マフラー


 毛糸の手編みマフラーが実は嫌いだ。
 あんなもの、と思うのは、嫌な思い出があるからだ。

 宜しければ使って下さいと差し出された紙袋の中身は十中八九、手編みのマフラーだ。今頃の時期、若い娘からの贈り物としては定番だ。大したお金は無いが心だけは充分過ぎるほどに篭っている。
 だが、差し出された紙袋を、受け取るであろう手は躊躇してさ迷っている。
 何をしているんだとカミューは遠目にその様子を見ていた。
 黙って受け取れば良いんだ。気の利いた礼などおまえが言えるはずもないのだから、向こうだってそれは承知でいるはずだ。だからこそ、そんな好意の品を差し出してくれているに違いない。
 受け取ってやれよ。
 見ろ可哀想に、おまえが動かないから目の前のレディは不安に怯えてる。
 石の手摺に肘をのせて乗り出すカミューに、そんなやり取りをしている彼らが気付く事は無い。誰よりも遠くを見通す目を持っている―――後ろを通り過ぎる者も、よもやカミューがずっと向こうの通りを見ているとは思っていない。
 あぁ、泣きそうじゃないか。
 カミューはくすりと笑みを零した。泣きそうな顔の娘に慌てる様がおかしい。
 ほら、受け取ってやれよ。
 心の中でそう促してやりながらも、カミューの目は少しも笑っていなかった。そして一瞬後には、その目がぎゅっと苦しむように歪む。
 紙袋はほっそりとした小さな手から、大きな手へと移るのが、はっきりと見えた。

 嫌いだ。
 あんなあからさまな常套手段。だから手編みのマフラーなんて嫌いなんだ。



 そんな事を考えていた、十代の頃。





 カミューはその太い毛糸で編み上げられた『それ』をじっとりと見た。あれから十年近く経っても、やはりそれを見詰める目つきは変わらないらしい。
 そんな視線に気付いたのかマイクロトフが怪訝な顔で振り返る。
「どうした」
「……それ、なんだい?」
 どうにも不機嫌を隠しきれず、カミューは顔をしかめつつ、指でマイクロトフの手にあるそれを指した。
「これか? 暖かそうだろう」
 渋い霞んだようなオレンジ色は上品で、だがマイクロトフに似合うかと思えばそうでもない。随分と趣味の悪いレディらしい、とカミューは益々顔を歪めた。もっと似合う色は他にあるだろうに。
「確かに、暖かそうだけれど。売り物ではないんだろう、それ」
「良く、分かるな」
 驚いたマイクロトフの顔に、カミューは分かるさと呟いた。
 それほど多くは無いが、カミューもまたその手のものを貰うようなハメには何度か陥っている。素人の手編みかそうでないかの区別は容易かった。だがその作者の名を聞いてカミューは首を傾げた。
「実は、茶屋の大刀自が編んで下さった」
「……え?」
「おまえがいつも茶葉を買い入れているあの店だ。知っているだろう」
 知っているも知っている。店の奥で一日中猫を相手にニコニコしている品の良い老女だ。時折愉快な昔話を、絶妙なブレンドと共にご馳走してくれる。だが店を訪れるのは専らカミュー本人ばかりでマイクロトフとはそれ程の面識も無いはずだ。その老女が何故マイクロトフにマフラーなどを。
 理解できずに何度も目を瞬いていると、マイクロトフが苦笑した。
「いつも贔屓にしてくれる礼だと、編んでくれると仰ったんでな。俺がおまえに似合いそうな糸を選ばせてもらった」
 どうだ、似合うだろうとマイクロトフは笑みを浮かべる。だがふと洩れた呟きにカミューはハッと顔を上げた。
「手編みのマフラーは、あまり好きではなかったのだがな」
 大刀自が折角と言って下さっているのを無碍にもできんからな、と言ってマイクロトフはしげしげと手の中のマフラーを見下ろした。落ち着いた暖色のそれ。
「昔からこの時期には、おまえに渡してくれないかと散々頼み込まれて、参ったものだが―――」
「え?」
「これは、良いな。次は俺のを編んで下さるそうだから、楽しみだ」
「え、マイクロトフ?」
 嘘嘘嘘。とカミューは必死で急いでマイクロトフの言葉から推理する。
 確かに全部が全部そうでは無いだろう。だが自分が図らずも目撃していたあれらの場面はもしかしたら―――?
「おまえは寒がりだからちょうど良いだろう」
「選んだって…?」
「ん? ああ、糸か。どれが似合うと言われてな」
「マイクロトフが……」
 呆然としつつもその言葉の意味を噛み閉めていると、ふっと視界が翳る。
 あ、と思う間もなく目の前にマイクロトフがいて、首が柔らかな温もりに包まれた。
「手編みも、良いな」
 穏やかに微笑むマイクロトフの瞳に、カミューは漸くそうだねと頷いた。



end



2003/02/03