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445(よし子)のページ<マイメルヘン> 更新 2014.10.20 /2016年5月17日 17:22再更新
ファンタジー、メルヘン、ショートストリー的な作品を掲載しています
 著作 日高よし子 <yo45@gaia.eonet.ne.jp> ご感想を

<著作権侵害しない範囲の引用可【引用先(445(よし子)のページ)著者明記の事】

リンクが行かない時はこのまま下がってください。
15篇
1 さくら・女の子 2 さくら子供の頃
3 竜宮城 4 シャボン玉
5 『こわい』 6 『七彩(いろ)の虹
7 河 童 8 レタスの気持ち 
9 『夢の遊園地』 10 日本の空間
11 『世界一美味しいレストラン 12 ザブーン』 
13 影を切り取る 14 夢の中
15 復 活
1.         『さくら・女の子』
 生まれた日の朝、真っ先に見たのが、その女の子でした。
ランドセルを背負って桜の木の側を通り過ぎて行きます。
午後も同じ様に♪ルルランランラン・・・♪次の日も同じ様に♪ルルルランルンラン・・・♪
私もスキップしてみたい!」、午後女の子の帰って行く後姿を見ながら、桜の花びらは思いました。3日目、その女の子が桜の下に差しかかった時、
ひ ら ひ ら い ち ま い、桜の花びらが、
蝶のように舞い降りてきました。突然女の子もそれを見付け「やぁ、キレイ!」と掌に受け留め、大事そうにポケットの中にしまって、
♪ルルランランラ・・♪ いつもと同じ様にスキップをしながら学校へ行きました。気の所為か、今日はいつもよりスキップの足取りが軽く感じられます。

♪ルルランランララ・・・誰か唄ってる?思わず後ろを振り向きましたが、誰もいません。
「さくらちゃん、近頃は着る物がピンクづくめね」「そう今年の春以降、特にピンクの服や持ち物を欲しがるの」「名前がさくらちゃんだし、桜の木に見初められたのかもネ」
「桜の満開の時に産まれたから<さくら>と命名したんだけど、ホント小さい桜の木が歩いているみたい」♪ルルランランラ ルルルランルンラン♪「あ、噂をしたら、さくらちゃん、帰ってきたみたいネ」。
 了
ペーパーマガジン445
(よし子)のページbW9号/平成17(2005)年5月1日 記)     
2007/3/21(445(よし子)のページbX9号)   
2.        『さくら・子供のころ         
 春は、ソワソワ、ゴソゴソ 落ち着かない。だって、全ての生きものが、冬の眠りから覚めて、準備体操を始めるから。  
太陽の動きが(と言っても太陽は、いつも動いているんだけど)お互いを近付かせるように、みんなを「ピクニック」に誘う。毎年、初恋のようなときめき!その予感の中、触れ合った、手と手、花弁と花弁。 そんな気分も束の間。春が満溢になると、空間が狭くなる。最初の羞いもどこへ、桜の花弁も、お互い押し合い、へし合い、絡み合って、温かそう、というより、熱そう?          
「今年も、桜が本当に綺麗ねぇ!」「ホント、この日の為に一年間土の中で、おめかしの準備してたんやわ」「私、又 白髪が増えて」「いや、私も皺の動きが目立ってきた」「そやのに、桜はいつも同じ真っ新な花弁やなぁ」「木自体は、古く、汚れて見えるのになぁ」「あ、花弁が散った、雪みたい!」「ボトンと落ちんと、舞うようや。散る 最後の時もキレイなぁ」「土の上に落ち着いて、けど風が吹いたら、あ、溝にはまってしもた。ゴミ溜めの中に、混ざってしもてるのもあるわ」「咲いてるうちが花とは、よく言うたもんや。後は野となれ山となれ、とも言うわ」「あ、あの一枚の花びら、木の幹に貼り着いたみたいに動かへん」「おもいが残んのかなぁ」「この大きな桜の木の枝が いっぱい花を開かせてるけど、私らの祖先から枝分かれした人達も、何処かでこんな風に いっぱい居てるかも知れんな、知らんだけで」「「知らんと好きおうたりしてるかもね」
「どちらにしても、元(はじまり)は、一本の木からや」              

 「喉が渇いた、ジュース買ってくるわ」「あ―美味しい!これ濃縮ジュースみたいや」「桜を含めた、花の生命は短いけど、濃縮した命を生きてるから あんなにキレイなんかなぁ」  「その期間が短い程、濃縮度が深いという事か」「人間も<子供の頃>に死んでたら、濃縮された時間を終えたと言える?」「そやな、子供の頃から以降は知らんでええ事の方が多かったな」
「子供の頃って、輝きそのものやもんな!」
「私は、大きなったら桜になりたいと思っててん」「子供の頃、花見行ったん?」「ううん、花見したことは、ないけどな」。 
  了 
     (平成十七年四月 記)            
                                topへ戻る
3.  445(よし子)のページbV8号    
             
竜 宮 城                           
 今はもうない道です。時代と共に失くなった道とも言えます。    
その坂道の下り切った処、辻を入った路地のどん突きにその子は    
住んでいた。その2軒隣りに駄菓子屋があった。           
そこに(わらび餅のようにきな粉を付けて食べる)「べろべろ」の   
「当てもん」があった。1cm四方2枚重ねの紙をくしゃくしゃにして 
剥がすと「当てもん」の等位を示す絵が印刷されている。       
鯛の絵が1等でハズレのベロベロの10倍はある大きな鯛のべろべろが 
貰えた。他に等位は忘れたが海老、鮃、鮹、イカ等があり大きさは少し 
ずつ小さくなっていた。ハズレは何も印刷されていなくて人間の舌位の 
べろべろ1個、10円で2回出来た。
「またスカか」40代位のおばさんが、べろべろにきな粉を付け乍ら言う。
ほんまにあの「大きな鯛」が欲しかったなぁ。
 マー坊と家の近くで遊んでいて、私の左足裏中指と薬指の間にガラス 
の破片が刺さった。4つ上のマー坊は私の家迄私を負ぶって帰りガラス 
を抜き、塗り薬を塗り絆創膏を貼って応急手当をしてくれた。     

 吹き抜けられない風が死んでしまう様なその路地の突き当たり、
マー坊のお母さんは繕い物をして生計を立ていた。            
 いや、風は死んだのではなく海に潜って鯛を釣り上げてくれた。    
大分経ってから駄菓子屋で当てもんをした。「よう混ぜて取りや」おば 
さんに言われた通りにしたからか
「ウワぁ、やっと当たった!」念願の 
鯛が出た!
大きいので「舟」に入れてくれた。(昔はこの竹材で出来た 
容れ物が主だった)                        
嬉しくて持って帰ったが、両親は仕事で家には誰も居なかった。    
 マー坊が家に来た。今住んでいる家を出なければならなくなったので、 
「サヨナラ」と言った。6才だった私はその意味が理解出来なかったが 
良い事の始まりでないのだけは分かった。              
「これ上げる」「え、そんな折角ヨッちゃんが1等当てたのに、いらんよ」
「えーねん、大き過ぎて食べられへんもん」確かにそうだった、が 
食べれると思っていた。「そうか、ほんなら半分こして一緒に食べよか 
、えーか?」「うん、ええよ」
鯛の当てもんが当たったのと同じ位そうして食べてるのが嬉しかった。                   
「竜宮城の一番のご馳走も鯛かなー」、2人で笑い合った。       

 
小雨のパラつく或る日、大八車に僅かな荷物を載せて、
マー坊とそのお母さんは、坂道の向うへ消えていった………   。 
 
                          
 (平成16年/7月24日/記)     
               *                
 
      
♪ 女の子」 
        作詞曲:日高よし子   
       
  3. あれは六つか七つの 女の子               
    むすんで つかんで ひらいて はなして          
    
ブルーの風船 この手を離れ                    
    「さよなら」言って 幼なじみ                   
     その手を振って 坂道消えた………                
  (詩歌集夢現第3集「夢幻」マイメードソングに歌詞楽譜掲載) 
                        
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4.                 『シャボン玉』
  【地球いき 吸う息 酸素 皆同じ 吐く息 さまざま シャボン玉】
シャボン玉飛んだ 屋根迄 飛んだ………♪               
 何処からかその歌が聴こえて来て………1、2、3 シャボン玉は高く高く舞い上りました。
屋根の上をトン トン トン?フワ フワ フワかな?      
 此処は確か日本という国でしたよね。こうして屋根の上を飛んでいると甍(いらか)と言う日本瓦は勿論、瓦葺きの屋根のなんと遠慮がちに少ない事でしょう。
おっとっと、屋根の上を伝ったりしようものなら、滑り落ちそう。         

 
それは夢の様な稀(まれ)事、何時だったか或る寺院の甍の「山脈」には一瞬息が凝固しました。                                 
 
 【 大覚寺 薄化粧の 美しさ 甍に 注ぐ 丹精な  】      

 元来の美質を塗り潰ずに、羽毛の如き雪の薄化粧に相乗された女性の美しさ。 
生命創成素の真綿の雪の如く、人間の魂一粒一粒を、純粋な丹精さで埋め込んで創建した伽藍の甍上には、その雪が、パラッと大覚寺を一番「美しい顔」に仕上げてありました・・・・。                               
 そんな夢事が、又空高く舞い上らせて呉れました。             

 或る処で引力に惹き付けられる様に、その空間に紛れ込みました。      
透明な幾つかの星々、そのひとつは揺れる様な角度の微妙さが光のプリズムの如、
瞬時の変化が、虹を材料にした様な紋様を形造っています。          


 それは日本列島の地形の本州や四国だったり、近畿紀伊半島だったり、房総半島………と
目まぐるしく「地形」が煌びやかに変化していきます・・・・       
  見上げると、小ちゃな女の子が2人、いや「3人」かな、
          
 
♪あかりをつけましょ ぼんぼりに………♪
 歌を唱いながら、ぼんぼりの様なシャボン玉(の夢)を大きく膨らませていました………。
           
   
 【酸素 球 地球の形 シャボン玉

 
 旧 『にゃこリン「夢現」シリーズペーパーマガジ
bQ4(2001年3月8日号)より  
                                               topへ戻る
5.    童話 『こわい          
                
 こわい こわい こわい         
  ここはどこ?             
 こわい こわい こわい         
  どこへいったら こわくない?     
 こわい こわい こわい         
  みんな やけてしまって        
  かぞくも なかまも ともだちも    
  みんな やけてしまって        
  みんなは どこ?           

「もしもし わたし みんなと はぐれてしまって、
もしもし わたしの かぞくしりませかんか?
 もしもし わたしどうすればいいのか?とても こわいんです 
 もし もし もし もし ………」    

 ギギギー(戸の開く音)「ただいまー」  
あ、かえった!「遅かったなぁ、ひとりでものすごく、こわかった」
「火事の後やからやろ、一緒に風呂に来たらよかったのに。  
燃えた木の怨霊がいてんのとちがうか、この辺りには」
 「ほんまに、こわかったー」 

 或る夜、熱を出して寝ていた。      
 「熱いなァ……」            

 あつい!あつい!ヒャーあつい!     
 なんで こんなに あついの…!     
あしが てが どうたいが あたまが    
もえている…! あつい! あつい!    
あつい! みんな みんな ばらばらに   
くづれて くづれて ばらばら…… 
  
  

「熱い!熱い」
「氷枕つくったから、ちゃんと頭をのせて」
 お母さんの声? 冷たい!
   
  

 ざぁーっ、つめたい!いたい!つめたい!  
いたい!ながされる とけて ながされる   
とけて………  
              

 ザァーっ、雨の音に 起こされた。     
熱さも 関節の痛さも 溶けて 流れていったような気分だった。             

 それから なぜか又 夜 家に一人でいた。 
こわかったし、さびしかったけど、遠くでリンリンという音とともに、
御詠歌が聴こえてきた。
その音に耳を澄ましていると、全然こわくなかった。            

 父が「火事になってから明日で五十日か」と言った。
「そしたら今日は四十九(しじゅうくにち)や、人間が死んだら、霊がやっとこの日に
『あの世』へ着くという日や」、母が言っていた。
「みんな無事でほんまによかった!」。   
 
 次の日、学校から帰ってから、現在の家の表側にあった、
その焼けた家、と言っても玄関の戸辺りを残すのみで家の形はない、
其処に立ってみた。                 
 よく見ると、隅っこの方に、黒焦げになった柱の破片が横たわっていた。        
この柱だけ、片付ける時に忘れられたんか?  
 
ひとりぼっちで かわいそうに       
 ほんとうに そう おもえた    
    
 人間が焼けても、こんな風に黒焦げになんのかな、とその襞の様な
しわしわが、不気味だった。そやけど、私の死骸がこんな風に野ざらしに
されたらイヤやな、そや、幼なじみと原っぱで落し穴つくる時によく使う、
スコップがあった筈や、あれで掘って、此処に埋めたろ。
約10センチメートル角の長さ20センチメートル程の「死骸」を寝かせたまま、
穴に入れ土をかぶせて、無事埋葬し終えました。

 その後、気の所為か、火事のあとからずっとあった空気、  
緊張感が充満した様な空気が、ガス風船の空気の抜けるように、
萎んだのが感じられました。 
 さぁ、はよ宿題しとこーっと。       

 或る雨上りの朝、火事で焼けたその家の跡に
草が生えていた。
 風にひと揺れして
 「こんにちわ」
 聴こえたような気がした……。

               (了)

   (平成15年4月29日/記)
                                           topへ戻る    
6.<ファンタジー>     
 
お盆の八月十五日お墓参りした帰り、四条通りを嵐山に向かって車を走らせていた。
ビルの「山」がだんだん低くなってきた辺り右手側に「七彩」という会社の看板が目に入った。
 その会社名に引き付けられ………気が付くと其の会社の前に車を停めていました。
『「七彩(なないろ)の「虹」を下さい』、中に入って言おうとしたら、入口の処にストローとシャボン玉液が置いてありました。それで早速そのストローにシャボン玉液を浸けてプーッと吹くと、丸い虹色の輪が一杯に躍りだしました。そして、その輪が壊れると、そのあとに何か文字が見えます。壊れた順番に見ていくと、
『このシャボン玉を持って道路先の「サンコール」という看板の所へ行きなさい』という言葉になりました。<太陽に呼ばれ>風に乗せられるシャボン玉のように、その言葉のままシャボン玉液を持って道路に出ました。
少し行くと本当に道路の左側にその看板「サンコール」がありました。
中に入ると、大きな真っ赤な太陽の絵に視界が塞がれました。
「そうか、太陽を背にしてシャボン玉を吹けばいいんやな」と なぜか想い、そのようにすると、あの小さいシャボン玉が大きな大きな虹になり、それは本当に虹の橋のようであり、あまりキレイなのでその虹に触れてみたくなって、虹の端の方へ行きました。
 
 下から赤、橙、黄、緑、水色、青、紫と本当に七本の橋が懸かっています。みんなキラキラ輝いて、そっと触れてみると、ヒャッとする「氷」でした。
どの橋もみんな渡りたいなと思いながら、一番下の
赤い橋を渡って行ったのです。
 ガラスのような冷たい感触の橋を駆け上がり、頂上から下(くだ)る時は、滑り台の様にツルーンと滑っていきました。そして、下りた処から又、次の橙色の橋を登って行こうと足を置いた途端、「赤」い橋は消えてしまいました。同じように橙色の橋を渡り終え、次の黄色い橋を渡ろうとすると、やはり橙色の橋は消え、緑、水色、青、紫色すべての橋を渡り終えた時、そこは、真っ白い雲の中でした。 
 
 
その雲の中から、真っ白い鳩が一匹、まるで雲の中から産まれたように、現われました。
あの鳩「私」だわ、私は地面の上に確かにこうしているけど、でもあの白い鳩は間違いなく自分だと、なぜか思えるのです………
 

 又、元の道路に戻り目的地に向かって走りながら、昔、浅川マキという歌手が「赤い橋」という歌をっていたのを思い出していた………。  
 
♪いろんな人が この橋をゆく  渡った人は かえらない………♪ 

「虹」の初めの赤い橋………七本の橋、仏教の「七」という数の因縁は なんやろ?
 初七日(しょなのか)、二(ふた)七日、・・・六(む)七日、
七七日(ななのか)の四十九日(満中蔭)………………。         
 【これを書いた平成13年(7月23日)は亡父の三十七回忌の年でした】。

          (平成13年8/15/記) 
                                  topへ戻る
7.                        『河 童          
                   
                        雨が好き 紫陽花に化け 河童棲む      
                        
 (上の壁掛の絵をよく見て下さい、河童の潜んでいるのが分かりますか?)   
 私の家の斜め前の家の玄関前に、ざっと30輪程の紫陽花の花が鮮やかに咲いていました。
球形の方のではなく、平べったい方の『山』紫陽花です。
 本か何か若しかしたら夢の中?何処かで見たことがある、と思っていたら思い出した!
河童の頭のお皿。確かにあれは「河童」の頭です。
 キョロキョロ、風が吹く度河童は頭を左右に振って、
「さぁ、あれから雨も降らへんこっちゃし、何処へ行こうか?」と思索しているのでしょうか?   あれ、大きくひと揺れ、きっと幾匹かは今、抜け出ましたよ。
どこか川端の辺りへ行って水浴びするんでしょうか?

 入梅して「還って来て」好天候でお生憎様、河童さん。
何十年振りかで見る人間界はどうですか?
 あなた方の言った通り人間は「下等動物」でした。あの作家(芥川龍之介『河童』)が「あなた方の記録」を遺して74年、私はあなたと出会ってから30年振りです。                        
 河童さん、紫陽花の咲く頃いつもこうして彼処で人間界を探索していたのでしょうか?
そりゃ気になる事でしょう。ダイオキシンの蔓延、メダカも住めない様な河川環境、海洋生物の中性化傾向になっている現状では………。
私も今迄気付かなかった。今年のつい先日「あなた方」を見付けたばかりです。             もっともっと仲間を呼んでおいで! 人間共に「気付かせる」為に。
     
       
 (

  旧にゃこリン夢現シリーズbR0《2001年6月21日号》より)
                                 topへ戻る
8.〔ミニはなし〕───ミニストーリーともいう。      
    
         『レタスの気持ち』
 皮肉な事に振動のほとんどない此の道路───高速道路と言うのでしょうか?うつら、うつら眠くなってきます。居眠り運転する人の気持ちが、よく分かる。そして事故死?
 その少し前、私がこのトラックに乗っけられた時の道は、少しガタゴトして、そのせいで隣同士かぶさったり、くっついたり、ぶつかったり「あらゴメンナサイ」、そんな言葉もお互い自然と出て────その走っている道路沿いにチューリップ畑が見えてきて、白いチューリップの「想い」を察したおせっかいな風が、赤い花の方に絹の風をひと吹き流し、「あら羞し」白いチューリップは思わぬ愛のキューピットのお蔭で、赤いチューリップの花に「チュー」出来たのでした。               
 居眠っていて気が付いたら、此処は、はて八百屋さん?  
「レタス安なったなぁ」、そんな声だけで通り過ぎる人。手に取られそうで隣のに手を伸ばし「買われていった」───私「売れ残ってます」。「レタスはバサバサ水っぽいからなぁ」(「水やったら飲みにくいけど、食べれるん違う?ビタミンCあんねんでぇ」聞こえんやろなぁー)         「レタス頂戴」、又隣の子が売れた、店員さん上に積んだらあかんがな、「私」又隠れてしもた。 
 近くで桜の花が、まぁ春を満開にして「イヤ!キレイねぇ」。
ほんまやねぇー(これは私の言葉)───それでも散っていってる、きれいのに、散っていってる、それもキレイねぇ、ほんまやねぇー、きっと開いて開いて、喜んで散っていってるんやネェー、キレイねぇー。
 ”日本人 おもいかえせよ 散る桜”

 そのお客さんと目が合って、キレイ内に食べて言うてウインクしたら、隣のに手を出し掛けたのに、私買ってくれた。「私」美味しいで!───まだキレイから────?。                                               
          (旧にゃこリン夢現シリーズ47《2002年5月5日号》より)    
                                         topへ戻る

9.      夢の遊園地』                 
 先日自転車で走っていて、車道沿いの小さい公園の
銀杏の木が、一帯を満色の黄葉に彩っていました。
私が其処を走り抜ける間にも、ひらひらと風のままに
銀杏の葉が1枚2枚と散っていきます。                 
 傍らには、時計の振子の様なブランコに乗った子供が時を刻んでいる、
変わらぬ刻を―――  
 
 子供の頃、ブランコ、銀杏の葉と実―――             
 ペダルの回転を速め、坂道を下りてゆく…………              

 幾秋を走ったのだろう?                        
野田阪神から梅田新道迄、幼なじみと銀杏の実を採りに自転車で走った。

 一(ひと)秋? 二(ふた)秋? いやひと秋の間に何度も行ったような気がするが、記憶の不確かさ。独特な匂いのする銀杏の実を持って帰る事が目的だった分ではない。
 そうして自転車に乗って何処かへ向かう事が目的だったと言える。何故なら私の母がその銀杏の実を使ってくれた事などないから……だからいつからか自転車を走らせても私は銀杏の実を持って帰らなくなった。 

 
銀杏の黄色い思い出は、その過程、自転車で走っている事、ただそれだけが楽しかった…………。梅新よりもっと遠く、一番遠く迄走った所は、兵庫県の甲子園球場横にあった阪神パーク、いつもの幼なじみと野田阪神から自転車を漕いで向かった。どちらから其処へ行こうと言い出したのか憶えていないが、とにかく2人とも10才頃だった。
 あの頃は野田阪神から神戸方面に路面電車がその国道沿いに走っていて車の量も現在とは比べものにならない程少なかった、だから事故にも遇わずに済んだのだろう。
 距離にして概そ10キロメートル?位だろうか。その距離の所要時間は分からない、時計を持っていなかったから。(後年高校が西宮の鳴尾、甲子園にあったので電車で通っていたが30分位かかったと思う。)それでもその「阪神パーク」という目的性故に、弾む心の羽に浮かされたように、ペダルは軽く滑るように進んだ。         

 そして、やっと着いた、その時の嬉しかった事!
ここがあの
「遊園地!」、それまで一度も行ったことがなかった(母に連れて行って貰ったのは阪急百貨店の屋上の遊園地だけだったから)その場所の入口の前にいる、それだけで感激した。それほど遊園地というのは、あの頃の私達の夢の場所だった。
(私達といったが、幼なじみもきっとそうだっただろうと想うから……) 
 だから、中に入る事が出来なくても、ある満足感を持って元来た道を帰って行った─────。  
    
 (平成15年11月/記)                             

                                                                  topへ戻る
10.              日本の空間』  
          “このみには 柿の渋さも 種もあり”

 イチロー選手が日本人選手初めての入札でアメリカ大リーグ、マリーナに入団が濃厚となりましたが、日米野球、アメリカの3勝2敗で迎えた今日、現在3回裏、巨人の仁志がが2塁打を打って日本チームは2点目を上げた…………。 
 長嶋監督が現役の選手だった、私が少女の頃に観た日米野球のレベル差を想えば、経済力と言う国力の向上と共に、食生活の欧米化に依っての体質向上に負う処が大だろう。 そこ迄の経過過程、私達の子供の頃(年少)には無かったテレビ、電気冷蔵庫、掃除機、エアコンetc。人間が体を動かす中で感じる、しんどさ、それに打ち克つ(克たなければならない当り前の状況)日々の積み重ね………それは変わらぬ「人間の生活のパターン」だった。ついこの間迄の………。
 それ迄手洗いしていた母が、電気洗濯機を使用した時の感嘆!「楽になったわー」。それでも脱水は現在の様ではなく、洗濯機の右側に付いているローラーに洗濯物を挟ませ、ローラーと一体のレバーを手動で回して絞っていくのである

            “赤トマト 氷が「電気」の 冷蔵庫
 昔の電気ではない冷蔵庫は、大きさも縦が1m位横が50〜60p位で、2段の上段に氷屋さんから買った氷の塊を入れて置き、それで庫内を冷やすのである。冷蔵庫を開けるといつも
トマトがあった。子供の頃家業が八百屋だったので、果物屋の子やったら良かったのに、とよく思った……。しかし、懐かしい記憶である。
電気冷蔵庫、洗濯機、掃除機が揃って行った………それは、その以前を知
ってる人間には「物だけではない得る事が出来るもの」がある。        
 車が道路を凌駕する快適さと引き換えに、広々とした快適な空間を失った現代社会。その失ったものこそ「日本の空間」です。「アメリカ人は凄いなぁ」「金持ちばっかりやもんなぁ」………子供の頃のアメリカの印象………。


 敗戦後、その絶対的物質価値を目指して、日本人はどれだけのエネルギーを費やしたのだろう?昭和39年の東京オリンピックを戦後復興の頂点としての経済復興には目覚ましいものがある。それを否定すまい。してはならない。それこそ現代の快適さの礎なのだから………。

 
アメリカと肩を並べる程の経済力を築き上げた日本の、それ以降の「バブル崩壊」、現代の少年犯罪に見る「時代の呈相」……… 豊かさの産んだ子供……… 
 失った「日本の空間」を与えなければ、それは日々の躾で行なうしかない。


 小さい頃から何でも直ぐに買い与えない、我慢を教える等。 その喜びの度合いを濃密にする為に。………  4回、アメリカはボンズのホームラン等でその回8点を上げ、結果は13対4で日本は破れ、このシリーズの負けが決まった。未だ未だ日本はアメリカの掌中にある………。 

   旧【『にゃこリン「夢現」シリーズペーパーマガジン17』2000年11月11日号】より  topへ戻る         
                      
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11.ショートストーリー (平成12年1月13日/記) 
       『世界一美味しいレストラン2000』
 
と、ある街、と、ある処 で、そんな看板を見付けました。       
そして、「代金はお気に召せば無料」、タダより恐いものはないと、
思いつつ、興味津々、そのドアの扉を開けました。               
天井も、壁も、床も、全部木目のその部屋には、勿論、木の、テーブル  
が4つ、そのテーブル毎に4脚づつの椅子、壁にそって、やはり、
4つずつの樹が、4辺にありました。                     

 客は在ず、取り敢えず手前のテーブルの椅子に、腰をおろしました。    
が、いくら待っても、誰も注文を取りに来ません。            
「すいません。オーダーお願いします」、がシーンとした侭、何の返答も返ってきません。
仕方なく帰ろうと「椅子」から立ち上がりました。     

 途端、辺りは一面、樹ばかりの、林になっていました。         

 前へ行っても、横へ、行っても、後へ戻っても、樹ばかり………      
 日も、翳って来て、やがて、すっかり夜になりました。          
何処からも、洩れる灯とてない、真っ黒な「漆黒夜」を、初めて知りました。 
 「あー、お腹が空いた………」「この『状態』が終わらなかったらどうしよう?」
不安と、恐怖の侭、夏と言うのに震えて、ずっと、うずくまっていました。                           
 やがて、一ヶ処、仄かな気配と共に、闇が、動きました。         
神が目を覚ました! 光が、だんだん、光が拡がって、
まるで悪魔を滅ぼす様な勢いで、地上を覆って行きます。
「私の為に「朝」が歩いて来る」、溢れる光の中、そう想いました。

 そんな、朝も、初めてでした。      

 空腹感と共に、「喉が渇いた………」。樹の葉を「頂きました」。    
「美味しい………」、こんなに美味しいものを味わったのも、又、初めて 
でした。
切り株の、「椅子」に腰掛けて、それをしゃぶっている内に、
眠ってしまった様です………………                     

 目が覚めると、さっきのレストランの、帰ろうとして椅子から立ち上がった、
その状態の所に、いました。                    
 それにしても、本当に、「世界一美味しいレストラン」でした。
             [了]        
(詩歌集夢現第3集『夢幻』P30より) 
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12.   『ザブ〜ン〜』                  「愛」から「人間は、生まれた」

  「ザブーン、ザブーン」
  遠い、遠い昔、現在と変わらぬ波音が、波音に重なる。
 けれど、その海と空の色は、現在では、想像もつかない、絵の具や、クレヨンにその名残りを見付ける、紺碧────
 春一番の風が、海から陸へ、水平に、滑るように流れて来ました。
「今年こそ!」。離れた処から、毎年、真っ新らの塩気を含んだ、
松風の香りの「松」に憧れた、「もう一方の松」は、遂に、肝はらをくくりました。「あそこへ、行くんだ!」

 すると、不思議な事に、本当に、不思議な事に、その「松」が、木の足を、一歩「右」から 踏み出しました。一歩、二歩、右足、左足を、前へ、
前へと進んで行きます。
 遂に、その「松」の前へ、辿り着きました。
「何て存在感だろう、どっしりと、そして、一直線に空に伸びて」
 挨拶の積りで、無意識に「右手」を差し出しました。
が「何しに来たの?」見落ろされた侭、そう云われた様な気がしました。
 そして、気付きました。あの、大好きな塩の香を含んだ、
松風の匂いを感じないことに…………
 もう一度、元の、あの場所へ帰って見ました。
が、風は、もう、通り過ぎてしまっていました。「その松」は、
もう植物でなくなった、その松は、陸を、もっと陸を、進んで行きました。
 「又、一年後に、元の、あの場所へ還って来よう」「甘やかな、
あの香りに又、出会う為に」────進まずに、元の場所に、留まるべきだった。
「その為」なら…………距離を保って、寡黙な侭「高さ」をこそ、目指すべきだった。
 そして、「似非の香り」に惑わされ、益々、遠ざかって行く…………
 「現在」から、其処へ還ろうと思えば、風がよこしてくれる、
魔法の宇宙船にでも乗らない限り、とてもじゃないけど
「生きている間」には、無理な事。

  「ザブーン」「ザブーン」
 
「美しさ」への感動────木の側に、佇めば、樹を見つめれば、その聲を聴く事が出来れば、見出だす、思い出す…………根元の「美」
 ────
「愛」から「人間は、生まれた」─────。
      平成11年7月26日/記 (詩歌集夢現第3集『夢幻』P14より)
                                  
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13       ○笑話●を切り取る』                                                                     
 むかし むかし、ある所に、偉いのか偉くないのか分からないけれど、王様がいました。                                                   
 自分は、光輝く「光の子」であると思い込んでいた王様は、家来に向かって、
自分に出来る「影」を、除けてしまえ、と命令しました。                          「切り取るのじゃ!」、家来はすぐに、その王様の影を除けるべく、スコップで土を掘って行きま した。掘って、掘って、掘って、その内に「影」が動きました。「そら、其処の影が退いたぞ!」                                                 
次も又、掘って行きます。「又、影が逃げたぞ! 」、家来は又掘って、掘って、掘って、同じ事を繰り返して行きました。                                             やがて、日が傾き始めました。
東側、南側を掘り終わった時、すっかり暮れて「影」はなくなっていました。
 「よくやった!」、
偉いのか、偉くないのか、とにかくその王様は、家来を大変誉めたのでした。

  そして、それから毎日、それが続けられたのです。─────      (了)
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14.       『夢の中』                   
 
いつもの様に、その夜も眠りに就いた。そして、           
 いつもの様に 目が覚めた                     

 が しかし 一体 此処はどこだ                  
 いつの間に 私はこんな白い装束を纏ったのか?           
 家族は 何処にいる? 犬の「コール」は?             
 (家族 犬どころか 誰も居ない)                 
 家は? 鉢植は?                         
 靄(もや)の中に在るのか 夢の中だ そうだ夢を見ているのか    
 でも こんな夢は初めてだな 兎に角 何処かへ行ってみよう     
 なんだか軽い 自分が物凄く軽くなった 夢の中だから        
 誰か見えて来た 皆 同じ様に白い装束を纏っている         
 「こんにちわ」と 一人に 声掛けた                
 おはよう と こんばんわは 要らないと言うか 使いようがない   
 靄だけの 空間なのだ                       
 知らない人だから 返事がない                   
 ずっと歩いて と言うより 流れて行くと「人」の群が見えた     
 その人の輪の側に 行った                     
  皆 泣いていた 真ん中には 「死んだ人」が居た         
  囲りの人は「私も死にたい」と 口々に言っていた         
 「いつになったら 死ねるのやら」                 
 「もう永いこと此処に居て その間眠った事がない だから眠りたい」 
 「そうだ そうだ 夢から覚めるには 死ぬしか ないのだ!」    
 「此処は 死なない世界?」                    
 私はやっと 自分が「死んだ」事を 悟った             

 あれから どれ位 年月が経ったのか 経っていないのか       
 分からない 時々 羨ましがられ乍ら 人が「死んだ」        
  本当に 願わしい事                       
 「待つ」と言う感情だけを 永遠に持っている人ばかりの 世界    
 順番が あるのか ないのか?                   

  唐突に 「喜び」は 訪れた                   
  遂に 私は本当に 今度こそ 死んだのだ 

   夢から 覚めた。
  もう霞の中ではない。「犬と鉢植」は健在だ。
  これが、元の世界に還った 唯一の「証」だった。
  他は、すべて変わってしまっている。
   今、2006年という事は、百年経っていた─────。
        (平成18年3月17日 記)  
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15.   ○笑話 『復活」             
 
 予言者、賢者は、永遠の眠りにつき、そして甦った。        
 その死、そして民衆の一部始終の様子を、私は見ていた。       
 (各時代の)予言者、賢者が死んだ。それを見守っていた民衆は悲嘆に 
 くれ、絶望に陥り、余りのショックに皆、気を失ってしまった。    
 どれ位の時間、若しくは日数か、記憶にないだろう。         
  予言者が死んだ日と同じ様な、太陽の輝度に脳震盪を起こしそうな日 
 に民衆達は一様に覚醒した。                    
  そして、予言者の死体を見て、現実に戻った。やがて、暫くすると  
 驚く事にその予言者も目を開け、起ち上がったのだ。         
 民衆は一斉に予言者が「復活」したと、歓喜に震いた。        
  以上が、事の顛末である。                    

  予言者、賢者、そして民衆は、甦ったと言うべきだっただろう。   

        (平成18年3月17日 記)  
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