温泉めぐり
これまで行った温泉についてすこしずつ書くことにします。最近は温泉と鉱泉という分け方をしないみたいなので、ここでは両方を扱います。山登りと連動しているのがけっこうあります。
まずは、ぼくが生まれ育った新潟県越路町にある墓間温泉。実家のある集落は岩田といい、さらに上岩田と下岩田に分かれる。上岩田は昔の人は墓間と呼んでおり、これは、集落の両端に墓があり、その間にある集落だからそう呼ぶという。集落の西のはずれから、五十鈴川そいにさかのぼると「はかま温泉」がある。子どものころから何回行っただろうか。農繁期の田植えや稲刈りが終ると、ささやかな楽しみとして、農家の母さん連中が家で作った煮しめをもって、朝から夕方まで湯治をする風習があった。子どももそれについていった。ここは硫黄の鉱泉で、前の山を挟んで反対側にも同じような泉質の温泉がある。かつては、家族経営で、よくお世話になったものだ。現在は人手にわたってしまっている。そこまで行く道すがら、昔はとてものどかで、花や鳥が豊富だった。現在は途中の山がゴッソリと土砂採取のため削りとられてしまった。
妙高の麓に関・燕温泉がある。関温泉に国民宿舎だったかがあり、そこに泊まった。何日か前から妙高山で植物の調査をしていて、関、燕方面に下山して、そこで汗を流した。夏だったが、標高が高いため、その宿舎ではクーラーも扇風機も必要ない。
池の平スキー場近くの朝日山荘。これまで3回行った。11月が1回、5月が1回、6月が1回であったが、いずれも天候にめぐまれた。その日は雨降りでも一夜明けると快晴であり、妙高ほかの信越の山々がとてもきれいに見えた。朝日山荘は朝日酒造と日本容器の保養所。温泉もすばらしいが、宿の内田さんの作る料理がとてもおいしい。久保田や越州、サッポロビールなどアルコール類もふんだんに用意されている。
大学生のころ、先輩や後輩の森林の調査の手伝いでよく苗場山に登った。苗場から下山してから、駅前の温泉の銭湯に入って、それから新潟に帰るというのが恒例であった。その後、新幹線開設、リゾート法、バブル、さらにはバブルの崩壊と、越後湯沢界隈はガラっと変わってしまった。マンション群が林立している。町並みも変わった。だから、今もその銭湯があるかどうかよくわからない。
高校生のころ、探鳥会(いまでいうバードウォッチング)が湯沢の奥の貝掛温泉であり、そこに泊まって、朝早く鳥のさえずりを聞きにでかけた。そのときの温泉。
大学院時代の友人の杉田くんと浅草岳に登り、頂上で2、3泊したが、下山して只見町の町営だと思うが、温泉に入って汗を流した。山では風呂に入れないこと、汗をかくことで、麓の温泉がとてもうれしい。それに入浴後のビールがあれば最高である。
10年近く前にラポワント、斉藤さんと伊豆大島に釣りに行った。亀屋に泊まって早朝、岡田港から海つりに出かけるのであるが、ぼくは船酔いしそうだったため、途中で桟橋につけてもらい、船から降ろしてもらった。その日は宿の近辺を散策して、みんなの帰りを待った。みんなは大漁で、生きのいい刺身をたらふく食べた。翌日は朝から雨模様、でも何人かは釣りに行った。早めに戻ってきたため、午後、みんなで三原山の中腹にある温泉に車ででかけた。
2002年1月、根室のアンドレイ夫妻を訪ねたときに、チカ釣りに行き、その後、尾岱沼温泉に行った。厳冬期で、露天風呂にもつかったが、水温がかなり低く、寒かった。だから、室内の風呂と交互に入った。でも、そこから見る北方四島や雪景色はとてもきれいだった。このときの模様は、「根室にて」に書いてある。
大学院のころ、富良野の山部というところにある大学の演習林に何度か行ったことがある。一度は、車で然別湖方面まで連れていってもらい、そこの温泉に入った。然別湖は森林に囲まれ、水面まで緑が迫り、きれいな湖だった。
大学院を終えてから、宮城の遠刈田方面に鳥の調査に行ったことがある。宮城や東北では温泉地にこけしの産地が多い。遠刈田温泉もこけしで有名である。温泉地からすこし離れた脱サラした人がはじめたという民宿に泊まった。その帰途、遠刈田の町のなかの温泉の銭湯に入った。
京都や大阪の奥座敷。10年以上前にカナダ人の友人のラポワントたちと行った。
豪、カナダ、シンガポールなどの友人たちと湯西川温泉に出かけた。湯西川は平家の落人の集落と言われており、鯉のぼりを立てたり、ニワトリを飼う習慣のないことで知られている。世の中から離れて、目立たないように静かにくらしてきた。宿では、ハコネサンショウウオの干物が夕食時に出た。外国の人たちはみな露天風呂が好きだった。
鬼怒川には3回行った。最初は、スイス時代に一時帰国したときに友だち数名と、2度目はキューバとオーストラリアの友人らと、3度目はアフリカの人たちと行った。それぞれ想いで深いが、面白いといえば、キューバとオーストラリアの友だちと行ったときだ。キューバの女性のエルビラさんは、最初、温泉に行くのをとても嫌がっていた。車中、「私は行っても、温泉に入らない、入るんだったら水着を買わなければ」と言っていた。到着して、回りから説得されて、温泉に入った。その後、彼女がいないということになって、どうしたと心配したが、何度か温泉に繰り返し入っていたとのこと。すっかり、温泉が気に入ったようだ。彼女が持参したラム酒を飲みながら、いろいろ語り明かした。いろいろなエピソードがあるが、それは別の機会に。なお、残念なことにあの人なつこい笑顔のエルビラさんは2001年2月に他界した。彼女については「エルビラを偲んで」を参照のこと。
米国、オーストラリア、ジンバブエの友人たちと、日光から群馬に抜けて、老神温泉で一泊した。付近には吹割ノ滝というのがある。また、ミズバショウ群生地もあり、行ったときは春だったため、ちょうど咲いていた。
大学生のころ、夏、谷川岳に植物の実習に行ったときに泊まった温泉地。疲れはて、汗をかいて、下山してくるため、ビールがおいしかった。なかには、温泉のなかで酒をチビリチビリとやっている友だちもいた。
最近の友だちと行った。東京に一時出向していた豊島くんがアレンジしてくれた宿。フランスのワールドカップの年で、今と同じように、ニッポン、ニッポンのころだった。初夏のころで、宿の下の川ではさかんにカジカガエルが涼しそうな声でフィルフィルフィルと鳴いていた。翌日は仙台の青葉城見学、松島にも行った。
鈴木牧之の『北越雪譜』や『秋山紀行』で知られる秋山郷。ここには信濃川の支流、中津川に沿って一連の温泉群がある。新潟の友だちの会社に一時、厄介になっていたころ、みんなで旅行した。泊まった温泉地は屋敷温泉か和山温泉。途中から赤茶けた色の鳥甲山が見えた。中津川の上流部に切明という温泉地があり、ここでは川原に温泉が沸いており、露天風呂になっている。みんなでスコップを持って、入りやすいようにしたが、川の冷たい水と温泉の暑いお湯がよく混ざらなくて難渋した。これらはいずれも長野県にある。この会社は、その後、新潟県側の結東に「雪国の森研究所」という施設を建てたが、その近くにも露天風呂がある。かつて、ネパールとオーストラリアの友人をつれて、この研究所に泊まり、近所のセンター内の風呂と露天風呂に入った。研究所の前のその屋内風呂のある建物はその後火災に遭って焼け落ち、今はまた新しい建物が建ったという。
あるいは上山温泉ともいう。蔵王にスキーに行ったときに入った温泉。とても、鉄分の強い温泉で、白いタオルをお湯につけると、それが茶色くなってしまった。また、傷口もひりひりした。
大学生のころ、研究室のみんなと秋田、青森へ教室の旅行に行った。秋田では矢立の秋田杉天然林を見学したりした。ヒバの天然林もあった。そこから、青森側へ移動して、大鰐温泉に泊まった。ひなびた温泉地だった。
鬼怒川温泉の奥、川俣ダムを越えると、川俣、女夫淵、加仁湯、八丁ノ湯、日光沢と温泉が並んでいる。川俣に泊まって、付近の調査をおこなった。そのときに、加仁湯で温泉に入ったが、温度が低かった。色は白っぽかった。
スイスに赴任する直前に湯河原を拠点に植物の植生調査をおこなった。湯河原は熱海や箱根とちがって、こじんまりした温泉地。
アフリカ研究会の研修会として箱根に行った。
アフリカの友人たちと、東京から車で箱根方面へ。川でニジマスつりをして、バーベキュー。その後、熱海に行き、保養所で1泊。山の中腹にあり、太平洋がとてもきれいだった。
岐阜・石川県境にそびえる霊峰・白山。大学院のころ登ったが、そこから最終的に降りたところが中宮温泉。石川の海にそそぐ手取川の上流部。そこで飲んだビールはおいしかった。