ばか
カミューという男は、凄く馬鹿なのではないかと、時々思うマイクロトフだ。
いや、本来はとても頭の良い優秀な男だ。
昔から物分りも良くて、マイクロトフなどは何度か勉強を教えてもらったこともある。分からない所を、あの聞き馴染みの良い声で柔らかく教えてもらって、理解できなかったものはない。
だが頭が良すぎると思うところもある。
カミューの咄嗟の判断力は、その膨大な知識量と頭の回転の速さにある。マイクロトフのように直感で動いたりするようなことは殆ど無い。
その、他人よりもずっと優秀すぎる頭の出来ゆえか、あの瞳が稀に、何もかも見透かしたような眼差しになるのを何度か見た。
まるで全てに達観しているような、他人事のような眼差しは、実はマイクロトフは苦手だ。名を呼びかければ直ぐにいつもの目に戻ってこちらを向くが、気がつけばいつもそんな目をしている。
そして、そんなカミューが本当は馬鹿なのではないか、とどうしてマイクロトフが考えるのかと思えば。
「おい、邪魔だ。退け」
と、マイクロトフが告げたのはほんの数分前だ。
場所はマイクロトフの私室で、時間は夜。美味い夕食を平らげて腹も満ち、風呂にも入ってさっぱりして。そこへいつものごとくカミューがふらりと酒を持ってやってきて。
美味いワインを飲みながら、と言ってもマイクロトフは読書の予定だったのでグラスを傍において長椅子で読書を楽しんでいた。その間カミューは何が楽しいのかダルそうに毛足の長い絨毯の上でゴロゴロ転がっていた。
別に何が違うと言うわけでもない、いつも通りの夜のことだった。
ところが、先刻マイクロトフがそう言った途端にカミューは顔色を変えた。
そして現在、壁に向かってなにやらぶつぶつ言っている。
「―――もしそうなったら、やっぱりゴルドー様を始末して……」
何やらはっきり聞くのが怖いことを呟いている。いったい何を考えているのだろう。
マイクロトフはただ、読み終えた本を仕舞うのに、本棚の前に寝そべっていたカミューが邪魔だと言ったつもりのだけだったのに。
呆れつつ、本棚の前から壁の前に移動したカミューを横目に、マイクロトフは本を棚に仕舞った。そして寝台の端に座る。
「おい、俺はもう寝るぞ」
「……でもその前にある程度味方につけておかないとこっちが反逆者だしな……」
「灯かりも消してしまうぞ」
「…うんでも大丈夫。いざとなったら前から考えてた手を使えば……―――」
「カミュー」
そこで漸くカミューが壁からマイクロトフを振り返った。何故だかやけに悲壮で決意に満ちた目をしている。
「マイクロトフ」
「なんだ」
低い声に怪訝な声で応じると、カミューは突然身を投げ出してくるとガバッとマイクロトフに抱きついてきた。その反動で二人の身体が寝台にボスンと沈み込む。
「ぐっ…!」
「俺は絶対マイクロトフと別れないからね!? もしそれでも別れるんだったらゴルドー様に代わって俺がマチルダの最高権力者になって絶対おまえを傍から離さないんだからな!」
「はあ!?」
「嫌だと言っても傍にはべらすんだからな!!」
「ちょっと待てカミュー! おまえはいったい何を言っているんだ!」
「俺を嫌いでもそうなったら立場上おまえは絶対俺の傍から離れられないんだからな」
「だから何なのだ! 第一どうして俺がカミューを嫌いになるんだ!!」
マイクロトフはなんとかカミューの身体を引き剥がして怒鳴った。するとぴたっと喚く声が止まる。見ればきょとんとした目が見返していた。
「……嫌いになってない?」
「ああ?」
「俺のこと、嫌になったんじゃないのかい?」
「俺が、いつそんなことを」
不可解極まりなくマイクロトフが問い返すと、カミューは不意にふにゃふにゃと脱力して凭れ掛かってきた。重い。
「カミュー、こら」
「良かった〜〜。なんだ誤解だったんだぁ〜」
そしてぽやぽやとした平和な顔で笑う。
なんだか良く分からないマイクロトフだったが、カミューの言葉に誤解と聞いて、誤解だったのか? と首を傾げる。
「誤解なら、まぁ…良かったな、カミュー」
「うん。マイクロトフ大好きだよ」
「…ああ」
「えへへ」
「……俺も好きだぞ?」
「うんっ」
何がどうなれば、俺がカミューを嫌いになるのだと。
まったくこいつは馬鹿だなぁと、マイクロトフは自分に改めて抱きついて来る男の背を撫でた。
果たして本当の馬鹿はどっちだ。
end
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2004/06/24