こしじ水と緑の会

ぼくが生まれたのは、新潟県の雪深い山村である。越路町という。11月になるとあられやみぞれが降りはじめ、12月には根雪になる。雪消えの遅い年には、4月になっても積雪が残る。半年近くつづく雪の冬は、日照量がきょくたんに少なく、毎日が鉛色の空に閉ざされる。春先の日本海側はフェーン現象がよく起こり、新潟県でもまだ4月というのに、25度以上になることもときどきある。一気に気温があがり、雪が消えはじめると、生き物たちの動きが活発になる。南国から夏鳥が渡ってくるし、虫やカエルたちが冬眠から目覚める。スペクタクルなのはなんといっても雪消え後の植物である。林の木々の葉っぱが展開する前に、光合成を終えようと、一気に花をつけ、咲きさまは壮観である。カタクリやキクザキイチリンソウ、ショウジョウバカマ、トキワイカリソウ、オオイワカガミ、スミレサイシンなど、とてもきれいな植物が開花する。

ぼくはそういうところに生まれ育って、動植物など自然に関心をもつようになった。当時のぼくの家は、山の方にあり、スギ林やタケ藪などに囲まれていた。秋になると刈り取った稲をかけるために、家の前には稲架木があった。その木には、ときどきムササビが訪れることもあったし、いろいろな鳥たちも訪れた。冬にはスギの木にキクイタダキが餌をとりに来たりした。

小学校6年のときに、平場に新築した家に引っ越した。新しい家は、今度は一転して、田んぼに囲まれたところで、家の前の田んぼでは、カエルが鳴き、ホタルが飛び交っていた。中学校は自転車で30分近くかかるところで、来迎寺という集落から坂道を登って、登校した。越路中学校という。そのときにめぐりあった笹岡茂先生のことはすでに書いた(笹岡先生の思い出)。高校は日本海に近い柏崎だった。やがて新潟の大学に進み、それから東京の大学院に行った。しだいに、ふるさとから遠ざかっていった。そのきわみは、1985年から5年間過ごしたスイス生活である。

やがて帰国し、国際関係の仕事をしており、そのため、海外に出かけることが多い。多いときは年間に8回か9回、出かけることがある。そうした多忙の生活のなかでも、ふるさとの越路に帰ることがたまにある。そんなときに、自分が育まれたふるさとの原風景がしだいに破壊されていくことを見るにつけ、心の痛むことが多かった。

1984年、ぼくがスイスに行く1年前、越路町にある造り酒屋の朝日酒造に新潟県醸造試験場長の嶋悌司さんが招かれ、工場長として、通勤しだした。かれはまもなく「久保田」という銘酒を造り出すが、越路町にある自然のすばらしさに気がついた。酒造りにかかせないのは、清澄な水と酒米を作るためのゆたかな環境である。いわば、自然環境は酒造りの基盤である。やがて、会社の構内でたまたま発見したホタルを軸に、地域の自然保護に会社ぐるみで取り組むようになった。それから17年、今年の6月5日に新潟県知事から財団法人の認可が降りた。名称を「こしじ水と緑の会」という。ふるさとの自然を守るために今までの取り組みをさらに強化し、新潟県全域を対象に民間の個人や団体がおこなう自然保護活動に助成しようというのが目的である。幼なじみの安藤正芳くんが朝日酒造に勤めていたこともあり、ぼくもこの財団の設立と今後の運営のお手伝いをすることになった。

この11月15日、越路町でこの財団の第2回目の理事会が開かれた。評議員会も同日、開かれ、終了後は懇親会が催された。理事、評議員にはさまざな背景をもった人たちが名を連ねている。たとえば、作家のC.W.ニコルさんは評議員、新潟大学教授の大熊孝さんは理事を務めている。理事長は朝日酒造社長の平澤亨さん、専務理事は嶋悌司さん。この日、理事会の前にTV収録がおこなわれた。今年の暮れに、朝日酒造の自然保護への取り組み、財団法人「こしじ水と緑の会」の設立に到るまでを追った番組を新潟放送(BSN)が放映するというのである。鼎談という形で、嶋さん、大熊さん、それにぼくが出演するための収録である。そのときに、嶋さんがふたつの句を紹介してくれた。いずれも新潟が産んだ、良寛さんの作である。

うらを見せ おもてを見せて 散るもみぢ

形見とて 何か残さん 春は花 山ほととぎす 秋はもみじ葉

鼎談をしたところが越路中学校のとなりの「もみじ園」。ここは以前、「高橋さんの別荘」と呼ばれており、地元の豪農の別荘であった。そこが荒れ果てていたため、朝日酒造が資金提供して、「もみじ園」として一般公開したものである。春はソメイヨシノが咲き、秋はもみじの紅葉が美しい。朝日酒造の取り組みは、財団法人設立へと果実を結び、されに新潟県全域を視野に入れて、いよいよ活動を開始する。ちいさな取り組みが人々を動かし、町を動かし、県を動かした。それをさらに発展させて、全国や世界に発信できるような組織になってほしい。ちなみに収録した番組のタイトルは、「一匹のホタルが町を動かした〜蔵が挑む自然環境保護〜」である。

なお、こしじ水と緑の会設立と関連して、朝日酒造の社内報の「真味」に「こしじ水と緑の会設立によせて」と題して、小文を寄稿した。それも参照されたい。(2001.11.17)

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