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   『国を造るのは「人間」という基幹性の有無』 
 「カントの永久平和論と共産主義」 2008/7/11 日高よし子
 Web正論欄引用掲載した、金美齢氏の文中の「日本精神」(勤勉、実直、正直、時間、約束を守る、フェアである、戦前の日本人の特徴)と「共産主義」(自分だけよければよいという考え方。お上、秩序を信じない。腐敗した一党独裁主義)。これは中国四川の地震で学校が多数崩壊した原因が「おから工事」というスカスカの構造にあるとの専門家の指摘を聞き、金氏も1999年の台湾の地震時も同じ様に手抜き工事で堅固と思われていた多数の建造物が倒壊したのを見て、「日本人」が去った戦後50年余りの間に台湾人も共産主義に侵されてしまった、という現象を嘆いた論文だった。
 その「日本精神」と言われた日本人が住んでいた此処日本でも、少し前「耐震偽装」なる言葉を生んだ、一級建築士がいい加減な設計で多数のマンション建築に携わった事件があり、以降建築基準検査が厳しくなり、現在も建替え、修繕等の途上である。このように、戦後民主主義という教育システムの中で、日本も骨格を失くしてしまった。
 「自壊する帝国」の中で佐藤優氏は言う、目には見えない内部現象が、突然の崩壊をもたらすと。
 約3年前に亡くなった私の母は大正10年生まれの「教育勅語」世代だが、馬鹿がつく程の正直、真面目、利他心に富み、年老いてもその勅語を覚えていた。子供の頃からの精神(道徳)教育は、その頃の日本人全ての心の骨格の基となったことは間違いない。
 これはカント(ドイツの19世紀の哲学者)の説いた「永久平和論」、理性こそがこの世から戦争を無くせるという、「平和の義務」の教育と同義に位置するものだろう。
 際限ない欲望持つ人類が、それ故に繰り返す戦争。
その戦争をなくす為、永い年月をかけ人類は叡智を積み上げてきた。

 そして、近代に至り「理想郷」を見出だしたと思わせたのが、反カント的共産主義だった。普遍的「人間学」を見据えたものならば、きっとこの「大嘘」、誤魔化しを見抜いただろうが、「人類世界平等」の謳い文句は美しく、一時、共産主義は世界を席巻した。
 しかし、1989年ソ連崩壊後、すべては明るみにされ資本主義より酷い国民財産の略奪行為と、粛清殺人等に、共産主義は20世紀の失敗と断罪された。筈だった。
 だが、日本の戦前からのその類派は此処其処に巣喰い、成長し、敗戦日本人の心に増殖の一途を辿った。
 結局、戦前教育を受けた世代の教師達が退職した時期あたりから、教育界の中枢をその共産主義の「類派」が占め、以降現在に迄至っている。
 先生と生徒は対等と教壇の廃止、ゆとり教育導入による学力低下にとどまらず、自分の子中心主義の親現象「モンスターペアレンツ」の繁殖、果ては教師の裁量権に委ねる絶対評価の弊害と思える「猥褻(わいせつ)教師の輩出(相対評価こそが競争、実力の結果反映であり、それこそ平等主義といえるもの)。

 「共産主義」というスターリンの教条主義は、「共産党員としての自己個人を第一義」に考える。国、公は第二義、第三義以下で、その第一義で以って世界制覇を企てるもの。その党是さえ守れば、何のことはない、昔の野蛮人、野蛮国家、力に負かせて自分の欲望を充たしてゆく、というもの。その為の戦争は、辞さない。
これが、世界平等という理想を掲げた本性で、所詮、レーニン等によって権力奪取、保持の一つの方法として考えられたものである。

 日本はこの共産主義影響の教師の下、モラル教育の欠如と個人主義教育の蔓延はここに至れり、というくらい近年から現在、著しい戦後教育の誤りを顕出させている。
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