鉄ちゃん・ミステリー・ルポルタージュ
第三章・特急電車に追い抜かれ
なぜ、鉄道はこうも人をひきつけるのか?
ここで少し考えてみよう。
前回でも述べたが、バスやタクシーは余りあこがれの対象にはならない。なぜか?
車と言う代替物があると言う理由もある。
しかし、他にも理由がある。それは、「金さえ有れば手に入れることができる。」と言うことである。バスを利用したラーメン屋などもある様に、その気になれば、バスは個人所有することができる。
タクシーもそうである。タクシーは自家用車と変わらない、誰でも個人で同じ物が持てる。また、個人タクシーと言う手もある。
さらに言えばレーシングカーだって、金が有れば個人所有できる。事実、欧米の金持ちには、F1カーや、グループCカーなどを個人の趣味のために所有している人間もいる。
いや、金が有れば航空機だってもてるのである。自家用セスナなどは幾らでも有るし、自家用ジェットなどを持つ大金持ちもいる。確かに最新鋭のジェット戦闘機を個人所有するのは難しいが、古めのジェット戦闘機を持っている人間がアメリカに入るのである
(もちろん武装などをつけることはできないが、アメリカではエアレースがあり、それでスピード記録などに挑戦する飛行クラブや、大金持ちがアメリカにはいるのである。さすがアメリカ、スケールがでかい。)
そう、この世の中、金さえあれば大抵のものは手に入るのである。タクシー、バス、航空機、船舶、公共機関に使われているものとて例外ではない。
しかし、ここに、いくら金が有っても、ほぼ絶対に個人所有できない乗り物が一つだけある。
鉄道である。
「鉄道車両に住んでいる人もいる。」と言う人もいるだろう。
しかし、それは動きはしない。
そう、厳密な意味では個人所有したとはいえない。
動かなければ乗り物としては意味がないのである。乗り物である以上、走って初めて意味があるのである。そう、走らない鉄道は、もはや乗り物とはいえないのである。
金が有れば車両を購入することができる。しかし、車のようにそれで、道路を走らせることはできない。そう、走らせるとすると、線路が無ければいけないのである。
車は買えば次の日から道路を走り回れる。確かに道交法などを守らなければならないが、それさえ守れば、自由に走ることができる。
確かにレーシングカーなどで行動を走るのはかなり難しいが、(F3000に保安部品を付け行動を走れるようにした人はいるが)サーキットに運び、走行量さえ払えば走らせることができる。再びアメリカの話で恐縮だが、やはりアメリカには、サーキットを個人所有している人間がいるのである。
航空機や船舶もそうである。法律さえ守れば、その範囲内で、自由に動かすことができるのである。
そう、バスも、航空機も、船舶も、乗り物とは、乗り物を買いさえすれば、基本的に自由に動かすことができるのである。(もちろん法律の範囲内では有るが)