2005年10月から11月にかけて、西国33観音巡礼の旅に出た。
ここでは、今回の巡礼の旅のうち、3分の1ほどのウェイトを占める観光部分を旅行記風にブログにしたものを纏めてみた。巡礼記としては、別のページに掲載している。
第1回(1) (2005.10.24〜10.28)
1日目 10月24日(月)
東京発7時36分、ひかり363号で出発。名古屋で南紀3号に乗り換え、長い列車の旅が終わったのは13時42分。
列車の中で、一騒動を起こした。トイレに行って、ふとポケットに触ると、入れておいた筈の切符がない。
立ったまま、あちこち探していると、車掌がどうしましたか、と尋ねてきた。
さすが、ローカル列車の車掌、親切だと思い、ことの顛末を言って、再発行してくれるならと思ったが、そこからは、いたく律儀だった。
ぐるっと回る予定の切符は、もう一度買ってもらうことになると思う。勝浦に下りたら、駅で相談しましょうとのことだった。
いや、それは困る、そんな時間はないんだよなあ、と内心思った。
そこで、再び探し出し、座席をめくって隅まで探した。あったーーー。
予定時間になっても乗って来ず、遅れた詫びの一言も言わぬ観光客にいらいらしつつ、予定通りのバスに乗り、
第1番札所青岸渡寺へ。
やはり、ここは観光地だ。1番で、緊張して読経をしようと思っていたが、周囲の騒々しさで、気が散ることおびただしい。
観光客の中には酔客もいて、まさに喧騒そのもの。こんな調子では先が思いやられると思いはしたが、何とか、一通りのことは済ませた。始めての観音経も何とか。
朱印帳や白衣、輪袈裟が欲しかったので、売店で求めようとしたが、はっきり言って、商売をしているような雰囲気に嫌気。
不満足だったが、買うだけは買った。白衣は、朱印を貰うための笈摺しかなく、それを買ったが、結局はあまり使用しなかった。
朱印帳は、立派なのが手に入った。
熊野古道
観光バス組は、あまり裏まで行く時間がないのか、三重の塔に行く人は少なかった。
拝観料を払って、上まで登り、那智の滝を眺め、展示してある阿弥陀像などを拝んだ。
塔からは裏参道を降りて、滝の入り口まで行ったが、滝壷へは行かずに戻った。
裏参道
初日のこととて、結構疲れて、歩くのも、もういいかという段階になっていた。結局、那智大社には寄らず仕舞い。
時間があったら、少しだけでも歩いてみようと思っていた熊野古道は、境内から続く道を少し登っただけだった。
予定より早く勝浦に戻って、港の方まで散歩したが、時間を持て余す。18時18分発、オーシャンアローで御坊下車、各停で紀三井寺の宿へ。
2日目 10月25日(火)
宿から真っ直ぐに行き、踏切を渡った先が第2番札所紀三井寺に続く石段。
少し上がった所に山門がある。
結縁坂の途中にある三井水
この石段は結縁坂とか、厄除け坂とか呼ばれているようだが、朝一番の散歩にはいささかきつい。
登り切った所でまず目に入るのが、右手の新しい建物、新仏殿だ。そう言えば、昨夜、ライトアップしていた。
静かな境内は、まだ清掃の最中。その中で、古いお堂が静かなたたずまいを見せている。趣のある建物が多い。
本堂で念入りに経を読む。1番では、すっかり心残りになっていたから、煩わされずに、心を集中して読めるのは幸いだ。
もう一人、早起きの巡礼者がいた。早いお参りですね,と言われていたが、そのうちに、数人の人がお参りにきた。
和歌の浦を望む
予定に電車にはたっぷり時間もあり、本堂右手の石段を上がり、多宝塔や開山堂にも参る。
この上からの眺めは和歌の浦の海が見渡せ、花の時期の人出を思わせる。
紀三井寺の駅に戻って、電車を待った。
下りのホームには電車通学の小学生が十数人、賑やかだ。
和歌山で和歌山線に乗換え、今度は遠足の小学生と一緒になる。
隣に座っていた人は、重装備の巡礼姿。この人も、粉河で下車した。
きれいに整備された道を暫く歩くと、あまりに良い天気で汗があふれてきた。
真直ぐ行った先に朱塗りの橋がかかり、山門が見えてきた。第3番札所粉河寺である。
山門を入ってからも、長い参道が続き、左側にいろいろなお堂が並んでいた。
実は、この先に更に立派な中門があり、広い境内があって、そこの本堂がある、という仕掛けになっていたのだ。
大きな本堂の内陣を見る
参道沿いにある仏足石や童男行者ゆかりの庭
駅に戻って、有り余る時間を、まずはタクシーの運転手を捕まえて話をした。彼は、今から4番へ行くなら、まけてやると言う。何人かで行けば、安くなるだろうと言われたが、残念ながら、これから高野山に行くことにしているから駄目と断わった。4番へ行くための情報を仕入れたので、今度は駅の待合所に戻り、先刻一緒だった、重装備の人と若い人の話に割り込んだ。青年の実家と重装備さんの家とが、名古屋で近いことが分かり盛り上がっていた。一緒に4番へ行くことで話がまとまり、私の話も参考にして、河内長野からタクシーで行くことになった。彼らとは、橋本まで一緒に行き、そこで別れた。
橋本で昼食を済ませ、南海電車で高野山へ。
ケーブルカーを降りると、さすが高野山と思わせる雰囲気が漂っていた。大きなリュックを背負った外国人も含めて、バスは結構混んでいた。バスに乗ってから、急遽、予定を変更して、一番手前のバス停、女人堂で降りた。
ここからは歩き。金剛峯寺で朱印を貰い、内陣の内覧、狩野派の襖絵を見、お茶の接待を受けた。裏には見事な石庭。広い前庭で、身繕いをして、記念撮影。大塔、御影堂、金堂、西塔などを見てから、大門まで行った。
金剛峰寺
根本大塔
バスの時間を確認したが、すぐには来ないようなので、もと来た道を戻り、今度は、大師教会を経由して、苅萱堂から、泊まりの宿坊、恵光院へと急いだ。汗になった身体を風呂に沈め、17時半過ぎには夕食。部屋食である。久しぶり満腹。室温10℃、ストーブをつける。
大門前から見た山並みの夕景 宿坊の庭と夕餉