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『民主主義の「正論」』産経新聞より     2008/7/26  
 阿比留記者のブログにコメント投稿したついでにその続きを書きます。
産経新聞の「正論」35周年の記念号(平成20年6月20日付)の論文が感銘的だったので取り置いていたものです。
 先ずコメントにも掲載した曽野綾子氏(第3回正論大賞受賞)の論文「『亡命』しなかった理由」に【昭和48年の状況、その頃産経新聞を除く全国紙はすべて1つの「狂的」情念に駆られていた。中国にへつらい中国に対してはいささかでも批判的な記事は一切載せないという信じ難い姿勢で一致していた。中国の共産党独裁体制は文化大革命によって完成された。人民は、信仰、学問、思想、居住、旅行、職業の自由を失っていた。そんな国がどうしていいわけがあろう、ともし私が書けば、すぐに日本の新聞各紙からは電話がかかって来て、その部分の原稿の書き換えを要求された。戦後、日本のマスコミは言論の自由を守ったどころではない。言論の弾圧を自ら進んで受け入れたのである。(略)その頃、私は日本から「亡命」することまで考えた。(略)当時私の作家としての生活をどうやら可能にしてくれたのは、日本の雑誌社系の週刊誌が、ほとんど一致して、朝日、毎日、読売などの全国紙の思想統制の動きに対抗したからだった。その中で1973年産経新聞に「正論」欄が発足したのである。】以上原文そのまま。以下は要約【その年の9月チリの軍クーデターによる社会主義的政権が倒れ、たまたまその直後チリにいた私は銃声の聞こえるサンティゴ市内で末期的な社会主義政権の醜い実態も見聞きし、又日本の全国紙の偏向も自然に路線修正されて行った。産経新聞「正論」欄は全く自由な個人の意見によって書く事の可能なスペースであった。署名原稿というものは、書き手が内容のすべての責任を負うのが当然である。民主主義的自由な多様性というものは、そうした土壌の中でこそ育つ。その原則さえ守れないマスコミが実に多いことを、世間の人は知らないようである。この半世紀の日本人は自分が人道主義てある事を謳う時代だった。先日もある評論家が、書き手は常に反権力でなければならないと書いているのを見て、いまだに危険な姿勢が残存していると感じた。私は体制と同じ考えを持つこともあれば、相容れない場合もある。常に反体制を気取る姿勢こそ、国家権力を認め易い性格だということを表している。『正論』はその点で限りなく個別的自由を、初めから完全に認めてくれた勇気ある紙面だったのである。】
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 続けて、櫻田淳氏(第1回正論新風賞)の論文より【「熱狂的な人、狂信的な人物をわれわれが警戒するのは、その中に『おもいやり』のなさを嗅ぎ付けるからだろう。他人をおもいやる感情は、内面の平衡状態の静けさのなかだけ聴き取れる『静かな細き声(神・良心の声)』だからだ。内面的にバランスのよい人は、熱狂しない。」このエリック・ホッファー(社会哲学者)の言葉が伝えるのは、「熱狂」や「狂言」が世を覆うことの害悪である。20世紀には、ソビエト共産主義、ナチズム、ファシズムといったように、、「熱狂」と「狂言」に彩られた社会体制が続々と登場した。それらは「自由」や「多様性」の価値を軽んじ、人々に対する「おもいやり」を欠くものであった
 産経新聞「正論」欄は「右」のメディアと呼ばれる。ただし、20世紀フランスを代表する知識人であったレイモン・アロンもまた、共産主義体制の全体主義的な特質を批判し、「自由」と「多様性」を擁護した故に、「右」の知識人と呼ばれた。「自由」と「多様性」の擁護こそ、諸々の言論の前提であり目的である。このことは、あらためて再び確認されるべきものであろう。というのも20世紀の「熱狂」と「狂言」の反映であったソビエト共産主義体制が崩壊した後ですら、その「熱狂」と「狂言」の土壌は、日本の内外に依然として残っているからである。どのように「自由」と「多様性」を護り、世にある諸々の「熱狂」と「狂言」の防壁たり得るか。(略)筆者は、自らの言論をホッファーの言葉にある「静かな細き声」として伝えたい。】以上原文のまま。
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 最後に新保祐司氏(第8回正論新風賞)の論文内村鑑三は今から1世紀以上も前の明治32年(1889)に行った講演「日本の今日」の中で、「なにも日本国を救うに日本人全体が独立自治の人になる必要はない、今日ただこの堂に集まれる5、6百人の諸君が悉く硬骨男子」となればよいと喝破した。
 その「硬骨」な人間とは、海中の岩石が地球の中心に付着するが故に満潮や干潮に左右されず頑として動かないように、その姿勢を変えない者のことだという。正論欄の果たしてきた役割の大きなものは、戦後思潮における様々なる満潮や干潮の中で、人間の常識と日本の歴史・伝統に根ざした指針を示してきたことであろう。今日では正論欄を熟読している日本人がこの「硬骨」の部類に入るに違いない。必要なのは、戦後の長きにわたる「生ぬるき」価値相対主義の中で軟化してしまった日本人に「硬骨」を回復させることである。(略)正論欄には、時代的問題を捉えて、それを思想的問題に還元するようなものを期待したい。時局的、あるいは論壇的に考えるにとどまらず、思想的に深める鍛錬を経て、真の「硬骨」は養成されるからである。】以上。尚太字は<oct31>日高よし子です。