445(よし子)のページ「今日という日」2008/9/24更新 
 
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 【目次】 *秋・幸せはここに

      *世の理

      *墓のこと
       *見えないものの力
2008年9/16日   秋・幸せはここに
 昼間はまだまだ「夏」が居座ったような気候だが、朝晩は過ごしやすくなった。
こんな秋口には思い出す歌がある。『幸せはここに』という歌で、これを作り唄っていたのは大橋節夫というハワイアン音楽出身の人だが確か1〜2年前に亡くなった。この歌は昭和39年の東京オリンピック前位よくテレビやラジオで耳にした。歌詞は著作権に触れるので簡単に記すと、【すだく虫の音色に疲れた心癒され、星の瞬き、静かな窓辺、それら身近な足元にあるものに「小さな幸せはここに」】というもの
 この数十年全然聴く事もない歌だが、やはり歌は(好き或いは印象的)よく覚えていると、自分で納得する。歌の方が私にピッタリ吸着して離れないのではと思うほど。真夏の熱気圧に包囲されて身動きできなかった心体がホッと息を吹き返し、皮膚センサーが感じ取った涼感。それだけでも幸せなこと。『夏』が離れた、すき間に『冷静』を、取り戻す
この歌詞の中には「静か」と言う詞が4回使われ、又、「明日の夢」が2回使われている。

 私は戦後生まれだが、戦争を経験した日本人、バブルを知らなかった日本人の「幸せはここに」ある。例えば昭和38年頃の作として、平成20年の現在から45年が経過している。
 日本人は何処かで進むべき道を間違ったのではないか?
『明日の夢』が、「現在」だったのか?
現在の、『明日の夢』とは、何だろう?

9/19(金)    「世の理
 昨日私のホームページ445(よし子)のページのトップ画面をリニューアルした。真ん中に柿の木の画像2枚を使ってロールオーバー効果(マウスを柿の木の上に置くと違う画像に変わる。離れると又元に戻る)を使った。元々平成11年の秋に私が描いた絵だがその当時の物(スキャナを通しパソコン保存した)と、以降現在まで壁掛けに使っているのをデジカメで撮った物。
 この絵を描いた動機は、当時新聞のほぼ一面に広島県のこの柿の木の写真が掲載されていて、
これを見た瞬間激しく心揺さぶられ、その自身の勢いのままに絵筆を走らせた。小さい20cm程の画用紙の上だが枝の1本1本に蠢く『情念』を写し取った、私の魂気を込めて。その絵の下両隅に一句、一首詠ったのを墨書しているが、それは私の「言葉での印象」【”みをすてて 動めきそう 柿の枝 もちあわすことなし 女の情念”/”柿の木の 五百年 私の 五百年後は?”】。
 兎も角も、現在壁掛けとして飾っているその自分の描いた絵は精気も褪せたが、それが「生きている」という事だ。進行形である。一方、パソコンの中の9年前の鮮やかな色彩のその絵は現在には「存在していない」、もう死んでしまっている「存在」である。
 生の絵として残るのは古くなる、という「世の理」の通り。
若し、破いたり、捨ててしまったりしていたら、現在には「生きて」いなかったと思えば、貴重な物だ。

9/24(水)   『墓のこと
 今年のお彼岸の墓参は、春のお彼岸を飛ばして四月の花見の頃にした。だから秋の墓参も、墓石の夏の日除けの役目を果たしている楓の葉の色づく頃にと思っている。京都三年坂の下の興正寺にある当日高家の墓はホームページによく写真と共に掲載している如く、昭和52年に兵庫県丹波から遺土のほんの一部を持って来てこの地に新たな墓を造った。全て亡母の意向(この場所も墓石も)に依る。思えば墓を造った時は野田阪神(阪神本線)に住んでいた。だから今の香里園よりももっと距離はあった。一時は南大阪の松原にも住んだ事があるから(昭和59〜60年迄)それより以上もっと遠い時もあった。以後、京阪本線萱島には(1年7ヶ月)住み、現在の香里園(21年前から)が墓へは一番近い居住地と言える。「墓」を思って決めた分けではない(予算が第一)が、結果としてそうなった。
 少し前、テレビ番組で『墓の特集』があり、考えられない内容の事があった(嫌いな人間は墓から出す等)が、美徳として『どんな人間も、死ねば仏』と遇してきたのが日本人である。だからわが墓もずっとそれを踏襲するのは当たり前と明言しておく。そして、これも当たり前の事として、墓は血筋の人間(同居の私の甥子2人が唯一の血筋)がずっと引き継ぎ、この場所で末代までと、願う。私のこの想いは亡母の想いでもあろう。
 現在の墓、場所は、この墓に眠っている私の弟妹(勿論母も)も参って来た。
だから無意識の内にでも亡くなれば自分もこの墓に、と思っていたことは否めないと想うし、其処しか還る場所は無い。共に参って、守ってきた者達の想いは、一番尊ばれるべきである筈
 あの墓には亡父(土のみ)の他、母、弟2人、妹2人と8人家族の内の6人の遺骨が眠っている。
   益々 ”墓は狭きか、此方は 広し”である。

9/23(火)    見えないものの力
 今年高校を卒業した下の甥子が勤務している会社の見学会があり参加した。
広い工場なので各部署への移動はマイクロバスが使われたが、敷地内は処々に植樹がされていて緑葉に心和んだ。又その途上に立て看板もあり、それには【ゴミ拾う あとには残る 心の美】と書かれていて、その主旨と表現力に感心した。もうひとつ極めは、昼食を頂いた社内の食堂に面したミニ日本庭園。均整と風格ある松、その横に松の高さの4分の1位の山型の石。もう一ヶ所にも見事な曲線の幹の松、その横には同じく台形の様な石。「秩序」と「自由(個性)」と名付けたくなる松と石の組み合わせだ。この2ヶ所の間には見落としそうな小さい石橋が懸けられている。その下の水の流れの中(丁度『曲線の松』辺り)では眩しい日差しに水浴びする雀や、水の中を出たり入ったりする雀に、暫し私の目を遊ばせる。時の吐息の如く、ゆらり木の葉が一枚落ち、反作用の如く、雀が飛び上がる。シーソーのよう・・・・。(窓)ガラス面に隔てられた此方とは別世界の自然界では、変わらず調和が保たれていることに安堵を覚える。 ”木の葉 落ち 雀飛び 立ち 秋日和” よし子
 『石』といえば、来る時に乗った京阪電車の車内広告の中の龍安寺のキャッチコピーが印象的だった。一言で言えば【どこから見ても必ずひとつ見えない石がある】というもので、これを見て直ぐ思い及んだ。この世界は『見えないもの』の力で動いているのだと。大事なものはみんな、見えないところもの。人間のこころも見えないもの。それは、もしかしたら、かんじられるもの。かもしれない。
今度龍安寺の石庭に行ってみよう!と思わせた広告の『言葉の力』。人のこころの一角をどっかりと占拠している。2008年9月24日 23:58:22