『政治家の決断に国の命運が』
カントの平和論
ガンジーの『非暴力主義』
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    『政治家の決断に国の命運が』2008/6/25 日高よし子
 今朝の産経新聞に福田総理は「北朝鮮が核問題解決なら米の北朝鮮へのテロ指定解除容認」と掲載されていた。この意見は他の政府関係者の中で福田首相一人が突出しているそうである。「・・・北朝鮮の事は日本の安全保障の問題だ」とも述べている。その通りなのだ。だからアメリカ下院で<安全保障支援・武器輸出管理法に、完全かつ正確な核計画(無能力化)の申告と効果的な検証が行われない限り、指定解除すべきではない>という事の追加条項を付けて全会一致で可決したが、総理の今回の発言は上院議員の多くは『指定解除』に前向きというの流れに、加剰のエールを贈るようなもの。。

 日本側には第一に絶対条件とすべき事がある筈だ、『拉致問題の解決』である。ブッシュ大統領も『拉致はテロだ!』と言明していたではないか。それでも言えることはこれは日本国の問題である。北朝鮮の日本国の主権侵害という事の謝罪行為が、拉致被害者返還であり、それがなければ日本側は何も始まらないという基本姿勢は維持されますよう。これからの事はその解決から進めなければ、万一国交正常化した後も日本人を拉致する事を容認とも受け取れるメッセージを北朝鮮に与えるでしょう。それでいいんですか?

 産経抄に【イラク戦争の内幕に迫っノンフィクション、ボブ・ドローギン著『カーブボール』「なぜわれわれはこれほどの間違いを犯してしまったのか?」<イラクでの情報収集、分析、CIAの指導力等に想像を絶する失敗があった>】がその主概要だが、【今また米国は基本的分析の誤りから対北朝鮮政策ど同じ轍を踏もうとしている。あす、北朝鮮は核計画申告書を提出するが、肝心の核兵器に関しては何も記述がないという。】それでもこの流れは・・・【ライス女史の功名心から、米朝国交正常化も現実味を増し、日本でも前首相から「利権政治家」と痛罵された面々が、『拉致』より『国交バス』に乗り遅れるな、軽挙妄動するだろう。
 支持率の上がらぬ福田総理が彼らの尻馬に乗って訪朝を考えても不思議ではない。それにしても首相が米大統領に電話ひとつ掛けられない同盟とは一体なんなのか。ご両人が「なぜわれわれはこれほどの間違いを犯してしまったのか?」とほぞをかまぬよう祈るばかりだ。】と掲載があったが、この『核申告書』云々より来年1月に大統領の任期が切れるブッシュ大統領にもライス女史と同じ「功名心」が作用している部分も否めないでしょう。

 だから日本側は敏感に動いた。集団的自衛権に関する政府の「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」の報告書を福田総理に提出した。この懇談会は昨年4月からの安部前首相時からの検討課題だったが、福田政権になってから休会状態になっていた。
 要は従来の集団的自衛権の解釈を変更して現実的対応『日米が離れて活動中の時でも同盟国艦艇を見捨てない』とする、というもので報告書では主に【1.日米両国が「共同で活動中、米国艦艇に危険が及んだ場合防護出来るようにする。2.米国に向かうかもしれない弾道ミサイルを撃ち落とせるようにする。3.国際平和活動に参加中の他国部隊・要員が危急に陥った場合や活動への妨害排除に向けた武器使用を容認する。4.国際平和活動において、武力行使した活動参加国に対する後方支援禁止を再考する(現行解釈では危急時、他国部隊を前面に出し、自衛隊を後に下げる「敵前逃亡」的もの)。】この4点を求めている。という内容だが、同盟国というなら当然の対応処置でしょう。

 この日本の集団的自衛権という米国との同盟強化の為の進展状況が米国に伝われば、これから審議される上院の『核申告』の是否にも少なからぬ作用を及ぼすという期待に繋がる。

 日本は言わずとしれた国連加盟国であるのだから、国連の定めた集団的自衛権を行使出来ない等と、たかが法制局の憲法解釈を世界にずっと発信し、多国籍軍や米国に甘えてきた事は一人前の国連加盟国とは言えないことだった。
 
 なにせ日本は『不戦憲法』というお守りのようなものを唯一の信仰にしてきた戦後に慣れてしまって、それが『平和』の証しと思っている方々がいまもいらっしゃるが、とめどない実戦武器を『行使』するアメリカという強国に守られていたからでしょう。
 現実に北朝鮮の核の脅威は存在したままの場合は?現にこれまで核開発した国が廃棄などしたことがない。インド、パキスタンにしても。これから核は増えても、なくなることはない。代替のもっと強力な物が開発されない限り。

 兎に角、現在のこのアメリカの方向性に異議アり。アメリカと日本は同盟国であるのに、いい加減な申告だけであの『人権弾圧国家』北朝鮮への制裁解除を為すことは民主主義の牽引たるべき大国への信頼を揺るがす。
 アメリカがくしゃみをすれば日本は風邪を引く、と言われたような日米依拠の関係だったが、それを日本国民が甘受許容してきたのは根底には『民主主義』の基本理念「自由、平等、博愛」を人間存立の条件として共有できているからだつた。

 数ある『平和希求論』の中で現在も指針とされる18世紀のドイツの哲学者カントの平和論、それは楽天的ユートピア論ではなく、現実的でより人間くさい平和論だった。黄文雄氏の著書によると【カントは徹底して強国が小国を呑み込む力の不正を糾弾した。彼は人間性悪説から出発し必然的に人間は戦争を起こすが、唯一『理性』は道徳律で戦争を非とし平和状態を義務とする(永久平和論)と言明した。カントの平和論は、永久平和は「空虚な理念」ではなく、徐々に解決されながら、「公法の常態」、「無限なものに一歩一歩近づく」形で実現されるべき命題だと述べている。又平和を保障する『摂理』の概念を、自然のメカニズム、歴史過程と国義に論じた。そこにはカントの深い宗教的基礎から生まれた哲学的な1000年王国の待望論、思想がある。未来に対する希望が、平和の為に敢えて賭ける主体的責任と勇気の原動力となる
 自国民虐殺や餓死を招いて隣邦の国々に対して殆ど目をつぶって、反米平和に狂奔する日本の念仏平和主義者は、平和のために敢えて賭ける『責任感も勇気』も見られない。
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 又、インドのガンジーの『非暴力主義』も相手国がイギリスだったから処刑されなかった。台湾を統治した日本政府も同じだった。それはキリスト教、仏教国家が慈悲深いからではない。法治国家(民主主義)だからである。かっての日本統治下の台湾でには武装蜂起には死刑が適用される事になっていたが、死刑の判決を受けた者は一人もいなかった。(歴史記録「台湾総督府警察治華誌」に詳しい)これがもしも、北朝鮮、パキスタン、中国だったらガンジーはとうに消されていただろう。】

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