。
 誰かにそのことを吹聴したい。
 同窓会などは絶好の場だ。
「このあいだも『ラムール』へ行ったらね」
 と、をつける。
「ショージサダオがいやがんの。あいつ、カオ、でかいね!」
 とさりげなくドーダをかます。
 当人はドーダをかましたつもりなのだが。
「誰? そのショージなんとかっての」
 と言われ、もっと大物を言えばよかった、そういえばいっしょに黒鉄ヒロシもいたっ
け、そっちにすればよかった、と後悔することになる。

 次に「教養ドーダ」について触れておきたい。
 この間、文部科学省の新学習指導要領というのが発表され、
「円周率は3.14を使うが、目的に応じて3でもよい」
 ということになった。
 会社でそのことをわざと話題にして、
「いくらなんでも3はひどいよなあ」
「ぼくは3.141592まで覚えたけどね」
「ぼくは3.141592653まで、一応覚えたけどね」
 という会話を交わしていると、いつのまにか忍び寄ってきていた、事業開発本部副
本部長心得第二本部付補佐が、
「3.141592653589793238462643383……」
 と念仏のように唱えている。
 ドーダごっこである。
 新聞のコラムでは、コラムニストが、
「わたしは3.1415926535897932384と、二十桁まで覚えた。このことは何の
役にも立っていないが、覚えたということが懐かしい想い出である」
 などと書いて、言い訳まじりのドサクサにまぎらして、ちゃんとドーダをかましていた。
 昔の教育は「覚える」ということに重きをおいていたから、みんな無理をして覚える
ことに熱中した。
 ジンム、スイゼイ、アンネイ、イトク、コーショウ、コーアン、などと、とにかくたくさん、
とにかく長く覚えた人がエライということになっていた。
 苦労して覚えたことはなんとかして役立てたい。
 みんなにもいつか披露したい。知ってるんだぞ、ということを知らせたい。
 さっきのコラムの人も、寝かせておいた知識が、何十年と経ってやっと役立ったのだ。
よかったじゃないか、と言ってあげたい。
 バーで六十代ぐらいの老人たちが飲んでいる。
 イマ風の曲が流れている。
 老人A「いまの曲は詩がなってないね。曲の言葉が詩になってない」
 老人B「昔はいい詩がいっぱいあったよね―」
 老人C「そう、みんな長い詩なんだよね―」
 突然、老人A、
「小諸なる古城のほとり
 雲白く遊子悲しむ」
 老人B、割り込むように、
「緑なすはこべは萌えず
 若草も藉(し)くによしなし
 しろがねの……」
 老人C、さえぎって、
「衾
(ふすま)の岡辺
 日に溶けて淡雪流る」
 田原総一朗氏が司会するテレビ討論会では、政治家、経済学者、評論家が入り乱れ
て発言する。
 一人が発言しているのに別の人がそれを遮って強引に割って入り、その強引がまだ
話しているのに別の強引が割りこみ、しばらくは ”二人同時発言” が続き、ようやく片
っぽうが諦め、片っぽうだけが発言していると、別のもう一人が、スキあらば割って入ろ
うと虎視眈々とねらっている、という場面が往々にしてある。
 老人ABCも、いまこの ”田原番組状態” に陥っているのだ。
 老人A、次はオレの晩だかんな、とばかりに、
「あたたかき光はあれど
 野に満つる香も知らず
 浅くのみ……」
 老人B、
「春は霞みて……」
 目の前のアケミちゃんが尊敬の目を見張れば見張るほど、老人ABCの競争は激化し
ていく。
 老人C、
「麦の色わずかに青し
 旅人の群はいくつか」
 老人AB強引に参加、
「畠中の道を急ぎぬ
 暮れゆけば浅間も見えず」
 と、このあたりは、”同時発言状態”。
 しかし、悲しいかな、
「なにそれ、ナニワブシとかいうやつ?」
 と、アケミちゃんに言われ、尊敬と思ったのは軽蔑であったことを思い知らされるの
である。
     
<丸写し、オシマイ>

            
        「せめて今夜はゆっくりしてらしてね」   
  と、ママが言うと、 「それが、これから帰って四十枚書かなきゃならないんだ」 
  と、天を仰ぐ。  ここで、西荻学派として、これがドーダの中の
 「忙し自慢ドーダ」であることを指摘しておきたい。    このセンセイも、
  まだ四十枚も原稿が残っているというのに、   
 「忙し自慢ドーダ」をするために
  わざわざ銀座まで出てきたのである。
       
       
       
 

ドーダの人々 U

  ドーダの人々 PartU (東海林さだお著) も、オススメです。丸写しです。(^ ^;

       
 

  小ドーダで様子を見ていたドーダAは、
  この時点で大ドーダに変貌する。

  ナーンダ、九人か、と思うと
  大ドーダだけでは気がすまない。

 「いやあ、もう、毎日が五億、六億の仕事ですから   
  冷や汗の連続ですよ。ドーダ」

  と大ドーダをかまし、
  更にその上の「マイッタカ」もつけ加える。  

       トップページも、閑古鳥 鳴いてます。(^ ^;  

  ←トップページのみんなの掲示板に、ご意見・ご感想・おたより等お寄せください。

  西荻学派は、目下のところ、
 「ドーダの人々」の研究で手いっぱいで、
 「マイッタカの人々」にまでは手がまわらない状況にある。 
  そのうち、そっちのほうの研究結果も
  発表していきたいとは思っているのだが……。
  
               by『ドーダの人々 PartT』