第五部

なぜ筑波山麓に建設されたのか?

つくばが、どのような目的で、そして、なぜ「研究学園都市」として建設されたのかを述べてきた。

最後に、「なぜ、拠点都市は、筑波山麓に建設されたのか?」について述べる事としよう。

いわゆる「研究学園都市」の候補地は、いくつか合ったが、最終候補に残ったのは、「富士山麓」「那須」「筑波山麓」の3箇所だったと言う。

しかし、拠点都市は、利根川より北でなくては意味が無い。「那須」と「筑波山麓」は条件に合っているが、「富士山麓」は上記の条件に合っていない。

そう「富士山麓」が候補地に残っていたのは、「研究学園都市」の真の目的をごまかすためのデコイ(おとり)として候補地に残されたのである。

事実、最終決戦は、「那須」と「筑波山麓」で行われた。

では、なぜ「筑波山麓」が選ばれたのか、なぜ「那須」ではいけなかったのか。

「研究学園都市」は、有事には「防衛拠点都市」になる。しかし、「拠点」を落とされてはどうしようもない。つまり、有事にはすぐに拠点を守れるよう兵員を展開できる位置に、自衛隊基地が無くてはならない。

そう、自衛隊基地から余り離れていてもいけないのである。さらに、現代の戦闘は、制空権を握らなければならない、拠点となる「研究学園都市」上空の制空権もすぐさま確保できなければならない。つまり、航空自衛隊の基地も近くに無ければならないのである。さらに、大量輸送のことを考えれば、海に適度に近いほうが望ましい。(余り海に近く低はいけない理由は後述する)利根川以北の関東(つまり北関東)でこれらの条件を満たしている所は他だ一つ、茨城県南部地方である。

茨城県県南には、霞ヶ浦に駐屯地があり、空自の「百里基地」もある。鹿島には、大型船が停泊できる港湾もある。そう実は「那須」もデコイであった可能性が高いのである。
では、茨城南部でもなぜ筑波が選ばれたのか?について考えてみよう。

ここから先は、少しオカルト的な話になる。

歴史に詳しい人たちならご存知のことだと思うが、日本の、国策、国家主導で築かれた都市は、「霊的防衛」と言う事も考えられていた。「平城京」然り、「平安京」然り、「江戸」然りである。

「平安京」を建設したときも、「霊的防衛」の為に「比叡山延暦寺」が建立された。「江戸」を建設したときも「浅草寺」などが建立されたのである。

「研究学園都市」も、国策で造られた都市である。「霊的防衛」を考慮に入れていたことは十分に考えられる。

しかし、「最先端の科学研究を行う」事を名目にした「研究学園都市」に寺院や神社などを新たに建立するのはいくらなんでも不自然である。しかし、「霊的防衛」は考慮に入れなければならない。この打開策として考えられたのが、「既存の寺社、神社を利用する。」と言うものである。しかも霊的パワーが強力なもので無くてはならない。当然有名寺社、神社と言う事になる。

「利根川より北」そして「関東地方」にある、有名な寺社、神社と言えば、「鹿島神宮」「筑波山神社」「東照宮」の三つであろう。

このうち日光の「東照宮」は一番始めに候補から外されたと思われる。

「東照宮」は、「徳川家康」を神としている。建立されてから400年も経っておらずあまり歴史が無い。しかも明治維新から現在まで続いている政府は、穿った見方をすれば、「徳川幕府を潰して成立した政府」と言うような見方もできる。「徳川家康」の霊が、自分の幕府を潰した政府の建設する都市を霊的に守護てくれるかは、いささか不安である。また日光は、山岳地帯とも言え、都市を建設するにも不向きであったと思われる。

「鹿島神宮」はどうだろうか。

「鹿島神宮」に祭られている神は、「戦の神」である。ある面一番適切のように思われる。しかし、当時は既に、「鹿島臨海工業地域」の建設が始まっており、また、海に近すぎると言うのもネックになったと思われる。海から奇襲を受け、上陸されたとき、沿岸部だと、あまりにも無防備になる。また「鹿島」は太平洋と、霞ヶ浦に挟まれ地勢的にはあまり広がりが無い。「利根川を最終防衛ラインとする。」時、司令部が、一番端にあるというのは、戦略上あまり好ましくない。「鹿島神宮」も惜しまれつつも候補に外されたと思われる。

残ったのは「筑波山神社」である。歴史も古く、その麓には、手付かずの広大な土地が広がっている。東京からも適度に離れており、利根川の最終防衛ラインを背にし、しかも真中とは言いがたいが、最終防衛ラインの中ほどに位置している。

また、筑波、茨城県南部のあたりは、「平将門」が本拠地にもしたところである。「将門の首塚」の伝説は誰でも聞いたことがあるだろう。壱千年にわたり強力な霊的パワーを保ちつづける人物の本拠地である。当然その強力な霊的パワーが筑波周辺には満ち満ちていると考えられる。しかもそれを補完するために「鹿島神宮」も利用できるだろう。

そう「霊的防衛」と言う観点から見ても、筑波は完璧な土地なのである。

そう「筑波山麓」こそ、「研究学園都市」「防衛拠点都市」を建設するのに、最も適した土地だったのである。

次に筑波の建設の流れを大雑把であるが見ていこう。

建設の始まったつくば