還 ら な い 声 6


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 。。。

 目覚めた時、カミューは全身を覆う肌寒さにそこにあるはずの毛布を引き寄せようとした。だが何故か寝台の上には毛布も何もなく、仕方なく寝転んでいたのを起き上がる。ぼんやりとしていても眠り込んでいたそこがマイクロトフの私室だと直ぐに気付いた。時折、主の留守に入り込んで眠り込んでしまう。カミューにとってはあまりに居心地が良過ぎるのだ。
 このロックアックス城の部屋は。
「まだ戻っていないのか」
 薄暗い室内を見回してぽつりと呟く。
 なんだかこうして待ち侘びては居眠りを繰り返しているような気がするが―――。
「今度は何処へ出かけているのだったかな」
 寝惚けているのか上手く思考が纏まらない。
「それにしても寒い」
 腕を擦るが周囲に取り巻く冷気はいっそう厳しさを増したかのようだった。
 妙なものだ。先程まではそれほどの寒さを感じなかったと言うのに。
 だがそんな寒さを感じても、カミューには燃え盛る炎や温かいスープで暖を取ろうとする気はまるで無かった。
 寝起きはいつも無気力になる。
 しかし今回に限っては、先程のうたた寝の間に見た夢のためかもしれない。
 思い出してカミューは顔を顰めた。不吉な、マイクロトフを失う夢など……。
「早く戻って来いと言うんだ―――」
 そこにいない相手へ悪態をついてカミューは再び寝台へ倒れ込んだ。だがその耳が微かな物音を捉えた。
 がばりと再び起き上がり耳を澄ます。
 寝台の上、硬直したように目を見開いて見る景色の中、閉じられていた部屋の扉が静かに開いた。
 開いた扉の隙間から漏れる明かり。続いて姿を見せたその人物にカミューは喜色を抑え切れない。
「マイクロトフ」
 名を呼んで寝台から降りて立ち上がる。
「カミュー…?」
 薄暗い室内だ。低いその声は不思議そうな声を出した。
 そしてその手にある燭台の灯りが室内を照らす。途端に明瞭になる視界に待ち侘びたマイクロトフの姿を見てカミューは笑みを綻ばせた。
「マイクロトフ…」
「カミュー、こんなところに……いたのか」
 明かりもつけずに人の部屋で眠りこけていたのだ。驚いたようなマイクロトフの言葉にカミューは軽く笑った。
「待っていたんだ、マイクロトフ」
 少し眠り込んでしまっていたけど、と付け加えながら傍まで歩み寄って告げるとマイクロトフは奇妙な顔をしてから、少し俯いて口元に笑みを滲ませた。
「そうか……だが、おかげで俺は随分とお前を探したぞ」
 言って手を伸べてくる。その指先が髪に触れるのをカミューは黙って受け入れる。こうして髪を撫でられるのは嫌いではなかった。
「ずっとここで寝ていたのか?」
「ああ…うつらうつらとね」
 髪を撫でられながら問われた言葉に、目を閉じて答える。随分と眠り込んでいたような気がするが、実際どのくらい寝ていたのだろうか。考え込んでいると頭上から溜息が漏れた。
「相変わらず、寝汚い奴だ」
「待たせるマイクロトフが悪い」
「だからと言ってどうして俺の部屋なんだ」
「お前の部屋は居心地が良いんだ。知らないのか?」
 にやりと笑ってみせるとマイクロトフは顔を顰めてそっぽを向いた。いつもなら「何を馬鹿な事を言っている」とかなんとか怒ってきそうなものだが、そんな反応をするとは思わなかった。あれ、とその顔を覗き込むと予想に反して難しい表情がそこにあった。
「マイクロトフ、何かあったのか?」
 何か悪い報せでもあるのだろうか。カミューのまだ知らない良くない事態でも起きたのか。マイクロトフは背けていた顔をカミューに戻し、ゆっくりと瞬いた。その唇が薄く開く。
「カミュー」
「なんだ?」
「この部屋を出るんだ。二度と、来てはいかん」
 ある意味、それはカミューにとって何よりも聞きたくない言葉だった。いや、マイクロトフの口からそんな言葉を告げられるとは考えすらしていなかった。
 呆然と、返す言葉も忘れてカミューはマイクロトフを見詰めていた。
「早く、出ていくんだ。カミュー」
 そうして肩に置かれたてのひらによってカミューは我に返った。
「なぜだ…その理由を聞かせてくれ。でなければここからは出ていかない」
「駄目だ。ここはお前の居場所じゃない」
 断固と言い切られてカミューは言葉に詰まった。何故そんな事を言うのだろう。何か気に障ることでもしただろうか。何か嫌われるようなことを知らずしでかしてしまったのだろうか。
「マイクロトフ?」
「忘れたかカミュー。俺たちの居場所はもうここではない。ノースウィンドゥにある同盟軍の本拠地だろう」
「………え」
 直ぐには何を言われたかわからなかった。そんなカミューにマイクロトフはしかし真剣な瞳と口調で言い聞かせるように続けた。
「寝惚けているのか? だったら目を覚ませ。そしてあの本拠地へ戻れ」
「でもマイクロトフ」
 カミューは混乱していた。だが言われてみれば確かにノースウィンドゥに本拠地の城があると言う記憶をみつけられた。そこに自分たちの部屋もある。だが―――だったら。
「何故わたしたちはここにいる?」
「……それはカミュー、お前が来たがったからだ」
「わたしが? そんなのは覚えていない」
 記憶障害でも起こしているのか、知らぬ内に運ばれたとしか思えない。
 そうして信じられないと首を振るカミューに、マイクロトフは優しい声で言い聞かせる。肩に置かれた掌の温もりが、そんなカミューの混乱した思いを落ち着けた。
「忘れているのならそれでも構わない。だから早く戻れ、皆が心配しているだろうから」
「あぁ…ああそうだな。戻らねば、ならないな―――ならマイクロトフ、一緒に」
「駄目だ」
 またも即座に断言されてカミューは目をみはった。
「どうして」
「俺は寄る場所がある」
「どこへ」
「ハイランド近くの国境だ。大切なものを……ダンスニーを置き忘れてきている。それを取りに行かなければならない」
 見れば確かに、いつもマイクロトフが腰にさげているはずの剣が見当たらなかった。
「だったらわたしも共に行く」
「カミューには、ユーライアがもうあるだろう。寄り道をする理由はない」
 指摘された通り確かにユーライアはある。片時も離さず携帯しているのだから。
「でもマイクロトフ」
「分かったな。カミューだけ先に帰れ」
 カミューは俯く。やにわに子供のように聞き分けたくない気分に満たされて首を振った。
「いやだ」
「カミュー、聞き分けてくれ。俺はお前が本拠地に戻るのを見送らねば心配でダンスニーを取りにいけない。早く取りに行かなければならないのにだ」
「それでも嫌だ。わたしはお前と一緒に行く。これは…絶対に譲らない」
 何故か、ここで別れなければならないのが酷く不安に思えるのだ。一度離れてしまったら二度と会えないような気がする。そしてカミューはそんな自分の不安に忠実であった。マイクロトフが何を言おうと絶対に共に行くのだと心に決める。
 そんなカミューの耳に、マイクロトフの困ったような溜息が聞こえた。
「俺は…俺も、カミューと一緒に居たいんだ」
 吐息に混じってそんな呟きが漏れた。
 カミューが目を見開くとマイクロトフが苦笑を浮かべた。
「だから出来るのならカミューの望むとおりにしてやりたいが、済まんな。俺にも譲れない事情がある」
 言って、いきなりマイクロトフはカミューを引き寄せて抱き締めた。
「あぁ、温かいな…」
 接した耳元に触れるそんな声。
「お前の鼓動を感じる……」
 そして更にきつく抱き締められる。
「マイクロトフ…?」
 カミューは強く背を抱く腕にうろたえた。温かいのも鼓動を感じるのもこんなに抱き締めていれば当然の事だ。何を今更そんな事を言うのだろう。
 暫くして、マイクロトフはゆるゆると抱き締める腕を緩めた。だが、引き寄せた身は離そうとしない。間近に顔を合わせ、そのまま唇を寄せてきた。カミューは黙ってそれを受け入れる。
 それは、なんだかひどく久しぶりの口付けのような気がした。
「……マイクロトフ…」
 軽い口付けが次第に深くなるにつれ、カミューはその手をマイクロトフの背に回して応える。だがそれは不意に中断された。突然マイクロトフの腕がカミューを押し退けて身を引き離したのだ。
「これ以上は、もう、時間がない」
 俯いて、途切れがちにそんな事を言う。
「時間がない?」
 聞き返せば顔を上げたマイクロトフが複雑な顔で微笑みかけてきた。
「カミュー…」
 耐え切れないような声音が耳朶に触れたと同時に、マイクロトフの掌がカミューの頬を愛しげに撫でた。
「おまえは、同盟軍に戻れ」
「でもマイクロトフ」
「不安か?」
 問われてカミューは息を飲む。そんな態度に、マイクロトフはまた微笑を浮かべた。
「ならば、安心できるものをやろう」
 何だ、と思う間にマイクロトフの手がカミューの襟元を開いた。そして、おい、と声をかける前に屈んだマイクロトフの唇がそこに触れた。
 軽く触れるだけの口付けだった筈が、やにわに疼くような痛みがそこから湧く。はっとして見下ろせばマイクロトフの口唇が離れたそこに赤い痣が残っていた。
「…痛い」
 呟けば目前、マイクロトフが破顔した。
「痛いか」
 言って嬉しそうに笑うさまに、文句を言う気力すら削がれてしまってカミューは黙り込んで痣の上を撫で付けた。不思議とそこだけが熱いくらいに温かい。
「痛いけど、嫌じゃないな」
 温かさが心地良くてカミューは薄く微笑んだ。と、その胸をトンと軽く押された。
 え、とカミューが驚いて顔を上げると、伸びたマイクロトフの手の向こうで穏やかに微笑む瞳と視線が合った。
「それではな、カミュー」
 ぐらりと背後に傾いだ身体を立て直す事はカミューには出来なかった。何故だか踏み止まるべき床がそこにはなかったのだ。待て、と咄嗟に手を伸ばしてもそれはマイクロトフに届かなかった。
「マイクロトフ!!」
 叫びは果たして通じたのか分からぬまま、カミューはそのまま底の見えない闇へと落ち込んでいったのだった。





 何処までも落ちていたはずが、気付けば身体は一箇所に留まっていた。
 そして温かな胸の痛みに引かれてカミューの意識はふわりと浮上する。
 徐々に目覚めて行く感覚に平行して、眩しさが増して行った。
 薄らと目を開ければ視界いっぱいに光が満ちていてとても目を開けていられない。その上身体中が鉛を飲んだように重たくて指先一本動かせない気がした。
 息を吸い込むと途端にくらりと眩暈を感じる。唇がガサガサに乾いて痛かった。
「……イ……トフ」
 声を出すと直ぐ近くで何者かの動く気配があった。
「カミューさん…?」
 驚いたような声に、重い首を横にした。するとそこには口元に手を当てて立ち竦むヒルダの姿があった。
「ま…まあ……!」
 彼女は呆然とし、それから慌てて周囲を見回した。
「大変…。誰か……あぁ、主人を……主人を呼んでこなくちゃ」
 ヒルダはそう言って踵を返すと慌しく部屋を出ていった。その背をぼんやりと見送ってカミューはまた首をめぐらして天井を見詰めた。
 ここは、マイクロトフの部屋ではないか。なぜヒルダが居たのだろう。
 ―――なぜ、マイクロトフがいないのだろう。



「マイクロトフ…?」



 掠れた呼び声に、還える声はなかった。





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石投げないで下さーい…
これはこれですごくラブラブ〜だと思うのは自分だけですかー

2001/12/09