還 ら な い 声 5


 マイクロトフの決断に軍師は渋い顔をしたが、盟主である少年は静かに頷いてくれた。少年の決定に異議を唱えるものは誰もいなかった。
 既に戦は最終決戦も近く、ここにきて騎馬隊頭領であるマイクロトフとカミューが脱退するのは軍にとって非常に不利益といえる。しかしカミューは既に戦場には立てない身である。またマイクロトフの方も日ごとに憔悴の色が濃くなり、以前のような覇気が見られず、兵の訓練なども部下に任せる日が続いていた。
「だが次の戦には出るんだろう」
 会議室を出てから廊下を歩く道すがらビクトールが問うてくるのにマイクロトフは頷いた。
「はい。ですが指揮のおおよそは部下にさせるつもりです」
 今までは赤騎士も含めて全ての騎馬隊の指揮はマイクロトフが執っていた。それを、訓練だけでなく実戦の指揮権も部下に譲るという。
「騎士どもは黙っちゃいねえだろうによ」
 横を歩きながらぽつりと呟いたビクトールに、マイクロトフは曖昧な笑みを返した。
 部下の騎士らにはカミューが病気で、起き上がれないほどの状態であると告げていた。見舞いを望むものは多かったが、それは頑として受付けていない。そうした上での指揮権の譲渡は、引退を否応なく連想させる。
「俺は、何よりもカミューが一番ですから」
 応えるとビクトールはそうか、と顔を歪めた。
「それなら仕方ねぇなぁ」
 くしゃりと笑ってビクトールは遠くを見た。
「一番は、大事にしないとなぁ。なくせないもんだからな、一番てやつは」
「……はい」
 微笑んだまま頷くマイクロトフに、ビクトールはしかし快活に笑いかける。
「ま、今度の戦での働きは期待させてもらうからよ」
「はい」
 最後だからとは言わない。
 それでも、最後だからと胸に思い浮かべていた。





 出迎えた濃い琥珀に、まず微笑みかけるのが日常になっている。
「カミュー」
 呼び掛けてその渇いた金茶の髪に指を絡める。
「今日、皆に告げてきた。だから暫くお前と離れなければならなくなった」
 流石にこんなカミューを戦場には連れて行けない。帰還するまで誰かの手に委ねなければならないだろう。だがそれも既に信頼のおける者に頼み込んでいる。数日後にはマイクロトフはカミューをこの城に置いて戦場へ向かうのだ。
「終わったら、何処へ行くか………」
 呟きながらマイクロトフは脳裏にグラスランドの土地を思い浮かべていた。同盟軍の図書館で見つけたグラスランドに関する文献。それを読んで浮かべた情景はマイクロトフの想像に過ぎない。だがカミューはかつてそこに居た事がある。
「どちらにせよ、お前は帰るつもりがあったのだろう。少しばかり予定を繰り上げても怒ったりはしないでくれ」
 読み難いカミューの心の内も、時に察する事の出来るマイクロトフである。彼がマチルダ騎士団を出奔しこの同盟軍に身を寄せて以来、いつか故郷へ帰ろうと考えていたのは知っていた。当然自分も共に行くつもりだったが、それはこの戦が終結してからの話の筈だった。
「俺がまた帰ってくるまで、元気で過ごせよ……旅は容易ではないだろうからな」
 己の内に無茶と止める声もないではない。何しろ今のカミューは馬の手綱さえ取れないではないか。そんな者を連れてはるばるグラスランドまで向かって何をするというのか。共に過ごすだけならばこの同盟領にあっても構わないのではないか。
 しかしマイクロトフの中には必ずグラスランドに行かなければならないのだという強い意志があった。カミューを成した土地を共に見なければならないのだという、強い想いがあるのだった。










 出立を明日に控えた日の夜。
 おそらくハルモニアの方も追い詰められ、かなりの抵抗を示すだろう。熾烈な戦いになるだろうと誰もが予想し、そして武具を整えていた。兵士たちの顔も皆一様に厳しくなっている。軍全体がぴりぴりとした緊張感に包まれていた。
 夜も更けた頃、マイクロトフは騎馬隊の編成を最終的に見直し部下たちに指示を与えてから漸く部屋に戻った。

 この日は多忙の合間を縫って夕食を摂らせたきりだった。
 儚げな青年は、しかし城全体を覆う緊張感に何かを感じているのか、窓辺に置いた寝台の上に起き上がり窓の外をじっと見下ろしていた。いつもならもう寝ている時刻にもかかわらずである。
 そんなカミューの様子に、やはり空気の違いは察する事が出来るのだろうかと漠然と思い、マイクロトフはその側近くまで歩み寄った。
「カミュー」
 手を伸ばして馴染んだ髪に触れる。そのまま両腕を青年の肩に回して後ろから抱きすくめた。なすがまま体重を預けてくる身体が愛しい。腕の中で抱き込んだ身体をずらして無防備な白い顎にくちびるを寄せた。
 下唇を甘く噛んでから、しっとりとくちびるを合わせて軽く吸い上げる。そうしてからマイクロトフは軽い身体を確りと抱きすくめて目を閉じた。

 許されるのだろうか。

 自問する。
 答えを出してくれる相手など居ない。そもそも問うことすらおかしい。だが、暫くの間とは言えこの青年と距離をとらねばならないのは、この身を引き裂かれるほどの辛さを伴うのだ。何がしかの想いを確かめ、そして得たいと思うのは身勝手だろうか。
 毎日、服を着せ替えたり風呂に入れて身を清めたりはしている。だがそうする時に触れるのとはまた違うのだ。マイクロトフは襟元から覗く白い肌を見詰めた。浮き上がった鎖骨に指先で触れると、僅かな温もりが伝わる。それだけで鼓動が少し早まった。
 こんな事を感じるのはおかしいのかもしれない。
 一切の反応をかえさない相手に欲情をするなど。
 それでも、愛しくてならないのだ。堪え切れないほどに愛情は止めど無い。
 こんなになってもまだ抱きたいと思うのを、許してくれるのだろうか。

 問いは、しかし意味がない。
 既に心の奥底では決定されているのだ。決めてしまっているからにはもう進める事しか出来ないのが自分という人間である。マイクロトフは痛ましく眉を寄せながら、青年の衣服に手をかけた。



「カミュー」
 ―――マイクロトフ。
 記憶が彼の声を聞かせる。だが目の前のくちびるはただ呼吸を繰り返すだけで何の音も紡ぎはしない。
「いいか?」
 ―――あぁ。
 いつだって彼はこんな自分を許容してくれていた。
 この、薄らと開く瞳に笑みを滲ませて。
「…好きだ」
 吐き出した声が震えていた。
 不様にも目の縁が滲んだ涙に濡れるのを感じた。
 これほどの絶望感を持ちながらカミューをこの胸に抱くのはかつて無いことだった。いつだって幸福だけを感じていたというのに。それでも益々熱くなる昂ぶりはもう抑える事など不可能になっている。マイクロトフは蝋燭の危うい灯火さえ消えた暗い視界の中、白く浮きあがる青年の素肌に思うさま掌を滑らせ始めた。

 青年が体勢によって俯けた顔のかわりに露わになったうなじにくちびるを這わせながら、マイクロトフはさながら医者が患者に施す治療のようにただ無感動のまま、一度手にした青年のものを高めてとき放たせた。
 いつの間にか腕の中のカミューの息は荒く短いものに変わっている。
 そうしておいて己の掌を濡らした青年の白濁を、ずっと躊躇われ触れずにいたすぼまりへとやった。その時、不快さゆえか腕の中の身体がぴくりと緊張するのを感じ、マイクロトフは一瞬動きを止める。だが戸惑いは僅かだけだった。
 一気に最奥まで探るように指を入れた。反射的にカミューの足が緊張し浮きあがる。それを押さえ込んでマイクロトフは構わず解すように指を動かし、次第にその本数を増やしていった。例え、痛みを訴えないだろうとしても、傷つけるつもりなど毛頭ない。せめても僅かなりの快感を拾ってはくれないかと、久しぶりの行為である事も手伝って執拗にせめたてた。
 もとより強張りのない身体は直ぐに熱に溶けるように柔らかくなった。気付けば薄らと汗さえ滲ませている。
「カミュー…」
 囁いてマイクロトフは汗ではりついた金茶の髪を掻き上げ額にくちづけた。そのまま目蓋を辿り、鼻筋を撫で、そして唇に軽く触れるとそれを割って深いくちづけを施す。その状態で、もう抑えなどきかない自身の昂ぶりで青年を貫いた。
 衝撃にか或いは呼吸を求めてか、カミューの身体が硬直し震えた。
 くちびるを解放すると、マイクロトフは奥まで収めた昂ぶりをそのままに、カミューの顔を見下ろした。
 暗闇になれた目は、呼吸を求めて喘ぐくちびるも汗を浮かべて僅かに朱を上らせた白い肌も余さず見る事が出来る。だが、静まり返った室内においてその耳は、ただ肌が敷布と擦れる音と二人の浅い呼吸音しかとらえてくれなかった。
「カミュー」
 衝動のまま突き上げた。
 それでも青年の身体は緊張に震えるばかりで、そのくちびるは何も紡がず、だらりと投げ出された四肢は何も求めず動いてはくれない。
「……カミュー…」
 せめて一言なりと何かを言ってはくれないだろうか。
 胸の奥から不穏な気配がせり上がるのを感じながら、マイクロトフは飢餓に狂う餓鬼のように抱き込んだ青年の身体を貪り始めた。
 抱き返してくれと、名を呼び返してくれと。
 身を繋げ、その熱を感じながら余計にその虚しさに打ちのめされる。
 その求めは貧欲でとどまるところを知らぬほどマイクロトフを追いたてた。
「カミュー…カミュー!」
 焦燥に心を焼かれながら果てたのち、マイクロトフは漸く己が滂沱の涙を流していることを自覚した。薄らと汗ばんだ青年の肌の上に幾つもの涙の粒が落ちている。
 激しい虚脱と未だおさまらない焦燥に思考を狂わされながらも、思うさま貪った相手の身体を開放する。青年はいつの間にか意識を失っていたらしく、最初に開いていた瞳は閉じられ全身が重く寝台の上に横たわった。そんな汗と白濁に汚した身体を見下ろして、マイクロトフは涙するままに呟いた。
「…人は……何処まで強くあれるのだろう……―――カミュー?」
 不意に正気に戻ったような低い声に、しかしやはり応じる声はない。
 それでもマイクロトフは僅かに微笑むと、それまでの怖れるようだった触れ方とは違う動きで、横たわる青年の上に身を伏せた。
 胸の急所の上。その一点に証を残すようにきつく吸い付いた。
 赤く血が滴りそうなほど濃い痣が肌に残る。そこに触れてからマイクロトフはその滑らかな肌から手を離した。



 そしてマイクロトフは最後になるだろう戦場へと赴いたのだった。


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2001/11/14