嘘つき
床の上。
じかに座りこんでいるのはマイクロトフ。
憮然とした顔を隠しもせずに膝に肘を突いてむっつりと口を曲げている。
その目の前で、やはり同様に床の上に座りこみ、腹を抱えて大笑いをしているのはカミューだ。
遠慮なく笑い声を上げるカミューに、マイクロトフはますます仏頂面になっていく。
「そんなに笑うな」
低い声でマイクロトフがぼそりと呟く。
けれどカミューはそんな言葉になおも笑った。
「笑うなって。それは無理だよマイクロトフ。あー可笑しい」
目尻に涙を浮かべて彼は漸く笑いをおさめて、まともな言葉を紡いだ。
事の始まりは、今朝のこと。
マイクロトフがナナミと短い会話を交わした後に、血相を変えて同盟軍の本拠地となっている湖畔の城中を駆け回ったところからだ。カミューはその時、生憎にも前日から出かけていてその場に居なかった。
帰ってきた時には既に騒ぎは大きくなってしまって、事情を知らないカミューはただただ目を丸くした。しかし騎士の一人を捕まえて騒ぎの理由を知ると、驚きは笑いへと切り替わってしまったのだ。
「それで騙そうと思う方も思う方だけど、騙される方も騙される方だね」
「うるさい」
手を叩いて笑うカミューにマイクロトフはすっかりへそを曲げて壁の方を向いてしまった。
しまったからかい過ぎたとカミューは慌てて、四つん這いで床を進むとその背に圧し掛かって黒髪に頬を擦りつけた。
「ああごめん。笑い過ぎたね」
「知らん」
邪険な声だが、振り払われないのでカミューはそのまま腕をマイクロトフの胸の前で交差させて抱き締めた。だが、それがまた良くなかった。
「カミュー……いい加減に笑うのを止めんと追い出すぞ」
「ええ?」
「震えが伝わってくるんだ馬鹿者が」
「あ、しまった」
堪えても堪えても笑いの発作は喉の奥でひきつけを起こしている。その振動が直に触れ合った場所から伝わってしまっているのだ。
だがそれでも、あえて離れてやろうとは思わない。
カミューはにやにやと笑いながら体重を載せるようにして後ろからぎゅっと抱き締める腕に力を込めた。
「重い」
すかさず文句を言われる。仕方なくカミューはずるずると身体を滑らせるとマイクロトフの横へと身を移した。そしてぐるりと覗き込むようにその顔を見た。
「マイクロトフ?」
そっぽを向いてしまう。その首筋に再び腕を伸ばしてカミューはぱちりと瞬いた。
「ね、そんなにいっぱい食わされたのが悔しいんなら、俺にやつあたりしても良いんだよ?」
「……なんだと?」
怪訝な瞳がじろりと横目に睨む。
カミューは苦笑を浮かべた。
「まだ今日と言う日は終わっていないから、俺に嘘をついて憂さを晴らすとかさ。色々できるよ」
年に一度、何処の誰が始めたやら。
嘘をついても許される日。
といっても悪質な嘘は流石に許されない。茶目っ気たっぷりの愛嬌のある嘘ならば、騙された方も笑って流してしまう。そんな嘘が横行する日だ。
マイクロトフは、しかしこの日を毎年嫌っている。
理由は、今日のようにすっかり騙されてしまう己の単純さを自覚している事。そして。
「―――俺にそんな器用な真似ができるか」
「ま、確かに」
笑ってカミューは頷いた。
面と向かって嘘をつけるような、そんな小器用な真似が出来ればそもそも簡単に騙されたりしない。
つまり、いつでも騙されるばっかりなのだ。
「マイクロトフのそういうところがまた、嘘をつかれ易いんだろうけどね」
単純な者なら他に幾らでもいる。
それなのに毎年毎年、ロックアックスでもこの同盟軍に移ってきても、変わらず嘘をつかれてしまう。それはひとえにマイクロトフの人柄だ。あまりにも一直線で素直だから、騙す方もつい楽しんでしまう。
かくいうカミューも幾度かマイクロトフに嘘をついたことがある。
その都度、あんまりにも真っ直ぐ信じ込むものだから、直ぐに降参の手を上げて、嘘を詫びてしまうのだが、今年は少しばかり勝手が違って大騒ぎになってしまったのだ。
嘘の張本人、ナナミも吃驚した事だろう。
その場にカミューが居たなら、まだましだったろうに。
「みんな、そんなおまえが好きなんだよ」
「だからと言って、みんなして嘘をつくことも無いだろうが!」
「今日だけだよ。それに、皆謝っていたじゃないか。そろそろ機嫌を直せ」
「別に、俺は―――」
「ほら。笑ってごらん。機嫌を直したら、そうだなぁ……ハイ・ヨー殿の幻のスペシャルステーキランチを奢ってやるから」
「なに? 本当か!?」
「あ、嘘です。ごめんなさい」
「………」
しまった。
カミューはついうっかりいつもの癖でぺろりと滑らした己の口を呪った。
完全に機嫌を損ねてしまったらしいマイクロトフは、いまや完全に険悪な顔でカミューをじっとりと睨んでいる。
「マイクロトフ。ごめんって」
「知るか。もうおまえなんぞ……大嫌いだ」
「うぐ」
「どこぞへ行ってしまえ。顔も見たくない」
「マ、マイクロトフ。それこそ嘘だよね?」
ひー、と顔を引き攣らせながらカミューはマイクロトフの肩を揺さぶる。しかしぷいっと完全に背を向けてマイクロトフはどうしても視線をあわそうとしない。
「マイクロトフ!」
「大嫌いだ。あっちへ行け」
「マイクロトフ……嘘でも、そんなこと言わないでよ」
「知らん」
「ごめんなさい、もう絶対嘘なんて言わないから!」
「……信じられんな」
「スペシャルステーキランチは無理でも、マチルダコースだったら奢るから!」
「………」
「お願い!」
必死で縋るカミューを、マイクロトフは無言で無視する。
ところが。
揺さぶっていた肩が、不意に小刻みに震えだした。
「……なるほど、これは愉快だな」
低い声が笑い含みでそんな事を言う。
「嘘だ、カミュー」
「……マ…」
途端にぷしゅーっと空気が抜けるようにカミューは両手を床につくとがっくりと項垂れた。
本気で焦っていたのに。
「マチルダコースは明日だな。この期に及んでそれも嘘だとは言うまい?」
「……当たり前だよ。もう、酷いじゃないかマイクロトフ」
「一瞬とは言えおまえに殺意を覚えたのは確かだ。これに懲りたら二度と人を嘘でからかったりするんじゃない。俺は本当にその手の騙しには弱いのだからな」
「分かったよ。反省しました。でもねマイクロトフ?」
「ん?」
カミューは勢い良く身を起こすとマイクロトフの両肩をがしっと掴んで正面から顔を見合わせる。
「おまえこそ、二度と俺を嫌いだなんて言ってはいけない。嘘でも、だ」
「……分かった」
「うん。頼むよ」
正直、身体の中心から指先まで痛みが走った。
心の衝撃は果てしないのだ。
カミューはそのままマイクロトフの鎖骨の辺りに額を寄せた。
「嘘でもなんでも、嫌いだなんて言わないでよ」
「悪かった。訂正する」
「……顔も見たくない、とかも」
「ああ。すまん」
さらさらと髪を撫でられてカミューはほうっと吐息を零した。
それから再びマイクロトフの身体をぎゅーっと抱き締めて、やれやれと肩を下ろした。
「暫く、嘘はいらないね」
「まったくだ」
end
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2004/04/01