![]() |
<著作権侵害しない範囲の引用可、但し【引用先(445(よし子)のページ)と著作者明記の事】> |
・涙─感性─ | ・水・純粋(朗読へ) | ・りんご | ・「しきのつれ」絵と音楽と朗読 | |
・辛夷花(彼岸ゆき)(朗読) | ・一体(いっつい) | ・のっぺら棒の21世紀朗読 | ・白と黒の饅頭(朗読) | |
・早かれ 遅かれ(朗読) | ・素晴らしい日の為に | ・祈りそれを愛という(朗読) | ・ハートの鏡(朗読) | |
・有と言う無限 | ・大食漢 | ☆美しい心 | ・若人へ! | |
・金平糖 | ・春の朧絵(おぼろえ) | ・在るべき姿 | ・『窓』new | |
・存在(影と夜) | ・土と老人 | ・・或るときの・・・ | ・蓮の花がさく | |
・スプリング | ・知の時代 | ・・恥を知る (朗読) | ・平坦な道 | |
・影 | ・独善 | ・存在 | ・後悔 | |
・朝蜘蛛 | ・真実 | ・童の目 | ・ひとつの雲から | |
・未明道 | ・星の輝き | ・母とわたし | ・やさしく | |
・人間は嫌い | ・夜の川 | ・自己喪失 | ・自己責任 | |
・近く ………近く | ・景色 | ・ブルートレイン | ・花の姿─根の心 | |
・命懸けでU | ・見過ごさずに | ・美しい夕焼けに | ・花びら | |
・宝石箱に | ・宇宙の星 | ・細胞の煌めき | ・耳の壺 | |
・かたちのはじめ | ・言葉遊び | ・不完全な言葉 | ・風に | |
☆揺らめく灯 | ・いま見る花 | ・好敵手(MYSELF) | ・誰の喜び? | |
・此処においで (動画) | ・ほどほどの (朗読) | ・この世で恥ずかしい事 |
60.或るときの…』 「或る時」の 蝶のような 風の 掌が 蕾を 撫でると 花 自らが 花弁を 解く ように 「或る名画」が モノトーンの中より 老若男女 表通りを歩く 人も 路地裏の 人にも それこそ ロイヤルシートに座る 人も 「天上桟敷の人々」 にも 等しく与えられた 「愛」という 珠玉の 色彩を 浮かび 上がらせる ように……… 「或る音楽」が 私の心の 魂だけを 取り上げて 優しく 抱きしめる ように……… たとえ 大洪水が 全て 流し 去ろうと 「重要」な ものは そっと 残して 行く ように……… 「或る時」の 持続性を 芸術に 感じます──── (平成八年五月二十九日 記・「夢現」より) 〇〇〇〇〇〇 59.『蓮(はす)の花が咲く』 死ねば、その人生の一冊の本が自ずと出来上がる。 その刻、「決定された一生」となる。 変容、変節を経て、「歴史の証人」となる。 それは、この時代に生きたわたしにしか、出来ないこと 。生き継ぐべきは、それしかないではないか。 死ぬ時は何も要らぬ。 「六文銭」(現在の貨幣で100円位)あればいいと言 う。三途の川の渡り賃。 なんと身軽なことだろう。 しかし、 その河がドブ河でない事を願う。 澄んだ自分を映してくれる河である事を、希う。 そこに、蓮の花が咲く。 〇〇〇〇〇〇 ★ 58.『景色』 車窓は流れる 美しい景色(もの)も そうでないものも 列車が 走っているのやら 景色が 走っているのやら 結局それは 定かでない ただ 流れているのだけは 間違い無い 「人」として生まれ 叶うるなら 「美しい景色」の「刻(とき)」に「停止」することが− − 最上と−− 】 (平成10年9月 記・私本詩歌集「夢幻」より) ★ 57. 『真実』 『その「時」を逸すれば、事実が闇の中で窒息死する。 それは希望にも繋がりえたかもしれないのに・・・・、
闇の中に、光は死ぬだろう。 』
◎◎◎◎55.(23号)『自己責任』 ”梅が咲く チルチル(散る) ミチル 春が来る” メディアは「毒」薬だ。それは自分が「毒」だからだ。‘ メディアは「良」薬だ。それは自分が「良」だからだ。 何故なら、チャンネルに合わせるのは自分自身だからだ。 殺人シーン、馬鹿さを人気者にしている番組、そういう類を、 今日観て、明日も観て、そうこうしている内に 、その害毒が自分自身に浸透して、身体がそんなもんだと憶え込む。 自分を創るのは自分自身。 テレビのせいだ、社会のせいだ、果てはこの国のせいだ、と言う前に、 選択しているのは自分自身である事を知るべきです。 「自分自身のために」。 ★ |
54.『 存 在 』 (詩歌集「夢幻」P69 より ) 私は 書く書く 私は 創る創る 私は 詠う詠う 一杯 私を── ─ ペンを走らせる 手が見える 朝起きる 「オハヨウ」「おはよう」「おはよう」 (上の)甥子 (下の)甥子 私の母<註 生前時> ── 眼が 言葉が 返る 私と 皆の牛乳 コーヒーを 入れている 手許が 見える パン ヨーグルトを テーブルに 運んで いる 足元が 見える でも 見えない 部分が ある─── 私は 透明人間のようだ 頭から 爪先まで 姿の鮮明な みんなと 朝食を食べる 私は コーヒーを 飲む いや 正確に 言うと 飲んでいるようだ 「ちょっと、苦すぎたかナ」 それだけが 自身の 実在感 一番存在している筈の 私が 一番「不在」 ─「私」と言う「手触り」の為 私は 「書く」「創る」「詠う」 いっぱい わたしを─── 53. 『 影 』 他人、他物は、はっきり、見える。「私」は、鏡を通して見る時でも、他物を通してしか 確かめられない。唯一の『私』は、太陽が在る時の 『影』。他者とも 区別がつかない 「影」にだけ ある。 「私」という、自我はこんなに強いのに、私は、何処にあるのだろう? 「他」を、見て、聴いて、感じて 私は こんなに「存在」している のに、私は 「私」を 知らない。 私は、何だろう? しかし、他者は、よく見える。 私は、他者を見る為に「在る」の だろうか? してみるに、肉体は、幻想だろうか? (以上は 平成十一年七月 記) 52.『独 善』 この影のような私という存在の「あなた」を 私も見ている 昨日を すっかり通り過ぎ 明日へ 向かう 今日の あなた。 決して知ることのない又 決して戻れない 昨日という「過去」 現在も 「過去」の進行形である。 あなたの悪行「針小棒大」 善行「大砂僅粒」。 『だが いつも 「私」は善人である。 筈だ。』 「人間」は 「昨日」を持っている。 ゆえに 「明 日」 も。 51. 『後 悔』 人間は後悔する。 「後悔」という言葉を造った 人間は、後悔ばかり してきた。 動物は後悔しない(だろう) 決して後悔するような事をしないから。 動物は 生きるために 食べる。人間は 食べるために 生きている。 そして、その食欲には 際限がない。遂に 地球の資源も 危うくなった。 それは、人間が「後悔」しなくなったから。動物は 次の食物の生育のため 根こそぎ 食べてしまわない。 人間の 「存在」価値は? 動物より 劣るではないか。 ★ |
含蓄の 木の葉 言の葉 |
41.『好敵手』 (M Y SELF) ───問 「喜び」と「悲しみ」は、どちらが強いか?─── 答 M────「悲しみ」 Y────「喜び」 ───問 その所以は?──── 答 M───どんな「喜び」にある時も、「悲しみ」が 来れば、それに奪われてしまうから。 Y───さらさらと流れる、時間の冷たい感触に 留まって、記憶出来ているのは 「喜び」の方だから。 ───暗い 夜ほど、 朝は 明るい、 好敵手──── |
39.詩『スプリング』 第3集「夢幻」P17〜より
何処からか せせらぎ 跳ねる 水の音
あれは 峰の 何処かの 雪解け 水の音
一本の水 縫う 水車の音
凍えた体に 駆け出す 血液の様に
静止画の絵に 太陽が 昇る様に
何処からか ひんやり 温かい 風の音
地底の熱の 膨張を 釣り上げる 浮力が
ガードで 固めた 天の 冷気の
堰を 放く 引力となり
地球の 初めての 春のような
冴え冴え と 潔々しい 高嶺な 頂きの
「春」の 味わい…………
(前橋汀子のベートーベンバイオリンソナタの印象)
38.『夜の川』(詩歌集夢幻P46より)
“天の川 往く灯 還る灯 信号停
転じて光の 川の只中”
「天の川」(地名)の信号停から、その先、大阪方面道は
少し上向きの勾配になっていて、両車線の車の流れが見通せる。
人が夜の中の存在の様に 、
何れは訪れづる「自身」の完全な抹殺の予知を
見る様な、車の白いヘッドランプ今のその
「抹殺」故に、夜の魔物に刃向かい燃え挑む、
真っ赤なテールランプ。
―――夜になると、流れ出す川がある―――
太陽がいなくなるのを待っていた盗
人の様な、繁栄の象徴の「文明の灯」が我がもの
顔に威張り始める。それは「蛍」火の様な命火の
初めから、順に点って来た灯。ゆっくり、ゆっく
りと……。いつからか「消費」が走りだした。
夜が明るく明るくなって来た。原色の度合いを
増して………それと共に、その川の流れも、早く
成ってゆく「蛍火」等、クラクションで、蹴散ら
して
―――「夜」になると、流れ出す川がある―――
木々の緑の眠った後、文明の灯が、燃え栄る。
11/14(日)
37.『しき四季のつれ』♪音楽と朗読へnew
しきのつれ コーヒーの グラス
手にもちて 冷たきここち 覚えむ
アルミ匙 サクサク すくって
かき氷 みぞれ しぶきの 弾みて
幼き日のこと
声明のごと ふる 蝉時雨(しぐれ)
木々のむれて したるあせなん
いのちの 盛り 夏の日なり
くれないの 夏の夕日の
とどしまい 陽炎(かげろう)なり
しきの つれづれ しかり
秋の風 わたりきり
ゆげのごと 夏もやの 消えうせ
午後のくれ ながらえて
椅子深く この身しとう
黄金色 そのいのち
稲穂は みのりたり
群青の空 川の面に
鰯雲はしる
しきのつれ コーヒーの ホット
恋しき 枯葉集いて
人の こひしき
枯淡底寒 きわみ 木々つらねて
さざんかの 紅一点
いのちを ひっかくなり
冬のつれ
しきのつれ コーヒーの カップ
手に包みて ぬくきここち
さらに おぼえむ
年のふみ 届かぬ おもい
しろきはとは
かえらぬまま かえらぬまま
しきのつれなり。
/【朗読2】トップページに戻る/
35.『この世で 恥ずかしい事』
この世で 恥ずかしい事。
嘘をつくこと。
悪口を言うこと。
言葉や暴力で 人を傷つけること。
(弱い者いじめを含む)
裏切ること。
物を盗ること。
物を粗末にすること。
ゴミをそこらに 捨てること。
33.【存 在 】『「影」と「夜」』
「影」───『「少女の頃・影踏み・あの月」
影に影は 出来ない──「夜」「大きなものの」
朝 昼 晩────一日中 夜の頃』
『私の前を、通り過ぎる「影」
私も、通り過ぎてゆく』
『空想的な「影」───「夢想」』
『潜在的な「影」───「夢」』
『人の瞳の中に映る「私」───小さく
────少女の頃』
『光の角度で 伸びる「影」
縮む「影」────虚像』
『他人の中の「影」───軽いピンポン玉
───足蹴のボール・手28に弄ばれる』
────他人の中を 泳ぐ「影」────
「私」に「影」は ない
『侵入者の「影」……… 或る一刻の………
十分の九の他者………残りの十分の一に
「私」の存在を 見付ける。』
(平成十一年四月十三日)詩歌集「夢幻」より
人が、「眼」ではなく、「瞳」でものを見ていた頃、 目には蛍が棲んでいました。─キラキラ輝く、星の虫────山崩れや、落葉や、泥水の中から逃げ出した、蛍の様に、人間の「目」からも、或る時期、一斉に逃げ出してしまうのです。 子供の頃、バッタの棲み家の、雑草ぼうぼうの、原っぱの中、それ以外色彩豊かな花々や、緑深い、垂直な木に囲まれていた分ではないけれど、「それ等」を現在「愛する」事が出来るのは何故でしょう? 言葉として、「花は美しい」「不屈な木」、学生時代の授業を聞く様に知っていました。囲りから他の雑多な物も色々、教えられた様に。 でも、その中で、右足を出して、次に、左足を出して、日々進まなければならなかった様に、日々を「食べて」来て、或る日、「或る遺伝子」を吐き出したのです。 あれは、アクリルのガラス玉だった様な気がします。 そして、それと入れ替えに、そう、あの「蛍」が還って来て、花や、木や、全るものをダイヤモンドの輝きにしてしまう、 何億光年の「瞳」を、思い出したのです。詩歌集「夢幻」より |
29.『花 び ら 』詩歌集夢現第3集「夢幻」P76より
(平成十一年八月九日 記)
花弁が こぼれる………
あれは 「夢想」か 「諦め」か
「楽しさ」か 「倦怠」か
「笑い」か 「悲しみ」か
「時」と「時」の 節目から 接ぎ目から
落ちる 花びら
同調して 重復して
ただ 「時」の風に 乗っている
逃れようもない
花弁が こぼれる………
「絶望」の木から いつも 花は 咲くと云うけれど
「希望」は あっただろうか?
2004年1月17日 3:20:30
28.<命懸けでU>最低の人間(前号bU6号つづき)
花は好きだけれど ゴキブリは嫌で
嫌いだろう 「嫌な事を為す」人間は
ゴキブリだ いや ゴキブリ以下だ
ゴキブリは それ自体がその存在で
自分自身 選択出来ようがない
しかし 人間は やさしい言葉で
花のようにも なれる
なのに そうしないのは
「人間である」 値打ちがない
だから 人の嫌がる事を 言ったり
したりする 苛めている人間は 最低だ!
と 周りの皆が 言う事。
本当に 最低だから。
(世の中を よくする 変える それは
一人一人の言動でしか 在り得ない)
27. 『美しい夕焼けに』
”東から うまれた日 西へ 西へ 夕焼け”
「早かれ 遅かれ」 いつか 西の空しか 見ない日がくる
「思い出」は 時を 経るほど 遠くなるほど 輝きを増すものだけれど
その 「思い出」による
「辛い思い出」は 同じように 相手への 憎しみを増していく
生涯 忘れぬ 怨恨(根)となる
いま学生の 人間でも 将来 社会人となり 子供もつくるだろう
人の嫌がる あだ名を言って 名誉を汚した者は
いつか 同じように 名誉を汚される時が あり得る事を
「忘れない」ように
怨恨(根)は 深い。
「遅かれ 早かれ」 いつか 西の空しか 見ない日がくる
美しい夕焼けと なるよう………
26. 『宝石箱に』
波に流されて また 壊れた………
ミナちゃんは それでも また 砂浜の
砂を 寄せ集めて 作りなおします
やっと出来た・・・それ なに?
ん? 宝石箱・・・すると
おんなのこが 海の地平線の方を
指さすと────その光の星団の
光の粒粒が 流れ星のように
この「宝石箱」目掛けて
みんな 入ってくるのです
いゃー金平糖 ピカピカ 眩しい!
金色の 金平糖が いっぱーい。
<詩歌集夢現第4集「無限」収編予定>
25.『有という「無限」』7/22
ビッグバン それは
宇宙の始まり と言うが
「終り」
そして 始まった と言う方が
いいのかも 知れない。
宇宙の ひとつ ひとつの 星々や
地球と 同じように────
初まりの前に すべては あった。
答は 常に 先に ある。
24.『見過ごさずに』
慣れ程 こわいものはない。
全てを 是認してしまう。
どうしようもなく 暑い時、
40度、50度の中で 生きる
人々の いることを
どうしようもなく 寒い時、
零下30度の中で 生きる
人々の いることを
どうしようもなく 渇えたら
その中で その為に 死んでいく
人々の いることを。
見過ごさずに
それが 当たり前では ないのだということ、
こんなにも 私達は 恵まれている
のだということを。
何か 目に見える かたちで
為すべきでは ありませんか?
23.『近く ………近く』
私は 又 社会という 枠組みの中の
歯車の ひとつになる いづれ。
「脱輪」して以降 其処から
「遠く 遠く 遠く」へ
隔たって 又 近く 近くへ
戻ろうとしている。
それは 私の意志と感情の 全く入る余地
のない「生活の糧」の為の 理由からだけ
あれから 10年という 一サイクルが
経過した。
レールの上ではない
土手道を 歩いて 培った 10年
「悟得真理」 この心の わたしが
近く 近く 近く へ 向かう………
(記 平成14年7月)
22. 5/5(月) 『不完全な言葉』 情報化社会の流れそのままのように 季節も画像のように流れて行く 桜は散り、つつじは萎み、 五月の新緑の海も やがて 干いてしまうだろう───── 凍れる地肌も 活火山のように 火を噴く その言葉をきいたことがあるか? その煮えたぎった腸(はらわた)から あぶれ出た火塵が、若しかしたら 野の花や、木を巻き込んだかもしれない その残響音───砕けた石が定まらぬ形を 風に嘆く、ウォー ウォー と はじけとんだ一片の岩石の熱さも、 活火山の勢いも 鎮(おさま)った そのあとに残ったものは 生々しい 生 というものの 「醜さ」と「空しさ」 火の灰という涙を撒き散らしつつ 活火山が鎮まるように 人間も 憎み 切れる ものではない 言葉というものは、 時には「美しく」もあるけれど 時には、これ以上「醜悪」なものはない。 それは元々、「言葉」というもので もたらされたもの。 言葉という 陥し「罠」 10分前に聞いた言葉など 憶えてもいないのに───── |
5/1(木)
21. 『風 に』
人生を飛び超えられればいいのに
飛行機に乗ることは簡単だけれど
そんなもの何の役にも立ちはしない
そんな事より風を振り向かせて
風を自分の勢いとすること───
人生を飛び超えられればいいのに
純白の雪の上に スパッと散った
真紅の椿の美しさを 誰も振り向かない
そんな目ばかり………
それ処か その散った花を
靴で 踏ん付けている
「下駄を履いた人達なら きっと
そんな事はしなかっただろう」
そんな声など 大陸からの季節風と
ジェット機の風が 粉砕してゆく───
とにかく日本には
「吉田松陰」が いなくなった。
網の目が張り巡らされた様な中で
生きている現代人──
プライバシーもあったもんではない、
誰もその事に気付かないのか?
現在という 人生を飛び超えられれば
いいのに───
風をとらえなくては しかし
最近は 風が 匂わなくなった───
(4/10記)
19. 『いま見る花』
<腕が崩れ、足が崩れ それでも 心臓の花芯は ピーンと 張り詰めて
生命を訴えていた それが 最後の「命」だった 百合の花
あんなに艶やかに この部屋を彩った花を ゴミ出しの 今日
他のゴミと 一緒に 捨てました〉
枯れてしまった花を処理しながら、すっかり「慣れ」てしまったと思う ───
若い頃、枯れた花を見たくなくて「造花」を、「死なない花」を好んだ。
若い頃、自分が「この年齢」迄生きているとは思えなかった。
無常感に敏感過ぎた。
あの時 見た花は あの時の「私」
ヨレヨレとなっても 命を全うした花を礼讃する。
いま見る花は いまの「私」
18. 『宇宙の星』
今日も 宇宙の どこ 何処かで 星が 産まれ 星が 死んでいる
「今日」という日の 永遠の 宇宙の中で
この地球の 何処かで
人がうまれ 死んでいくように
生滅→この宇宙界の絶対性
若しかしたら 奇跡かも知れなかった
水の惑星の青い地球の誕生。
定義付けられた(人間の)美しさの識別
美しさ=幸福という至福
文明度が熟して 人がもっと 全ての人が
美しく 善良になっても
人が 醜く 粗悪になっても
いづれ 地球という 宇宙の中の 星は 滅びるのです。
それは 少しは 永らえるかも知れない 人の寿命の 程度の如く。
「選択」出来る事は────美しく没するか 醜悪に滅するか ───
生滅輪廻の 今日という日が 永遠の 宇宙の中で。
17.『耳の壷』 ルリーン チリーン 秋の 澄み切った 空気の 秋霖の音 あの音は 毎朝 毎晩 鈴虫が 槌音を響かせながら 練り作り上げた ガラスの 壷の中に 落ちる 朝露 夜露の 音です……… その壷 私 鈴虫から 貰ったのです。 |
16.『かたちのはじめ』
───未だ 人間が「出来る」前────
此処は まぁるい黄色い月と 三角の緑の
兎は砂に描いて「月」の丸い形○───
───●蟹は土を丸めてやはり丸い形
狸は土に描いて「山」の三角形△───
───▲蟻は土を積んでやはり三角形
狐は思案中、で、丸い円の上に乗った
三角形をじっと見ていて、もう一つの三角形の
一辺と、くっつけて円の中に置き、
四角形を見付けて描きました。■
ずーっと後
四角いお家に三角お屋根
丸いテーブルを囲んで
いるみんなが見えます。
*
15. 「祈り」それを「愛」という <朗読コーナーへ>
「愛」とは? 何かに「愛されている」と感じる時。
「無償の愛」、それは「愛」というより、もっと親しい「祈り」……
それには愛しているという実感はない(与えている者には)………
それでも、それを「愛」と定義して来たのは、いづれ廻り回って
還元されるものだから………
14.★『言葉遊び』
■ サ行連用形(?)
「海空へ めざしなら
めざせ!めざそう!目指さねば!」
・言葉あそび
♪ (エレクトーンの「ラ」故障) ♪
“階段音 ドレミファ ソ「ラ」空 抜けて シ死 に 至って ド(土) に戻る”
(修復)
“「ラ ラ」還る ドレミファ ソ「ラ」空 から
♪ 来世から エレクトーン 第二音階 ”
.■ 『八百屋さんにて』
トマトうれてる?<よううれてるで>
うれすぎ?<うれすぎて困ってんねん>
ほな一盛こうとくわ、うわーほんまに 熟れ過ぎや!(おそまつ)
13.◎『花の姿──根の心』
野原では 気取らず 体裁ぶらず さり気なく
そんなコスモスの花が 秋の詩を 唱っています………
「心根」という 言葉があります
花が美しいのは その根 こころ根が
美しいからでしょう
それを見ているのです、ね
そして それを 見ている時の 人間の表情は どうでしょう?
見えないと 思っている部分も
実際 一番 見えている部分 そのものなのです、ね。
花の姿………根の心
◎◎◎◎
《夢幻》第1部「約束された人生」 P13〜より
12. 『春の朧絵(おぼろえ)』
“春の芽(目)の 朧 木(き)緑 未だ 墨絵”
芽ざめた樹々の、初々しい恥じらいの言葉に エコーが掛々った様な
落葉樹の 木肌色に 淡い 淡いグリーンを忍ばせた
美しい 墨絵の様な────春の朧絵────遠い夢の中の「目触感」
そちらの方へ 一歩 足を踏み出す────「美しい幻想」を
きっと 破く為に────
でも「きっと」では無いかも知れないと云う 想像力に 引っ張られて
或る地点で 気が付いた 私は 下へ 下へ 下りていた
歩くたび その道は 下へ 下へ 下っていく様だ
「あの樹」は消え はっきり 木の芽の 芽吹きが 見え
樹液の 還流の音を 頂度 側を流れる 淀川の流れに
聴いた………… 早春────太間(たいま)公園────
■ ■ ■ ■
11. 『一 体いっつい』 (朗読)
背中に感じる 息流 人間の 体内を 巡る酸素を供給する 樹
その 人間の 排出ガスを 「酸素」とする 樹
これで 「一体」 人間の 「背 と 腹」
生きもの 皆は 地球の中の 「樹の一部分」
人間が 在なくても 樹は 生きられる
でも 樹が 無ければ 人間は?
10.『脳内事項・のっぺらぼうの21世紀』 (朗読)
雨が降った日、傘を差す。何故? 濡れれば冷たいから。
それでは「冷たい」と言う機能を消しましょう。 そしたら?
「ほんまや、傘要らん、便利になった」。
次は?
「寒い」「暑い」。それでは シュッ!
(ゴキブリ殺虫剤ですか?) まぁ、そんなもんです。
うわぁ、冬も夏も快適。
ほんと?ノウノウ
のっぺら棒の坂か 径か のっぺら棒が 流れて来る
のっぺぼうは 泣かない
のっぺらぼうは 笑わない
だから のっぺらぼう。
山とか 谷とか 昔は あったんだっけ?
/【朗読2】トップページに戻る/
■ ■ ■
9.『やさしく』
*
8. 『細胞の煌めき』
海面を キラキラ踊る、太陽光の「星」の乱舞の 美しさ!
あの「星」は、私自身の 細胞の煌めき
赤子の様に 無防備に 全て 委ねて
太陽に 海に 大地に 樹に 自身が
全て覆い尽くされたと感じた時の
自身の「無」の中にこそ
その 「存在感」が極立つ!
美しさの記憶は死ぬことがない。
現に今もこうして 歴然と 存在する………
「美しさ」は死ぬことがない。
私だけには とどまっては いないから………
****
《夢幻》第1部 「約束された人生」 P17〜より
(前橋汀子のバイオリンに寄せて)
7. ♪ ☆『美しい心』 (ドビッシー「美しき夕暮れ」)
美しい心を持っていますか?
と 問われて
それを 自分で どう 答えられるでしょう
ただ 私は
美しいものが好き!
美しい自然が好き!
美しい朝の 序曲の 「美しい夕暮れ」が好き!
舞扇の様な 冬の 落葉樹が好き!
厳冬下の 夜明け
その樹木と 一級品の風が 奏でる
美しい音楽が 好き!
と、ただ 答えられるだけです。
美しいもの、余りに、美しい音楽を 聴いていると
果たして、与えられている この美しさに、
自分は、値するだろうか?
♪
6. ☆『揺らめく灯』(ドビッシーバイオリンソナタ)
揺らめく灯 甘美な想い出
渦巻く疾風
押し寄せる カラスの大群
押し返す 凍火の 白夜
揺らめく灯 仄かな命
墜ちてくる 空
逃げて行く 水 悲惨という 赤い河
僅かな 空間から 壁を 押し退けて
立ち上がる 人
揺らめく灯 ……… 一筋の 希望 ─────
────次世代────
■ ■ ■ ■
5. 『大食漢』(夢幻P70より)
蟻は その粒分の 蜜を
猫や 犬も その胃袋分の ものを 牛も その 身体分を 草食
ライオンも 然り その身体分の 虎を食す。
人間は 動植物は 勿論 その胃袋以上の 「全ゆるもの」を
食します。
鉄を 石を 樹……etc を。
■ ■ ■ ■
4. 『ほどほどの』
“ ほどほどの ほどよき人生 平々凡”
ほどほどと、言う事程 難しい事は無い。
何故なら どの辺りが程々かと言う事が測れないから。
強いて考えるに「腹八分目」の 満足感で退ける人にある
「ほど良き人生」
天才を 羨む事は無い。
腹八分目では済まされぬ 業火を背負った──彗星
詩人を 羨む事は無い
心の鏡を 手放す事が出来無い 生きもの
自身の心の中で開く花は 何であるか?
人に依っては 「食べる物」「装飾品」「ブランド物」等々
あるだろうけれどそれ等に「蝶」を見る事の出来ないのが
「詩人」であろう。
直感的な 感性の弦に 触れてゆくもの
そんな蝶にこそ 花弁は 蜜となる
さりとて 羨む事は無い 各自の「物」が違う様に
それしか その様にしか 生きられないのだ。
明日も 開くとは限らぬ 花
「生」と言う 「問」を掲げて、
「死」と言う「答」に 至る迄。
どれが、最良の「正解」だったか?
千差万別───自分にだけ ある「答」
自分にしか ない「答」。 (「夢幻」第2部「父・瓦解」より)
■ ■ ■ ■
3. 『早かれ 遅かれ』 (朗読)
早かれ 遅かれ 朝になるか 昼になるか
清掃は せねばならぬように 遅かれ 早かれ
人 生きもの 皆 生きるように 皆 死ぬように 失せる
遅かれ 早かれ するべき事は せねばならないし
早かれ 遅かれ 悟らねばならない
「明日」に 悔やみたくないなら 「今日」 死ぬしかない
「今日」を 止めたいなら 同じように
それが 出来ぬのなら 「遅かれ 早かれ」
<画有 マイアートへ>
■ ■ ■ ■
2.『素晴らしい日の為に』 「夢幻」P61より (朗読)
昔は 何処にでもあった「日めくり」カレンダー
人は産まれた時 どっさりと その各自の「寿命分」の
「日めくり」カレンダーを 抱えて 生まれる
昨日で私は 20088枚の 落葉となった 「日」を 捨てた。
だが捨てた積もりでも 穴凹ぼこに囚われた 何枚かの ページ
そして捨てたくない 押し花の様な幾枚かの ページ
その日が終わらぬ内に クシャクシャに破り捨てた 頁
次の日になっても 何日いつ迄も めくらずに 置きたかった 頁
めくったのに気付かず 叉めくって 進んでしまった頁
ネジ巻きを 忘れられた 柱時計の様に 同じ日の侭の ページ
捨て度い日も 捨て度くない日も 叉それ以外の日もすべて
それが 土に還る落葉のように 自身の 瑞々しい緑葉の為の
木の根の 養分となって より新たなページの カレンダーの芯に
循環して行きます。
そしていつかその 白い真綿の様な カレンダーの 肌触わりに
「年経る事は素晴らしい!」と実感出来るのです。
“「日」めくりて 落ち 葉(養)分に 桃の花 ”