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坂の夢 広い野原にいるようなのですが、道はとっても細いのです。 あまりも暗いので足元をよく見て歩いています。 道はいつのまにか下り坂になります。 それがいつのまにか階段になっていて、さらに下っていきます。 ところが階段なのに手すりがありません。 こわくなって、後ろに戻ろうとするのですが、やはり下り階段なのです。 早く戻ろうとすると、どんどん下ってしまいます。 元の野原ははるか下の方に明るく小さく見えます。 そこから誰か坂で登ってくるようです。 きっと母だと思いました。 人形の夢 追いかけてくるその男を待ち伏せて、私は思い切りナイフで突き刺します。 何度も何度も突き刺すのですが少しも効き目がありません。 仕方がないのでまた逃げ出します。 ふたのない大きな箱に人形が入っています。 人形の服を着て、その箱に隠れるのですが 男はやって来て中をじろりと見ています。 恐くなって声を出しそうになります。すると別の人形が動き出します。 男は、その人形をフォークで切り裂いてもっていってしまいました。 ▼ 類似する夢の要素が 同じ夢の枠組みの中に取り込まれるとき いつのまにか臨時的に 別の意味や反対の素質をもつようになることがあります。 類義関係と対義関係を微妙にからみあわせると そこに新しい夢認識が形作られるということです。 現実感覚ではあまり味わえない 夢独特の両面的な表現技法が出現します。 つまり「Aであって、同時にAでない」という表現です。 by エリカ
▼ 「階段」と「坂」は類義関係にあります。 ところが「階段」と「坂」には 意味合い的に反対のイメージを表していることがわかりますね。 すなわち、対義関係になっているのです。 階段は「恐怖の対象」であり、坂は「ほっとする部分」を含んでいます。 野原から下ってきたのに、下にあるのはその元の野原です。 行動としては「Aであったのに、結果的にAではない」 つまり「下ったはず」なのに「下っていない」という矛盾も見られます。 似ているものを揃えているのに その組み合わせから違う面を引き出そうと夢はたくらんでいるようにみえます。 人形の夢 ここでは「少女である私」と「人形」は象徴的に類義関係にあります。 わたしは「ナイフで刺そうとする主体」ですが人形は「刺される客体」になっています。 類義関係にあるのに 「ナイフと私」と「フォークと人形」の対に組み合わせることにより 機能的に対義的な関係に発展させ、 夢見者の現実認識の物足りなさを補おうとしているとふむふむは考えます。 つまり、こういうことなのです。 現実のある側面にあなたの視線を向けさせるために もっともらしい「見せかけ」の演出をしているのです。 ナイフとフォーク、私と人形が並行に配置され 言葉遊びのように展開していく夢、形式上の繰り返しにより 夢は増幅され、類義めいて、対義めいてくる。 象徴的な類犠牲から、対義的な匂いを放ち、形式上の反復によって夢の構造が導かれる。 矛盾して見える夢の内容にこそ、夢の真実が隠れている。 by ふむふむ
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