釦の掛け違え


 同盟軍。美貌の元赤騎士団長は、その日朝からとにかく巡り合わせが悪く、やや虫の居所が悪かった。
 まず起きる時間を間違えた。本来ならあともう小一時間ほど眠りを貪れたはずが、寝惚けて慌てて飛び起きてしまったのだ。だがまぁこれは自業自得だ。だから気持ちを切り替えて、不意に出来た余暇を、早朝のレストランでゆっくりと過ごそうと決めたのだ。しかし、注文したモーニングセットのカボチャスープを飲むと、どうやらカボチャの固い皮が紛れて入っていたらしい。油断して思い切り奥歯で噛んでしまい、驚いたところでうっかり口内をまたもや噛み締めてしまい激痛に見舞われた。そして続けざまに食後に飲んでいた紅茶で舌を火傷し、思わず涙さえ浮かんだ。
 そうして出来あがった口の中の噛み痕と火傷に気を取られてか、仕事では普段するはずの無い凡ミスをして、部下にさせなくても良い二度手間をさせてしまった。また昼は野外演習の予定だったはずが、カミューの馬だけが不調をきたしており、楽しみにしていた乗馬が出来ず地上からの味気ない指示にうんざりしていた。
 夕方は注文していた酒が仕入れられたと聞き、この日唯一の楽しみだと思いながら引き取りに行ったら、店主が目の前で酒の瓶をうっかり手から取りこぼし、目の前で無残にも割れて酒は全て店の床が飲み込んでしまった。謝り恐縮する店主に、気にしないでくれと力無い微笑みを向けたものの、かなりの消沈でとぼとぼと自室へと帰り、そして心身ともに疲れ果てた気分で寝台へと仰向けに横たわった。
 今日はもう、夕食も取らずにこのまま寝てしまおうかと…だが前日にマイクロトフと食事を共にする約束をしていたので、深く吐息をつきながら起き上がった。そして、扉へと向かいノブに手をかけたところで――――。
 がんッ。
 なんの予告もなく突然外から扉が開いてその縁が額に直撃した。
 衝撃と痛みにくらりとしながら一歩下がると、扉の向こうから「あ…」と聞き慣れた声がした。続いて「すまん!」と言って入ってきたマイクロトフを見るなり、カミューの中でそれまで堪えつづけていた怒りが吹き出した。
「マイクロトフ…わたしは何度おまえにノックを忘れるなと言った?」
 額を押さえ、俯きながらカミューは呟いた。
「わたしに、恨みでも…?」
「あ、いや。悪かった」
「謝って済むのなら法も医者も要らない」
 痛みに滲む涙をこらえながらカミューは呟いた。だがそれ以上は口を噤む。これではまるで八つ当たりだ。まったくもって大人気無い。
「カミュー?」
 不安そうな声と、労わるように広げられた男の掌が見えた。
「もう…良い」
 幾らか投げやりな気分になってしまうのは仕方が無いだろう。怒ったとてどうにかなるわけではない。取り敢えずもやもやした気分は横へと押しやってカミューは顔を上げた。
「行くぞ」
 そしてマイクロトフの横をすり抜けると部屋を出てレストランへと歩き出す。だが男が追ってくる気配を感じられず振り返ると、困惑したような瞳に出会った。カミューは軽く片眉を持ち上げると廊下の先を指差した。
「行かないのか?食事に」
「い、行くとも!」
 ぱっと表情を明るくさせてマイクロトフは駆け寄ってきたのだった。

 だが、さりとて虫の居所が良くなるわけでもないカミューである。
 レストランで席に着くなりいつものようにシェフのオススメを注文したものの、出てきた和風ステーキに些かげんなりした。この肉料理には、先刻無残に割れた酒が――― カナカン産の赤ワインが良く合うに違いないと思ってしまったのだ。
 何てことだ。未練がましい事この上ない。
 ほんの少しだけ眉を寄せて、カミューはナイフで切り離したステーキ肉にフォークを突き刺した。だが、そこでマイクロトフからの強い視線に気付いて顔を上げた。
「カミュー……」
 随分と言い難そうに呼び掛けて来た声に、カミューは再び俯いて皿の上の、まだ湯気を立てているステーキを見た。そうだった。先日マイクロトフの食べていた白身魚のクリーム煮があまりに美味しそうだったから分けてもらう代わりに、今度肉料理を食べる時に分けてやると約束していたのだ。
「そうだったな…」
 頷くが、先ほどの理不尽なまでに強い怒りがまだ根強く残っているカミューだ。なんとはなしに、そう簡単に分け与える気になれなかった。非常に大人気無いとは思うが、もうそんな気遣いすらどこか遠くにあった。
「……ってられるか…」
「カミュー?」
「やってられるか…っ」
 ここでマイクロトフに八つ当たりをするのは、とても理不尽である。過ぎるほど理解はしている。だが衝動は抑え切れなかった。
「これは、おまえにはやらない」
 キッパリと宣言していた。
「他の誰にやろうが、おまえにはやらない。決めた」
「なんだと?」
 マイクロトフの困惑した声に、だがカミューは目を逸らす。別段、肉が惜しいわけでもなんでも無い。ただ、嫌がらせをしているだけだ。
「さっきおまえにぶつけられたところが、まだ痛いんだ。その詫びに肉は諦めろ」
「う…いや、しかしそれでは約束が違うぞ」
「知るか」
「おい、カミュー、どうしたんだ?」
「どうもしない。だが肉はやらん」
「酷いぞ」
「どうとでも言え。あぁそうさ、わたしは酷い。非道な振る舞いをしているんだろうさ」
「くれると言っただろう」
「言ったが止めた。いい加減いやしいぞおまえ」
「いやしいだと?」
 そうこうしている内に、皿の上のステーキは徐々に切り離されカミューの口の中へと消えて行く。
「カミュー!約束しただろう〜〜」
「やらん」
 幼児が玩具の取り合いをしているかの如き遣り取りを、突然繰り広げる騎士団長二人に、周囲の視線がいつしか集まっていた。
「寄越せ」
「たかが肉如き、食い意地の悪い」
「お…っまえ……」
 マイクロトフにすれば約束を履行しないカミューに非がある。カミューにすれば朝から機嫌の悪いところにとどめをさしたマイクロトフが悪いのである。次第、互いに容赦も無くなっていくというもので。
「あぁっ!もう残り少ないではないか!!」
「うるさい。微塵もやるつもりが無いと言っているだろう」
「普段肉をそんなに食わんくせに全部食い切るつもりか!」
「……例え残す事があっても、お前だけには渡さない」
 何をそこまで意地になるのだろうと、周囲で聞き耳を立てている者たちは首を傾げた。常ならば何も言わずともさっさとマイクロトフに肉を分け与えているはずのカミューであるのに。
 人々はその原因についてあれこれと勝手な詮索を始めていた。そこかしこで囁きが交わされ、意味ありげな視線が飛び交う。そしてそんな不穏な気配に、まるで吸い寄せられるように登場した一人の男がいた。
「よお…どうしたってんだ?」
 快活な声で入ってきたのは傭兵のビクトール。真っ直ぐに騒ぎの渦中である騎士二人の元へと来ると、立ち止まって「どうした?」と彼らと視線を交わす。
「あぁ、ビクトール殿」
 ふと、カミューがにこやかに呼びかけた。その手が握るフォークの先には最後のステーキ肉が一切れ突き刺さっている。
「ほら、あーん」
 そっとフォークを持ち上げられて、にっこり微笑まれてしまい、つい反射的に口を開けてしまったビクトールだった。
「…あ、ああーーーー!!!!!」
 マイクロトフの絶叫が響いた。流石に、ここまでくれば事態が良くない方向に向かっているらしい事ぐらい、闖入者であるビクトールにも理解できた。
 突然口に放り込まれたステーキ肉を、それでも律儀に咀嚼し確り飲み込むと、ビクトールは顔に笑顔を貼り付けテーブルに肘をかけて二人の顔を順々に見た。
「よーしふざけんなおまえら。人をあっさり巻き込みやがって、今度はなにが理由だ?あ?暑かったか、寒かったか、それとも眠いのか」
「直ぐにむずがる小さい子供でもあるまいし、ビクトール殿」
「似たようなもんだろうが、え?カミューよ」
 真っ向から睨まれて、カミューも少しだけ気まずくて目を逸らし、そのまま立ち上がる。
「今夜はこれで失礼します」
 にっこり笑う元赤騎士団長に、漸く硬直の解けた元青騎士団長の手が伸びる。
「待てカミュー!」
 しかしすんでのところでかわされ、マイクロトフの手は虚しく空を掻く。
「カミュー!」
 叫びもまた虚しく、カミューはすたこらと言う擬音が一番相応しい退場の仕方で出て行ったのだった。




続きます……
それから、ギャグじゃないんですこれでもシリアスな話を書くつもりで…
おかしい…何故書いていてこんなに笑えるんだろう(笑)

2001/05/20


釦の掛け違え2


「大人げの無い……」
 沈痛を隠さぬ口調で溜め息さえも深々と吐かれ、カミューはつい苦笑を浮かべた。同盟軍の昼間の酒場は準備中の札が下げられ、まるで人の立ち動く気配が無い。
 店主のレオナはカウンターで、盟主である少年の遠出に付き従う者たちの装備や錬度具合の記録調整に余念が無い。パラパラと名簿を捲りながら、朝に少年から告げられたメンバーの名をリストアップして順次呼びつけていた。
「しようの無い連中だねぇ全く。おかげで昨日はあの熊が騒いで困ったよ。あんたの連れも珍しく暗い顔で飲んでたしさ。今日は揃って出るんだから、出先で面倒が起きないようにきちんとケリ付けときなよ」
 メンバーの中には騎士二人の名が上げられていた。
「分かっていますよ、後で謝っておきます」
「おや、簡単に折れるんだねぇ?」
「今回はこれでも大いに反省しているのです」
 にっこりと常の愛想笑いを浮かべる騎士のふてぶてしさにレオナは「あ、そ」と答えると、本当にしようのない連中だわと胸の内で呟いて手を振った。
「お連れさんにはもう伝えてあるからさ、一時間後に城門前だよ」
「承知致しました」
 爽やかな微笑みを浮かべ一礼する青年騎士に、レオナは軽く眉をひそめ煙管の灰を、甲高い音をたてて灰皿へと捨てた。そして去って行くその背中に小さく呟く。
「だけどまぁ…食いものの恨みってのは……引き摺るからねぇ…あるいは」
 上手く和解出来ないかも。

 そう呟いたレオナの懸念は図らずもその通りとなった。

 結局カミューは出発前までにマイクロトフに謝る事が出来なかったのである。
 一時間後に城門前に集った一同――― カミューとマイクロトフの他は、フリックとナナミとムクムクだった。ちょっとラダトの方へ散歩がてら歩いて行きたいとの盟主の希望での人選である。天気も良好で穏やかな道程になるだろうと思われた。ただ一人、マイクロトフの機嫌を除いては。

「マイクロトフ」
「………」
 カミューが後ろから呼びかけてもマイクロトフは、返事は愚か振り返りすらしない。晴天の真下、ナナミはムクムクを胸に抱きながらちらちらとそんな騎士たちを気にしつつ、弟から遅れないように歩いている。そんなナナミと騎士二人を両方気にしながら歩いているのはフリックだ。前夜、ビクトールからある程度聞かされてはいたが、この先どう展開が転ぶか予想がつかない。
「マイクロトフ」
「……」
 やはり応えは無い。謝る気があっても相手がそれを聞かないではどうにもならないのだ。カミューはしかしそれで怒る様子もなく、参ったなと少しだけ肩を竦めた。マイクロトフは今朝からずっとこの調子なのである。
 昨夜はそれこそカミューの方からマイクロトフを避けまくっていたのだが、一晩経って充分に頭の冷えたところで「悪いことをしたな…」とその姿を探したのだ。ところが今度は向こうの方からあからさまに避けられる事態となっていた。
 すっかりへそを曲げさせてしまったようだとカミューが認識する頃にレオナの呼び出しがあり、昨日はあれからレストランに残されたマイクロトフが、そこでやけ食いをした後に酒場にやってきてずっと不貞腐れたように陰気な顔で長い間飲み続けていたと聞いた。
 確かに、通りすがりの傭兵の口に最後の一切れを放り込んだのはやり過ぎだったとカミュー自身思う。あの時のマイクロトフの周囲を憚らぬ絶叫が耳に鮮やかでもある。だから、根気良く機嫌を直してもらうことにしたのだ。
「マイクロトフ」
 だから無視されても何度でも呼びかける。結構自分も健気だなと密かに思ったりするカミューだった。
「なあマイクロトフ。頼むからわたしと目を合わせてくれないか」
 しかし返事は無い。相変わらず黙り込んで前を向き歩みを止めない。
 ここまで来ると少しだけ悲しくもなってくるらしい。傍目にもしょんぼりと肩を落としとぼとぼとマイクロトフの後ろを歩くカミューを、ハラハラとしながら見ていたのはフリックだった。心配性が持病となっている彼は、頼むから悪い方向へ転ばないでくれ…と、胃に僅かな痛みを覚えて鳩尾を押さえていた。
 だからマイクロトフもいい加減カミューに応えてやれよと、横から口を挟みたくなる。しかし無言で真正面を見据えて歩く青騎士の姿はどうも口出しし難い気迫を醸していて、なかなかその機会を見つけられない。恐らくナナミも同じ気持ちなのだろう。ただ一人全く何も気にしていない様子で先を歩く義弟と騎士たちを何度も見比べながらムクムクを抱く手に力を込めている。
 そんな微妙に気まずい空気の漂う中。
「…マイクロトフ」
 ぽつりと、唐突に気弱な声で呟くカミューにさしものマイクロトフもぴくりと肩を震わせた。その時だった。不意にナナミの腕の中でムクムクが毛を逆立て、現状が打ち破られた。
 一同が歩いていた街道沿いに続く林から、素早く飛び出してきたモンスターの気配に、戦い慣れた彼らは咄嗟に戦闘態勢に入る。
「ムササビとターゲットレディだ!気をつけて!」
 いち早く少年が叫んで義姉の元へと駆け寄る。流石に騎士たちもハッとして剣を抜き敵に相対した。そんな彼らを見て少しばかり安堵に胸を撫で下ろしたフリックは、それでも顔を顰めて呟いた。
「ターゲットレディか…厄介だよな」
 基本的な戦闘能力はそれほど高くも無いモンスターであるが、その特殊攻撃が好ましくない。一度その特殊攻撃を受けてしまうと、敵による攻撃が全てその身に降り掛かってしまうのだ。しかもムササビまでいる。バケツなど被せられれば戦闘が不用意に長引いてしまう。
「ま…この面子だしな…」
 レベルの高いこの顔ぶれでムササビやターゲットレディに遅れを取る事など万が一にも無いだろうと、フリックは結論付けその憂慮を払った。しかし、不運男の嫌な予感と言うものは全く碌でもないものなのだ。

「おいおい…」
 半ば息を切らしながら呆然と剣を構えなおすフリックだった。
 ことごとく攻撃をかわされ、逆に反撃まで受ける戦闘が続き、気付けばムクムクは瀕死。ナナミはバケツ。フリックとマイクロトフはそろそろ瀕死に近い。少年はまだ余裕があるようだったが、問題なのはアンバランスの上にターゲッティングされてしまったカミューである。少年が命じたマイクロトフとの強力攻撃の後、すっかりとバランスを崩した彼はそのまま運も手放してしまったらしい。瀕死も瀕死、あと一回攻撃を受ければ戦闘不能に陥ってしまうだろう状況にあった。
「大丈夫ですかカミューさん!」
 少年が後衛から呼びかけるのに、カミューはぜいぜいと息を吐きながらも頷いて応じる。
「待っていて下さい!今紋章を…!」
 そうして少年がその手に宿る紋章をかざそうとしたその一瞬前、頭上の木の枝から物凄い勢いで飛びかかってきたムササビがカミューを直撃した。
 息を呑んだのは全員――― ただマイクロトフを除いて。
「マイクロトフ!お前どうしたんだっ!!」
 フリックが叫ぶ。
 普段なら迷わず庇うはずの騎士が、一歩も動かない。ただ黙って剣を構え、己の横で意識を失いゆっくりと地にその身体を伏せる青年をそのままにしている。それはおよそ信じられない光景だった。
「マイクロトフさん、カミューさんどうしたの…っ?!」
 ナナミが頭に絡んでいたバケツを漸く外し、戦闘不能状態のカミューとまるでそれに無関心のマイクロトフを見て青ざめた。これもまた、いつもなら男が切れてしまい敵を一掃しても収まらぬ怒気を落ち着かせるのが大変なものを、今回はそんな怒りの欠片もうかがえないのだ。
「退却します!フリックさんカミューさんを!ナナミはムクムクを取って!」
 少年が今だ立ちはだかるターゲットレディとムササビの群れを前に鋭く命じる。フリックはそしてそこにきてもまだ、倒れたカミューに手さえ差し伸べようとしないマイクロトフを驚愕の眼差しで見たのだった。




ギャグに転ぼう転ぼうとする思考回路を叱咤して
かろうじて何とかシリアス
いやしかしムササビに脳天直撃を受けて倒れる赤は……どうよ(笑)

2001/05/23


釦の掛け違え3


「本当かよそいつは?」
 正面の閉じられた扉をやぶ睨みしながら獰猛な声で唸るのはビクトールだ。戦慣れた連中でのラダトまでの行楽にも似た道程で、カミューが戦闘不能にまで陥り、急遽城まで引き返してきたと聞き駆けつけたのだ。医務室の前にはフリックとナナミが所在無さげに突っ立っていた。マイクロトフの姿はない。
「あぁ、今でも自分の見たものが本当の事かどうか、信じられない」
 唇を引き結んでフリックは深く項垂れる。
「本当の…事だよ……見たもん」
 ナナミが胸の前で手を握り、静かに呟く。
「マイクロトフさんのあんな怖い顔、初めて見たよ――― 何にもわからない。何考えてるのか全然分からなかったんだよ…」
 怖かったよ、とナナミは言う。その小さな頭を軽く撫でてビクトールは頷いた。
「おめえを怖がらせて悪い奴だな。後で俺がこらしめてやっからな」
 だがナナミは小さく首を振った。
「ううん…あたしは全然、別に……ただカミューさんが、心配。ホウアン先生は心配無いって言ってたけど、傷の事とかじゃなくて、気持ちの方がすごく心配。だって、あんなに仲良かったのに…」
 気落ちした声でそう言ってから医務室の扉をそっと見つめ、ナナミは「戻るね…」とビクトールとフリックに別れを告げて弟の元へと戻って行った。

 ビクトールはそしてフリックを見た。
「で、おまえはどう見る」
「俺より、お前の方が色々考えてるんだろ」
 フリックは自分の足元を見たまま、まるで元気の無い声を出す。
「おいおい…おまえまで滅入ってんのか」
 呆れるビクトールに、フリックはそろりと顔を上げてそれからまた足元を見た。そしてぽつりと語り出す。
「あいつら見てると、絆とか運命とかそう言う言葉を思い浮かべるんだよ。俺がオデッサと出会ったようにあいつらは出会ったし、俺とおまえがこうしてここにいるように、あいつらもここにいるんだよ」
「……」
 ビクトールが黙り込み、相槌すら打たないのに気付いて、フリックは苦笑を浮かべた。
「だからさ、余計驚いちまったんだよな。マイクロトフの奴がカミューを庇わなかったって、それだけの事にな」
「それだけの事じゃねえだろうよ」
 怒りを含んだようなビクトールの声に、フリックの目が僅かに見開かれる。
「それだけの事じゃねえだろう。カミューがやばかったらマイクロトフは庇うし、倒れたらキレる。それが奴らなんだ。そうじゃねえんだったら、こいつはどこかおかしいって事だ。間違ってんだよ」
「だがビクトール…あいつらだって喧嘩もするだろうし……」
「どんな喧嘩したってマイクロトフが傷付いたカミューを見て動かねぇわけがねえだろう。違うか?」
 そうなのだ。見知らぬ者でさえ、傷付き膝をつくものがあればマイクロトフはその身を呈して庇う。それはあの騎士の本質であり、決して変容しない習性なのだ。その対象が誰よりも大切だろうカミューであれば尚更、何があろうとその体が動かないわけが無い。
 それなのに、である。
「確かに…やっぱりどこかおかしいよな」
「あぁおかしい」
 大きく頷いたビクトールは、そして目を眇めて医務室の扉を見据える。
「カミューはまだ治療中……マイクロトフはどこにいやがる?」
「探すのか?」
「おうよ。このままじゃあ気持ち悪くって仕方ねえ」
「手伝うよ」
 漸く、足元から視線を剥がしたフリックが、薄らと微笑を浮かべる。その顔にビクトールもにやりと笑いかけた。
「ま、なんとかならぁな」
 そうだな、とフリックも頷く。
 今は、それまで確かに感じていた騎士たちの絆を信じるしかなかった。





 だがそうして傭兵たちが医務室の前から去っていってから直後、そこにマイクロトフが現れたのである。彼は扉の前でほんの数秒立ち止まっていたが、おもむろに扉を叩き取っ手を握った。
「失礼する」
 低く告げて医務室に入ると、そこにはホウアンとトウタがいた。
「マイクロトフさん」
 少なからず事情を知っているホウアンは驚いて立ち上がると、カミューが横たわる奥の方へ案じるような視線を向けた。
「カミューはそちらですか」
 そんな医師の視線の先を見て、マイクロトフはそちらへ踏み出す。
「あっ、待って下さいっ」
 トウタが慌てて駆け出し、自分よりも随分と上にあるマイクロトフの顔を見上げ、その道行を塞いだ。
「患者さんは今絶対安静です。面会はお断りです」
 強気に告げるトウタに、マイクロトフはホウアンの方を見た。
「本当ですよ。カミューさんは今さっき治療を終えて漸く眠られた所ですし…暫くはお会い出来ません」
 トウタの言葉に同意するようなホウアンの言葉に、マイクロトフは微かに眉を顰めた。
「そうですか」
 てっきり会わせろとごねるかと思ったホウアンだったが、そのまま納得したように踵を返すマイクロトフに些か拍子抜けする。
「マイクロトフさん?」
 驚いて呼び止めると、男は立ち止まって振り向いた。
「なんでしょう」
「あ…いえ、カミューさんが次に目を覚ませば、お知らせしましょうか?」
 だが、マイクロトフの返答は素っ気無いものだった。
「――― 無用です」
 短く告げて、そのまま部屋を出て行ってしまった。
 そして静かに閉じられた扉を見て、ホウアンとトウタはひたすら首を傾げたのだった。




傭兵…好きだなぁ、特に熊さんが良い
ところでウチの傭兵はできておりません
できてても良いんですけど、仮にそうだとしても
それがどんな感じなのか一向に思い浮かべられないのです
青赤ならそりゃもう沢山浮かびますけど

2001/06/17


釦の掛け違え4


 酷く湿っぽそうに見えて、実際には乾いていて過ごしやすい冷暗所。しかしそこに長居したいと思える人間がいるかどうかは疑わしい。何しろ見渡せば幾つもの寂しげな墓標が並び、深い哀しみが色濃く漂っている場所である。
 城内の地下にある墓所――― 立ち枯れた木々が今にも軋みを上げて倒れそうな、そんな場所に男は立っていた。
「辛気臭いのう」
 不意に背後からかけられた声にマイクロトフは振りかえった。
「シエラ殿」
 夜の紋章にその生を委ねた、少女の姿をした夜の住人。彼女は小首を傾げた姿でゆっくりとした歩みで近寄ってきた。
「なんじゃ鬱陶しい空気を撒き散らしおって、とんだ安眠妨害じゃ」
 眠たげに目を細めシエラは言う。
 マイクロトフは身体ごと向き直ると軽く頭を下げた。
「これは…邪魔を致した」
 そしてそのままシエラの横を通り過ぎ、去ろうとする。ところが彼女はそんなマイクロトフを静かに呼び止めた。
「待たぬか」
 声に振り返るとシエラは口元に笑みを湛え、瞳には興味深そうな光を宿してマイクロトフを見ていた。
「今出て行くのは良くないかもしれん。傭兵どもがおんしを探しておった」
 マイクロトフが僅かに目を瞠るとシエラは得たりと頷いた。
「何があったかは知らぬが、その顔…余程のわけがありそうじゃ。誰も出て行けとは申しておらぬゆえ、ここでゆっくりするが良い」
「シエラ殿」
「ほとぼりが冷めるまでここで過ごすあいだ、鬱屈を取り除きたければ好きなだけ独り言を呟いても良いぞ」
「…は……」
 マイクロトフが呆然として立ち尽くしていると、シエラは欠伸をひとつ傍らの柵にふわりと腰を下ろした。そしてちらりと上目遣いに瞬いた。
「何をしておる?おんしもどこぞに腰を落ち着けぬか。その図体でぼうっと立っておられてはそれこそ鬱陶しい」
「申し訳ない……」
 マイクロトフはそして言いなりに朽ちた倒木に座った。

 静寂はいっそ心地良かった。このままずっと黙ってここにいたかった。しかしシエラから向けられてくる気配がそれを許さない。
「俺は……どうしようもなく愚かな男です」
 ぽつりと、そう言うとシエラが静かな口調で言葉を返してきた。
「己を責めるか。それも良いが、なにゆえ傭兵どもがおんしを探しておるかは聞かせてくれぬのか?」
「詳しい理由は分からない。だが多分カミューの事なのだろうとは思います」
「何かあったのかえ」
「多少――― フリック殿は側にいて全てを見ておられたから俺を責めたいのではないだろうか。俺が、カミューを酷く傷付けてしまったから」
「怪我でもさせたか」
「結果的には。いつもならそんな事は絶対にしなかった。だが今回ばかりはそれが出来なかった。俺は、とても愚かで惰弱だ」
「…後悔を、しておるのかえ?」
 マイクロトフの言葉は、実際にはなんの状況説明にもなっていない。何も事情を知らない者にとっては不可解極まりないだろう。だがシエラは敢えて深く問う事をせず、マイクロトフの感情を推し量りそんな言葉を投げかけてきた。
「後悔は…あぁ、しているかもしれない。だが、俺はまだ収まりが付かないでいるんです」
 拳を握り締め、マイクロトフは目を伏せてそんな言葉を吐く。
「俺は……カミューが何を考えているのか、時々分からなくなる。だが、約束を破られるのだけは、どんな理由があっても我慢がならない」
「約束じゃと…?」
 首を傾げるシエラに、マイクロトフは苦笑を浮かべると先日の夕食での出来事を委細語った。最後にビクトールが出てきた事までも律儀に話す。するとシエラは眉を顰めていかにも馬鹿馬鹿しいと言いたげな顔をした。
「なんじゃそれは。たかだか肉如きでおんしは怒っておるのか」
「違う。そうではないのです」
 マイクロトフは慌てて首を振ってそれを否定した。
「あれは、きっかけに過ぎなかった。確かにその時は頭に血が上った。なんと言うか…その……ビクトール殿にも理不尽な怒りを覚えたし、カミューの態度に落ち込んだり……まぁ、その後に少しやけになって酒場で過ごしたのです」
 ごほんと、ひとつ咳払いをしてマイクロトフはまた語り出した。
「酒を飲みながら、何故カミューが約束を破ったのかをずっと考えていた。もしかするとなんでもない、ただの気紛れだったかもしれない。だが俺は、ふと思い至ってしまった」
 そこでシエラが見たマイクロトフの顔は、ひどく静謐で犯し難い表情をしていた。
「何を考えたと?」
 シエラが小さい声でそっと問うと、マイクロトフは一度深く目を瞑ってから口を開いた。
「カミューはいつも簡単に約束を破る。呆気ないほど簡単に俺との約束を反故にするのだと」
「ほう」
「俺が絶対だと言ってもカミューは嘘をついて約束を破るのです。いや、だが決して自分本意の嘘ではない。いつも相手にとって良かれと思い、都合の良い嘘を無理をしてつく。その結果約束を破る」
「相手の為ならば、大切な約束といえどもあっさりと破るわけか」
 それはちと困った性分じゃの、とシエラは呟く。
「それはおぬし以外の、他のものにもそうなのか?」
「あぁ…はい、俺にだけではない」
「あやつは約束を軽んじる軽薄な男なのか?」
 シエラがそう問うた途端、マイクロトフは顎を引いて声を大きくした。
「カミューが軽薄だなどと、そんなわけがない。あいつは己の発言全てに責任を持つ男です」
「わしに怒ることではなかろう……」
「う…失礼した」
 声の大きさに身を引いたシエラに、マイクロトフはハッと我に返って謝る。だが直ぐにまた静かな表情を浮かべて地面を見下ろした。
「あいつは柔弱と取られがちなところが多い。だが、ああ見えて負い過ぎるほど多くを背負いすぎるきらいがある。何か事が起きても自分が引いて丸く収まるならば、どれほど自分に不利な状況であろうと何も言わずにそうする……俺はそんなカミューをとても危うく感じる」
 シエラはただ黙って聞いている。マイクロトフはそんな彼女をちらりとうかがったが、再び地面に視線を戻すと少し微笑して続けた。
「そんな奴なのだと、全てを分かって今まで付き合ってきた。だがいい加減、俺にぐらいはその背負っているものの半分を預けて貰いたい。俺にだけは、嘘を……約束を破って欲しくない」
 今回の事は、本当にきっかけに過ぎなかったのだと、もう一度マイクロトフは言った。
「なるほどのう」
 シエラは揃えていた足を、何気なく組んだ。そして「じゃが」と首を傾げる。
「それでなにゆえ、それほどに思う相手を傷付ける事になったのじゃ」
 そこが分からぬ、とシエラは言う。だがそれを聞いた瞬間マイクロトフが顔色を失ったのを、シエラは見逃さなかった。
「…ふむ。そこにおんしが愚かだと自分を責める理由があるのか」
 シエラの瞳がすっと細められる。その視線を受けてマイクロトフは顔に苦渋の色を浮かべた。
「俺は…」
 両膝に拳を置いてマイクロトフは歯を食い縛った。
「俺はカミューに約束を求めずにはおれないのです。いつも傍にいてくれているあいつに、傍にいてくれと……いつも笑っているあいつに、笑ってくれと…些細な事です」
 緩く首を振りマイクロトフは両手の拳を開くと顔を覆って上体を傾けた。
「その些細な約束を、いつかカミューに破られる日が来るのではないかと、俺はそんな事を考えてしまった」
「………」
「何度か言った覚えがある。俺を置いて去るような真似だけはするな、と」
「…それは、先に死ぬなとでも言う意味かえ」
 シエラの問いにマイクロトフは沈黙で答えた。
「ほんに、困った奴らじゃ」
 溜め息混じりに呟いたシエラに、マイクロトフは俯いて顔を伏せたまま、少し笑みを漏らした。
「俺はだから耐えられそうになかったのです」
 顔から手を引き剥がし、指を緩く握り込む。
「カミューがあっさりと約束を破る事が、今の俺には耐えられそうになかった。だから、あの時も顔を合わせられなかった。目を合わせるなり、どう言うつもりなんだと問い詰めそうで……あいつが地に伏せた時も……俺は…」
 マイクロトフは深く項垂れて、また首を振った。
「分かってはいる。カミューがそんな奴なのだと言う事は、誰に言われなくとも俺が一番分かっているし、今更なおせと言っても簡単にはなおらないのも当然なのだと」
 そしてマイクロトフは深く息を吐き出すと顔を上げた。
「だがいつかは、あいつがそんな俺の気持ちを理解してくれると信じているのは確かなのです」



 シエラは去って行くマイクロトフの背に、心底呆れた視線を投げかけた。

――― 信じてはいるが今は俺自身の反省もまじえて暫くはカミューと顔を合わせず過ごすつもりです。

「厄介な奴らじゃの」
 髪を掻き上げ軽くのびをすると、腰掛けていた柵から降りる。
「全く遠回しな連中じゃ。もっと素直になれば事がこじれもせぬであろうに」
 相手を思うが故の行動なのだとはわかるが、シエラにしてみればじれったくてならない。実際マイクロトフがカミューに対して何をしたかは知らないが、現時点で既に事がこじれているだろう事は予想がついた。
「まぁ、他人が口出す話でも無かろうがな…」



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青、シエラ様相手に語りすぎ(笑)
まあうちの赤さん論です
相手のために平気な顔して笑って嘘吐きそうなのです
胸中どうであれ、そう決断したらどんな大切な約束でも反故にしそうです

2001/07/11