imitative lover 11
「どう言うことだ」
振り返りカミューを睨むと彼は肩を竦めて苦笑を浮かべている。
「カミュー?」
「怒らないでマイクロトフ様」
「リディア殿……」
また振り返ると少女もまた肩を竦めて苦笑していた。マイクロトフは呆然としてそんな二人を見比べる。何が何だか分からないものの、いっぱい食わされていたらしいことは分かる。
カミューはどうやら部屋の外で今までのやり取りを聞いていたらしく、リディアもそれは承知のようだ。しかも、婚約話が嘘? ひとをからかっていたのか?
「事情を話せ」
「話すよ、勿論。だがそれより先にマイクロトフの言い訳も聞きたいな」
「俺の言い訳?」
カミューの言葉にマイクロトフは怪訝に眉を寄せた。
「あんなに俺が愛してるって言ったのに、どうしてあっさり身を引こうなんて思ったのかその言い訳。結局おまえにとって俺ってそれだけの存在だったのかと思うと、胸が痛いよ」
カミューは掌で胸を押さえて、泣く真似をする。そんな素振りにカッとマイクロトフの頭に血が上った。
「誰がふざけてみせろと言った! 俺は事情を話せと言ったはずだ!!」
「怒鳴るなマイクロトフ。レディ・リディアが怯えるじゃないか」
「……ッ!」
頭が沸騰するみたいに熱い。それをマイクロトフは奥歯を噛みしめて抑え込んだ。しかし視線だけはカミューを睨み据えたまま、今にも掴みかからんばかりの気持ちは抑え切れない。
「落ち着けマイクロトフ。おまえはそうやって直ぐに頭に血が上る」
「誰の所為だ。下手にはぐらかすなら俺はおまえを許さんぞ」
「きちんと説明はさせてもらうさ。だがその前にまずここから失礼しよう。レディ・リディア、構いませんね?」
カミューがマイクロトフ越しに寝台の少女に優しく微笑みかける。ゆるりと背後を見やると少女も穏やかに微笑み返していて、それを見とめた途端胸が絞られるように痛んだ。
そんなマイクロトフを挟んで、二人は気心の知れた同士頷き合っている。
「ええ頑張ってね。私はいつだってカミュー様の味方よ」
「有難うございます。心強いですね」
優雅に会釈なんぞをして、更にマイクロトフの心を波立たせる。堪え切れず立ち上がると、低く失礼すると言い残してカミューの横をすり抜けると扉から外に出た。
途端に少し頭が冷える。
肩で息を吐くと直ぐにカミューが追いかけてきた。
「さてマイクロトフ。あちらに日当たりの良いテラスがある。そこで話の続きをしようか」
廊下の向こうを指差して歩き出したその背がまた腹立たしい。どれ程この屋敷に通い慣れているかが分かろうというものだった。そして、その全てにあの少女と過ごした名残があるのだろうと思うと、また胸が痛かった。
それなのにマイクロトフはその背に逆らう事も出来ずに、無言で後を追うしかないのだ。
案内されたテラスは確かに居心地が良さそうで、屋敷の主の趣味らしい観葉植物が整然と手入れされて並べられていた。その中央にある白いベンチへと先に座り込んでカミューはぼんやりと晴れた青空を見上げた。
「いーい天気だなぁ。特に今日はそよ風が吹いて薄い雲がかかっているから暑くもなく涼しくもなく、実に良い」
マイクロトフはその正面にある椅子に腰掛けてその仰のいた首を睨む。
「天気の話をしに来たわけではあるまい」
「そうだった。マイクロトフの言い訳を聞きにきたんだ」
カミューはニコニコと笑ってマイクロトフの顔を覗きこんでくる。
「教えて欲しいな。祝福するなんて、あっさり言ったつもりがなくても、どういうつもりで言ったのか」
「聞いていたのか」
「それは、ね。聞くだろう普通」
「そんな普通は知らん」
「マイクロトフ。もしかしてはぐらかしているのかい? 聞いたことにはちゃんと答えて欲しいな」
「おまえが聞いたままの通りだ。それ以外に思惑などない」
「俺が彼女を選ぶなら仕方がないって? 自分には幸せに出来ないから? ふざけるな」
不意にカミューの語調が荒く変わった。
「よくも俺の気持ちを無視してくれたもんだよ」
「カミュー、何をおまえ…」
怒っているんだ、とマイクロトフは言いかけて口を噤んだ。真正面にあるその整った顔が子供のように泣き出しそうだったからだ。
おかしい。怒っているのは自分のはずなのに、どうしてここでガツンと言い返せないのか。マイクロトフは途方に暮れてそんなカミューの顔をじっと見詰めるしかなかった。
するとカミューは何故だか両手でそんな顔を覆ってしまうと、深々と溜息を落としたのだ。
「マイクロトフ。本当におまえは全然分かっていないみたいだから、ここで妥協して教えてやるけどな。俺は本当に傷ついているんだからな」
「なんだ」
何に傷ついているという。それを言うなら俺だってわけも分からず蚊帳の外に放り出されて困惑の真っ只中だ。この収拾をどうつけてくれるというんだ。
そう思ってマイクロトフが不機嫌に返すと、カミューは相変わらず掌で顔を隠したまま言った。
「聞くがマイクロトフ。おまえちっとも疑わなかったのか」
「何がだ」
「レディ・リディアの話をだよ。どうしてあんなにあっさり納得するかなぁ」
腹蔵無いところがおまえの良い所だけど、それにしたってあんまりだ。カミューはそうぼそぼそと呟いて指の隙間からちらりとマイクロトフを見た。心なしかその瞳が潤んでいるような気がするのは、錯覚か。
「彼女の話が、どうだと言うんだ」
「おまえ、彼女が俺と婚約をしていると言ったのを聞いて、まっすぐ信じ込んだよな?」
「……どういう意味だ。何が言いたい」
「そこでおまえは、本来なら嘘だと思うべきだ、と言っているんだ」
カミューは焦れたように顔から両手を離して、必死の様子でマイクロトフに詰め寄った。
「なんで祝福するとか言って、俺を頼むとか言って頭を下げる展開になるんだ。俺は、マイクロトフを裏切って別の人間と黙って婚約するような人間じゃない」
カミューがまた泣きそうな顔をしてそう言い放ったのを聞いた途端、マイクロトフはガツンと頭を殴られたような衝撃を受けて、一瞬石像のように固まってしまった。
「だ、だが……カミューは俺のことを昔の恋人だと彼女に話して…―――」
上手く動かない舌を駆使して、なんとかそう抗弁するものの、それも途中でカミューにきっぱりと遮られる。
「そこから嘘なんだ」
「なんだと?」
「レディ・リディアの作り話、でっち上げだよ。俺にとっては今も昔もこれからだってマイクロトフだけがただ一人の恋人なのに」
あんなに愛しているって言ったのに。
ぶつぶつと言うカミューに、だがマイクロトフの眉がピクリと跳ねる。
「俺とてそう簡単に思い込むわけが無かろう!? おまえはずっと彼女の元に通い詰めてばかりだったではないか」
信じ込むに足る理由がある。
いくら口先で愛を囁かれても、行動が伴っていなければそれがどれ程空しく響くか。それに付け加え、広まってしまった噂はどんどん一人歩きして、城の騎士の誰もがカミューが近々リディアと結婚するのだと信じて疑わない。誰も、マイクロトフのことなどただの親友だとしか思わないのだ。
信じていたいのに、それを不可能にする下地がありすぎた。
だがカミューはそれにふてぶてしくも反論して来た。
「俺はマイクロトフが止めろと言ったらいつでもこんな茶番は止めると言い続けていたはずだ。なのに他ならぬおまえ自身が、俺をここに来させ続けたんだろう」
確かにその通りだ。しかし全てをマイクロトフの所為にするその言い方が怒りを煽った。
「だからと言って通う方も通う方だろうが! じゃあ何か、カミューは俺が言ったからと、何でもそれに従うのか。挙句その結末が気に食わなければ俺の責任なのか」
そんな馬鹿げた理屈があるか。マイクロトフは吐き捨てて拳を握り締めてそれ以上の憤りを抑え込んだ。それなのにカミューはまた腹の立つことを言う。
「一言、マイクロトフが行くのを止めろと言えば良かったんだよ」
「だから、どうして俺が!」
カッとなって吼え返した。
ところが、てっきりまたぬけぬけとした言葉を吐くかと思われたカミューの口は、予想外の気弱さでぽつりと呟いたのだ。
「いつもそうだから」
その気弱さに思わず気勢が削がれる。握りこんでいた拳をそのままに、ぽかんとカミューを見詰めると微かな苦笑がその秀麗な面差しに浮かんだ。
「触れて良いかと聞けば良いと応えてくれる。今日は触れない方が良いねと言ったら、そうだなと言う。マイクロトフ……どうして、いつも俺の言葉を待つんだ?」
「カミュー?」
「いつでも、俺の希望を聞いてくれるのは嬉しい。受け入れてくれてるんだなと思ってた。だけど、本当はそれはちょっと違った」
カミューは微笑んだ顔を項垂れて、小さく吐息を零した。
「おまえは自分の気持ちに気付いたばかりだから、俺の気持ちに追いつかないと以前に言ったね。でも、俺を好きならどうして求めてくれない?」
求めて? マイクロトフは胸の裡でカミューの言葉を反芻した。だが、いまいち良く分からなかった。何だか思考が麻痺しているような気分で、上手く理解できない。
ただカミューの静かな言葉だけが滑っていく。
「薄情とか、冷たいとかそういう次元の問題じゃない。それは、マイクロトフがちゃんと自分の気持ちに向き合っていないからだ」
「向き合っていない……」
「そう。なぁマイクロトフ。おまえは俺をどんな風に好きでいてくれている? 何処が、好きだと思う?」
「俺は……」
「聞かせて欲しいんだ」
そう問い掛けてくるカミューの瞳は哀しげだった。寂しげとも言うのか、ゆらゆらと揺れる瞳は整った容貌を悲嘆めいて際立たせている。それを見た途端マイクロトフの胸に重く凝ったように居座っていた苛立ちと痛みが消えて、代わりに落ち着かないようなざわめいた痛みが込み上げてきた。
だからその痛みを何とか鎮めようと、マイクロトフは必死で舌を動かした。まとまらないまでも心の裡を吐き出せば、何とかなるのではないかと思って。
「俺はカミューが好きだ」
「うん」
「おまえが俺を好きだと言って見詰めてくる時の目が好きだと思う」
「そうなんだ。知らなかった」
ふわ、とカミューが微笑む。
「ああ、おまえにじっと見詰められると落ち着かない。ざわざわして鳥肌が立つ」
「え、それって……」
「どきどきする」
「あぁ……そっちの意味か」
くす、とカミューが笑う。それから「続けて?」と促された。
「触られるのも、キスされるのも好きだから、カミューがそうしたい時はいつでも俺は―――」
「うん、そうだったよな」
「俺もだからおまえに触れたいと思うが……いつも、傍で見ているだけですぐ頭がぼうっとするから」
「ぼうっとしてるのか?」
疑わしげな口調だ。
「する。こんな綺麗な奴が俺を見てると思ったら、する」
言いながら次第にマイクロトフは、ものすごく恥ずかしくなってきた。どうやら徐々に正気に戻ってきたらしい。いったい自分は何を口走っているのだろうか。
「それくらいだ。もう良いだろう」
「ええ、そんなもっと聞かせてくれ」
「駄目だ」
拒否しながら、自分の言動を思い返して顔がどんどんと熱くなっていく。堪らずそんな顔をカミューから背けて床を睨みつけた。
すると。
「あれ、マイクロトフもしかして……」
「なんだ」
「照れてるのか?」
「………」
更に顔が熱くなった気がした。
「もしかして今までそうやって途中で俺を突き離したりしてたのは、照れ隠しか」
「言うな」
図星を指されて居たたまれなくなる。なのにカミューの顔には何故だか喜色が広がっていくではないか。
「マイクロトフ、そうなのか?」
「……そうだと言ったら何だ」
「嬉しい」
即答にマイクロトフはがっくりと項垂れた。しかしそれはカミューの本音だったらしい。
「だっていつも直ぐ不機嫌になって繋いだ手とか振り解かれて、マイクロトフはそんなに俺のこと好きじゃないのかなって不安になってたんだ。でも照れ隠しだったら違うって事だろう? それ以上手を繋いでいるのが恥ずかしくて堪らないって事で、俺が嫌だからとか気分が冷めたとか、つまりそういう事じゃない」
「詳しく分析するな」
「マイクロトフ!」
「なんだ!」
「愛しているよ」
臆面もなく告げられて、それ以上何も言葉が出てこない。しかもそこにきて更に恥ずかしいことを聞いてくる。
「抱きしめても良い?」
「だ、駄目だ!」
「ふふふ、そんなことを言っても、もう通用しない」
照れ隠しなら遠慮することはないな。
不穏な事を言ってカミューは立ち上がった。それに思わずマイクロトフは身を引きそうになったが、いや、違うと咄嗟に思ってそんな身体を自ら引き止めた。
そうだ照れ隠しだ。いつもここで逃げるから、カミューが不安になる。それこそ、駄目だ。
心を決めた瞬間、ぎゅうとカミューが抱き付いて来た。
「大好きだよ。キスして良い?」
聞かれてまたうっと詰まる。
と、言うか。カミューがこうやって一々お伺いをたててくるからこそ、恥ずかしさが煽られるのだと、たった今気付いた。
「わざわざ聞くな!」
赤い顔をして怒鳴ると、カミューはまた嬉しそうに笑った。
ところが、その時一瞬マイクロトフは視界に認めたくないものが過ぎるのを見つけてしまった。
「ま、待てカミュー!」
今しも唇を落とそうとした秀麗な顔を引き剥がそうとして、マイクロトフは汗をだらだらかきながら、視界に治めてしまったそれを凝視していた。
「駄目だ! 本当に駄目だ、離れろ!」
「嫌だ」
しかしカミューは聞かない。強引に事を進めようとするのを、それでもマイクロトフは必死で振り解こうともがいた。
「ジェラード様がいる!!」
「え」
ぴたりと止まったカミューがそろそろと振り返る。
その先、テラスから望む庭の一角に、ニヤニヤと人の悪い笑みを浮かべてこちらを見ている、前赤騎士団長の姿があったのだった。
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2003/07/19