imitative lover 12


 ロックアックス城。
 ジェラードの揶揄混じりの追及を漸う逃れて、二人は夜更けに戻ってきた。神妙な顔をして門番の前を通り抜け、予定より遅れて帰城した二人に急ぎの書類を押し付けに来た部下を冷静な声でいなして。カミューの部屋に飛び込んで扉を閉めると、どちらからともなく笑みがこぼれた。

「ならばジェラード様もご存知だったのか」
「当然。でなければ大切な姪御殿を俺と頻繁に合わせてくれるわけはないだろう? おかげで半分ほどはジェラード様の趣味話につき合わされていたんだ」
「そうだったのか……」
「うん」
 しかし部屋の中で向き合って椅子に座りこんで、マイクロトフは詳しい事の次第を聞くにつれ、事実を知れば知るほどにその肩ががっくりと項垂れていくのを感じた。
「リディア殿も最初からご存知だったんだな……」
「うん。実は最初に言っちゃった」
 言っちゃった、って……とマイクロトフは頭を抱えた。対してカミューの表情は明るい。しかし不意に唇を尖らせて瞳を曇らせた。
「だってあの日はマイクロトフが行こうって言ったのに、結局寸前になって行けなくなって。俺だけ馬車に押し込んでさ」
「それは悪かったが」
「そこにきてレディ・リディアに告白されてさ。マイクロトフがいるから駄目ですって思わずね」
「カミュー……」
 抱えた頭をかき乱したい気持ちでマイクロトフは唸る。
 聞けばその後、あろう事かカミューはリディアにマイクロトフのことを色々愚痴っていたと言う。いくら相手が構わないと言ったからと、それはあんまりにも恥知らずではないか? 自分が振った相手に恋人との愚痴を聞かせるなど。
 指摘すればカミューも苦笑いを浮かべて首を傾げた。
「うん、それは思ったんだけどね。応援して協力もしてくれるって言うから、つい」
「つい婚約話をでっち上げて俺を騙したのか」
「別に騙したつもりはなかったんだけど……えっと」
「あぁあぁ、リディア殿が勝手にやったのだったな」
「ちょっとやり過ぎてしまったようだが、でもおかげでマイクロトフの本音が聞けたから良かった」
「俺は良くない……」
 あんな恥ずかしい心情劇など二度と演じたくない。
 だいいち、騎士たちの間で公とまでいかなくとも広まってしまった噂話をどうするつもりなのだろうか。
 だがカミューはそんなもの、と一蹴した。
「人の噂なんていつの間にか消えるものだから、放って置けばいいさ」
「だが、噂の元は俺なんだが」
「そうだったかな。でも大丈夫だよ、俺はもうレディ・リディアの元へは通わないし。おまえに噂の真偽を確かめにくる者もいないだろうから」
「そういうものか?」
「そういうもの」
 何故だかカミューはずっと笑顔だ。ニコニコしっぱなしで大きく頷いてマイクロトフをじっと見詰めている。
「カミュー、さっきから何を笑っているんだ」
「嬉しいからさ」
 間髪入れずに答えてカミューはじっとマイクロトフの顔を凝視してくる。それが何だか恥ずかしくなってきて思わず顔を逸らそうとしたが、一瞬で伸びてきた手がそれを阻んだ。
「駄目だよマイクロトフ。こういう時は見詰め返してくれないと」
 立ち上がったカミューがマイクロトフの頬を掌で捉えて、そう言いながら見下ろしてくる。
「カミュー」
 随分と情けない声だと思いながら、きっと表情も情けないことになっているんだろうと思いながらマイクロトフはそんなカミューを見上げた。
「俺はな」
「うん」
「カミューが好きだ」
 言った途端にカミューの笑みが深まる。その見惚れそうな笑顔に一瞬言葉を詰まらせながらマイクロトフは続けた。
「だが、おまえも知っての通り俺はこうした事には不得手で不器用だ」
「らしいね」
「だ、だからな……これからも至らんことが沢山あるだろうが……その時は今回のような遠まわしな事をせずに、直接俺に言ってくれ」
「……分かった」
「俺とて、流石に面と向かって言われたら理解する」
「そうだな。今回は、俺もちょっと悪かったよ」
「ちょっとか?」
「随分、かな」
 言い直してカミューはまた笑った。
「マイクロトフを試すような真似をしたのは謝る。いくら不安だったからってやり過ぎだったよ。寂しい思いをさせちゃったね」
「別に寂しくなど」
「なかった?」
 あったとも。しかし素直にそうも答えられずマイクロトフはしかめっ面をして黙り込む。するとカミューはいかにも面映そうに笑って、そんなマイクロトフの眉間に指で触れた。
「マイクロトフのそういうところ、好きだよ」
 告げられて滲むように顔に熱が集まる。きっと赤くなっているが、カミューが笑っているのはその所為なのか、それとも一向にしかめっ面がほぐれないからなのかどちらだろう。
「なぁ、今度こそキスしてもいいかい?」
「……だから聞くなと言うんだ!」
 どうして一々そういう恥ずかしい事を臆面もなく聞けるのか、カミューという存在が不思議でならない。しかし、この美形ぶりでこれほど不自然なく、こんな風に口説かれて落ちない美女はきっといなかったのだろう。
「じゃあ不意打ちとかしても良いのかな」
「それは勘弁してくれ」
 心臓が止まる。だいいち、そんな不意打ちを許可したら気の休まる時がないではないか。
「なんだ残念。だったら、やっぱり聞いてからじゃないと駄目ってことか」
 改めてカミューはマイクロトフの頬をやんわりと包むと、間近に見下ろしてくる。
「キスして良いよね」
 答えずにいたら、柔らかな感触が唇に触れた。途端に鼻から吸い込んだ息がカミューの匂いでいっぱいでどきりとする。そして、驚くほど間近で吐息混じりの声が囁いた。

「キスより、もっと違うこともして良いよね」

 そんな問い掛けに、マイクロトフがまともな返事など出来るわけもなかった。










 起きたら朝だった。
 何故かカミューはそこにいなくて。ここはカミューの部屋の、カミューの寝床の筈なのにいなかった。
 マイクロトフは目を開けてやはり室内に人の気配がないのを確かめてまた目を閉じる。だが、身体中を包むのはカミューの匂いだ。
「………」
 どうしていないのだろう。
 なんだか良く分からないままに昨日の夜は過ぎていった気がした。
 マイクロトフは必死で、カミューの求めに応じたような気もするし、わけが分からないままに翻弄されたような気もする。だが不快感は全くと言って良いほどなかった。
 それよりも充足感の方が大きい。
 いったい何を恐れていたのだろう。
 結局自分とカミューの関係になんら変化など生まれなかった。
 これまで通り、共に過ごし続けるだろう予感が深まるばかりだ。
 だがそれにしても、カミューの姿が無いのは気になる。
 朝は苦手なくせに人よりも早く起きだして何処へ消えたのやら。しかもこんな朝に限って。

 だがマイクロトフがそうして寝床の中で唸っていると、不意に寝室の扉が静かに開いた。すかさずそちらに目をやると、カミューの瞳とばっちりと視線が合った。
「あ、おはよう」
 入ってきたカミューは手になにか持っていた。どうやら水差しとグラスのようだ。マイクロトフの視線に気付いてそれを掲げてみせる。
「喉、乾いてるかと思って」
 微笑むその顔を、マイクロトフは思わず睨んで見る。
「カミュー」
「は、はい…?」
「おまえ、寝たか?」
「………」
「寝ていないのか」
 疲れたような顔をして、何処か青白い。髪も乱れた感じでぱさついているように見える。無言で肯定するカミューにマイクロトフは奥歯を噛み締めて色々込み上げてくる言葉を飲み込んだ。
 そして深々と溜息を吐いて、恐る恐るとこちらを窺ってきている顔を見上げた。
「カミュー」
「あ、水飲む?」
「水は良いからここへ来い」
「…はい」
 叱られるのを分かって呼び出しに応じた子供のようにびくびくとしながらカミューはゆっくりとマイクロトフの所に歩み寄ってくる。そして直ぐ傍まで来ると首を傾げて見下ろしてきた。
 昨夜と随分違うものだ。
 思わずくすりと笑うとカミューがぱちりと瞬く。その腕をむんずと掴むと、マイクロトフは有無を言わさずにその身体を自分の方に引っ張りこんだ。
「うわっ」
 カミューは驚いた声を上げるが、その身体はなすすべもなくマイクロトフの横へと倒れこむ。その頭を敷布に押し付けてマイクロトフは上から毛布をばさりとかけた。
「寝ろ」
「マイクロトフ?」
「良いから寝ろ」
 そして毛布の上からカミューの肩を撫でた。すると強張っていた身体から緊張が抜けていくのが分かる。そしてその乱れていた髪も撫でてやって、そろりとこちらを見上げてくる瞳に笑みを送ってやった。
「まだ早い時間なのだろう。間に合うように起こしてやるからこのまま寝ていろ」
「……うん」
 漸くカミューもその瞳に笑みを浮かべて、ゆっくりとその目を閉じる。
 そしてその穏やかな表情から寝息が聞こえてくるまで、そう長い時間ではなかった。マイクロトフは涼しげな朝の風景の中で、暫くそんなカミューの髪を撫で続けていたのだった。















 それから、半年後―――。



「マイクロトフ団長、どちらへ」
 外出着を着た団長を第一隊長の声が引き止める。
「小用だ」
「左様で。先ほどカミュー様もそう仰って出掛けられたらしいですが、ご存知ですか?」
 なに、と振り返ると相変わらず無表情な顔が瞳に僅かだけ笑みを滲ませて見ていた。
「カミューが何処へ」
「ですから野暮用だと言い置いて、どこかへ出掛けておしまいに。気の毒に赤の副長は急ぎの書類を抱えて、猫の子を探すわけでもあるまいに戸棚まで開けて大捜索をしそうなほどの勢いで」
「あいつめ……」
 マイクロトフが唸ると第一隊長フェイスターは、ひょいと片眉を持ち上げて皮肉な笑みを浮かべた。
「ですから、もし、偶然、どこかで、お会いするような事があれば、そのようにお伝えください」
「分かった」
 マイクロトフが苦々しく答えると、第一隊長は行ってらっしゃいませと会釈をして送り出してくれる。ところが、それに手を振ってマイクロトフが背を向けて歩き出そうとしたところで再び呼び止められる。
「ああそうだ団長」
「なんだ」
「白い花ならば、交易所の横の花屋でお求めなさい。上手く花束にしてくれますよ」
「そうなのか?」
「ええ」
 フェイスターは頷いて、それからこの男にしては珍しく優しげな微笑を浮かべて言った。
「レディ・リディアに宜しくお伝え下さい」
「……ああ、分かった」
 今度こそマイクロトフは手を振って歩き出した。



 行く先は小高い丘にある墓地。

 晴れ渡る空が青く目に痛い。それはレディ・リディアが没してちょうど一ヶ月目の日のことである。



end

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2003/07/21